新体道

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概要[編集]

新体道とは、人間の全ての能力を開発するためのシステム、および、そのシステムを開発するための考え方を指します。 その他の体技(ヨガ 武道 スポーツ ダンス)と比較した特徴は、体によって方向性を定義して、意識を体の枠を超えて型で設定した方向へ無限に変化させることです。 どのように体を使えば決まった結果が存在するという決定論が外の体技の主な考え方であるとするなら、栄光 天真五相の大基本は決定論を無くした型であるので、新体道は自らの意識を強制的に変革させる非決定論です。

歴史[編集]

創始者の青木宏之は小さいころから絵を描くことが得意で、絵画や演劇を愛好していた。大学で演劇の体力作りのために空手部に入部し、空手にのめり込んだ。  3年生の時に陸軍中野学校の武術教官であった江上茂が柔らかい空手と貫通力という概念を青木に与え、実験稽古をした結果、徐々に伝統的な松濤会スタイルの空手と稽古方法が違ってしまい独立した。  箱根にて、第一回大演習(合宿)を開き、それを正式な新体道のスタートとした。

開発趣旨[編集]

武術は人殺しのための能力開発である。しかし、平時に殺人者を養成することは良くないと考え、空手の稽古方法の中に存在する、能力開発法の平和的利用方法を模索した。そこで、技というのは一種の表現、鑑賞方法であり、情報を送受信することであるととらえ、それを全ての人間活動に応用できるシステムを作った。

思想[編集]

 新体道ないしそれを応用して開発された体技全てを天真体道と一般化して呼ぶ。そこには最新の居合システムの剣武天真流、健康滝行としての天真流自由滝行、中国書法を基盤にする天真書法などがある。

 逆に、今では新体道も天真体道と一般化して広く呼ぶ。天真体道の中の一つの基盤の体技として新体道も位置づけられる。

 さて、全ての天真体技は青木宏之師範の単独による創作体系である。その中心には天真体技の開発を通じて獲得してきた一貫した宇宙思想がある。

 体技においては革新に継ぐ革新は絶えず起こって行くが普遍にして永遠に変わらぬ宇宙哲学が全体と奥底を貫いている。

 それを天真思想と呼ぶ。

 すなわち、天真体道とは実践版の諸々の実技体系の事であり、天真思想とはその実技体系の方向性を支える哲学・理論体系の事であり、その中心を貫く宇宙哲学である。

 この天真思想は当然に天真体道の創始者青木宏之師範の稽古遍歴が反映されている。それは纏まった一つの理論体系をなしているとは言えないが、禅と同じく不立文字であり先生と共に実際に体技を学ぶ事により生きてくる思想である。どれもが体技を通して獲得してきたリアルな実践哲学となっている。

 机上の空論としての形而上学とは異にしていて、この体技を行うものがコンパスとして絶えず心の方向性を確認しながら、最短で真実在へ離脱していけるように示されている。

 天真体技と同様に、大らかにして明るくて優しい。シンプルで温かくて朗らかで澄んでいる事が特徴でもある。

 実践と理論を両輪にして学んで行くことにより、時間は大幅に節約されて誰もが最短で学べられるように懇切丁寧かつ単純明快に一般大衆へ示されている。

 実際にその効果は絶大である。

 まず天真思想には青木宏之師範が初期に熱心なプロテスタント・クリスト信者であった事から中心にパウロ神学のそれが見うけられる。

 愛と許しの徹底した実践のそれである。あるいは旧約聖書の宇宙論のそれである。

 それと共に、師の天真体技をとうしての絶対無へ離脱していったリアル体験から、それらの神学を完全に超えていくクリスト教的な絶対無の思想、純粋クリスト不二一元思想とも呼ぶべき独自性へ昇華されている。

 ナグ・ハマディで発見された初期キリスト経典であるトマスの福音書、中世クリスト思想の巨人マイスター・エックハルト、そして「この無限の空間の永遠の沈黙は私を戦慄させる」と言ったパスカルなどとも方向性は同じくである。

