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大学生は、そのようなオリジナリティーあふれる教授にも合わせてあげて、テスト対策をする必要があります。
大学生は、そのようなオリジナリティーあふれる教授にも合わせてあげて、テスト対策をする必要があります。


=== 必修科目の定期テストで難問・奇問ばかりを出す教員に遭遇したら ===
大学教員の中には、ときどき、定期テストの出題で、院生や教員ですら簡単には解けないような難問を大量に出したり、その教員個人にしか試験時間内に解き終わらないような難問を出したりするような、困ったダメ教員もいます。

その教員の担当科目が選択科目なら、選択しなければいいだけです。しかし、必修科目では、選択しないと卒業できません。

一般的に必修科目は難しい科目が多いので、教員の出す難問が適正な難問なのか、適正外の逸脱した難問奇問なのかは、外部からは分かりづらいのです。そのため、たびたび、日本国の大学では難問奇問を出す大学教員が発生するのが、あとを絶たないのが現状です。

たとえ学生が他の教員に相談を、「定期テストの出題が難問・奇問では無いか?」と相談しても、他の教員は取り合ってくれません。なぜなら、先ほど言った理由のように、外部からは適正な問題か、それとも逸脱した問題かが分かりづらいので、教員どうしは、お互いに信用せざるを得ません。

実際に、難問を出した教員側が正しい場合もありますし、そうでない場合もあります。出された難問が適正な場合もあります。出された難問が不適正な場合もあります。外部からは、見分けづらいのです。

たとえば大学では、専門科目の教育内容が抽象的になったりして、高校教育とギャップがありますから、落第した学生が高大のギャップを越えられないという、学生側の能力不足かもしれません。あるいは違って、そうでないかもしれません。大学レベルの能力を身につけたマトモな学生すらも、難問奇問で落第させているという、教員の失態かもしれません。

また、大学には普通科高校と違って専門科目がありますから、専門科目のテストで学生たちが大量に落第しても、専門科目のギャップに学生が対応できないかもしれないのしれません。あるいは違って、そうでないかもしれません。教員の失態かもしれません。


どちらにせよ、外部からは、他の教員の試験の難度の適正・不適正が判断しづらいのです。

なので、教員たちは、教員どうしの相互評価に対しては、教員どうしは性善説であり、教員どうしをお互いに信用しあいます。なので、たとえ学生が他の教員に難問奇問を出す教員の件を相談しても、回答として「大学ってのは、そういう難問を乗り越えるもんなんだよ。オマエも頑張れば乗り越えられるはずだから、がんばれ。」みたいな事を言い返されるなどして、まったく取り合ってもらえません。

とはいえ、実際には、たびたび、起こるはずの無い "学生の大量落第" みたいな事態が発生します。つまり、教員は、責任を取りません。


また、たとえ定期テストの出題された問題自体は、市販の標準的な問題集に書いてある標準問題であっても、定期テストでの試験時間の長短によって、テストの難度が代わります。テスト時間が短すぎればテスト問題が難問・悪問になったりしますし、充分なテスト時間があれば標準難度の問題・良問になったりもします。ほかにも、問題が同じ分野でも、「部分点」とか「途中式」みたいなのを評価するかどうかで、難度が変わってきます。試験時の、教科書や自筆ノートの持込み可なのか否かでも、テストの難度は変わります。

市販の問題集の2つの小問をつなげて、1つの大問をつくって出題する教員もいます。その場合、単純に考えて、そのテスト問題の大問の難度は2倍になります。

しかし教員どうしは、そこまで深くは、別の教員の担当科目のテストの難度の適性さの検証をしません。


大学の定期テストの出題で、もし(一般的な他大の定期テストでの難度を超えた)難問ばかり出すダメ教員がいれば、不合格者や留年生が "大量"に 発生するなどして(たとえば学年の半数近くが不合格で留年するとか)、数年のうちにダメ教員の失態が発覚し、大学の教授会などでダメ教員が処分されます。(ダメ教員の処分では、たとえば該当科目を外されて、他の教員に科目担当が代わったりする。) ですが、不適正な難問テストが発覚するまでに数年は掛かります。また、たとえ不適正な難問テストが発覚しても、大学側は責任を取りませんし、不適正問題で落第させた学生に対して賠償もしません。

受験生の運が悪いと、ダメ教員が必修科目を仕切っている大学・学部学科に入学してしまうかもしてませんが、対策として他科目の単位を先に取っておいてダメ教員が失脚するのを待つとか、他大を再受験したりとか、転学部・転学科などをするとか、などの対策をして、学生は上手に立ち回ってダメ教員の横暴を回避してください。学費が掛かりますが、そのような対策法があります。

どの対応策にせよ、学費が掛かりますが、諦めて経済負担してください。国民の自業自得です。現状の日本の、高い学費のかかる教育制度を作ったのは、他ならぬ有権者である日本国民たち自身であり、有権者である日本国民の自業自得です。


さて、大学での不適正難問ばかりを出すダメ教員を見抜くには、大学生自身がキチンと予習復習をしてキチンと問題練習をするなど、キチンと勉強することが必要です。キチンと勉強していれば、他大に移ったら単位を取れますし、キチンと勉強してなければ、たとえ他大に移っても定期テストに合格できません。


