Wikibooks:管理者への立候補/Araisyohei 20050509

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

Araisyohei[編集]

sysopship: (2/0/3): Vote opens:

ちょこちょこ執筆には参加しておりますが、現シオスペさんの手助けをさせていただきたく、立候補させていただきました。S.Arai(talk)Commons!! 2005年5月9日 (月) 07:52 (UTC)[返信]


(反対)

結論

もうすこし様子を見るべき。才能ある人間で、今後の成長次第でwikiの中心人物にもなれる人材だと思う。しかし、現在の段階で、管理者に迎えるのは時機尚早。

理由

年若いが、wikiを扱う能力は優れている。Wikiに詳しいようだし、wikipediaなどでのそれまでの活動も評価できる。特に新しいことを始めようとする行動力には、高い評価を与えたい。

しかし、人柄的にはやや不充分な面が見られる。やや自己顕示欲が強く見られ、弱いもの、力の無いものに対する思いやりが見られないように思う。(全ての人間が彼ほどに行動的な訳ではない。)また、自分の行動が、だれかの嫉妬を引き起こし得るということにやや無頓着であるように思える。この部分をもうすこし掘り下げて考えてみてもらいたい。誰かに迷惑をかけてでもやらなければいけないほどに、重要なことを彼がやっているかということには議論の余地がある。

管理者に適格であるかどうかはこの後の成長による。考え方がもうすこし大人びてくれば、付き合い易くなると思う。

まとめ

そういうわけなので、現時点での選出には反対します。もうすこし様子を見てもう一度立候補しなおしてくれたら考えなおすかも知れません。

--T.Uesugi 2005年5月10日 (火) 11:55 (UTC)[返信]

  • (反対)僕もすみませんが反対票を投じさせていただきます。理由ですが、ウィキブックスでの経験が浅く、現段階での立候補は時期尚早だと思います(T.Uesugiさんと同じ理由ですね)。ただ、人格がどうこうというわけではないです。Wikipediaでの活躍はすばらしく、また、慣れていると思います。しかし、WikipediaとWikibooksは少しコンセプトが異なっています。ですから、もう少しブックスに慣れてもらって、記事を書いてみたりして(草取りとかではなくて1からとか)からもう一度立候補していただければと思います。とりあえず、現段階での就任はまだ早いと考えます。--Ninomy 2005年5月21日 (土) 06:40 (UTC)[返信]
  • (保留・結果的には反対)将来的には期待したいと思います。ですが現時点ではもう少し活動して頂いてからと考えています。--こいつぅ(会話) 2005年5月29日 (日) 03:52 (UTC)[返信]
  • (賛成・反対を撤回)現時点でのWikibooksの情勢を考えるに立候補していただける人が現れることだけでもありがたく思います。他のプロジェクトでの実績も考慮して賛成します。--こいつぅ(会話) 2005年6月4日 (土) 05:08 (UTC)[返信]
  • (賛成)--Aphaia 2005年6月8日 (水) 20:03 (UTC)[返信]
  • (質問)Kkと申します(憶えていますでしょうか)。Araisyoheiさんの最近の活躍には目を見張るものがあると思いますが、昔のことでどうしても気にかかることがありまして質問させていただきます。
    ずいぶん昔のことなのですが、著作権の侵害が取り沙汰されたときに その場しのぎの嘘をついたのではないかと周囲に疑いをもたれたことがあったと思います(私自身も あれは嘘だったのではないかと思っています)。そのあとそれについては Araisyoheiさんのお考えをうかがい知ることはできないままになっていたように思います(もしどこかでお考えを表明したようなことがありましたらお示しくださればありがたいです)。このことについて、嘘をついていたのかどうか、また、もしも嘘だったのなら そのことについて今はどう思うか、今後はそのようなことはないのかどうかも併せてお答えいただきたいと思います。もうずいぶん昔のことなので いまさら問いたださなくても とも思うのですが、このことがはっきりすれば Araisyoheiさんの活動をもっと素直に見られるようになると思うので、この機会に質問させていただいた次第です。- Kk 2005年6月9日 (木) 02:47 (UTC)[返信]
  • (回答)どうも、Araiです。お世話になっております。執筆から5ヶ月までの頃ですね。Kkさんのいう通り「嘘をついた」でありました。今は、著作権関連も含め、もうそのようなことは絶対にしませんと断言しておきます。言い訳みたいですみません。いろいろご迷惑おかけしまいました。S.Arai(talk)Commons!! 2005年6月9日 (木) 08:44 (UTC)[返信]
    • (回答へのお礼)Kkです。ずいぶん前のことであるうえ お答えしづらいような質問だったと思いますが、ご回答いただきありがとうございました。これで一安心です。今後とものご活躍を。- Kk 2005年6月9日 (木) 09:33 (UTC)[返信]
  • (反対派)しかし、中学生が管理者になるのはちょっと早すぎるのでは...。こういった考え方はもう古いのでしょうか。

