憲法概論
ここでは憲法一般についての概論を述べる。
憲法の概念(憲法とは何か?)
[編集]選挙制度も「憲法」?
[編集] 日常用語として我々が「憲法」と言う時、それは一国のあらゆる法の中で最上位の基本的な法律であり、しかも「憲法」という名称を持つ特別の文書を、指していると思われる。これは法学の世界では「形式的意味における憲法」とか「憲法典」などというものである。ではそうでない憲法とは何だ?と問う方もいるだろう。実はあるのである。それがここで言う憲法の概念の問題である。
憲法は、現代日本では英語の“Constitution”の訳語とされている。“constitution”とは、辞書を繰ると「構成、構造、組織」とあるのが普通だ。「体質、体格、気質」というのもある。そして法や政治の文脈で使われると「国制、憲法」ということになる。
国制、とは聞き慣れない方も多いだろうが要するに「国の制度」である。法学、政治学の世界では細かい制度はあまり考慮せず、国の姿を大きく規定するような制度のみを「国制」として考えている。だがその境界線は、どこにあるのだろう。ハッキリとした答はない。だから国制として考える範囲は、国によっても、論者によってもいろいろである。だがまあ、国の構造として例えば自動車の左側通行などはあまり大きな意味はなさそうだ。日本の場合、自動車など殆ど無かった時代に人と車を単純に左右に分ける、という発想で成立しただけらしい。だから国制を考える際に、いちいち道路交通の諸制度は論じないのである。
だが議員の選挙制度はどうだろう。これは政党の姿にも影響を与え、それを介して現代日本の政治制度である議院内閣制の有り様、ひいては議会の運営に重大な影響を及ぼす。だから、国制を論じる時には選挙制度は欠かせないものとして普通は扱われる。実際、アメリカの憲法典(“The Constitution of the United States of America”と呼ぶ)には選挙制度がかなり細かく書き込まれている。
- ***
ところで、「憲法」という日本語の漢字2文字の概念だが、法学、政治学の世界ではこのような「国制」という意義でも使われるのである。これを「実質的意味における憲法」という。およそ国たるもの、政治のやり方は何らかであれ存在する以上、この「実質的意味における憲法」が無い国、というものは想定できない。たとえ武力クーデターで成立した独裁者の王国であれ、「その誰それという独裁者が発する命令が全てである。ただしそれ以外は従前のままの政治生活がなされる」という程度の「憲法」は存在する、と言える。はっきり言って政治体制とか政治制度、と呼んでも良い。なお、このことについてフランス革命中に国民議会が制定した人権宣言(人間と市民の権利の宣言)で、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、およそ憲法をもつものではない」と述べられていることとの関係は、次節を見られたい。
憲法の分類基準あれこれ
[編集]憲法の分類方法について、例を幾つか挙げる。
- 実質的意味における憲法と形式的意味における憲法
- これは前節で述べた通りである。
- 固有の意味における憲法と立憲的(近代的)意味における憲法
- この分類は実質的意味における憲法の下位分類であると言える。固有の意味における、とはまさに前節で述べたようなことであり、国の政治制度である以上、存在しないことは想定できない。しかし後者、立憲的意味における、とは前節の最後に述べたことと関わるのであるが、近代立憲主義の精神を付加した政治制度でなければならない、という価値判断を含んだ分類なのである。そのアピールとして、フランス人権宣言は「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、およそ憲法をもつものではない」と述べたのである。だがこれは我々の現代的感覚にしっくりとするであろう。独裁者が「私の言葉が法だ」と言って人民を抑圧して平気でいられる政治制度など、それをもって「憲法でございます」などと言われてはまさに噴飯ものというところだろう。それ位に、「憲法は、我々の人権を守り、権力者を制限するものなのだ」という精神は、現代日本では根付いているといえる。だがそうなるまでには先人たちの多大な労苦が費やされたのである。これは後に研究しよう。
