産業革命

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産業革命 (さんぎょうかくめい:Industrial Revolution) は、18世紀後半にイギリスから始まった技術革新による産業構造の変化および経済発展のことである。産業革命自体は、元来は共産主義者の用語であり、フリードリヒ・エンゲルスカール・マルクス等の文献にも登場する。その後、アーノルド・トインビーによる再定義によって学術用語になった。なお、日本語への翻訳時に「Industrial」を「産業」と訳しているが、これは、端的に「工業」と理解すべきであり、これを支える「産業資本」「産業資本家」は、工場経営による財の蓄積であり、また、それにより財を成した者を言う(cf.金融資本)。

概観[編集]

産業革命とは、科学革命に基盤を置く技術革新を、前資本主義経済体制において蓄積された財すなわち「資本」と、農業革命により過剰となった農村人口を都市が吸収した「労働力」を利用することにより、爆発的に生産力が向上した歴史的事実を言う。なお、「技術革新」「資本蓄積」「都市労働力の増大」は相互に関係しておりどれかが唯一の要因とはいえない。

これらの要素が、自然に関連し、自発的に産業革命が起こったのはイギリスのみであり、その他の国においては、イギリスからの大量の工業製品に対抗する形で、自国において産業革命を進展させることとなる。このとき、比較的イギリスと状況の似たフランスなどはイギリス同様の民間資本が主導する産業革命の進行を見ることとなるが、民間における資本の蓄積が十分でなかった国々(プロシア等ドイツ諸国、日本)は、国家が主導し、産業革命を進めることとなる。

前史[編集]

産業革命の嚆矢であるイギリスにおいては、大航海時代以降の大西洋三角貿易によって資本蓄積が進み、第2次エンクロージャーにより農村から流入した労働力とプロト工業化による農村の工業化、工場制手工業の発達によって、前資本主義経済における産業構造が、産業革命の進展を支えるほどに醸成されていた。この点は、木炭製鉄業や造船業の技術革新といった初期産業革命における統計資料が明らかにするところである。

第1次産業革命[編集]

石炭、蒸気機関を動力源とする軽工業中心の発展である。イギリスでは18世紀に発生し、フランス・ベルギー・オランダなどが追随した。その他の国家では、産業革命化は遅れ、ドイツやアメリカは1870年代、日本や北欧諸国が続く。

第2次産業革命[編集]

石油を動力源とする重工業中心の工業の発展である。

それぞれの国家の産業革命(第1次)[編集]

イギリス[編集]

毛織物業などの資本の蓄積が大西洋三角貿易によって加速すると、マニファクチュア的工業生産にも技術革新が要求される。ダービー父子のコークス製鉄法やワットの蒸気機関などがそうだ。また、1764年のハーグリーブズのジェニー紡績機、1769年のリチャード・アークライトの水力紡績機、クロンプトンのミュール紡績機が1779年に誕生し、漸進的な技術開発であったことが分かる。産業資本や金融経済の発達も、イギリス産業革命において不可欠であることは言えるが、アメリカ大陸でのスペインやフランス、ドイツとの確執も重要な因子である。

フランス[編集]

リシュリューの財政改革以降、フランス経済は絶対主義下において資本主義経済における内生的発展と農本主義に基づいた農村経済の育成に努めた。このため、イギリスから30年~40年ほど遅れることになる。復古ブルボン朝と第二共和制の中央集権的政府の下で、鉄道業の育成やアルザス・ロレーヌ地方の製鉄業の振興など地域格差が拡大する。

ベルギー[編集]

オランダ独立後の1830年代のベルギーでは、オランダに対抗するために、フランスの産業革命に啓発された産業革命の進行を体現した。

ドイツ[編集]

ビスマルクによる富国強兵を求めた殖産興業政策において、鉄道業を中心に産業革命が進行し、1880年代にはイギリスと建艦競争をするまでになった。

アメリカ[編集]

南北戦争による保護貿易政策の推進において産業革命は進行する。特に、大陸横断鉄道の開通は、アメリカ経済のモンロー主義的傾向を加速化した。

日本[編集]

1868年の明治維新以降、日本の殖産興業政策において、対外的に勝利できる産業を中心とした産業革命が進行する。


ロシア:  ロシアの工業化についてはテキストブックでは事実と逆の事を述べている。 『1890年代のストルイピンの改革によりサンクトペテルブルクを中心とした産業革命が進行するが、本格的な工業化は、スターリンによる5ヵ年計画の発表された1930年代以降のことになった。』 

以上が歴史のテキストブックに書いてある事だが、実際にはロシア革命前の帝政ロシアの工業化は非常に進んでおり、尚且つハイレベルにあった事を、フーバー研究所の研究員であったアントニーサットンが述べている。例えば、ロシアは、1916に翼幅がボーイング747より広い飛行機まで製造されており、革命前のロシアでは国産の乗用車も製造されていたが、歴史は、これらの事実を消し去ってしまった。


スウェーデン:北欧経済は、木材の輸出が中心の経済であった。このため、初期産業革命においては、木炭製鉄業の発達で、ヨーロッパ経済をリードしたが、1830年代以降は、イギリスやフランスに依拠した経済となる。従って、産業革命の進行が極めて遅く、重工業化は20世紀を入ってからであった。

関連項目[編集]