 とは言え、それらとは異なる。

 つまり、あらゆる宗教宗派を超えて、”からだ”をとうして真実在と一つになっていくための"道"であり生活の中で役立つ実践思想である。複雑化した現代人に示された実践的な神秘哲学である。


天真とは、真実在、真理、絶対無、ブラフマン、上智、ハギオンプネウマ、アインソフオールといったものと同一の意味である。

以下、青木師範による天真思想の解説の抜粋である。

◆◇▲△▶▷▼▽◀◁★☆◁◀▽▼▷▶△▲◇  1.無限の大宇宙(アミターバ、アミタユース、阿弥陀仏)に満ちるエネルギーは大いなる生命エネルギーで、我々は「天真」と呼んでいるが神、聖霊、気、空、無、道、ソフィア、ブラフマン、ダールマ、ハギオンプネウマ、毘盧遮那、大日如来、宇宙神などいろいろな呼び方がある。これらは全て同じものである。

2.そのエネルギーは全宇宙すなわちこの世に存在する全てのものを創り、す べてのものの中に満ち溢れている。またそれにより我々は命を与えられているのである。 それは電気のプラスマイナスから陰陽一体、磁石のN極S極一体、攻防一体、明暗一体、強弱一体、男女一体、煩悩即菩提、罪業即救い、生死即涅槃、という一見相反する力の融和から生まれるのである。と言う事は求道と社会実践も一体であると言う事である。

キリスト教でも「健やかなる者は医者を要せず。ただ病める者、これを要す。」(マルコ2:17)と言っている通りでまさに煩悩即菩提である。

聖書に依れば、キリストに或る律法学者が尋ねた。 「先生、律法の中でどの教えが最も重要でしょうか。」 イエスは言われた。「『心を尽くし,精神を尽くし,思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。 『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟にもとづいている。」(マタイ:22、36~40) 神への愛と人々への愛は同じである、すなわち天人一如であると教えているのである。

右手と左手が互いに相手を求めて一体となって一つの仕事をするように、対立しているように思えるものが一体となって働く所に新しい一つの命が生まれるのである。それがこの宇宙の大法則である。

一の中に全てがあり、全ての中に一がある。これを華厳の思想と言う。

(古人は天真と一体になる事を「造化」の妙と呼んでおり、芭蕉はそこに達した者として茶道の千利休、絵の雪舟、和歌の西行、連歌の宗祇などを挙げている。しかし芭蕉こそそこに達していた人である。だからこそ分かるのであろうが。)

(宇宙創生に関しては古代からの宇宙論としての古代インド、古代ギリシャ、キリスト教、プトレマイオス、イスラム世界,アリストテレスとヨーロッパの宇宙論等多岐にわたるが、これら愛すべき宗教的或は神話的解釈に頼らず,ビッグバン理論やインフレーション理論をしっかり勉強しておくことをすすめる。)

3.天真は全てのものの中に満ちている。しかし海辺で遊んでいて両手で水を掬って人にかける水も海水だし、大海の豊かな水も同じ海水であるように、この世にあまねく満ちている天地の気はまた人が放出したり吸収したりすることもできるのである。

4.水をバケツで受け止めるとしよう。その際受けるバケツの受け入れ方そのものが重要で、新体道も禅の結跏趺坐も、ヨガも、悔い改めも、祈りもみんなバケツに水をたっぷりと入れる為の方法なのである。バケツに水を入れる場合良い石でも悪い石でも中に入っていたら水は十分に入らない。水とは我々の大目的である天真であり、バケツへの水の入れ方とはその天真の受け止め方のことである。 カトリックのフランシスカンと対峙していたドミニカンの総帥マイスターエックハルトは、〜分かり易く言うと〜【バケツに水を一杯入れたかったら、中の石ころなどを全部捨てなさい。その石ころとは悪、怒り、殺人、嘘、嫉妬など様々な罪ばかりでなく、神への愛、祈り、誠実、服従、奉仕などのあらゆる美徳も含まれる。それらを全部捨てなさい。そうでなければ神の霊と言う水は充分に入らないではないか】と言った。 そして【我々にとって最も大切なもの(天真の生命エネルギー)は我々よりもっと我々の近くにいる】と言うすばらしいことばを残してくれた。