なお余談だが、大学で遭遇したダメ教員に愛想を尽かして、たとえ他大に再受験して行くとしても、前の学校で単位を取れそうな科目の単位は多く取っておくと、他大再受験の転校後に、単位取得を認定してもらえたりして、他大転校後の学業に楽です。

大学を再受験すると、大学卒業時の年齢が上がることになるので就職活動では不利になりますが、たとえ、それでも、高卒・既卒の肩書きよりかは遥かに大卒の肩書きは就職で有利です。


いちおう、大学生は入試を突破する程度の学力があるわけですから、普通の大学では、教員が難問・奇問ばかりを定期テストの必修科目で出題して、大学1年生の段階ですら留年生がクラスの半数近くも発生したりとかの大量発生の事例は少ないです。もし、そのような事例が発生すれば、(仮に教員の定期テストが難問奇問でないと仮定すれば、)そもそも大学の入学試験が不適切だったことになります。しかし、そのような「普通でない」留年生の大量発生のような事態が、たとえば入学生の大半が入学後に留年を何回も繰り返さざるを得ない事態が、残念ながら、たびたび、日本国内のいくつかの大学で起こります。

しかも、奇問的な難問を出している教員は、自分が難問・奇問を出しているとは自覚しません。むしろ、「学生を鍛えてやってる」と勘違いしていますし、「キチンとした教育をしてやってる」と勘違いしています。当然、「では、自校の入試問題が不適切なのでは?」なんて事にまではダメ教員は思い至りません。
ですが、責任を負わせるべき悪い人物は、学校教員ではなく、最終的には国民自身です。なぜなら、今の教育制度を作ったのは、有権者である国民です。大学の定期テストでは、大学入試のセンター試験とは違い、全国一律の学力評価テストのようなものはありませんが、そのような学校ごとの裁量にまかせる教育制度を選択したのも国民自身です。すべて日本国民の自業自得です。不適正な難問・奇問を定期テストに出す大学教員が出現しても、そのような事態が起こりうる教育制度を作ったのは国民であり、国民の自業自得です。


== 日本の世間の権威主義・経歴主義 ==
== 日本の世間の権威主義・経歴主義 ==

2015年3月12日 (木) 09:22時点における版

大学のテスト対策は、「学問」と思うよりも「受験勉強」のようなものと思ったほうが良いです。

タイトルのとおりです。ごく一部の学科では例外もあるかもしれません。(たとえば数学科などは例外的)  ですが、ほとんどの学科では、まるで私大受験の受験勉強のような定期テストのテスト対策が、1年生から4年生まで、ずっと必要です。

「私大」受験と言ったのは、専門科目ばかりが大学で教育されるからです。専門外の教育は、文科省が教養課程として定めた、最低限の授業時間しか、大学側は学生に勉強させないような進級基準を組んでいます。後の節で説明しますが、専門分野以外の学問なんて、ほとんど教えられません。そもそも教授自身の学力ですら、教授の専門外の学科の学力なんて、せいぜい大学の教養課程レベルの学力でしょう。


過去問の必要性

テスト対策では、過去問を入手する必要があります。また、過去問入手のために、友達づきあいや、部活への加入、サークル加入などをする必要があるでしょう。


日本の高校では30点以下が赤点(不合格点)だが、日本の大学では60点以下が赤点である。

本来なら大学は赤点の基準が上がった分、高校の定期試験よりも大学の定期試験は授業と比べて問題を易しめに調整してないとオカシイかもしれない。しかし、すくなくとも理系大学の場合、そのような難度調整はされていません。


外国の高校などでは赤点の基準が60点である国も多い。日本の30点という赤点基準よりも高いが、その分、外国の高校の定期テストは授業とくらべて問題がやさしくなっている。しかし、日本の大学の赤点基準が60点であっても、授業と比べて難度が高くなっています。


したがって、高校時代のテスト対策のように、過去問を用いず、まともに授業の予習復習などで定期テストに挑むと、テストの成績が不合格点になってしまい、留年や退学をするハメになる可能性が上がります。

多くの学生は、留年をいやがりますから、当然、過去問を手に入れようとします。そして普通の大学では、学生間で過去問が出回ります。


このような過去問を前提にした難度のテストを出している、という大学教育の問題点は昔から教育評論などでも指摘されていますが、いっこうに日本国の大学教育では改善のきざしがありません。日本の大学教員たちは、自分たちが悪いとは思っていないようです。


また、文科省などの定める、日本の大学での各科目単位基準は、授業時間の2倍の予習復習で合格する程度が基準とされていますが、実際に1日の時間を計算すると、授業時間の1倍の予習復習ですら、きついスケジュールです。過去問を入手してテスト対策をしないと、現実的には無理です。

大学教授の学力ですら、専門科目以外の知識は、高校レベルか、せいぜい大学低学年レベルでしか無く、教授たちが専門以外の理系分野を学生時代の授業時間の2倍も勉強したように見えないでしょう。