--T.Uesugi 2005年6月10日 (金)

(コメント)年齢で判断するのはどうかと思います。自分が「若いから」とウィキペディアで落とされた経験もありますし、そういう思いは強いです。しかし、そのプロジェクトへの貢献度、執筆数、その他の経験等は重要と思います。話は変わりますが、ウィキブックスプロジェクト文書へのご意見をお願いいたします。記事を書くにも、管理者を信任するにも、ウィキブックスの方針は重要になってきます。ご意見よろしくお願いいたします。もしもAraiさんが信任されたら、これら文書の整備を手伝ってもらいたいなぁと思います^^;--Ninomy 2005年6月10日 (金) 14:19 (UTC)[返信]
  • (反対派)

--T.Uesugi 2005年6月11日 (土) 06:36 (UTC)[返信]

  • 書いていたら非常に長くなってしまいました。最初に

要旨をまとめたのでまずそちらを読んでから本文を 読むと分かり易いかも知れません。

(要旨)

%1 年令が若いからというのは選出に反対する理由にならないというのは 短期的には正しいかも知れない。しかし、wikibooksの今後まで考える 立場からは、必ずしもそうとは言えないように思う。

%2 年若い人間が組織の重要な仕事をすることは、慣習的でない。

%3 wikibooksプロジェクトのような難しい、専門的な技術を必要とする集まりにおいて 、さらに慣習的でないことを行なうことは、唯でさえ難しい、 一般的な人々の参加を、更にさまたげる結果になるおそれがある。

%4 慣習に従ってwikibooksを避けることは必ずしも正しいことではないのだが、 しかし一般的な日本人は、自分で判断するよりも慣習に従うことを 望むだろう。

%5 多くの人間をプロジェクトに参加させたいという 立場からは、あまり非慣習的な事はしたくないと思い、ここでは Araisyoheiさんの選出に反対したい。

(本文)

そうですか...。では年令のことは問わないことにしましょう。 それ自体は別に問題にはならないかもしれません。 しかし、私は大人だからこう言うのですが、 子どもが作った文書と言うのはごく普通の大人から見れば 取るに足らないものです。 これは内容が悪いといっているのではありません。 もっとひどい文章など新聞や雑誌の中にもたくさん見当たります。

問題はもっと複雑な、どちらかというと慣習的なものです。 例えば、いわゆる法律の中に未成年者と成年者の法的扱いが 分けられていることがあります。私は法律家ではないので、 詳しい内容は分からないし、それが実際に危険である、関わった者に対して 害をおよぼすような事であるかはわかりません。 しかし、実際に大きな組織で未成年者が重要な位置についていることが 少ないことと、慣習的に歳上の人間が重要な役職についている ことと漠然と法律が歳上の人間と歳下の人間を区別していること を考え合わせて、一般的な人が歳下の人間がつくったものを 重要でないと考えることは予測されることで、事実 慣習的にそうなっています。

