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平家物語 西光被斬

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

あくれば六月一日なり。いまだくらかりけるに、入道、検非違使安倍資成を召して、「きッと院の御所へ参れ。信業をまねいて、申さんずるやうはよな、『近習の人々、此の一門をほろぼして、天下を乱らんとするくはたてあり。一々に召しとッて、尋ね沙汰仕るべし。それをば、君もしろしめさるまじう候』と、申せ」とこそ宣ひけれ。資成いそぎ御所へはせ参り、大膳大夫信業よびいだいて、此由申すに色をうしなふ。御前へ参ッて此由奏聞しければ、法皇、あは、これらが内々はかりし事のもれにけるよ」とおぼしめすにあさまし。「さるにても、こは何事ぞ」とばかり仰せられて分明の御返事もなかりけり。資成いそぎ馳せ帰ッて、入道相国に此由申せば、「さればこそ、行綱はまことをいひけり。この事行綱知らせずは、浄海安穏にあるべしや」とて、飛驒の守景家、筑後の守貞能に仰せて、謀反の輩からめとるべき由下知せらる。仍て二百余騎三百余騎、あそこここにおし寄せおし寄せからめとる。

西光法師此の事こときいて、我が身のうへとや思ひけん、鞭をあげ、院の御所法住寺殿へ馳せ参る。平家の 侍共、道にて馳せむかひ、「西八条へ召さるるぞ。きッと参れ」といひければ、「奏すべき事があッて、法住寺殿へ参る。やがてこそ参らめ」と、いひけれども、「にッくい入道かな。何事をか奏すべかんなる。さないはせそ」とて、馬よりとッてひきおとし、ちうにくくッて、西八条へさげて参る。日のはじめより、根元与力の者なりければ、殊に つよういましめて、坪の内にぞひッすゑたる。 入道相国、大床にたッて、「入道かたぶけうどするやつが、なれるすがたよ。しやつここへひき寄せよ」とて、縁のきはにひき寄せさせ、物はきながら、しやッつらをむず〳〵とぞふまれける。「本もとよりおのれらがやうなる下﨟のはてを、君の召しつかはせ給ひて、なさるまじき官職をなしたび、父 子共に、過分のふるまひすると見しにあはせて、あやまたぬ天台の座主、流罪に申しおこなひ、天下の大事ひき出だいて、剰へ此の一門ほろぼすべき、謀 反にくみしてンげるやつなり。ありのままに申せ」とこそ宣ひけれ。 西光もとよりすぐれたる大剛の者なりければ、ちッとも色も変ぜず、わろびれたるけいきもなし、ゐなほりあざわらッて申しけるは、「さもさうず。入道殿こそ過分の事をば宣へ。他人の前は知らず、西光が聞かんところに、さやうの事をばえこそ宣ふまじけれ。院中に召しつかはるる身なれば、執事の別当、成親卿の院宣とてもよほされし事に、くみせずとは申すべき様なし。それはくみしたり。但し耳にとどまる事をも宣ふ物かな。御辺は、故刑部卿忠盛の子でおはせしかども、十四五までは出仕もし給はず、故中御門の藤中納言家成の卿の辺に、たち入り給ひしをば、京童部は、高平太とこそいひしか。保 延比、大将軍承り、海賊の張本、卅余人からめ進ぜられし勧賞に、四品して四位の兵衛佐と申ししを だに、過分とこそ時の人々は申しあはれしか。殿上 のまじはりをだにきらはれし人の子 で、太政大臣までなりあがッたるや過分なるらむ。侍品の者の、受領、検非違使になる事、先例傍例なきにあらず。なじかは過分なるべき」と、はばかる所もなう申しければ、入道あまりにいかッて物も宣 はず。 しばしあッて、「しやつが頸、左右なうきるな。よく〳〵いましめよ」とぞ宣ひける。松浦太郎重俊承つて、足手をはさみ、さま〴〵にいため問ふ。もとよりあらがひ申さぬうへ、糺問はきびしかりけり、残りなうこそ申しけれ。白状四五枚に記せられ、やがて、「しやつが口をさけ」とて口をさかれ、五条西朱雀にしてきられにけり。