高等学校歴史総合/日本の大戦景気と金融恐慌

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さまざまな恐慌の前後関係[編集]

日本では、のちの世界恐慌(1929年の起きる)の前から、すでに第一次世界大戦の大戦景気の終わりによって1920年ごろから不景気になっていた。日本では、世界恐慌の起こる前から、たびたび日本国内で不景気による恐慌が起きていた。1923年には関東大震災で、経済も大きく打撃を受けていた。

日本では1927年に、多くの銀行の倒産や休業があいつぎ、取り付けさわぎも起こって、金融恐慌(きんゆう きょうこう)が起きていた。

このような日本国内の金融恐慌にくわえて、さらに世界恐慌が1929年に起きたので、日本は大きく不景気になった。 アメリカ向けの生糸などの輸出をしていたので、日本も世界恐慌の影響を強く受けた。その上、さらに世界恐慌がやってきて、日本はとてつもなく不景気になった。

そして日本では、多くの会社が倒産した。このため、三菱や三井・住友などの財閥が倒産した会社の事業を吸収した。だが、このことによって、財閥が大もうけしていると庶民から見られるようになり、財閥が敵視されるようになっていった。

世界恐慌後、日本では農業が混乱していた。まずアメリカ向けの生糸が売れなくなったことから、日本では生糸の原料の まゆ の価格が暴落し、養蚕業(ようさんぎょう)が衰退した。さらに1930年では、豊作で米の価格が暴落し、農家の収入がへり、農家がくるしくなった。そして翌年の1931年には、こんどは凶作で、東北地方を中心に、農村が不況になった。欠食児童(けっしょくじどう)がでたり、娘(むすめ)を身売りさせる家も出てきた。

いっそ農村から脱出して都市で働こうにも、むしろ都市で失業した人が農村にもどってくる状況であった。

このように世界恐慌の影響が、日本では1930年ごろから影響があらわれはじめ、昭和恐慌(しょうわ きょうこう)となった。

このように日本国民の生活が苦しくなってきたため、労働争議や小作争議が、はげしさを増していく。

  • 順序

恐慌の名前のつく出来事が、たくさん出てきたので、順序をまとめよう。

(日本での)金融恐慌 → 世界恐慌 → (日本での)昭和恐慌

の順序で起きている。

このうち、因果関係が直接的にあるのは「世界恐慌 → (日本での)昭和恐慌」である。

金融恐慌[編集]

第一次世界大戦の終わりによってヨーロッパが復興してきたので、ヨーロッパ製品の生産が回復し、海外では日本の輸出品が売れなくなり、日本は生産過剰になった。そのため1920年春〜夏ごろから日本では綿糸・生糸の相場が下落するなどの不景気になっており、株式市場も下落し、日本では戦後恐慌(せんご きょうこう)になっていた。

さらに1923年の関東大震災で、経済も大きく打撃を受け、手形の不渡りが大量に発生して不良債権となった。この、関東大震災の被害によって不渡りになった手形を震災手形(しんさい てがた)という。 政府は日本銀行に特別融資を行って、一時的にしのいだ。

震災手形を処理中の1927年に、衆議院の蔵相 片岡直治(かたおか なおはる)の失言をきっかけに、一部の銀行の経営悪化があばかれ、取り付けさわぎが起こり、多くの銀行の倒産や休業があいつぎ、金融恐慌(きんゆう きょうこう)が起きた。

さらに大戦景気で急成長していた鈴木商店(すずき しょうてん)という商社が経営破綻し、鈴木商店に融資を行っていた台湾銀行が多額の不良債権をかかえることになり、台湾銀行の経営が悪化した。

時の若槻礼次郎(わかつき れいじろう)内閣は台湾銀行を救おうとして、緊急勅令を出そうしたが、枢密院の了承を取れず、若槻内閣は総辞職した。

つづいて立憲政友会の田中義一(たなか ぎいち)内閣が成立し、蔵相の高橋是清らにより、3週間の支払猶予令(しはたいゆうよれい)(モラトリアム)を出し、さらに日本銀行から巨額の融資を行うことで、ようやく事態を収拾した。

この一連の恐慌で、中小の銀行の淘汰・合理化がすすみ、預金は大銀行に集約されるようになり、預金は三井・三菱・住友・安田・第一の五大銀行に集約されるようになった。

また、この1920年〜1927年ごろの一連の恐慌の間、インフレが進んだ。なぜなら、政府の融資によって市場に多額の資金が流れたために、インフレが進んだのである。さらに、第一次大戦中にヨーロッパ諸国は金本位制から離脱しており、日本もそれに追随して1917年に日本は金本位制から離脱した(金輸出禁止)ので、そのこともあり日本はインフレとなった。 なお第一次大戦後にヨーロッパ諸国は金本位制に復帰するが、日本は一連の恐慌があったため、日本は金本位制への復帰が遅れた。日本が金本位制に復帰する年は、世界恐慌中の1930年である。

これらの金融恐慌ののち、世界恐慌が起こり、さらにのちに昭和恐慌が起こる。