慣習は法律ではないので罰則などの規定は何も持っていません。 しかしそうであるにも関わらず、大抵の人はそれに従おうとする。 そうして未成年者が何らかの組織の管理を行なうことは全く 慣習的でないことです。もちろんよく言えば新しい、斬新な思い付きと言うことも 出来るし、それが結果として正しいこともあるでしょう。 しかし、これは経験的なものですが、多くの人間は自分の判断よりも まわりの人間が正しいと見なしたことに従う傾向があります。 特にことの専門性が高いときにはその傾向が顕著です。そして、 現在の時点では、オープンコンテンツの教科書を書くということは きわめて難しい、専門性の高い仕事です。 早いうちから計算機に慣れ親しんだ世代からみれば奇異にうつるかも知れませんが たとえば、私の知る限り 友人の両親などで、ブラインドタッチが出来る人間は非常に稀です。 そしてそういった専門的な技術無しではwikiに貢献することは事実上不可能です。 残念ながらこういった場合かれらの取る行動は唯一つ、出来る限り wikiに関わらないようにする、 そこで起こっていることから目をそむけるようにするということです。 そうして一般的な人々が、こちらに対して 漠然と好ましくない、近づきたくないと言う気持ちを持っているという 情况で、こちらがあまりに非慣習的な行動を取ることは、 彼らが彼らの行動を正当化する、恰好の大義名分を与えてしまいます。 これはプロジェクトに出来る限り多くの人間を参加させたいとする要望に 全く反することで、出来る限り避けるべきことだと考えます。

実際問題として慣習は正しいことも正しくないこともあります。 文化が違えばもちろん慣習もかわります。歳下の人間が 行なう行動をもっと評価する文化圏に住む人々もいるでしょう。 しかし、日本人はそうではない。それが欠点であるか よい点であるかはまた別の話であって、さしあたり歳上の人間には 付き従って、歳下の人間のしたことを低く見ることが厳然と、慣習として 存在しています。もちろんそれの最たる例は、年功序列性です。 現在はこの考えは能力主義によって放逐されつつあると報じられていますが それはどちらかといえば大企業に限られた特例であり、日本の会社のうちの 90%以上を占める中小企業においては、以前として残されています。 また、導入した企業においてもそれは古い慣習をうち捨てるための方策というよりも 全体の賃金をさげて会社自身の 利益率を上げるための方便であったとする見方もあります。

長い文章になってしまいましたが、これもフリーの教科書という 考えが一部の計算機好きな人間達の趣味という段階から、 多様な知識を持つ多様な人間が、参加するプロジェクトという 段階に移行して欲しいという願いからです。 とにかく出来る限り多くの人間をプロジェクトに参加させたいと言う立場からは、 あまり非常識な、非慣習的な事はしたくないというのが本音です。

  • (コメント)こいつぅさんのコメントは"wikibooksの管理者はほとんど他の利用者と変わらないので、それほど大仰に考える必要は無い"という主張でしょうか?(違ったらすみません。)たしかにそれは正しいのですが私に取ってはそれは十分に納得のいく考えではありません。管理者が出来ることは確かに一般の利用者より多いし、より責任が強まることも確かです。もちろんこいつぅさんの主張は的を得ているし、私もこれ以上どちらが正しいかを議論するのは技術的すぎる、元々の問題から離れすぎているように思います。要は投票権を持ったそれぞれの人が、どちらの主張がより納得がいくかを自分で判断すればよいわけです。私はやはり反対のほうに一票を投じて、情况の推移を見守りたいと思います。--T.Uesugi 2005年6月12日 (日) 04:18 (UTC)[返信]


  • (コメント)立候補から大分時間もたってますので、意見をいうつもりのある方は大方いうことはいったと見ていいんじゃないでしょうか? 活動実績のないPさんの票をどう扱うかというのもありますが、それをおいたとしても賛成と反対で二分されている状況です。2ヶ月審議をしてコミュニティとしては意見の一致をみなかったとしてここは一度しめるのが穏当かとも思います。Araisyoheiさんにとっても賛成票を入れた人間にとっても残念な結果ではありますが。--Aphaia 2005年7月13日 (水) 04:28 (UTC)[返信]
  • (この編集に限らず,subpage inclusionがうまくいってないようで心配なのですが、)個人的にはAraisyoheiさんとBrevamさんについて見送りとしログ化しようと考えています。特に反対がなければ一週間ほど待って実行しようと思います。