- 硬性憲法と軟性憲法
- 硬性憲法とは、通常の法、制度よりも、形式化された変更手続が厳重である憲法のことである。軟性憲法とは、そうではない憲法のことである。
- 成典憲法と非成典憲法
- 成典憲法とは、単一法典に文章化された憲法ということである。成典憲法は、論理必然的に次号でいう「成文憲法」である。最古の成典憲法として前節で言及したアメリカ合衆国の憲法が有名である。非成典憲法はしかし、論理必然的に「不文憲法」とは言えないかも知れない。(イギリス憲法は単一法典になっていないが、色々な制定法が憲法を構成している。ただ、イギリスの場合、制定法以外にも幾つかの判例法や憲法的習律も憲法の一部を成していると言われており、よって成文とさえ言えない。)
- 成文憲法と不文憲法
- 意味論的憲法と規範的憲法と名目的憲法
- 意味論的憲法とは、統治の実態をただ単に書き写しただけのもの。独裁国家が、自由民主主義国家向けに体裁だけを整える時に行う便法である。規範的憲法とは、統治の実際をきちんと制限して力を発揮しているもの。ここには当然、現代に於いては立憲主義的内容としてという価値判断が入り込んでいる。以上二つは、憲法の記述と統治の実態が一致しているという客観的状況にある。それに対して名目的憲法とは、規範が現実になっていないものである。憲法に理想を書きはしたものの、実際にはそれが行われていない。果たして名目的憲法の状態と、意味論的憲法の状態と、どちらが望ましいのか。そして或る状態が意味論的憲法なのか規範的憲法なのかの画然とした区別が付くのか、かなり議論のある分類だが、おもしろい試みではある。
さて、上記各分類は相互に組み合わされ得るものである。それによって思考実験をいろいろ試してほしい。たとえば硬性なのに不文憲法ということは実際にはあり得るか?イギリスのように成文化された部分と不文の部分が混在しているのならまだしも、憲法の全てが不文である国において、硬性ということは有り得るのか?あるかも知れない。例えば或る国で統治の根本機構として何らかの会議体が設置されていたとする。その構成に重大な変更を来す改革は、無論憲法の改正であると言えるだろう。ところがその国では会議体の構成を変更するには、当該会議体の全会一致の賛同が必要だとの慣例が、鉄の掟として守られていたとすれば、不文ながら硬性ということは十分に有り得るということだ。だがそのような硬性は、いつでも守られるのだろうか?国が敗戦などの非常事態に追い込まれた時、全会一致ではなくて3分の2多数決で構成変更が実行されてしまうかも知れない。
やはり文章になっていないものはどちらかというと弱いと言えるだろう。だがしかし、という声もある。たとえ文章にしていても、敗戦のような非常事態ではそれすら破られてしまうのではないのか、と。実際、現代日本の憲法の中核をなす「日本国憲法」は、戦前の「大日本帝国憲法」の全部改正として制定されたのだが、後者の改正手続に違反したのではないのか、との疑念が今もって晴れないのである。
またこういう設題はどうか。イギリスのように文章を多数に散らしている国もあるが、そのような状態でも或る部分が憲法、つまり国の重要制度として認識されているというのは、一体どうしてだろう?道路交通制度はさすがに憲法とは言えないとしても、大臣の数は憲法でないと言えるのだろうか?すると或る程度の重みを持っており、あまりに簡単に頻繁に変えられないということが、暗黙の内に憲法たる資格の条件になっていやしないのだろうか?そういう疑問も湧いてくる。
このように憲法分類に過ぎないところから、憲法改正の限界、人権とは何か、文章化された現代憲法が縛ろうとしている対象は誰だろうか、など重大問題を考えるヒントが得られる。
本書の構成
