ガリア戦記/参照画像一覧
『ガリア戦記』対訳本文中で参照した画像の一覧。
目次 |
[編集] 全般
[編集] 第1巻
[編集] 第2巻
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アクソナ川の戦いにおける両軍の布陣図。
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サビス川の戦いにおける布陣図(左)と戦況図(右)。
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ローマ式陣営(castra Romana)の概略図。7が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
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ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。
フランスの画家アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカンによる『キンブリ族の敗北』(«La défaite des Cimbres» par Alexandre-Gabriel Decamps )
[編集] 第3巻
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ウェネティ族の城市があったブルターニュ半島の突き出た地形
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古代ローマの軍船(ガレー船)の構成
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ウェネティ族との海戦の布陣図
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鉤竿に似たローマの兵器「コルウス」
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サビヌスのウネッリ族・レクソウィイ族への遠征経路。
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クラッススのアウィタニア遠征の経路。
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BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分にアクィタニア人の諸部族が居住していた。
[編集] 第4巻
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古代のゲルマニア。
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メナピイ族の復元住居(ベルギーのDestelbergen)
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モッセラ川(現在のモーゼル川)とレヌス川(現在のライン川)の合流点コブレンツ(Confluentes)こそが、15節の殺戮地であったかも知れない。
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カエサルがレヌス架橋工事に用いた杭打ち機の復元模型
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レヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家ジョン・ソーン(John Soane)による想像画。
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イギリス・ケント州のディール(Deal, Kent)にある、カエサルのローマ軍が最初に上陸したことを記す後世の記念碑。「THE FIRST ROMAN INVASION OF BRITAIN LED BY JULIUS CAESAR; LANDED NEAR HEAR LV BC(ユリウス・カエサルに率いられたローマ人の最初のブリタンニア侵攻、BC55年にここの近くに上陸した)」と記されている。
[編集] 第5巻
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イッリュリクムにおける部族の分布図。右下に、Pirustae(ピルスタエ族)の名が見える。
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イティウス港があったと推定される有力な候補地、フランスのブーローニュ港
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イティウス港の所在地として、ブーローニュとともに有力な候補であるウィサント(Wissant)
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ストゥール川(Stour)の支流の一つ
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ローマ軍の亀甲陣形(テストゥド)
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タメスィス川、すなわち現在のテムズ川。
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ブナの森林
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ほぼ同時代のギリシア人地理学者ストラボンの記述に基づくヨーロッパの地図。中央に三角形のブリタンニア島(Brettania)が見える。ヒベルニア島=イエルネ(Ierne)の位置が北方へずれていることなどを除けば、本節の記述とおおむね合致する。
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冬至のラテン語による説明図
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ホソバタイセイ(学名 Isatis tinctoria)の花。染料として重用されていた。
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カエサルがカッスィウェッラウヌスを打ち負かしたと推定されている城砦跡の記念碑。イングランド南部ハートフォードシャー州のホイートハムステッド(Wheathampstead)の近くにある遺跡(Devil's Dyke)
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凪の海に浮かぶ船の光景
(エドゥアール・マネ画) -
スイスのバーゼル市にあるプランクスの像
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カルヌテス族(Carnutes)の名を残す仏シャルトル(Chartres)市街の原野からの眺望
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トンヘレン市街の南を流れる川(Jeker)。本節の峡谷に相当すると思われるもの。
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ローマ神話の女神フォルトゥーナ(16世紀ルネサンス期のイタリア、ジローラモ・ダ・カルピ画)。気まぐれな運命の女神とも解釈される。
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鷲の徽章の旗手(アクィリフェル)を先頭に行進するローマ兵たちの再演(帝政期のAD70年頃のもの)
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アンビオリクスがローマ軍に勝利したアドゥアトゥカの戦い直後の情勢図
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古代ローマ式の堡塁と堀の再現。アレスィア攻囲戦のもの(フランスのアリーズ=サント=レーヌ)
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破城鎌(falx)の想像画
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攻城櫓(turris)の例。絵は中世イギリスの物だが、古代ローマの物とあまり違わないと思われる。
[編集] 第6巻
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グナエウス・ポンペイウスの胸像。カエサルおよびマルクス・クラッススとともに三頭政治を行ない、共和政末期のローマを支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて内戦へ向かう。
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ピルム(投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演
