高等学校日本史探究/奈良時代の人々の暮らし
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奈良時代の貴族生活
[編集]非常に広い邸宅跡が平城京の南東[奈良県奈良市二条大路南1丁目]で見つかりました。この邸宅跡は歴史考古学者の発掘調査から上級貴族の邸宅だと判断されました。掘り進めていくと、3万点以上の木簡が山のように出てきました。役所の報連相・品物の記録・食料品の記録・長屋王家などが木簡に記されていました。そのため、上級貴族の邸宅は長屋王の邸宅跡だと分かりました。ここから、長屋王のような上級貴族が当時の仕事・日常生活をどうしていたのかもはっきり見えるようになりました。
生活文化の発展と庶民の苦難
[編集]当時の結婚方法は妻問婚でした。男性は夜になると女性の家へ行って恋愛するようになりました。当時の夫婦は夫婦同姓ではなく夫婦別姓でした。だから、所持品(財産)は各自で持っていました。また、結婚しても各自の住居でそのまま住んでいました。現代の日本政治でも夫婦別姓に関して提案されていますが、反対意見もかなりあります。子供が生まれると、女性の住居で子供を育てました。家事も女性の家族が中心になって動いていました。仏教が広まると、上級貴族の埋葬方法も土葬から火葬に少しずつ変わりました。一方、ほとんどの庶民は従来通り土葬で埋葬していました。
当時の上級貴族は華やかな服装に身を包んで、年中行事・和歌などを楽しんでいました。一方、地方農民は降水量不足・害虫大量発生から何回も凶作になりました。その結果、食料不足・飢餓に苦しみました。貴族の山上憶良は地方へ向かうと、農民の貧しい生活を実際に見ました。そして、山上憶良は農民の苦しい日常生活を伝えたいから『貧窮問答歌』にしました。「家の竈に火を入れられなかったり、蒸し器も使われないまま蜘蛛の巣が張ったりしました。さらに、里長が困窮農民の家までやってきて、「早く払え。」の大声も響きました。」と記されました。このような様子から当時の農民が食料面と金銭面でどれだけ困っていたかを万葉集の『貧窮問答歌』に残して伝えています。
奈良時代は困窮者もいました。困窮者は日常生活を送るのもやっとでほとんど税金を払えませんでした。そのため、本人の氏名・家族の情報を戸籍にそのまま記さないで、別人の氏名・嘘の身分を記していました。他にも無許可出家者(私度僧)になったり、上級貴族邸宅の養子になったりしました。『貧窮問答歌』でも当時の困窮者がどれだけ大変だったかはっきり分かります。このような苦しみが広がると、租庸調も上手く回らなくなりました。8世紀後期になると、律令制度も続けられなくなりました。
資料出所
[編集]- 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
- 山中裕典著『改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本』株式会社KADOKAWA 2024年
- 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
- 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
- 全国歴史教育研究協議会編『[新課程版]日本史用語集』株式会社山川出版社 2023年