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International Phonetic Alphabet

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

IPA とは

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International Phonetic Alphabet (IPA) は、世界中の言語の音声を一貫して表記するための体系です。IPA は、言語学者、音声学者、言語教師、翻訳者など、音声を正確に記録・分析する必要がある人々によって広く使用されています。IPA の主な目的は、各音声を一意に表すことで、異なる言語や方言間での音声の比較を容易にすることです。

IPA の歴史

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IPA は、1886年に国際音声学会 (International Phonetic Association) によって制定されました。当初は、主にヨーロッパの言語を対象としていましたが、その後、世界中の言語に対応するために拡張されました。IPA は定期的に更新され、新しい音声や記号が追加されています。

IPA の表記体系

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IPA は、子音、母音、その他の記号から構成されます。以下に、それぞれのカテゴリについて詳しく説明します。

子音

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子音は、調音位置と調音方法に基づいて分類されます。以下は、主要な子音のカテゴリとその例です。

IPA 子音マトリックス
調音方法 \ 調音位置 両唇音 唇歯音 歯音 歯茎音 後部歯茎音 硬口蓋音 軟口蓋音 口蓋垂音 咽頭音 声門音
破裂音 p b t d k ɡ q ɢ ʔ
鼻音 m ɱ n ɲ ŋ ɴ
ふるえ音 r
はじき音 ɾ
摩擦音 ɸ β f v θ ð s z ʃ ʒ ç ʝ x ɣ χ ʁ ħ ʕ h ɦ
側面摩擦音 ɬ ɮ
接近音 β̞ ʋ ɹ j ɰ
側面接近音 l ʎ ʟ
表の凡例
  1. 調音位置:
    • 両唇音: 上下の唇を使って調音される音(例: /p/, /b/)。
    • 唇歯音: 下唇と上歯を使って調音される音(例: /f/, /v/)。
    • 歯音: 舌先と上歯を使って調音される音(例: /θ/, /ð/)。
    • 歯茎音: 舌先と歯茎を使って調音される音(例: /t/, /d/, /s/, /z/)。
    • 後部歯茎音: 舌先と歯茎の後部を使って調音される音(例: /ʃ/, /ʒ/)。
    • 硬口蓋音: 舌前部と硬口蓋を使って調音される音(例: /ç/, /ʝ/)。
    • 軟口蓋音: 舌後部と軟口蓋を使って調音される音(例: /k/, /ɡ/, /x/, /ɣ/)。
    • 口蓋垂音: 舌後部と口蓋垂を使って調音される音(例: /q/, /ɢ/, /χ/, /ʁ/)。
    • 咽頭音: 咽頭を使って調音される音(例: /ħ/, /ʕ/)。
    • 声門音: 声門を使って調音される音(例: /ʔ/, /h/, /ɦ/)。
  2. 調音方法:
    • 破裂音: 閉鎖を作り、それを解放することで生じる音(例: /p/, /t/, /k/)。
    • 鼻音: 口腔内の閉鎖を作り、鼻腔を通して音を出す音(例: /m/, /n/, /ŋ/)。
    • ふるえ音: 舌や唇を振動させて生じる音(例: /r/)。
    • はじき音: 舌を一度だけ弾いて生じる音(例: /ɾ/)。
    • 摩擦音: 狭められた声道を通る気流が摩擦を起こす音(例: /f/, /s/, /ʃ/)。
    • 側面摩擦音: 舌の側面から気流が流れる摩擦音(例: /ɬ/, /ɮ/)。
    • 接近音: 声道が狭められるが、摩擦が生じない音(例: /j/, /w/)。
    • 側面接近音: 舌の側面から気流が流れる接近音(例: /l/, /ʎ/)。
表の使用例
  • /p/: 英語の "pat" の最初の音。
  • /t/: 英語の "top" の最初の音。
  • /k/: 英語の "cat" の最後の音。
  • /s/: 英語の "see" の最初の音。
  • /ʃ/: 英語の "ship" の最初の音。
  • /m/: 英語の "man" の最初の音。
  • /l/: 英語の "light" の最初の音。
  • /j/: 英語の "yes" の最初の音。

母音

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以下は、International Phonetic Alphabet (IPA) の母音を表すマトリックスです。この表は、舌の位置(前舌・中舌・後舌)と舌の高さ(高・中高・中・中低・低)に基づいて母音を分類しています。さらに、唇の丸め具合(非円唇・円唇)も区別しています。各セルには、対応するIPA記号とその音声の例を示しています。

