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中学校高等学校保健体育実技編/体つくり運動

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
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※定期テストは、「体つくり運動の目的」「内容の区別」「体力要素との結びつき」「安全・調整・継続」「新体力テスト」が出題されやすくなります。

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歴史

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体つくり運動の始まり

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学校の体育は体つくり運動と呼んでいます。この呼び方は結構最近の名前として広まりました。1999年、高等学校の学習指導要領が新しくなりました。その時、以前の名前「体操」から新しい名前「体つくり運動」を使うようにしました。それ以降、「体つくり運動」が正式な名前になりました。

かなり前から人間は体を丈夫にしたり、元気に過ごしたりするために様々な動きを工夫していました。古代ギリシャは体を鍛えて強さと美しさを目指されました。この考え方はその後のヨーロッパ体育思想にも受け継がれました。一方、紀元前の中国でも健康を守ったり体力をつけたりするように目指されました。体づくり運動の歴史はこの時から始まりました。

近代の体操思想は18世紀以降からヨーロッパで少しずつまとまりました。体操はドイツ・スウェーデン・デンマークなどで軍隊訓練・学校活動に取り入れられました。軍隊訓練・学校活動の体操は走る・跳ぶ・登るなどのように動きまくって、体力を高めていました。ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ[ドイツの教育学者]が体操思想を広めました。ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツは世界最初の体操教科書「青少年のための体育〔Gymnastik für die Jugend〕」を記しました。世界最初の体操教科書が現在の体つくり運動にも繋がっています。

日本への広がりと体操文化の発展

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近世になると日本人でも体と健康を気にされるようになりました。江戸時代、貝原益軒は『養生訓』を記しました。「人間が元気で長生きしたいなら体をほどよく動かしなさい。」と『養生訓』に記されています。言い換えると、無理のない動きを日常生活の中で続けていくと長生きしやすくなると伝えています。

言葉の「体操」は幕末から明治初期にかけて日本でも広く使われるようになりました。明治時代に入ると、外国から様々な体操が入ってきました。1868年、ドイツの体操が軍隊訓練として使われ始めました。1878年、ジョージ・アダムス・リーランド[アメリカ人の医師]がアメリカ式の体操を体操伝習所へ紹介しました。ここから、体操伝習所の体操が全国に広がりました。

集団体操は大正から昭和初期にかけて明治神宮競技大会で取り入れられ、全国へ広がりました。1928年から「ラジオ体操」が始まりました。ラジオ体操は家庭・地域で気軽に始めやすく、続けやすい運動として広まりました。現在もラジオ体操は多くの人に親しまれています。

世界に広がる体操文化

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最近の体操は使用道具もかなり豊かになっています。手のみで体操を行ったり、昔ながらの道具を使って体操を行ったり、バランスボール・大きな布・椅子・傘などのような様々な道具を使って体操を行ったりしています。体操の楽しみ方もこのような工夫から以前より豊かになっています。

資料出所

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※下記、2冊を読み比べて執筆しました。

  • 佐伯年詩雄ほか編著 年度版『中学体育実技』学研教育みらい
  • 高橋健夫ほか編著 年度版『ステップアップ高校スポーツ大修館書店