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トレウェリ族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツのトリーア市(Trier)に残るローマ時代の浴場跡
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ウァルスの戦い(Varusschlacht)ことトイトブルク森の戦い(AD9年)から2000周年を記念したドイツの切手(2009年発行)。右はケルスキ族の名将アルミニウス、左下はアウグストゥス帝の胸像、左上はローマ軍が遺した仮面。
アルミニウスが率いるケルスキ族・カッティ族らゲルマニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ(Quintili Vare, legiones redde!)」と嘆かせた。 -
アパメアのポセイドニオスの胸像。地中海世界やガリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。
『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。 -
『瀕死のガリア人』(Dying Gaul)像(ローマ市のカピトリーノ美術館)
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ケルト系の王ビアテック(Biatec)の騎馬像(スロバキア国立銀行)。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代スロバキアの5コルナ硬貨にも刻まれている。
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二頭立て二輪馬車(戦車)に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)
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柳の枝で編んだ巨人ウィッカーマン(Wicker Man)の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた。1973年にはイギリスで映画化され、2006年にはアメリカなどでも映画化された。
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ガリアの雷神タラニス(Taranis)の神像(フランス国立考古学博物館)。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。
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ガリアの神ケルヌンノス(Cernunnos)の神像(フランス国立考古学博物館)。
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ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、鉄器文化の発達などによると考えられている。
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エラトステネスの地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。
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ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、シュヴァルツヴァルトの森の最高峰フェルドベルク山 Feldberg の眺望)
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トナカイ(Rangifer tarandus)。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。
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ノロジカ(Capreolus capreolus)。
ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。 -
ヨーロッパバイソン(Bison bonasus)。
かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。 -
ローマ式陣営(castra Romana)の概略図(再掲)。7が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
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楔(くさび)の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。
[編集] 第7巻
[編集] ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起
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グナエウス・ポンペイウスの胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、元老院によりポンペイウスが単独の執政官に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。
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ウェルキンゲトリクスの立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ Alise-Sainte-Reine)。
近代ナショナリズムの高揚とともにフランス国民が自らを古代ガリア人の末裔と見なすようになると(ガリア起源説)、ガリア諸部族を率いて古代ローマと戦った彼は「フランス最初の英雄」として祀り上げられた。第二帝政期に皇帝ナポレオン3世の命によりアレスィア古戦場の発掘調査が実施され、1865年にはその地に彫刻家エメ・ミレ(Aimé Millet)による高さ7メートルの銅像が建立された。
(fr:La statue de Vercingétorix) -
ウェルキンゲトリクスの騎馬像(fr)。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、クレルモン=フェラン市中央広場に建つ。1903年に、自由の女神像の作者として著名な彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディによって建立された。フランス語で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。
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グナエウス・ポンペイウスの立像(ワルシャワ王宮)。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の執政官として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。三頭政治後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。
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ナルボ(Narbo)すなわち現在のナルボンヌ市(Narbonne)の街並み。ローマ人がドミティア街道の拠点として植民市コロニア・ナルボ・マルティウス(Colonia Narbo Martius)を建設し、後にはローマ内乱のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、属州名もガリア・ナルボネンスィスに改められたほどである。
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フランスにおける中央高地(Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
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前節までのカエサルのナルボからアゲディンクムへの進路(青線)およびウェルキンゲトリクスの進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアルウェルニ族の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間にブルゴーニュに冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。
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ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在のサンス)とケナブム(現在のオルレアン)の中間地点であると考えられることから、モンタルジ(Montargis)、ボーヌ=ラ=ロランド(Beaune-la-Rolande)やシャトー=ランドン(Château-Landon)などが候補地に挙げられている。