IPA 母音マトリックス

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非円唇母音
舌の高さ \ 舌の位置 前舌 中舌 後舌
i ɨ ɯ
中高 e ɘ ɤ
ɛ ə ʌ
中低 æ ɐ ɔ
a ɑ
円唇母音
舌の高さ \ 舌の位置 前舌 中舌 後舌
y ʉ u
中高 ø ɵ o
œ ɔ
中低
ɒ
表の凡例
  1. 舌の位置:
    • 前舌: 舌が前の方に位置する母音(例: /i/, /e/)。
    • 中舌: 舌が中央に位置する母音(例: /ə/, /ɘ/)。
    • 後舌: 舌が後ろの方に位置する母音(例: /u/, /o/)。
  2. 舌の高さ:
    • : 舌が口蓋に近い位置にある母音(例: /i/, /u/)。
    • 中高: 舌がやや高い位置にある母音(例: /e/, /o/)。
    • : 舌が中間の高さにある母音(例: /ɛ/, /ɔ/)。
    • 中低: 舌がやや低い位置にある母音(例: /æ/, /ʌ/)。
    • : 舌が最も低い位置にある母音(例: /a/, /ɑ/)。
  3. 唇の丸め具合:
    • 非円唇: 唇が丸まっていない母音(例: /i/, /e/)。
    • 円唇: 唇が丸まっている母音(例: /y/, /u/)。

表の使用例

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非円唇母音

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  • /i/: 英語の "see" の母音。
  • /e/: スペイン語の "café" の母音。
  • /ɛ/: 英語の "bed" の母音。
  • /æ/: 英語の "cat" の母音。
  • /a/: 日本語の「あ」の母音。
  • /ɨ/: ロシア語の "ты" の母音。
  • /ɯ/: 日本語の「う」の母音(非円唇)。
  • /ə/: 英語の "about" の母音(シュワー)。
  • /ʌ/: 英語の "cup" の母音。
  • /ɑ/: 英語の "father" の母音。

円唇母音

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  • /y/: フランス語の "tu" の母音。
  • /u/: 英語の "food" の母音。
  • /ø/: フランス語の "peu" の母音。
  • /o/: スペイン語の "todo" の母音。
  • /œ/: フランス語の "peur" の母音。
  • /ɔ/: 英語の "thought" の母音。
  • /ɒ/: イギリス英語の "lot" の母音。

母音の三角形

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母音の位置関係を視覚的に理解するために、以下のような「母音の三角形」がよく用いられます。

円唇母音
前舌 中舌 後舌
i ɨ ɯ
y ʉ u
中高 e ɘ ɤ
ø ɵ o
ɛ ə ʌ
œ ɔ
中低 æ ɐ ɔ
a ɑ

その他の記号

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IPA には、子音や母音以外にも、音声の特徴を表すためのさまざまな記号があります。以下は、その一部です。

その他の記号
記号 説明
ˈ 強勢 (ストレス)
ˌ 副強勢
ː 長音
ˑ 半長音
̆ 短音
̃ 鼻音化

IPA の使用例

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以下に、IPA を使用した具体的な例を示します。

例1: 英語の単語

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  • "cat": /kæt/
  • "dog": /dɒɡ/
  • "bird": /bɜːrd/

例2: 日本語の単語

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  • "さくら": /sakɯɾa/
  • "にほん": /ɲihoɴ/
  • "こんにちは": /koɴɲitɕiwa/

例3: フランス語の単語

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  • "bonjour": /bɔ̃ʒuʁ/
  • "merci": /mɛʁsi/
  • "paris": /paʁi/


他単語・他言語の例についてはこちらも参照。

日本語の五十音をIPAで表記

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以下は、日本語の五十音International Phonetic Alphabet (IPA) で表記したものです。日本語の音韻体系は、子音と母音の組み合わせで構成されており、特に「タ行」や「サ行」など、同じ行内で異なる子音が使われる場合があります。そのため、各音を正確にIPAで表記するために、調音位置や調音方法を考慮しています。

清音

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清音
あ段 い段 う段 え段 お段
あ行 /a/ /i/ /ɯ/ /e/ /o/
か行 /ka/ /ki/ /kɯ/ /ke/ /ko/
さ行 /sa/ /ɕi/ /sɯ/ /se/ /so/
た行 /ta/ /tɕi/ /tsɯ/ /te/ /to/
な行 /na/ /ɲi/ /nɯ/ /ne/ /no/
は行 /ha/ /çi/ /ɸɯ/ /he/ /ho/
ま行 /ma/ /mi/ /mɯ/ /me/ /mo/
や行 /ja/ - /jɯ/ /je/ /jo/
ら行 /ɾa/ /ɾi/ /ɾɯ/ /ɾe/ /ɾo/
わ行 /ɰa/ - - - /ɰo/

