「高等学校古典B/漢文/送夏目漱石之伊予」の版間の差分

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== 予備知識 ==
== 予備知識 ==
正岡子規と夏目漱石とは、友人どうし。
正岡子規と夏目漱石とは、高等学校の同級生として知り合って以来の友人どうし。


これから夏目漱石が学校教師として愛媛県の松山中学(まつやま ちゅうがく)に赴任(ふにん)する、東京にいる正岡子規とは、離れ離れになる
明治28年4月、学校教師として愛媛県の松山中学(まつやま ちゅうがく)に赴任(ふにん)夏目漱石はその年の暮れに見合いのため東京に戻った。その際に正岡子規の家を訪問した


『夏目漱石の伊予に之くを送る』は、正岡が夏目に送詩である。正岡子規の故郷は愛媛(えひめ)県なので、正岡子規は、夏目漱石の赴任先の実情をよく知っているので、そのことが詩の内容にも表れている。
『夏目漱石の伊予に之くを送る』は、明けて愛媛県松山に帰る夏目に正岡がった詩である。正岡子規の故郷は愛媛(えひめ)県なので、正岡子規は、夏目漱石の赴任先の実情をよく知っているので、そのことが詩の内容にも表れている。


== 現代語訳 ==
== 現代語訳 ==
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「おくれるな」。
「おくれるな」。
「莫〜」で禁止を表す。
「莫〜」で禁止を表す。

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2021年3月14日 (日) 10:22時点における版

予備知識

正岡子規と夏目漱石とは、高等学校の同級生として知り合って以来の友人どうし。

明治28年4月、学校教師として愛媛県の松山中学(まつやま ちゅうがく)に赴任(ふにん)した夏目漱石は、その年の暮れに見合いのため東京に戻った。その際に正岡子規の家を訪問した。

『夏目漱石の伊予に之くを送る』は、年が明けて愛媛県松山に帰る夏目に正岡が送った詩である。正岡子規の故郷は愛媛(えひめ)県なので、正岡子規は、夏目漱石の赴任先の実情をよく知っているので、そのことが詩の内容にも表れている。

現代語訳

行きたまえ、三千里のかなたへ。

君を送ると、夕暮れの寒さが生じる。

空には大きな山(=富士山)が懸かり、

海(= 瀬戸内海? 太平洋?)の果てには大きな波が起きる。

(伊予のような)僻地には、友人との付き合いも少なく、

(学校の)いたずらっ子は、教えるのが難しいだろう。

(四月の)清明(せいめい)のころに、また会おう。

遅れるなよ、遅咲きの花(=桜?)が散ってしまわないように。

書き下し文

夏目漱石の伊予に之くを送る (なつめそうせきのいよにゆくをおくる)

正岡子規(まさおか しき)


去けよ(ゆけよ) 三千里(さんぜんり)
君(きみ)を送れば(おくれば)暮寒(ぼかん)生(しょう)ず
空中(くうちゅう)に大岳(たいがく)懸かり(かかり)
海末(かいばつ)に長瀾(ちょうらん)起こる(おこる)
僻地(へきち) 交遊(こうゆう)少なく(すくなく) {あるいは「少に」(まれに)とも読む}
狡児(こうじ) 教化(きょうか)難し(かたし)  {あるいは「難からん」(かたからん)とも読む}
清明(せいめい) 再会(さいかい)を期(き)す
後るる(おくるる)莫かれ(なかれ)晩花(ばんか)の残はるる(そこなわるる)に

原文

送夏目漱石之伊予


去矣三千里
送君生暮寒
空中懸大岳
海末起長瀾
僻地交遊少
狡児教化難
清明期再会
莫後晩花残

語彙

僻地(へきち) - 辺鄙(へんぴ)な田舎(いなか)。
長瀾(ちょうらん)-長く連なる波。
教化(きょうか) - 教育して感化(かんか)させる。
再会(さいかい) -再び会うこと。
期す(きす) -約束する。

語釈

伊予(いよ) - 今の愛媛県(えひめけん)。
狡児(こうじ) -いたずらっ子。
清明(せいめい) - 四月の清明節。二人の状況から考えるに、春休みのことだろう。
-

読解

  • 暮寒(ぼかん)生(しょう)ず

文字通り読めば、夕暮れの寒さが生じることであるが、ここでは漱石を見送ることの寂しさを例えたのだろうと、参考書などでは一般的に解釈されている。

形式

五言律詩

寒・瀾・難・残

対句

  • 空中懸大岳 ⇔ 海末起長瀾
空中 ⇔ 海末
懸 ⇔ 起
大岳 ⇔ 長瀾

というふうに、対句的になっている。

句法

  • 莫後(おくるるなかれ)

「おくれるな」。 「莫〜」で禁止を表す。