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日本後紀

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

日本後紀(にほんこうき)は、平安時代初期に編纂された日本の勅撰歴史書。全40巻。六国史の第三にあたる。

概要

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日本後紀は、桓武天皇から淳和天皇に至る約50年間の歴史を編年体で記述した書物である。前史である続日本紀に続くものであり、平安京遷都後の政治、経済、社会、文化の動向を理解する上で重要な史料となっている。

編纂は819年弘仁10年)に嵯峨天皇の命により開始され、840年承和7年)頃までに完成したとされる。中心となって編纂にあたったのは、藤原緒嗣菅野真道らであった。彼らは、前代の歴史書編纂の経験を踏まえ、より詳細な記述を目指したとされる。

内容

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日本後紀は、延暦16年(797年)から天長10年(833年)までの37年間の出来事を扱っている。具体的には、桓武天皇の後半期、平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の治世が記されている。

記述は、天皇の即位、改元、官職の任免、地方の動静、災害、吉兆、諸外国との交流など多岐にわたる。特に、桓武天皇による平安京遷都の経緯や、その後の都の建設、律令制の再編、遣唐使の派遣と中止を巡る議論などが詳細に記されており、当時の政治的・社会的な状況をうかがい知ることができる。

また、空海最澄といった仏教僧に関する記述も多く、この時代の仏教の隆盛とその影響がうかがえる。文化面では、漢詩漢文学の隆盛についても触れられている。

編纂の経緯

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日本後紀の編纂は、嵯峨天皇の詔によって開始された。これは、それまでの国史編纂事業の継続という側面と、当時の政治情勢や文化水準の高まりを背景としている。

編纂の中心人物であった藤原緒嗣は、徳政論争で知られる人物であり、当時の政治において重要な役割を果たした。彼の主導のもと、従来の編纂方法が踏襲されつつも、より記述の精緻化が図られた。

しかし、編纂は難航したとされ、完成までにはかなりの時間を要した。その理由としては、膨大な史料の整理、記述内容の精査、そして政治情勢の変化などが挙げられる。最終的に、完成したのは淳和天皇の時代、承和年間のことであったと推測されている。

評価と影響

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日本後紀は、六国史の中でも特に記述が詳細であり、当時の政治、経済、社会、文化に関する豊富な情報を提供している。特に、平安遷都後の日本の社会の変貌を理解する上で不可欠な史料である。

しかし、現存する写本は完全な形ではなく、散逸した巻も多い。これは、後世の歴史書編纂や研究に影響を与え、日本後紀の全容を把握することを困難にしている。にもかかわらず、その史料的価値は極めて高く、後世の歴史家や文学者に多大な影響を与えた。

日本後紀の記述は、その後の日本三代実録などの歴史書に引き継がれ、日本の国史編纂事業の基礎を築いたと言える。

現存状況

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日本後紀は、全40巻のうち、現在では一部の巻しか現存していない。多くの巻が散逸しており、その全容をうかがい知ることは難しい。現存する巻は、主に逸文として、他の史料に引用された形で残っているものが多い。

国書総目録本朝書籍目録などにはその存在が記されており、古くからその重要性が認識されていたことがわかる。近年では、断簡の集成や研究が進められている。

豆知識

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  • 日本後紀は、六国史の中で最も散逸が著しいことで知られている。その原因については諸説あるが、戦乱や火災によって失われたとする説が有力である。
  • 藤原緒嗣は、日本後紀の編纂にあたり、非常に厳格な姿勢で臨んだと伝えられている。彼は、事実に基づかない記述を排し、客観的な視点から歴史を記すことを重視した。
  • 日本後紀には、当時の自然災害に関する記述も多く含まれている。これは、当時の人々が自然現象をどのように捉えていたかを知る上で興味深い。

関連項目

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