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宮廷音楽と対をなす民衆の活力

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

前章で述べた、儀礼的で荘重な宮廷の「雅楽」に対し、民衆の間で生まれ、愛され続けた自由な音楽を俗楽(ぞくがく)と呼びます。俗楽は、雅楽の起源でありながら、時代を通じて独自の発展を遂げ、時には雅楽を凌ぐほどの勢いを持つ、中国音楽のもう一つの大きな潮流でした。

俗楽の定義とその種類

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定義

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俗楽とは、雅楽のように厳格な規則に縛られず、民衆の間で自由に歌い、演奏されてきた音楽の総称です 。知識人からは時に「俗声」として軽んじられることもありましたが、原始時代から存在し、歴代の天子さえも魅了する力を持っていました。

主な種類

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民謡・歌曲: 各地の民衆の生活や感情を歌ったもので、俗楽の根幹をなします。

戯楽(ぎがく): 演劇と音楽が結びついたもので、後の京劇の源流となります。

女楽(じょがく): 女性によって演奏される音楽で、宮廷の后妃や官妓がその担い手でした。

鼓吹楽(こすいがく): 軍楽から発展し、儀仗用の華やかな音楽となったものです。

漢代における俗楽の隆盛

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秦の始皇帝が儒教を排斥したことで俗楽は勢いを増し、続く漢の時代にその最盛期を迎えます。

楽府(がふ)の設置

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漢の武帝は、俗楽を管理・奨励するために「楽府」という役所を設けました。ここでは、各地の民謡を収集したり、司馬相如といった一流の学者に歌詞を作らせて新しい俗楽(新声)を制作したりしました。

戯楽の発展

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倡優(しょうゆう): 歌や物真似、滑稽な仕草で人々を楽しませる俳優による音楽劇で、現代の歌劇の先駆けとされています。

角抵戯(かくていぎ): 相撲のような力比べに音楽の伴奏をつけたもので、絶大な人気を博しました。

百戯(ひゃくぎ): ローマや中央アジアから伝わった曲芸、奇術、幻術(幻戯)などに音楽を伴わせた見世物で、獅子舞や綱渡りの起源とされています。

あやつり人形: 西域から伝わったとされる精巧な人形劇も、俗楽の一環として楽しまれていました。

俗楽と宮廷の関係

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俗楽は民衆だけのものではありませんでした。歴代の皇帝や貴族もその魅力に惹かれ、宮廷文化に大きな影響を与えました。

皇帝の愛好

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漢の高祖(劉邦)は故郷である楚の国の音楽(楚声)を好み、宮廷の音楽にも取り入れました 。その夫人の唐山氏は、南方系の俗楽の旋律を取り入れた「房中祠楽」を作らせています。

女楽の流行

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漢代の宮廷では、后妃や宮女たちが奏でる「女楽」が盛んでした。武帝が寵愛した李延年の妹も、音楽に秀でた倡優の出身でした 。後漢の大学者、馬融(ばゆう)が講義の際に弟子の後方に女楽を並べてその集中力を試したという逸話は、女楽がいかに魅力的であったかを物語っています。

俗楽の歴史的意義

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俗楽は単なる下級文化ではなく、中国音楽の発展において不可欠な役割を果たしました。

雅楽への影響

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雅楽そのものが、元をたどれば民謡や(みこ)の歌といった俗楽から発展したものです。

社会を動かす力

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俗楽は、支配者階級から庶民まで、社会のあらゆる階層の人々の心を捉え、時には風俗を動かすほどの大きな影響力を持っていました。

文化の継承

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漢代以降も俗楽は途絶えることなく、三国時代や晋の時代にも、倡優の劇や民謡は盛んに行われ、中国の音楽文化の基層を形成し続けました。


俗楽は、雅楽が持つ規範的・儀礼的な性格とは対照的に、人々の生の感情やエネルギーを映し出す鏡であり、中国音楽の豊かさとダイナミズムの源泉であったと言えるでしょう。