大学の単位基準は授業の2倍の予習復習というが、9時から午後3時まで授業があるとして、休憩時間と昼休みを除いて4時間。睡眠時間は8時間。残りは12時間しか無い。そのうち、通学で往復2時間(残り10時間)。下宿などで一人暮らしするなら、家の炊事・選択・掃除などで2時間(残り8時間)。1日の残り時間が授業時間の2倍ピッタリほどしかなく、1日の時間に余裕がありません。


大学の単位基準で「授業時間の2倍の自習を、単位数の基準にする。」を実施すると、学生の1日あたりの学習時間が12時間ちかくなります。これは、サラリーマンの労働基準の1日8時間労働を超えていおり、重労働に相当する時間でしょう。大学教授ですら民間企業のビジネス競争では通用しそうに無いというのに、学生が「授業時間の2倍の自習」という建前を真に受けてマトモに授業時間の2倍も自習で勉強していては、過労になってしまいます。

いくつかの大学では、授業時間の2倍の自習時間を確保するため、履修科目数に制限を掛けている。だが、卒業単位数(4年で通常は120単位ていど)が減らないかぎり、計算上では、事実上の自習時間が足りなくなります。

したがって、過去問を入手して定期テスト対策をする必要があります。


科目の履修は、なるべく簡単な科目を履修しよう

また、大学の単位数では、授業時間しか考慮されず、科目の難度は考慮されません。むずかしい科目に合格しようが、簡単な科目に合格しようが、授業時間の量が同じなら、合格でもらえる単位数も同じなのが一般です。

たとえば大学1年の数学の偏微分・重積分と、大学2年の数学の微分方程式・複素関数論が、同じ単位数な大学が一般です。学習負担を考えたら、高学年の科目のほうが負担が重いですが、しかし1科目あたりの単位数は同じです。


これは、そもそも高校の単位基準からして、似た現象があります。高校でも、たとえば文理のコース別の高校数学の履修でも、文系コースの数学の授業時間あたりの単位数と、理系コースの授業時間あたりの単位数が、普通は同じです。たとえ、文系コースの数学が簡単であろうが、授業時間が同じなら、単位数は同じというのが、普通の高校です。


したがって大学の科目履修では、なるべく簡単な科目をさがして、単位数をかせぐ必要があります。必修科目でもないのに、難しい科目を履修してしまうと、テスト対策に多くの時間を取られます。その時間を取られた分、他の科目のテスト時間が減り、多くの科目で単位を落とす可能性が増えます。


このような非現実的な単位基準の問題点は昔から指摘されていますが、いっこうに改善のきざしがありません。日本の大学教員たちは、自分たちが悪いとは思っていないようです。


出席を重視する学科も多い

理学部の数学科では、伝統的に、なるべく「出席点」を取らない方針が多いと言われています。「出席点」というのは、授業に出席していると、そのぶん、定期テストの成績に加味されて得点が上がるというものです。 数学科では「勉強というのは、図書館などで自分で調べて頭を使って自分で考えるものだから」というと、「意欲の低い学生に出席されて、授業中に私語をされると、数学的思考のさいの邪魔であるので、出席点を取らない。」という事らしいです。なるべく自分で調べて勉強する態度を身につけて欲しいようです。そのように自分で勉強しないと、数学のプロとしての能力は身につかないと考えているようです。

ですが、この数学科のような方針は、例外です。他の多くの学科では、出席を重視しています。出席してない時点で、「何も勉強していない」と決めつける学科のほうが多いのです。数学科の常識は、他の学部・学科での非常識なのです。


出席を重視する学科で、実際に授業の前後などに出席を取ることは無いのが通常ですが、ときどき授業中に小テストなどを行い、そのテストの結果を定期テストの結果に加味する場合も多くあります。小テストが抜き打ちの場合も多くあります。つまり、小テストが、事実上の出席点なワケです。


べつに工学部や農学部などの実務系の学部だけで、事実上の出席点があるのでは、ありません。 理学部などでも、物理学科や化学科など、数学科以外では、出席点を取ることは多くあります。

べつに実験などの科目だけではありません。理論系の科目でも、出席点を取る場合があります。


日本国の世間の多くの人は、数学科のように、自分で勉強するという学風なんて、知りません。世間の多くの人は、「勉強とは、学校で教員から習わないと身につかない」と考えています。卒業後の就職先であろう民間企業でも、従業員は世間の多くの人たちです。学校教員なども、世間の多くの人たちです。

教育行政は文部大臣など、国会の政権与党の国会議員などによって管理されます。(選挙で国会議員を選ぶ)有権者も、世間の多くの人たちに過ぎません。

教授によっては、市販の教科書に書いていない知識を定期テストに出題することも

教授によっては、市販の一般の教科書に書いていない知識を定期テストに出題することもあります。授業中だけに説明した問題をテストに出すこともあります。教授の書いた教科書が、その大学の指定の教科書として採用されていることも多く、その教授の教科書以外の市販の一般の教科書では、ほとんど書かれていない場合もあります。実験科目は、設備が大学ごとによって違うので、各大学のオリジナルの教科書が多くあり、それは仕方の無いことです。

しかし、実験系以外の講義科目や練習問題の科目でも、各大学オリジナルの教科書がある場合もあります。

大学院の科目なら、研究テーマごとに大きく違うので、大学オリジナルの教材があるのも仕方ないかもしれません。しかし、学部の低学年(1年・2年生ていど)ですら、大学オリジナルの教科書を出すこともあります。

