Lojban For Beginners 日本語訳/直接引用はしない言い方

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

直接引用はしない言い方


前の課の「『ジョティスは「こんにちは」と私に言った』とランジットは言った。」の文は、以下のように、直接引用をしなくても言えます。

la ranjit. pu cusku le sedu'u la djiotis. pu rinsa ry.
「ランジットは( x1 )言った、ジョティスが( x1 )挨拶した、ランジットに( x2 )、と( x2 )。」
「ジョティスが自分に挨拶した、とランジットは言った。」

ここに出てきた sedu'u とは何でしょう?その説明の前に du'u を見ましょう。du'u は、論理学的には「命題」を意味します。「 x が真である観念」ということですが、日常的に言えば、「~ということ」です。du'u は nu の仲間で、文法的に同じように使われます。しかし意味は若干違います。nu 「~ということ」は、実際に起きる出来事を指しますが、 du'u 「~ということ」は考えること、知っていることの時に使います。どちらを使うのが通常かは、普通、どの selbri を使うかにより、決まっています。

注:今まで du'u とするべきところで、初心者のために nu を使って単純化してしまった所が本書にはあります。申し訳ありませんが、それらの例はご自分では繰り返さずに、これからは du'u を使うようにして下さい。

では、ここではなぜ sedu'u であって du'u ではないのでしょう?それは、知ることや、覚えることや、信じることは、頭の中にあることですが、口に出して言うことは、頭の中にあることというよりは、それを表す音の連なりだからです。微妙な違いですが、これにこだわるのがロジバンです。(だからこそ論理的な言語なのですが。)

注: sedu'u の se は、あの「ひっくり返す」 se です。これについては次章で説明します。
注:ロジバンについて語られる時に、「具象化」という言葉を聞く事が多いかと思います。これは、何かを具体的な扱えるものに変えていくことです。du'u や sedu'u がするのは、それです。物理的な世界で起きることを、考えたり、発見したり、論理で扱ったりするもの、あるいは( sedu'u なら)言う言葉に変えます。

整理すると、

  • 何か起こった時には nu を使う。(実はもっと細分化して表現できますが。)
  • 何か考えることなら、 du'u を使う。
  • 何か言うことなら、 sedu'u を使う。
  • 文字通りを引用したいのなら、 lu と li'u 。

です。du'u と言うべき所で nu と言ってしまうことはよく見られます。これは誤りとなります。しかしロジバンの文法は使いづらくさせるためにあるわけではありません。これらの違いを区別せずに言う方法は用意されています。su'u を使うのです。これらは全て su'u で言い換えられます。

mi nelci lesu'u mi dotco
「私は( x1 )好きだ、私がドイツのものであることが( x2 )。」
「私は自分がドイツ人であることを気に入っている。」
mi djuno lesu'u mi dotco
「私は( x1 )知っている、私がドイツのものであることを( x2 )。」
「私は自分がドイツ人であることを知っている。」
mi cusku lesu'u mi dotco
「私は( x1 )言う、私がドイツのものである、と( x2 )。」
「私は自分がドイツ人であることを言う。」

su'u は今のところあまり使われません。かなり新しく導入された語で( du'u もそうなのですが)、人がまだ慣れていないのです。しかし区別がややこしく感じられる時もあるかと思うので、その時は、su'u を使いましょう。