濁音

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濁音
あ段 い段 う段 え段 お段
が行 /ɡa/ /ɡi/ /ɡɯ/ /ɡe/ /ɡo/
ざ行 /za/ /ʑi/ /zɯ/ /ze/ /zo/
だ行 /da/ /dʑi/ /dzɯ/ /de/ /do/
ば行 /ba/ /bi/ /bɯ/ /be/ /bo/
ぱ行 /pa/ /pi/ /pɯ/ /pe/ /po/

拗音

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濁音
や段 ゆ段 よ段
きゃ行 /kʲa/ /kʲɯ/ /kʲo/
しゃ行 /ɕa/ /ɕɯ/ /ɕo/
ちゃ行 /tɕa/ /tɕɯ/ /tɕo/
にゃ行 /ɲa/ /ɲɯ/ /ɲo/
ひゃ行 /ça/ /çɯ/ /ço/
みゃ行 /mʲa/ /mʲɯ/ /mʲo/
りゃ行 /ɾʲa/ /ɾʲɯ/ /ɾʲo/
ぎゃ行 /ɡʲa/ /ɡʲɯ/ /ɡʲo/
じゃ行 /ʑa/ /ʑɯ/ /ʑo/
びゃ行 /bʲa/ /bʲɯ/ /bʲo/
ぴゃ行 /pʲa/ /pʲɯ/ /pʲo/

特殊音

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特殊音
IPA 表記
/ɴ/ または /N/ (後続音によって変化)
/Q/ (促音)
/ː/ (長音)
表の解説
  1. 母音:
    • 日本語の母音は、/a/, /i/, /ɯ/, /e/, /o/ の5つです。
    • 「う」は非円唇母音 /ɯ/ で表記されます。
  2. 子音:
    • か行: /k/ は軟口蓋破裂音です。
    • さ行: /s/ は歯茎摩擦音、/ɕ/ は硬口蓋摩擦音です。
    • た行: /t/ は歯茎破裂音、/tɕ/ は硬口蓋破擦音、/ts/ は歯茎破擦音です。
    • な行: /n/ は歯茎鼻音、/ɲ/ は硬口蓋鼻音です。
    • は行: /h/ は声門摩擦音、/ç/ は硬口蓋摩擦音、/ɸ/ は両唇摩擦音です。
    • ま行: /m/ は両唇鼻音です。
    • や行: /j/ は硬口蓋接近音です。
    • ら行: /ɾ/ は歯茎はじき音です。
    • わ行: /ɰ/ は軟口蓋接近音です。
  3. 濁音:
    • 濁音は、清音に有声化が加わったものです。例えば、/k/ → /ɡ/, /s/ → /z/ など。
  4. 拗音:
    • 拗音は、子音と /j/ の組み合わせで表されます。例えば、/kʲa/ は「きゃ」です。
  5. 特殊音:
    • : 後続音によって /ɴ/, /m/, /n/, /ŋ/ などに変化します。
    • : 促音は /Q/ で表されます。
    • : 長音は /ː/ で表されます。

使用例

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  • かきくけこ: /ka ki kɯ ke ko/
  • さしすせそ: /sa ɕi sɯ se so/
  • たちつてと: /ta tɕi tsɯ te to/
  • はひふへほ: /ha çi ɸɯ he ho/
  • らりるれろ: /ɾa ɾi ɾɯ ɾe ɾo/
  • がぎぐげご: /ɡa ɡi ɡɯ ɡe ɡo/
  • ざじずぜぞ: /za ʑi zɯ ze zo/
  • だぢづでど: /da dʑi dzɯ de do/
  • ぱぴぷぺぽ: /pa pi pɯ pe po/
  • きゃきゅきょ: /kʲa kʲɯ kʲo/
  • しゃしゅしょ: /ɕa ɕɯ ɕo/
  • ちゃちゅちょ: /tɕa tɕɯ tɕo/

この表は、日本語の五十音をIPAで正確に表記するためのガイドです。各音の調音位置や調音方法を理解することで、発音の違いを明確にすることができます。

日本語には地域によって発音やアクセントが異なる「転訛(てんか)」が多く見られます。特に「静岡」や「大阪」といった地名は、標準的な発音(正書法に基づく発音)とは異なる形で発音されることがあります。以下に、これらの地名の標準的な発音と転訛された発音を International Phonetic Alphabet (IPA) で比較し、その特徴を解説します。

地名の標準発音と転訛発音

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= 静岡(しずおか)

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  • 標準発音: /ɕizɯoka/
    • 「し」: /ɕi/(硬口蓋摩擦音)
    • 「ず」: /zɯ/(有声歯茎摩擦音)
    • 「お」: /o/(後舌円唇母音)
    • 「か」: /ka/(軟口蓋破裂音)
  • 転訛発音: /ɕizoːka/
    • 「ず」が /zɯo/ から /zoː/ に変化し、母音が短縮される傾向があります。

