財産権の保障

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法学憲法日本国憲法>人権 (日本国憲法)経済的自由権財産権の保障

意義[編集]

財産権の保障は、フランス革命以来の近代市民社会において最も強く要請された憲法的価値のひとつである。フランス人権宣言第17条は「所有は、神聖かつ不可侵の権利であり、何人も、適法に確認された公の必要が明白にそれを要求する場合で、かつ、正当かつ事前の補償のもとでなければ、それを奪われない。 」として財産権の不可侵性を宣言した。

もっとも、福祉国家思想の発展に伴い、不可侵性は後退し、制約の可能性が前面に押し出される。ヴァイマル憲法(1919年)では、所有権は義務を伴い、公共の福祉による制約を受けることが明文化されている。

日本国憲法では29条において財産権が以下のように規定されている。

憲法第29条

  1. 財産権は、これを侵してはならない。
  2. 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
  3. 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

財産権の保障(29条1項)[編集]

多数説は、29条1項は、私有財産制を制度として保障する(制度的保障)という意味であると解している。この解釈からは、29条1項は、私有財産制の全面的否定、たとえば共産主義体制への移行は禁止しているが、それ以外の制約については必ずしも禁止するものではないと考えられている。

財産権の規制(29条2項)[編集]

29条2項は、財産権が法律による一般的な制限に服するという意味であると解されている。問題となるのは「公共の福祉」がどこまでの制限を予定しているかである。これに対し、財産権は自由権の行使に伴う内在的制約のみならず、福祉国家主義的・政策的見地からの積極目的の規制も許されると解する説がある。

財産権の侵害と損失補償(29条3項)[編集]

29条3項で問題となるのは「正当な補償」の意味である。

補償の要否[編集]

まず、いかなる場合に補償が必要とされるのかが問題になる。

かつて通説とされた2項・3項分離説は、29条2項の「公共の福祉」による制限(一般的制限)には補償は不要であるが、3項による公用収容の場合は、特定の財産に特別の犠牲を強いるものであるから、補償が必要であるとした。

これに対し、近時は2項による制限の場合であっても補償を要する場合があるという説が有力である。その判断基準としては主として2つの考え方がある。

特別犠牲説は、1.財産権の侵害が特定の人を対象としており(形式的要件)、2.侵害が受忍限度を超えて財産権の本質に及ぶものである(実質的要件)、に従って補償の必要な場合を判断している。

実質的要件説は、まず、特別犠牲説の2.にいう受忍限度を超えた侵害である場合には補償を必要とし、そうでない場合は、その財産権の本来的な機能とは別個の価値基準に立った規制である場合にはやはり補償を必要としている。

補償の内容[編集]

「正当な補償」の内容としてどの程度が必要とされるかについては、完全補償説と相当補償説の対立がある。 完全補償説は、補償の内容は当該財産権の市場価格に従うべきであるとする。相当補償説は、補償の内容が市場価格を下回るものであっても、合理的な額であれば許容されるとする。

もっとも、完全補償説と相当補償説の対立は、いかなる場合においても対立すべきものであるというよりは、場合に応じて使い分けられるべきものだといえる。すなわち、原則として市場価格を下回る価格での犠牲を強いるのは不合理であるから、特段の事情のない場合は完全補償が行われるべきであるが、例外的に、経済体制が根本的に変動するような事態(戦後の農地改革など)に際しては相当補償で足りると考えられる。

ただ、問題となるのは公用収容が財産権の制限にとどまらず、生活や職業にも犠牲を強いる場合である。立ち退きによって店舗の移転や、引越しを余儀なくされる場合がこれにあたる。このような場合、生活基盤の再建に要する費用も29条3項の「正当な補償」に含まれるとする説と、生活の保障は25条の生存権の問題だとする説とが対立している。

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