高等学校古文/散文・説話/故事成語

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苛政は虎よりも猛なり[編集]

白文と書き下し文[編集]

孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聴之、使子路問之曰、子之哭也、壱似重有憂者。而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何為不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。

孔子泰山(たいざん)(かたはら)を過ぐ。婦人墓に(こく)する者有りて哀しげなり。夫子(ふうし)1(しょく)2して之を聴き、子路3をして之に問はしめて曰く、子の哭するや、(いつ)に重ねて憂ひ有る者に似たり、と。(すなは)ち曰く、然り。昔者(むかし)吾が(しうと)虎に死し、吾が夫又(これ)に死し、今吾が子又(これ)に死せり、と。夫子曰く、何為(なんす)れぞ去らざるやと。曰く、苛政(かせい)4無ければなり、と。夫子曰く、小子(しやうし)5之を(しる)せ、苛政は虎よりも猛なりと。

(『礼記』より)

  1. 夫子:先生や年長者への敬称。ここでは孔子のこと。
  2. 式:「軾」と同じ。馬車の前面の横木に手を載せて、上体をかがめて敬礼すること。
  3. 子路:孔子の弟子・仲由の字(あざな)。孔子より9歳下で、弟子たちの中では年長。
  4. 苛政:人々を苦しめる政治。特に厳しい租税や賦役を指す。
  5. 小子:門下生や弟子への呼びかけ。

重要表現[編集]

  • 使子路問之:子路をして之に問はしめて
使AヲシテB:「AにBさせる」の意味。
  • 何為不去也:何為れぞ去らざるやと。
何為レゾ~也:「なんすレゾ~ヤ」と読む。「どうして~か」という疑問形。

現代語訳[編集]

孔子が泰山のそばを通った。墓のところで声を上げて泣く婦人がいて、(その様子は)悲しげだった。先生は車の横木に手をついて丁寧に礼をしてその声を聴いて、子路に(伝言して)そのわけを質問させた。(質問内容は以下の通り)「あなたが声を上げて泣く様子は重ね重ねの悲しみがおありのようです。」そうしたら(その婦人は)言った。「そうです。昔、私の舅が虎によって死に、私の夫もまた(虎によって)死に、今度は私の子が(虎によって)死にました。」先生は「どうして(危険なこの場所を)立ち去らないのですか」と言った。(婦人は)「ひどい政治がないからです」と言った。先生は「おまえたち、このことをよく覚えておきなさい。ひどい政治は虎よりも恐ろしいのだ」と言った。

解説[編集]

中国において虎は最強の動物とされてきた。そんな虎よりも獰猛(または恐ろしい)のが厳しい政治だという話である。

朝三暮四[編集]

白文と書き下し文[編集]

宋有狙公者。愛狙養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。俄而匱焉。将限其食、恐衆狙之不馴於己也。先誑之曰、与若芧、朝三而暮四、足乎。衆狙皆起而怒。俄而曰、与若芧、朝四而暮三、足乎。衆狙皆伏而喜。

1狙公(そこう)2なる者有り。()を愛し之を養ひて群を成す。能く狙の意を解し、狙も亦た公の心を得たり。其の家口(かかう)3を損して、狙の欲を充たせり。(には)かにして(とぼ)し。将に其の食を限らんとし、衆狙(しゅうそ)の己に馴れざらんことを恐る。 先ず之を(あざむ)きて曰く、(なんぢ)(とち)4を与ふるに、朝に三にして暮に四にせん、足るかと。衆狙皆起ちて怒る。俄かにして曰く、若に芧を与ふるに、朝に四にして暮に三にせん、足るかと。衆狙皆伏して喜べり。

(『列子より』)

  1. 宋:春秋時代の国の一つ。
  2. 狙公:「狙」はサルのこと。狙公はサルを飼う人・サルまわしのこと。しかし、職業を人名のようにすることがあるため、「狙公」を普通の名前のようにしてもよい。
  3. 家口:家族が口にする食物。
  4. 芧:トチ。トチの実はドングリとは異なるが、現代語訳のときには「ドングリ」と訳すことがある。

重要表現[編集]

  • 狙亦得公之心:狙も亦た公の心を得たり。
亦:この字を単独で使うと「同様に」の意味。「まタ」と読むが意味の異なる字が多いので注意したい。
  • 将限其食:将に其の食を限らんとし~。
将:「まさニ~(セント)ス」と読む再読文字。意味は「ちょうど~しようとする」。

現代語訳[編集]

宋に狙公という者がいた。(彼は)サルを愛して養い(増えていき)群れをなしていた。(狙公は)よくサルの心がわかり、サルもまた狙公の気持ちがわかった。(狙公は)自分の家族の食事を減らしても、サルの食欲を満足させた。(ところが)突然、貧乏になった。(そこで)サルの食事を減らそうとしたが、サルたちが自分になじまなくなることを恐れた。まず、サルをだまそうとして言った。「お前たちにトチの実を与えるのに、朝は三つ、夕方に四つにしよう。足りるか。」サルたちはみんな立ち上がって怒った。(そこで彼は)急に(言葉を変えて)言った。「(では) お前たちにトチの実を与えるのに、朝は四つ、夕方に三つにしよう。足りるか。」サルたちはみんなひれ伏して喜んだ。

解説[編集]

朝少ないと損をした気分になるが、朝を増やして夜を減らせば一緒である。このことに気がつかないのが、猿知恵といえよう。さて、この故事成語「朝三暮四」だが、狙公の立場とサルの立場とで意味が異なる。

