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古代中国の音楽と儒教思想

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

古代中国の音楽は、単なる娯楽ではなく、社会秩序や宇宙観と深く結びついた、極めて重要な文化的要素でした。その思想的背景には、特に儒教の教えが大きく影響しています。

中国音楽の起源

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伝説上の始まり

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中国の音楽の起源は、神話的な時代にまで遡ります。古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人、炎帝神農が天下を治めた時代、作物が実らない不順な天候が続いたため、臣下の士達が五弦の(しつ)という弦楽器を作り、陰の気を呼び起こして民を安定させたと伝えられています。

また、伝説上の皇帝である黄帝の時代には、音楽家の伶倫(れいりん)が竹の管から音律の基準となる「十二律」を定めたという伝説があります。

しかし、これらは史実ではなく、後世の人々が音楽の起源を理想的な過去に求めて作り上げた伝説にすぎないとも考えられています。

考古学的な証拠

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歴史上、音楽文化の存在が遺物によって確認されている最も古い時代は(いん)王朝です。

その代表的な遺物が、石を加工して作られた打楽器である(けい)です 。この発見により、殷の時代にはすでに儀式などで音楽が用いられていたことがわかります。

「雅楽」の成立とその理念

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周の時代、特に春秋戦国時代(紀元前8世紀以降)になると、音楽は二つの流れに分かれます。

雅楽と俗楽

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一般民衆の間で楽しまれていた自由な音楽は俗楽(ぞくがく)あるいは「俗声」と呼ばれました 。これに対し、支配者階級は、より高級で儀礼的な音楽を求めました。これが正楽(せいがく)または雅楽(ががく)(雅声)です 。

雅楽の目的

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雅楽は単なる娯楽ではなく、儀式や祭典、公式な饗宴などで用いられる儀礼的な音楽でした。天子の権威を示し、社会の秩序を維持し、人々の精神を修養するための重要な手段と考えられていました 。例えば、一年の安寧を祈る元日の儀式や、豊作を祈る春の祭典、干ばつの際に雨を乞う儀式などで演奏されました。

孔子の役割と音楽思想

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雅楽の理念を確立する上で、儒教の創始者である孔子(紀元前551-479年)が決定的な役割を果たしました。

(しょう)との出会い

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周の政治と音楽の乱れを憂いた孔子は、(せい)の国で古代の舜帝が作ったとされる舞楽「韶」を聴きました 。

その完璧な美しさに深く感動した孔子は、「三ヶ月の間、肉の味もわからなかった」と伝えられるほど聞き惚れ、これこそが真の音楽であると絶賛しました 。

音楽による徳治

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孔子はこの「韶」を理想とし、音楽が人の心を正し、社会を善導する力を持つと考えました。

彼にとって音楽は政治や道徳と一体であり、正しい音楽(雅楽)を興すことは、乱れた世を正すための重要な手段でした。この思想が、後の中国の宮廷音楽の根幹をなすことになります。

雅楽の構成要素:舞と楽器

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孔子が理想とした雅楽は、舞・歌・器楽が一体となった総合芸術でした。

文の舞と武の舞

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雅楽の中心的な舞踊には、周の文王の徳を称える「文の舞」と、武王の功績を称える「武の舞」の二つがありました 。

「文の舞」の舞人は、雉の尾羽で作った飾り(てき)と、三つの穴を持つ縦笛(やく)を手にしました 。

「武の舞」の舞人は、盾である(たて)と斧である(まさかり)を両手に持って勇壮に舞いました 。

八音(はちおん)

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楽器は、その材質によって8種類に分類され、これを「八音」と呼びました 。

  • : 鐘など
  • : 磬など
  • : (きん)、瑟などの弦楽器
  • : (かん)(しょう)などの管楽器
  • (ひさご): (しょう)などの瓢箪(ひょうたん)を共鳴胴とする楽器
  • : (けん)などの土製の笛
  • : (つづみ)などの太鼓類
  • : (しゅく)(ぎょ)などの木製楽器

この分類法は、自然界の素材と音を結びつける古代中国の宇宙観を反映しています。