大学オリジナルの教科書が、かならずしも、市販の教科書に書かれていない知識を紹介するものばかりとは限らないです。ですが、どちらかというと、市販の教科書に書かれていない知識を、教員が定期テストに出したいので、大学に出版させた教科書のほうが多いでしょう。定期テストでの、このようなオリジナリティーあふれる問題の、比率が少ないなら、まだしも、たいていは、このタイプの教員の場合はオリジナリティーあふれる問題の定期テストでの比率は大きいです。

オリジナル教科書で解説され定期テストに出される問題が、まったく、どの市販の教科書・問題集にも書かれていないワケではないです。難関の問題集などを見れば、チラッと書いてある問題もありますし、国家試験などに出されるタイプの問題のこともあります。もし、まったく、どの市販の教科書にも書かれていない問題を出すと、さすがに世間から教員が批判されるので、いちおう、教員が出題の根拠として参考文献を挙げられる程度には、大学生用の教材に書かれている問題を出します。


教員が定期テストに出したい問題は、たいてい、授業中に時間をかけて説明します。このため、学生は授業に出席し、教員の解説する問題をノートに取っておいて、テスト前に復習する必要があります。


大学入試では、市販の参考書に書いていないことを出題すると、受験生の多くは解けないので世間から批判されますが、大学では、そのような批判の外部勢力はありません。


大学用の教科書は、市販の教科書でも、かなり難しく情報量も多いです。高校卒業までの教科書とは違います。高校は文系・理系の両方の学生が学ぶので、高校の教科書は、情報量を減らしてあります。ですが、大学の教科書では、専門とする学生が学ぶので、情報量は、かなり多いです。その市販の大学用の教科書ですら紹介されていない知識を、定期テストで出題する教員も、多く、いるのです。

市販の教科書に書かれないということは、その教科書の出版社の執筆陣が、教科書で紹介する価値が低いと判断したわけです。大学生向けの一般の教科書の執筆陣も、ふつうは大学教員です。教科書会社は、日本中の多くの大学に教科書を販売している実績があります。


いっぽう、教科書に書かれていない内容をテストに出す教授は、自分の大学の授業以外は、授業のやり方を知りません。ですが、市販の一般の教科書に書かれていない知識を定期テストで出題する大学教員も多いのです。しかも、そういう問題を出す教員は、大学内で権力を持っているか、あるいは、他の権力を持っている教授が後ろ盾をしています。だからこそ、市販の教科書に書かれていない問題でも、定期テストで出せるのです。

しかも、このようなオリジナリティーあふれる難問を出すタイプの教員の場合、「学生を鍛えてあげている。」と、教員自身のことを思っています。けっして、「もしや、自分の教育は、他の大学とズレているのでは?」とは心配してなんて、いないでしょう。

大学生は、そのようなオリジナリティーあふれる教授にも合わせてあげて、テスト対策をする必要があります。

日本の世間の権威主義・経歴主義

日本国民の世間の多くの人々は、大学教育の権威や、大学教員などの権威を信用しています。企業も同じように、大学の権威を信用しています。


したがって、たとえ大学の単位基準が、前節で説明したように非現実的であっても、「留年は不勉強」と世間の多くから見なされます。なので、もし留年したり退学すれば、就職などでも不利になります。

多くの企業は、採用では学歴などの肩書きしか見ません。採用試験での学力テストなんて、企業の採用試験では、ごく簡単な中学レベルの試験を除けば、学力試験なんて企業採用では行っていません。


したがって学生は、経歴に傷がつかないように、なるべく留年しないで、卒業する必要があります。


大学教育では、工学部などの実用的な学門の学部ですら、企業で働いたことの無い教員が多く授業をしています。

たとえば、工場の実務では、短時間で問題を解くことは、まず、ありません。そもそも、答えの知られていない未知の問題が実務で出てきます。仮に決まりきった計算処理の手続きが必要なら、コンピュータで計算処理を自動化すれば良いだけです。


しかし大学の授業科目が、たとえ企業の実務とずれた授業をしている科目であろうが、その科目の定期テストに不合格になって、単位数が不足して留年すれば、経歴に傷がつきます。

多くの民間企業は、たとえ大学が実務とずれた教育をしてることを知っていようが、学歴を信用し、留年や退学を就職での企業採用では不利にあつかいます。


外国の大学も経歴主義

外国に留学しようが、外国の大学も経歴主義です。そもそも、外国の大学受験では、日本と違い、学校ごとの入試での学力試験が無いという国も多くあります。そのような国では、推薦などによって、評判の良い人気の大学に進学します。

しかし、推薦をもらうためには、良い経歴が必要です。そのため、外国の高校生は、評判の高い「名門」大学への推薦をもらうためには、まず評判の高い「名門」的な高校に進学する必要があります。そして、そのような高校に進学するためには、さらに中学の時代から経歴を磨かないといけません。

外国の大学もまた、経歴主義・成績主義です。もっとも外国では、大学受験を経歴で判断するぶん、たとえば高校側が学力の低い自校の高校生に良い成績をつけるなどは、不正と見なされ、その高校の今後の推薦を打ち切られるなど、外国は、とてもキビしいです。