= 大阪(おおさか)

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  • 標準発音: /oːsaka/
    • 「お」: /oː/(長音の後舌円唇母音)
    • 「さ」: /sa/(歯茎摩擦音)
    • 「か」: /ka/(軟口蓋破裂音)
  • 転訛発音: /oːsaka/ または /oːhaka/
    • 関西地方では、「さ」が /ha/ に近い音で発音されることがあります。
    • また、アクセントが平坦になる傾向があります。

= 東京(とうきょう)

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  • 標準発音: /toːkʲoː/
    • 「と」: /toː/(長音の歯茎破裂音)
    • 「きょ」: /kʲoː/(硬口蓋化された軟口蓋破裂音)
  • 転訛発音: /toːkjoː/ または /toːkjo/
    • 「きょ」が /kʲoː/ から /kjoː/ に変化し、硬口蓋化が弱まることがあります。
    • また、アクセントが平坦になる傾向があります。

= 名古屋(なごや)

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  • 標準発音: /naɡoja/
    • 「な」: /na/(歯茎鼻音)
    • 「ご」: /ɡo/(有声軟口蓋破裂音)
    • 「や」: /ja/(硬口蓋接近音)
  • 転訛発音: /naɡoja/ または /naɡojaː/
    • 名古屋弁では、語尾が伸びる傾向があります。
    • また、「ご」が /ŋo/ に近い音で発音されることがあります。

= 北海道(ほっかいどう)

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  • 標準発音: /hokkaidoː/
    • 「ほ」: /ho/(声門摩擦音)
    • 「っ」: /Q/(促音)
    • 「かい」: /kaidoː/(軟口蓋破裂音 + 長音)
  • 転訛発音: /hokkaidoː/ または /hokkaido/
    • 北海道では、語尾の長音が短縮されることがあります。
    • また、アクセントが平坦になる傾向があります。

転訛の特徴

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  1. 母音の短縮や変化:
    • 「ず」が「お」に近い音になる(例: 静岡 /ɕizoka/)。
    • 長音が短縮される(例: 北海道 /hokkaido/)。
  2. 子音の変化:
    • 「さ」が「は」に近い音になる(例: 大阪 /oːhaka/)。
    • 硬口蓋化が弱まる(例: 東京 /toːkjoː/)。
  3. アクセントの平坦化:
    • 標準的な高低アクセントが平坦になる傾向があります。
  4. 語尾の伸び:
    • 名古屋弁などでは、語尾が伸びる傾向があります(例: 名古屋 /naɡojaː/)。

転訛の背景

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転訛は、以下のような要因によって生じます。

  1. 地理的要因:
    • 地域ごとに異なる言語環境や歴史的背景が影響します。
    • 例えば、関西地方では古い日本語の特徴が残っていることがあります。
  2. 社会的要因:
    • 地域コミュニティ内での言語使用が、標準語とは異なる形で発展します。
    • 特に年配の話者に転訛が強く見られることがあります。
  3. 音韻的要因:
    • 発音の簡略化や、発音のしやすさが転訛を促進します。
    • 例えば、「ずお/zɯo/」を「ぞー//」と発音するのは、調音が簡単になるためです。

まとめ

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日本語の地名には、標準的な発音とは異なる転訛が多く見られます。これらの転訛は、地域ごとの歴史的・社会的背景や、発音の簡略化によって生じます。IPAを用いることで、これらの発音の違いを明確に理解し、記録することができます。転訛は、日本語の多様性を表す重要な要素であり、言語学的にも興味深い研究対象です。

IPA の学習リソース

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IPA を学ぶためのリソースは多数あります。以下は、その一部です。

  • 書籍:
    • "A Course in Phonetics" by Peter Ladefoged
    • "The Sounds of the World's Languages" by Peter Ladefoged and Ian Maddieson
  • ウェブサイト:
  • アプリ:
    • "IPA Phonetics" (iOS/Android)
    • "Sounds: The Pronunciation App" (iOS/Android)

参考文献

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  1. International Phonetic Association. (1999). *Handbook of the International Phonetic Association: A guide to the use of the International Phonetic Alphabet*. Cambridge University Press.
  2. Ladefoged, P. (2001). *A Course in Phonetics*. Harcourt College Publishers.
  3. Ladefoged, P., & Maddieson, I. (1996). *The Sounds of the World's Languages*. Blackwell Publishing.

このハンドブックは、IPA の基本を理解し、実際に使用するためのガイドとして役立つことを目的としています。IPA を学ぶことで、世界中の言語の音声をより深く理解し、正確に記録・分析することができるようになります。