東欧民主化革命
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1980年代、ソビエト社会主義共和国連邦の書記長にミハイル・ゴルバチョフが就任すると、アフガニスタンからのソ連軍の撤退や、ペレストロイカ(政治改革)、を行った。特に、1985年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故は政府機関などによって隠蔽されており、甚大な被害をもたらした。このため、ゴルバチョフはグラスノスチ(情報透明化)を行い、ヨシフ・スターリン時代の大粛清の被害者なども公表した。これにより、バルト三国などではソ連からの脱退・独立を求める運動が活発化した。
東欧の社会主義脱退
[編集]1980年代、ソビエト連邦の経済は完全に疲弊し、東欧に軍事介入する余力も無くなっていった。そして1989年、東欧東ドイツにて軍事パレード(東ドイツ建国40周年記念)が行われると、ゴルバチョフが演説にて民主化の必要性を訴えた。これにより、東欧は一気に民主化を求める運動が広がり、1月にハンガリーにて複数政党制許可、4月にポーランドでの円卓会議で連帯が合法化、10月に東ドイツ書記長ホーネッカーが辞任、11月にベルリンの壁崩壊、12月にルーマニアでチャウシェスク政権崩壊、同年12月にマルタにてレーガンとゴルバチョフが会議を行い、冷戦の終結を宣言した。ここに、東欧は完全に民主化されたのである。