  • 成績や経歴が悪いと、留学できない場合も

日本から、海外に留学するにしても、良い経歴が必要になります。日本の大学に所属している大学生として留学する場合、そもそも日本での大学の成績が良くないと、相手国の大学からも留学させてもらえないかもしれませんし、日本側の大学も留学を許可しないでしょう。

英語の検定試験のTOEICやTOEFLなどの成績と言った経歴も、留学で必要になる場合が多いのが一般です。実際に英語が出来るかどうかは、二の次です。そもそも先程も言ったように、外国では、学校ごとの大学入試がありませんので、学校ごとの大学入試の英語科目も存在していません。

他学科の科目は履修できないのが事実上

大学によっては、他学科の科目の履修を制度上は可能としている学校もありますが、実際には授業時間が重なっていたりすることも多く、ほとんど履修できません。

また、理系の場合、専門外の他学科の学習にまで、学習時間が足りません。 自分の所属する学科ですら、学習時間が多くて、生活時間を学習に多く当てて、ぎりぎり単位が取れて、ぎりぎり進級できる程度です。

理系では、他学科の履修は、事実上は、ほぼ不可能と考えたほうが良いでしょう。

日本の大学教育とは、縦割り社会なのです。

一部の大学には、「教養学部」や「文理学部」などの学際的な異分野融合みたいな学部・学科もありますが、そのような大学は数が少ないです。

また、工学・農学などの実学と、数学などの非・実学とを、学際的に学べる学科は、日本には、ありません。教養学部では、機械工学や電気工学などの工学科目はありませんし、農学などの科目もありません。文理学部も、文系学部と理学部の科目しかありません。それ以外の工学・農学などの科目は、文理学部では存在しません。


文系学問や体育や芸術を学ぶヒマはありません

高校時代の全教科の勉強みたいに、理系の学問と両立しようとして、文系の学問や、体育、音楽や美術などの勉強をしようとしても、日本の大学では、できません。

そもそも一般の大学では、美術や音楽などの実技の授業がありません。せいぜい、芸術史の授業が選択科目であるくらいです。体育の授業はありますが、スポーツの熱心な練習に時間を割くだけの余裕は、理系の大学にはありません。文系の科目の授業は教養課程でありますが、高校時代のように文系科目に予習復習に時間をかけることが、理系の大学では無理です。

理系の大学では、最低限の教養科目と、学科の専門科目にしか、学習時間を割けません。そのような縦割りな学習スケジュールを前提にした進級基準、卒業基準が、理系の大学では組まれています。

ましてや、理系の同じ学部の学問どうしですら、他学科の授業を学ぶヒマが無いほど、縦割り主義的で過密な進級基準が組まれています。

あまりにも、縦割り主義的すぎで問題があるという批判の評論は昔からありますが、いっこうに改善されません。

欧米の大学では日本と違う場合もあります。たとえばイタリアの工業大学では日本と違い、工学部では、機械工学・電気工学・土木工学などのすべてを学ばされると言います。しかし、日本の大学では、そのような他学科の科目を学ぶような学習スケジュールは、組めません。

教授自体が他学科の教育を受けていない

日本国の大学教員たちは、そもそも教員自体が、他学科の教育は、ほとんど受けていません。たとえば、工学部の電気工学科の教授なら、機械工学すら満足に教育を受けておらず、ましてや土木工学なんて、ほとんど知りません。そのような縦割りの人物が大学教員に出世します。そういう縦割りのキャリアを積まないと、そもそも大学教員自体に出世できない場合が多いのです。

いっぽう、企業の製造業の研究・開発の実務では、縦割りではない分野横断的な知識も必要ですし、実際に、そのような分野横断的な研究をしている研究者もいます。しかし、このような企業の研究者は、大学には、あまり就職したがりません。そもそも、日本国の理系の大学には、そのような分野横断的な研究が続けられそうな学科や研究室が、ロクにありません。


縦割り主義のキャリアの大学教員が、自己の勤める大学の進級基準などを組んでいます。

同じ学部の他学科の教育すら、教員自体が満足に教育を受けていないのです。ましてや、ちがう学部の教育なんて、教員は、ほとんど何も知りません。

だから学生は、留年しないためにも、学生時代は縦割りのキャリアを目指すような勉強をせざるを得ません。当分のあいだ、学生は、縦割り主義的な勉強が続きます。


部活に打ち込めるだけの時間がない

同じような理由で、部活やサークル・同好会の活動にも、あまり本格的には打ち込めません。たとえば工学部などにあるロボット技術同好会とか自動車技術同好会などでも関係の部活ですら、その分野の設計の全国コンテストなどの競技会に各大学が参加しても、理系の大学の場合なので、学期末などのテスト期間前になるとコンテストに参加する大学が減るという現象が起きるです。

なぜならテスト対策に多くの時間をかけないと、留年してしまうような進級基準が組まれているからです。大学側は、べつに部活動を進級基準には組み込んでくれません。なので、学科の専門分野に近いサークルですら、サークル活動の時間が、なかなか取れないのです。