  1. つまらない技で人をだますこと。
  2. 目の前の差に惑わされて、変化が無い・本質が同じことに気がつかないこと。

狙公の立場なら前者、サルの立場なら後者の意味で取れる。どちらも用法は正しい。

舟に刻みて剣を求む[編集]

白文と書き下し文[編集]

楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽刻其舟曰、是吾剣之所従墜也。舟止。従其所契者、入水求之。舟已行矣。而剣不行。求剣若此、不亦惑乎。

楚人(そひと)(こう)1(わた)る者有り。其の剣、舟中(しやうちゅう)より水に()つ。(には)かに其の舟に(きざ)みて曰く、()()が剣の()りて墜ちし所なり、と。舟止まる。其の契みし所の者従り、水に入りて之を求む。舟は(すで)に行けり。(しか)るに剣は行かず。剣を求むること此くの若し。()た惑いならずや。

(『呂氏春秋』より)

  1. 江:長江のこと。

重要表現[編集]

  • 不亦惑乎:亦た惑いならずや。
ナラ乎:反語的な詠嘆。意味は「なんと~ではないか。」

現代語訳[編集]

楚の国の人で長江を渡る人がいた。彼の剣が舟から水中に落ちた。(その人は)急いで船に目印の傷をつけて、「ここが私の剣が落ちたところである」と言った。船が止まった。舟に目印を刻んだところから水の中に入って剣を探した。船はもう行ってしまった。しかるに剣は動かない。剣を探すのにこんなことをする。なんと道理のわからぬ(間抜けな)ことではないか。

解説[編集]

この話は古いものにしがみつき、時代の変化を理解しない者への皮肉である。舟にたとえられているのは時代である。『韓非子』と同様に、古代の政治を理想とし、手本とする儒家を批判した側面もある。

塞翁が馬[編集]

白文と書き下し文[編集]

近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、此何遽不能為禍乎。家富良馬(又作“家有良馬”),其子好騎、墮而折其髀。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

塞上(さいじょう)1に近きの人に、術を()くする者有り。馬、故無くして()げて()2に入る。人皆之を(とむら)ふ。其の()3曰く、此れ何遽(なん)ぞ福と()らざらんやと。()ること数月、其の馬、胡の駿馬(しゅんめ)(ひき)いて帰る。人皆之を()す。其の父曰く、此れ何遽ぞ(わざわひ)と為る能わざらんやと。家良馬に富む。其の子、騎を好み、堕(お)ちて其の()4を折る。人皆之を弔う。其の父曰く、此れ何遽ぞ福と為らざらんやと。居ること一年、胡人(こひと)大いに塞に入る。丁壮(ていそう)なる者は弦5を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十に九。此れ独り()6の故を以て、父子相保つ。故に福の禍と為り、禍の福と為るは、()7(かきわ)8む可からず、(しん)9(はか)10る可からざるなり。

(『淮南子』より)

  1. 塞:とりで。
  2. 胡:北に住む異民族の支配する土地。「胡人」はそこに住む異民族。彼らは当時の中国では野蛮人とみなされていた。
  3. 父:「ホ」と読む場合には老人の意味。「フ」と読んだら「父親」の意味。
  4. 髀:股(もも)の骨。
  5. 弦:弓のつる。
  6. 跛:足の悪いこと。
  7. 化:物事の変化の不思議さや巧さ。
  8. 極む:ここでは人間の知恵で知り尽くすこと。
  9. 深:物事の変化の奥深さ。
  10. 測る:予測する。

重要表現[編集]

  • 何遽不為福乎:何遽(なん)ぞ福と為(な)らざらんや。
何遽~乎:「なんゾ~や」と読む。反語表現で「どうして~だろうか、いや~ではないのだ」という意味。
  • 以跛之故:跛(は)の故を以て
~(之)故:「~の故を以て」(「~を以ての故に」とする場合もある)。理由を挙げる表現。

現代語訳[編集]

とりでの近くに占いの上手な人がいた。(その人の)馬がなぜか逃げ出して北の蛮地へ入ってしまった。人々はこのひとをなぐさめた。(しかし)その老人は「これがどうして福にならないだろうか」と言った。数ヵ月後、その馬は蛮地の良い馬を連れて帰ってきた。人々はこの人にお祝いを言った。(しかし)その老人は「これがどうして災いにならないだろうか」と言った。老人の子は乗馬を好み(にしていたが)、転落して足の骨を折った。人々はこのひとをなぐさめた。(しかし)その老人は「これがどうして福にならないだろうか」と言った。それから一年たって、北方の蛮族の大軍がとりでに攻め込んだ。若者たちは弓を持って戦い、とりでに近い(若い)人で死んだ者は十人の内九人であった(つまり若者の90%が死んだ)。この息子だけは足が不自由だったため親子ともに無事だった。こうしたことから福が災いとなり、災いが福になるのを見極めることはできず、(変化の)奥深さを推測することはできないのだ。

解説[編集]

ここに出る老人は目先の幸不幸に惑わされない。常に幸福が不幸に、不幸が幸福に変化するという世の中の不思議さに注目していたからだろうか。

なお、ここから生まれた故事成語「塞翁が馬」は「人間万事塞翁が馬」ということもある。人生ではどのようなことで幸福と不幸が入れ替わるかわからないということである。ただ、特に悪いことが良いことに変わるときに使うことが多いようである。