国際色豊かな隋・唐の宮廷音楽
南北朝時代の分裂期を経て中国を再統一した隋、そしてそれに続く唐の時代は、宮廷音楽が国際的な輝きを放った黄金時代でした。シルクロードを通じて西域(中央アジア)やインド、朝鮮半島などから多様な音楽がもたらされ、中国固有の伝統と融合し、新たな音楽文化が花開きました。
隋代:国際的宮廷音楽の基礎固め
[編集]隋は、南北朝時代に各地で発展した音楽を整理・統合し、国際的な宮廷饗宴楽の基礎を築きました。
七部楽
[編集]隋の文帝の時代(6世紀末)に、公式な饗宴楽として七部楽が制定されました。この編成は、中国固有の音楽だけでなく、諸外国の音楽を正式に組み入れた画期的なものでした。
【七部楽の構成】
国伎 : 中国伝統の音楽。清商伎 : 漢代以来の民俗音楽の流れを汲む、揚子江流域の俗楽。高麗伎 : 朝鮮半島(高句麗)の音楽。天竺伎 : インドの音楽。安国伎 : 中央アジア(ブハラ地方)の音楽。亀茲伎 : 中央アジア(クチャ地方)の音楽。文康伎 : 宴の終わりを告げる仮面舞楽。
九部楽 への発展
[編集]続く
この変化は、宮廷の関心がさらに西域音楽へと向かっていったことを示しています。
唐代:宮廷音楽の最盛期と整備
[編集]唐は隋の制度を継承し、さらに発展させ、宮廷音楽を儀礼と芸術の両面で頂点へと導きました。
十部楽
[編集]唐の太宗は、西域の
立部伎 と坐部伎
[編集]玄宗皇帝の時代(8世紀前半)には、饗宴楽(燕楽)は演奏形態によって二つに大別・整理されました。
- 立部伎: 堂の庭で、立ったまま演奏される形式です。比較的規模が大きく、演目には西域やインド起源のものが多く含まれました。
- 坐部伎: 堂上で、座って演奏される形式です。より格調高く、中国古来の「燕楽」を含む演目が中心でしたが、人数は少なめでした。
代表的な演目
[編集]俗楽の発展と文人文化
[編集]民衆と文人の活動
[編集]宮廷音楽だけでなく、民衆の俗楽や文人たちの音楽活動も大いに栄えました。
梨園 : 芸術を愛した玄宗は、梨園と呼ばれる音楽教習所を設け、自ら音楽家や官女たちを指導しました。参軍戯 : 日本の狂言や漫才の源流ともいえる、問答形式の滑稽劇、参軍戯が生まれました。これは、主役と脇役の二人が機知に富んだやりとりを繰り広げるものでした。
唐詩と音楽
[編集]李白や杜甫、白楽天といった大詩人たちの詩(唐詩)は、ただ読まれるだけでなく、宴席や教坊(歌舞を教える場所)で盛んに歌われました 。
特に王維の詩を基にした「
この時代、古代の宗教的・儀礼的な「雅楽」とは別に、国際色豊かで芸術性の高い「燕楽」という新たな宮廷音楽のジャンルが確立されました 。それは、唐の文化的な自信と開放性を象徴するものでした。