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城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されているロワール=エ=シェール県のヌン=スュル=ブーヴロン(Neung-sur-Beuvron)のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現オルレアン)の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。
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ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)およびウェルキンゲトリクスの進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。
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ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、ニエーヴル県のサン=パリーズ=ル=シャテル(Saint-Parize-le-Châtel)あるいはシェール県のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ(La Guerche-sur-l'Aubois)の近辺にあったと推定されている。
[編集] アウァリクム攻略戦
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アウァリクム(Avaricum)すなわちビトゥリゲス族(Bituriges)の名を残すともいわれる現在のブールジュ(Bourges)のサン=テティエンヌ大聖堂(世界遺産)。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。
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アウァリクム、すなわち現在のブールジュ市(Bourges)のあるフランス・シェール県の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ(La Guerche-sur-l'Aubois)の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣のニエーヴル県(Nièvre)がハエドゥイ族の版図であった。
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ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの仏国立図書館貨幣部蔵)
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破城鎌(falx)の想像画(再掲)
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投射機 を操作するダキア人の彫刻(トラヤヌス帝の記念柱に刻まれたレリーフ) -
ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの仏国立図書館貨幣部蔵)
[編集] ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)のピュイ=ド=ドーム県県道978号(D978)からの眺望。19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。
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ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀のストッフェル大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)だと考えられている。
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)の全景(南方のル・クレスト Le Crest から撮影)。
画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)の丘陵が見える。
本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。
これらの位置関係の推定は、19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。 -
ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)の丘陵
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)で発掘された城壁の遺構。
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)の遠景(南方のル・クレスト Le Crest から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche Blanche)の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。
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ゲルゴウィア戦勝記念碑。1903年にクレルモン=フェラン市出身の建築家ジャン・テラール(Jean Teillard)が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄ウェルキンゲトリクスに捧げるためにジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)に建立したものである。
[編集] アレスィア攻囲戦
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アレスィア古戦場であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村(Alise-Sainte-Reine)近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にあるウェルキンゲトリクス像(Statue de Vercingétorix)。Googleマップの航空写真にもこの巨像が写っている。
当地はフランス東部ブルゴーニュ地方コート=ドール県(Côte-d'Or)のオソワ地域(L'Auxois)にあり、県都ディジョン市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(Venarey-les-Laumes)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。
オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ(Sainte Reine 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。 -
アレスィアにあったローマ時代のフォルム(広場)やバシリカ(教会堂)などと思われる遺跡(Googleマップの航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所にオッピドゥム(城市)があったと思われる。
上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。
『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。 -
ウェルキンゲトリクスの立像(パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レー Saint-Germain-en-Laye)。アレスィア古戦場(現在のアリーズ=サント=レーヌ)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ(Aimé Millet)によって建立された。
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二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。
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アレスィア古戦場跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。
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アレスィア古戦場跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。
