中学校社会 公民/自由権

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

基本的人権と自由権[編集]

基本的人権は、おおまかに 自由権(じゆうけん)、 平等権(びょうどうけん) 、 社会権(しゃかいけん) などの権利に分けられる。

このうち、自由権は大まかには身体の自由精神の自由経済活動の自由に分かれます。

自由権[編集]

身体の自由[編集]

犯罪をして逮捕されるときなどをのぞけば、体を不当に拘束されない、という権利です。 日本国憲法では、

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」(第31条)

という言い方をしています。

生命を法によらなければ奪われない権利と合わせて「生命・身体の自由」と言われています。

法律によらなければ、逮捕はされません。(第33条) 警察官が逮捕をする場合も、裁判官の発行する令状(逮捕令状)が必要になります。[1]  逮捕された場合でも、裁判をすぐに受ける権利があります。(第37条) 

また、裁判とも関連して、憲法の条文では、取り調べでの自白の強要はゆるされていないというような定めがあり、自白のみを証拠にする場合には裁判の判決で処罰を下すことはできないことが定められています。被告人には不都合なことを黙る黙秘権(もくひけん)もあります。


また、「身体の自由」は、奴隷的な拘束を禁じた義務でも、あります。

精神の自由[編集]

どのような考えを持っていても、少なくとも法律では、その考えを持つだけでは罰しない、ということに、憲法では、なっています。

精神の自由には、思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由や、学問の自由 などがあります。

  • 思想・良心の自由

どのような政治信条を持っていたり人生観を持っていようが、法律では罰されません。 また、何を正義と思おうが、思うだけなら罰されません。

ただし、思うだけでなく、実際に行動にうつせば、もし、その行動が法律に違反していれば、当然、取り締まりを受けます。


また、役所以外が、特定の考えを批判しても、べつに思想の自由を侵害したことになりません。 たとえば、政治の政党は、当然、政党ごとに政治信条がちがってきます。ですが、たとえ政党が別の政党の政治信条を批判したところで、それはべつに憲法違反になりません。

あなたの父母などの保護者が、あなたの考えを批判しても、保護者は憲法違反になりません。


学校などの場合、生徒の考えが道徳に違反している場合、先生が生徒の考えを批判する場合もあります。

厳密(げんみつ)に考えれば、たとえ子供であっても精神の自由があるのですが、教育上の理由から、生徒の考えが明らかに社会道徳にさからっている場合には、慣習的に教育者は生徒をしかることも、社会的には、ゆるされています。


  • 表現の自由

どんな考えを発表しても、その主張が侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などを目的とした違法な主張で無い限りは、発表をしたことで刑罰や取り締まりを受けない、・・・と一般に考えられており、これを「表現の自由」と言います。


日本国憲法と「表現の自由」と侮辱・脅迫

(※ 範囲外)

日本国憲法そのものの表現の自由に関する条文には、侮辱・脅迫などの例外規定はない。憲法では、表現の自由について、単に

第二十一条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

とだけ書いてある。だが、現実の社会においては、主張に侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などの違法な主張があれば、警察などによって取り締まられている。

例えば、もしも「○○(実在の人名)を殺してしまえ。」(犯罪の指示)とか「△△しないと、○○(実在の人名・地名など)を襲撃するぞ。」(脅迫)とか言ったり発表したりすれば、その人は、取り締まりを受ける場合もある。

なので、wikibooksでは「表現の自由」について「どんな考えを発表しても、その主張が侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などの違法な主張で無い限りは、発表をしたことで刑罰や取り締まりを受けない、」のように説明した。


もちろん、推理小説とかで作中の殺人犯とかが、「○○を殺す。」と言っても、脅迫を目的とした小説ではないので、取り締まりは受けないだろう。同様に、歴史小説とかで源頼朝が「平家を滅ぼす。」などと言ったとしても、その小説の作者は取り締まりは受けないだろう。