[編集] 以上、分類学を通して憲法の概念を少し考えてみた。「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、およそ憲法をもつものではない」とのフランス人権宣言の高らかな謳い文句は、実に歴史的な産物であると理解できたであろう。しかしまた、我々の今日の感覚に最もマッチした憲法概念による言説とも思われただろう。するとそれだけでも、憲法という言葉が今日のような敬意を払われるものとなるまでには、いろいろな歴史があったのだ、と窺うことができる。
だから、憲法史を辿ることは欠かせない。それを抜きに日本国憲法の条文と判例だけを勉強すると、成果が上っ面のものになる危険性は大きい。学者や判事や、憲法訴訟の当事者は、無論このような歴史を背負い、死力を尽くして議論をしている訳だが、読者諸君自身が憲法の歴史を追体験しなければ、せっかくのそれらの議論の上澄みだけを掬い取るような勉強になりかねない。
そこで本書はこれから憲法の基礎理論を考究し、さらに人権と統治機構の各論を考究するという一般的な体裁にしているけれど、その後に日本の憲法史を書くこととした。聖徳太子の「十七条憲法」と現代日本の憲法との間の架け橋、この間の歴史、これは他ならぬ人民によって作られた憲法史である。これを簡単にでも頭に入れて置いて欲しいのである。
さらに欲を出して、主要な海外憲法史の概説にも取り組みたい。どこまで筆が進むかは分からないが、よければ諸君が引き継いでもらって、近代的意味の憲法を獲得するに至る人類の苦闘を振り返る書物に仕上げて頂ければ、幸いである。このようして初めて、現日本国憲法のたとえば前文に「人類普遍の原理」とか「人間相互の関係を支配する崇高な理想」だとか、第11条に「基本的人権は、冒すことのできない永久の権利」だとか、さらに駄目を押すように第97条に「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試練に耐へ」「永久の権利として信託された」などという、けばけばしい程の言葉を尽くして歴史の賜物であることを強調した意義も、ストンと腑に落ちるだろうというものである。
なお、日本国憲法の詳細な各論は、当ウィキブックスシリーズの日本国憲法に譲ることとする。
近代憲法の意義
[編集]人権
[編集]権力の制限
[編集]主権と「法の支配」
[編集]憲法の変動と主権
[編集]革命と憲法制定権力
[編集]修正と憲法改正権力
[編集]人権
[編集]統治機構
[編集]- 「統治」とは何か
- 機構のある統治、殆どない統治
- 法の支配
- 連邦制
- 主権者
- 「国体」と「政体」
- 王政・貴族政・民主政
- 身分制と統治機構
- 軍隊等の実力機構と人民の武装
- 統治の機能と各機構
- 立法権とその民主化
- 執行権
- 権力の分立と機能の細分化
- 裁判権
- 議会制
- 財政統制
- 裁判官の独立
- 違憲審査制
- 新しい波
- 政治への役割期待の増大と官僚制
- 参加民主主義
- 主に立法府をターゲットとしてなされたかつての民主化と異なり、政府の各部門での細かな民主化の波が、20世紀後半に起こり、今も続いている。かつての民主化が結論的に政府の全部門の終局的支配者たらんとする、いわば治者を目指す民主化であったのに対し、この細かな民主化のさざ波は、被治者の側からの日常的な政治参加であると言えよう。
- 政党制・現代の巨大権力
- 地方自治
- 非軍事化
- これからの波
- 政治の国際化と統治機構の変質?
- 経済の国際化と租税制度・統治機構への衝撃?
- 寄付金、或いは市場による政府選択、NGOとの競争・共存?
各国の憲法とその歴史
[編集]日本
[編集]憲法史
- 明治維新体制
- 戦後新憲法体制
現代日本の憲法
ギリシャの都市国家・ローマ
[編集]イギリス
[編集]フランス
[編集]ドイツ
[編集]イタリア
[編集]アメリカ合衆国
[編集]ロシア
[編集]中国
[編集]東南アジア
[編集]東欧諸国
[編集]中東のイスラム諸国
[編集]etc