例では、工学部を例にあげましたが、べつに工学部だけではありません。理系のすべての学部で、似たように、部活動の時間がありません。

専門分野に近い活動内容のサークルですら、なかなか時間が取れないのですから、ましてやスポーツや芸術関係の部活・サークルなんて、ほとんど時間が取れません。

定期テストの過去問を入手するために部活・サークルなどに入部するのは有効です。しかし、けっして部活動などに熱心に打ち込まないのが日本国の理系大学での教育の現状です。

大学院への進学について

大学院は修士課程までは進学したほうが有利かも

研究職を目指すなら、理科系の場合は、大学院に進学したほうが良いです。また、たとえ研究職を目指さなくても、設計・開発とかを目指すなら、研究職と似たような理由で、大学院に進学したほうが有利です。

なぜなら、企業では、たとえ製造業などの技術系の企業でも、大卒として入社した社員であっても、なぜか高卒と同じ仕事をさせられる事が多くあります。このため、大卒で入社しても、高卒でも出来る仕事を命令される事があります。なので研究職につきたい人は、なるべく大学院で研究の経歴を積んだほうが就職には有利です。

なぜ、わざわざ基本給が高卒よりも割高な大卒を雇ってまで、高卒でも出来る仕事をさせるかは謎ですが、現実として、そういう謎な行動をする企業が多いので、学生は対策しないといけません。

また、大企業の採用活動での書類選考などは、とても肩書き主義ですから、有名大卒などの高学歴でない場合は、学歴が院卒とかでないと、研究職としてスタートラインに立ちづらいです。特に大企業の採用では、募集者が多い事もあり、学歴でふるいを掛ける必要があるので、数の多い学部卒よりも、数が少なくて高学歴である院卒のほうが、研究者になるには有利でしょう。


大学院に進学すれば、すくなくとも学会論文の書き方とかはそれなりに教わるし、学会などでの発表経験も積めます。実験なども、大学の高価な実験装置を使って、実験が出来ます。しかし、学部卒では、そのような経験が、あまり積めません。

もし、就職後に、企業側が、高卒でも出来る単純作業や現場仕事ばかりを仕事させたら、まったく研究開発的なキャリアを積めないまま、社会人生活を送るリスクもあります。

もちろん企業の中には、たとえ院卒でなく学部卒ても、キチンと適性や能力を評価して、研究者としての能力がある社員なら研究の仕事を与える企業も少しはあるでしょうが、しかし、たぶん、そういう企業は少ないです。多くの企業は、肩書きだけで書類選考的に研究職につけるかどうかを判断する企業のほうが、残念ながら、多いでしょう。


また、たとえ日本の企業のオカシな採用方法に愛想をつかして外国企業や外国の大学に進む場合でも、大学院の経歴はあったほうが有利です。世界的に、大学学部卒よりも大学院卒のほうが就職などが有利です。

ただし、日本では、博士課程まで進むと、年齢の高さにより、就職先が見つかりづらくなる、傾向があります。なので、とりあえずは修士課程までは、理系なら進学したほうが有利です。

大学院の一般受験は難関

理科系の場合、大学院の修士課程の卒業後の就職率が良いことなどもあり、大学院に進学する人も多いです。

大学院の入学には、一般入試と、学部からの内部進学などや、推薦があります。ほとんどの大学院進学する学生は、内部進学や推薦など、一般入試以外で、大学院に進学します。

一般入試で大学院に合格するのは、理系の場合、かなりの難関です。なぜなら、大学院受験の受験勉強をしているヒマがありません。そもそも授業の通常の科目の定期テスト対策が忙しいです。学部の定期テストですら、過去問が無いと太刀打ちできないような難問を出すテストが多いのです。大学院試験は、過去問集は公開されている場合もありますが、けっして過去問通りになんて出題しません。

大学院の受験勉強どころか、そもそも学部の編入学試験ですら、解こうとしてみると、かなりの難問である場合もあります。学部編入学試験の問題ですら、その大学の学部生や卒業生ですら、あらかじめ受験勉強なしでは、ほとんど解けないでしょう。

大学院の入試問題は、それら学部の定期テストや学部の編入学試験よりも、さらに難しい問題が出ます。

多くの学生は、大学院受験の受験勉強にまで、あんまり勉強の時間を割けません。

また、大学4年になったら、たとえ院に進学する人でも就職活動を始めて、企業訪問をしたり、企業研究をしたりするのが一般的です。就職活動もあり、なかなか大学院受験の受験勉強が出来ません。


よく、評論家(自称「教育通」)や大学教授などが「大学院の大衆化で進学率が高くなって、院の教育レベルが下がった。」などとシタリ顔で評論したり、ビジネス評論家などがソレを真に受けて「大学院なんて簡単。」などとデタラメな教育評論(自称)をしたりしますが、院に進学するのが(比較的)簡単な場合とは、内部進学とか推薦で進学できる場合のみです。

理系の場合、一般入試での大学院進学は、大学にもよりますが、かなりの難関です。


数学科以外では数学の証明は、やらない

高校の数学の教科書や参考書では、将来は数学科に進学する学生もいる可能性がありますから、教科書・参考書には問題の解放以外にも、より深い数学的な考えかたや証明法などを解説したり考察したりと、数学的論理を重んじた記述もあります。