だが、もしも、単に現代の一般人が「○○(実在の人名)を殺せ。」などと言ったりすれば、当然、刑法などによって取り締まりを受ける。

検定教科書によっては、「侮辱や脅迫」などの例外については説明せず、単に「どんな考えを説明しても、取り締まりを受けない」などと説明する場合もありうる。中学生徒は、定期テストのため、答案は、自校で採用している検定教科書に合わせよう。



  • 信教(しんきょう)の自由

キリスト教を信じようが、仏教を信じようが、神道を信じようが、あるいは自分で作った宗教を信じようが、または、宗教を信じないとしても、法律では罰されません。つまり、どんな宗教を信じても、あるいは、宗教を信じないとしても、それは自由であるということです。


なお、キリスト教の教会が、教会の中で仏教など他教の儀式を禁じようが、それは信教の自由をやぶったことになりません。国や法律以外のことについては、憲法による信教の自由は関与しません。

ある宗教の信者が、その宗教をやめたいと思ったら、教団の側は、信者が信仰をやめて宗教から抜ける自由をみとめなければ、ならないでしょう。また、たとえ、親や学校の教師だとしても、あなたに特定の宗教を強要したり、あるいは、特定の宗教を信仰しないように強要することはできません。

また、政府と宗教とは分離されています。(政教分離) 原則として日本では、政府が特定の宗教を保護することは禁じられています。ただし、裁判の判例では、例外として、宗教的文化財への補助や宗教系私立学校への補助などを許しています。

また、外部的行為を伴う宗教行為は、他者の人権と衝突する可能性がある以上、信教の自由の保障は無制限ではない。

加持祈祷事件
事件:ある僧侶Aは、精神異常者Bの母親に頼まれて、Bの平癒のための加持祈祷(仏教に関連する宗教行為)として、Bを縛り線香の火で煙らせ背中を殴りつけるといった暴行を加え、Bを死に至らしめた。

判旨:精神異常者の平癒のために加持祈祷が宗教行為としてなされても、それが他人の生命、身体等に危害を及ぼすものであり、それによってBが死亡した以上、信教の自由の保障の限度を逸脱したものであり、Aの加持祈祷行為は傷害致死罪に当たる。


  • 範囲外: 学問の自由

憲法の保障する『学問の自由』とは、具体的に何のことかと言うと、通説では、おもに大学の自治のこととされています。(※ 日本の大学入試センター試験でも、この見解である。そういう出題がされている。)つまり、小学校・中学校・高校は、対象になっていません。

経済活動の自由[編集]

職業選択の自由などがあります。近代よりも昔は、人々は身分のしばりがあって、自由に職業を選ぶことが出来ませんでした。職業選択の自由では、そのような職業を選ぶ際の制限をなくしています。(第22条)


ただし、どんな仕事も、お金を払う客がいないと成り立たないので、かならずしも、ある職業を目指したからと、その職業になれるとはかぎりません。

たとえばプロのボディビルダーを目指しても、その職業につける人は少ないでしょう。

職業選択の自由は、その職業になれることまでは、保証しません。職業選択の自由が保証するのは、ある職業を目指しても、法律では、その目標が禁止されることはない、ということです。

ただし医者や弁護士のように、その仕事につくのに免許などの資格が必要な仕事もあります。


  • 居住(きょじゅう)・移転(いてん)の自由

原則的に、どこの地域にも引越しができて、住所をかえることができます。明治よりも前の、江戸時代では、人々は自由には移り住むことが出来ませんでした。明治時代になって、こういった引越しをさまたげる制限は、なくなりました。


ただし未成年(みせいねん)の子供は、親など親権者の許可がなくては、引越しはできません。

なお、未成年者とは18歳未満の人のことである(民法4条) 。
  • 財産権(ざいさんけん)

自分の財産をもてる権利と、その財産が不当におかされない権利です(第29条)。むかしは、支配者が勝手に人々の財産を取り上げることがあったので、そういう不当な取り上げが出来ないようにしています。

どうしても、国が土地などの財産をゆずってほしい場合には、かわりに、たとえば国が金を払って買い取るなどの、相応の補償(ほしょう)をしなければなりません。

  1. ^ ※現行犯の場合は令状なしで逮捕できる