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サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。
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鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。
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アレスィア古戦場跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。
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「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」
“Vercingétorix se rendant au camp de César”、
アンリ=ポール・モット(Henri-Paul Motte)画、1886年。
ル・ピュイ=アン=ヴレのクロザティエ美術館(Musée Crozatier au Puy-en-Velay)蔵。(作品そのものはカラー) -
「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ(Lionel-Noël Royer)
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オータン市に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。ビブラクテを首邑としていたハエドゥイ族は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「アウグストゥスの砦」を意味するアウグストドゥヌム(Augustodunum)を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。
-
クレルモン=フェラン市の街並み。ローマに降伏したアルウェルニ族は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期にアウグストゥスに由来するアウグストネメトゥム(Augustonemetum)に改称して、クレルモン教会会議が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。
[編集] 第8巻
[編集] 題字
[編集] その他・未使用画像
- 全般
-
ガリア戦争直前のローマ周辺図(BC58年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
- 第1巻
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ヘルウェティイ族の使節ディウィコとカエサル
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キンブリ族とテウトニ族がローマ領へ侵攻して勃発したキンブリ・テウトニ戦争(BC113-101年)の要図。『ガリア戦記』では第1巻33節・40節と第2巻4節・29節と第7巻77節で言及されている。
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ガイウス・マリウスの胸像。軍制改革を断行し、キンブリ族とテウトニ族の侵攻を撃滅した。(第1巻40節)
-
キンブリ族を撃退するマリウスとローマ軍(ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ画)(第1巻40節)
- 各巻
-
ハエドゥイ族のドゥムノリクス
-
ヘルキュニアの森(Hercynian Forest)
- 第7巻
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中央高地(Massif Central)におけるセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
- 第8巻など
-
トイトブルク森の戦いでローマ人を圧倒するゲルマニア人
-
トイトブルク森の戦いでローマ人を圧倒するゲルマニア人
- その他
-
『ガリア戦記』の最初の近代的な校訂版(1847年)を著わしたカール・ニッペルダイ(Carl Nipperdey:1821-1875)の肖像写真(1858年撮影)。
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『ガリア戦記』などローマ史を研究し、1902年にノーベル文学賞を受賞したテオドール・モムゼン(Theodor Mommsen:1817-1903)の肖像画(1863年)。
[編集] 参考リンク
[編集] ウィキペディア
- ラテン語版(la)
- w:la:Categoria:Bellum Gallicum - ガリア戦争のカテゴリ
- w:la:Bellum Gallicum - ガリア戦争
- w:la:De bello Gallico - ガリア戦記
- ドイツ語版(de)
- w:de:Portal:Rom und Römisches Reich - 古代ローマのポータル
- ガリア戦記の研究者
- w:de:Carl Nipperdey - カール・ニッペルダイ(1821-1875):1847年に初めて近代的な校訂版を著わした。
- w:de:Theodor Mommsen - テオドール・モムゼン(1817-1903):ノーベル文学賞を受賞したローマ史家。
- Heinrich Meusel - ハインリヒ・モイゼル:β系写本の評価を高め、写本の系図を提案した校訂者。
- w:de:Alfred Klotz - アルフレート・クロッツ(1874-1956):β系写本の優位を主張した校訂者。
- w:de:Otto Seel - オットー・ゼール(1907-1975):1961年に校訂版を著わした。
- w:de:Wolfgang Hering - ヴォルフガング・ヘーリンク(1987-?):1987年に校訂版を著わした。
- 英語版(en)
- w:en:Portal:Ancient Rome - 古代ローマのポータル
- w:en:Template:Ancient Rome topics - 古代ローマ関係の記事テンプレート
- w:en:Roman military personal equipment - 古代ローマ軍の個人装備
- w:en:Military of ancient Rome - 古代ローマ軍
- フランス語版(fr)
- w:fr:Portail:Rome antique - 古代ローマのポータル
- w:fr:Portail:Monde celtique - ケルト世界のポータル
- w:fr:Liste des noms latins des villes françaises - フランスの都市のラテン語名の一覧
- w:fr:Liste des peuples_gaulois en France - フランスにおけるガリア人(部族)の一覧
- w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise - ガリアの人物カテゴリ
- イタリア語版(it)- 参考になる画像が多い
- w:it:Conquista della Gallia - ガリア戦争:画像が豊富。
- w:it:Esercito romano - ローマ軍
- w:it:Portale:Antica Roma - 古代ローマのポータル
- w:it:Portale:Celti - ケルトのポータル
- 日本語版(ja)
- w:ja:Category:ガリア戦争 - ガリア戦争のカテゴリ
- w:ja:ガリア戦争
- w:ja:ガリアの部族一覧
[編集] ウィキソース
- フランス語版
- s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc : フランスの建築家 ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(Eugène Viollet-le-Duc;1814-1879)の著作集
- s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle : 『中世フランス建築体系辞典(11~16世紀)』(1856年発行)
- s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé : 同書の第5巻「堀」(アレスィアの攻囲陣地について記述がある)
- commons:Category:Viollet-le-Duc:上掲書の図版のカテゴリ
- s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc : フランスの建築家 ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(Eugène Viollet-le-Duc;1814-1879)の著作集
[編集] ウィキコモンズ
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