しかし、大学では、数学科以外では、数学的な論理なんて重んじません。 数学の授業は、公式を暗記して、たくさんの計算問題を解く能力が重要視されます。そのような公式を暗記する能力を持たないと、定期テストで合格でいないだろう科目も、多く存在するでしょう。

いわゆる「暗記数学」の能力が、理系の多くの学部学科で要求されます。

なにも、工学部や農学部などの、いわゆる「実学」系の学部だけでなく、理学部の物理学科や化学科や生物学科でも、そのような数学の公式を暗記する能力が要求されます。

定期テストでは、公式を覚えておかないと、テスト時間内に解き終わらないような量の、大量の計算問題が出る可能性があります。そのため、公式を覚える必要があります。


大学の数学科では、「大学の数学と、高校の数学は違う。」などと教授がシタリ顔で言ったりして、数学科の数学の授業やテストでは証明に比重が置かれます。ですが、数学科以外では、高校数学以上の公式丸暗記、大量の計算問題を短時間で解く計算力が要求され、いっぽう、証明は重んじられません。

受験勉強の時に、公式を暗記して、短時間で大量の問題をとく計算力が要求されたと思いますが、数学科以外では、そのような受験勉強のような数学が、大学入学後も続きます。

物理学科以外の物理では、公式暗記の計算力が求められる

数学だけでなく、物理学などの他の理学系の科目も同じです。公式を覚え、短時間で大量の問題を解けるような計算力が要求されます。これは物理学科以外だけでなく、物理学科でも、そのような計算力が要求されます。

たとえば電気磁気学なら、「どのようにして、電気磁気学の公式が導かれたのか?」という考察や理論よりも、実際に電気磁気学の公式を用いて、多くの練習問題を解く能力が、物理学科でも他の学科でも要求されます。

しかも、多くの産業では、電子機器を用いているので、専門科目や教養科目で電磁気学を扱う学科も多いです。

国家試験のような難度の問題が、定期テストに出ることも

国家試験の問題は、ブランド化しやすく、多くの学科で、その分野の難関の国家試験問題が、定期テストに出ます。もっとも、医学部・薬学部などの国家資格が必要な仕事の学部では、仕方ないかもしれません。ですが、工学部などの他の学部ですらも、国家試験がブランド化しており、国家試験のような難度の問題が、定期テストに出ることも、けっこう多くあります。

理系の場合、べつに国家試験のような難度でない通常の難度ですら、かなり難しい問題が多いです。国家試験レベルの出題は、さらに難しいわけです。

当然、定期テストに合格するためには、まず定期テストの過去問を手に入れ、そして授業には出席し、さらに教員の説明を鵜呑みにして熱心にノートに取っておいて、試験前に復習しておかないと、まず解けないような難度の問題です。

研究室のテーマ選び

研究室は、志望業種に近いほうが有利

3年の後半ごろから、おそくても4年生になると、研究室に配属されます。

企業の採用活動は、大学の偏差値のほかは、学科名と、研究室のブランドとかで採用します。 なので、研究室選びは重要です。

基本的には、志望業種に近いテーマを選んだほうが、就職に有利です。 けっして、「志望外のテーマを選んでみて、視野を広げよう」だなんて、思わないほうが良いです。企業の人間の多くは、そこまで想定しません。 世間の人間は、意外と近視眼的なのです。

たとえば化学業界に就職するなら、化学反応とか材料とかを研究している研究室を選ぶのが、とても有利です。

けっして、「化学業界でも機械を使うだろうから、4年生の研究では機械工学に関係のあることを研究しよう。」とか、「化学業界でもコンピューターを使うだろうから、コンピューター・サイエンスに関係しそうな研究をしてみよう」だなんて思わないほうが、就職活動は安全です。

企業は、とても近視眼的なのです。企業の多くは、そこまで想定していません。面接でアピールしようにも、面接の前の段階で書類審査で落とされる可能性もあります。とくに志望業種が人気職種の場合、あえて志望業種外の研究テ-マ選びをすると、直接的に志望業種そのものの研究テーマ選びをした他の学生よりも不利になり、書類審査で落ちる場合もあります。


あなたの学歴が、一流ブランドの名門大学なら、あえて専門外の研究テーマを選んでも、企業側が合わせてくれるかもしれません。ですが、平均的なブランドの大学の場合、企業は、もっと単純に学生の研究室と志望業種を結び付けた発想をします。


化学業界に限らず、他の業界を志望する場合も同じです。

たとえば、半導体業界に行きたいなら、半導体そのものの研究実験をしている研究室を選ぶのが、とても就職的には安全です。 けっして「半導体製造装置を作るのにも、どこかの加工段階で機械加工が必要だから、機械工学を研究しよう。」とか、「半導体製造装置では、反応ガスの制御も重要だから、流体力学や流体機械を研究しよう。」とか、思わないほうが良いのです。

電機メーカーの多くは、そこまで想定していません。


企業は近視眼的かもしれませんが、人材教育にも費やせる金銭や時間が限られてるし、あまり専門外の研究の応用まで想定している余裕は企業に無いのです。

実験系のテーマの研究室が就職に有利

基本的に、理論研究よりも、実験系の研究のほうが有利です。

はっきり言って、理論研究は、研究に負担が大きい割りには、あまり就職活動では成果が報われません。それでも、あなたの在学する大学が有名ブランド大学なら、企業の採用担当は「高学歴だから、きっと高度な研究をしてるだろう。」という発想で話を聞くかもしれません。ですが、いわゆる低学歴だと、そういうふうに見てもらえずに、書類審査など初期の審査で落ちる可能性が高まります。


  • 実験系の研究は、研究成果や教育効果が出やすい。

実験系の研究なら、基本的には、まじめにコツコツ実験結果を確認して検証していけば、成果は出ます。たとえ満足な成果が出なくても、すくなくとも実験装置を扱う技能は上達します。

企業は近視眼的かもしれませんが、実験装置の使用法を教育するための社内教育に費やせる金銭は、限られてるのです。


いっぽう、理論系の研究は、ありとあらゆるアイデアを、研究者が考えなければいけません。検証方法も、研究する学生が自ら考えなければいけません。検証したくても、学校の設備が不十分だと、検証実験が出来ない場合もあります。

このような理由のため、理論研究は就職活動でアピールがしづらい場合もあります。

たとえ理論の研究成果が出ても、その成果を説明するには、相手に、それなりの量の予備知識と理解力が必要になります。しかし、そのような、特定の研究テーマの予備知識を多く持っている相手は、少ないです。なので、理論の研究成果のアピールは、とても難しいです。


  • 実験系の研究は、週活でアピールしやすい。

実験系の研究は、就職活動での企業へのアピールが楽です。 基本的に、実験結果は目に見えたり、物を動かしたりするわけですから、説明が楽です。

理論系の研究をアピールする場合、その理論を知らない部外者に、理論を説明するわけですから、とても説明が大変です。たとえば、あなたは日本の数学者の研究を、何人の数学者の研究を、知っていますか。アナタが数学科の学生でもない限り、おそらく日本の数学者の研究内容を知らないでしょう。

理論を説明する、という事は、このように手間の掛かる大変なことです。


テレビの科学番組などで説明する科学研究も、たいてい実験系の研究です。数式などを用いることの多い理論系の研究は、あまりテレビでは紹介されません。

企業の人間も、テレビの視聴者と同じく、一般大衆ですから、実験系の研究のほうが、ウケが良いです。企業の株主も、企業の製品の消費者も、テレビの視聴者と同じく一般大衆です。


  • 実験系では、高価な装置を用いる研究のほうが就職に有利

大学の実験装置の値段は、一個人の収入では買えないような高価な設備が多いのです。中小の企業でも、なかなか、実験設備は買えません。

高価な実験装置を使う研究の場合、その研究テーマを選ばないと、その学会・分野への参入そのものが難しいです。

安価な設備を用いて実験できる事を研究するのは、競争相手が多く、とても大変です。


つまり、最新の研究設備や高価な実験設備で、実験・研究するほうが、基本的に就職活動は有利です。

中古の古い設備でも上手に使いこなして実験する事は、学習が難しい割りに、あまり就職活動では学習成果が報われません。


このように企業は近視眼的かもしれませんが、しかし企業の設備費に費やせる金銭が限られてるのです。


  • 企業は体育会系が好き、なので実験系のほうがアピールしやすい。

企業の多くの人材の好みは、知識のある人間よりも行動力のある人間を好みます。なので、実験系の研究のほうが、行動に移しやすいので、企業から好まれるのです。

仮に理論系の研究テーマを選んで、せっかく理論を研究しても、企業から「頭でっかちの世間知らず」とか見なされる可能性もあります。

体育会系の人間が「根性がある」とかの理由で企業に好まれやすいのと同様、実験系の研究のほうが、次のような理由で、好まれやすいのです。


研究成果のアピールで「実験をしていて、なかなか成果が出なかったけど、あきらめずに頑張ろうと思って、いろいろな組み合わせでデータを取ったら、こんな意外な実験データが見つかりました!」とか言えば、企業に好まれそうでしょ?

「実験データを取るため、時には夜おそくまで実験する日もあったけど、あきらめずに実験しました! こんな実験データを発見しました!」とかアピールすれば、企業が好みそうでしょ?

この実験成果のアピールのエピソードなんて、就職活動でのバイト経験や部活アピールとかで、「苦しかったけど、あきらめずに頑張って、○○で、乗り切りました!」とかの良くあるパターンのアピールの類似に過ぎませんが、しかし企業の多くの人間は、このパターンの科学エピソードとかが大好きです。


いっぽう理論研究の場合、もし根本方針を間違えてしまうと、どう研究しても成果が出ないので、いったん方針を変更するために既存の方針を中止する必要もあります。

いっぽう理論研究の場合、あまり頭が鈍ると成果が出ないので、夜更かしとかは好まれません。

しかし、企業は、理論研究者の好みなんか、重視する気はありません。 企業が重視するのは、その企業自身の好みです。そもそも、就職する学生を雇ってあげて、新卒学生に給料を払ってあげるのは企業なのですから、どうして企業が金を払わない他人の好みなんかに合わせる必要があるのでしょうか?