キリスト教は我々が心の中の罪なる一切を捨てて絶対的な愛の神キリストを受け入れる事により、キリストを体現するに至る事を迫る。 『我生きるにあらず,キリスト我にありて生きるなり。』ガラテヤ書2:20)

5.天の神の霊を100%受け止めると人は精神的に大きな自由を得る事が出来る。それはまた生まれた時に持っていた真の自由でもある。 そのようになりたかったら完全な無になりなさい、と言うことであって、バケツに水を入れることに成功するとは、禅やヨガや瞑想で言ったら大悟・大覚の位に達すると言うことである。

しかし大量の難解な経典を持って座禅、止観、瞑想、仏事、神事に努めている立派な宗教教派の人でもそこに達することの出来た人は非常に少ない。

またインド哲学であるヒンズー教も素晴らしいものがあるので、その極意を目指してヒマラヤの聖者に会いに行く人もある。私の親しい友人でヒマラヤの4000m、5000mもある氷の中で5年10年と修行して来た人が二人もいる。実に素晴らしいことである。しかしそうした方法がすべての人に解放されているとは言い難い。

6.キリスト教、イスラム教の基盤でもあるユダヤ教の聖書(旧約聖書)の密教的解釈であるカバラではあらゆる美徳の上に「神」を置き、それは「光」であるとし、「光」は「無」と一体の絶対の「有」であるとした。そしてその「有・無」の背景は「絶対無」であると言っているのである。


7.【天真体道】 天真を求め、天真と融和して真の自由を得ることが我々の大目的であるが、それを獲得するために体を使って学んで行く方法を全てひっくるめて今は「天真体道」と呼んでいる。(昔はこの言葉を使っていなかったので、是非覚えて欲しい。) この天真体道を学ぶ人達は稽古をすると言うことは大宇宙とそこに満ちる天真のエネルギーと融和する事、それにより真の自由を獲得し、人々と相和して生きて行くことに目的があるということは皆すでによく知っているとおりである。 そしてその天の自由を持っている人は、その「気」の産物である愛や社会への奉仕をしなければいけないし、それをする事によって自らの愛や喜びも成長し成熟して行くのである。

◆◇△△▶▷▼▽◀◁★☆◁◀▽▼▷▶△▲◇

稽古の考え方[編集]

正しい精神状態になっているかどうかを体で確かめるために、精神状態が体を通して現実に最も反映され、なおかつ体を通して精神状態が変化しやすい状態を作ったうえで稽古をすることで、自我によって歪められた結果を受け取らずに、自分の体を通して自我が認識する物理法則によって、自己を最適化するという方針です。 どのように体を精神状態が体を通して現実に最も反映され、なおかつ体を通して精神状態が変化しやすい状態にするかというと、体と心を開いてすべてを投げ出して無になった常態にする心身開発という手法で行います。 そうすると、心の状態が動きに100%反映されるので、人間の動きを心の状態を定義する記号として扱うことが出来るようになった。そうすることによって、ある一定の動作を要求する型により、一定の効果(人間の心理状態)常にを再現できるようになった。また、それによって、誰にも同じ効果があるのか再現実験を行なうことが出来、技の妥当性の検証をすることができるようになった。

稽古方法[編集]

どの稽古間必ずしもどれかのシステムに当てはまるわけではなく、これらの稽古を使い分けている。  稽古体系の表があり、それは時系列になっていないとか、あんなの体系化されたうちに入らないという批判もできるような一見脈絡のないような順番に並べてあるものだが、どこからかはいってどこかに抜けるように稽古を組み立てる発想をすると、使えるようになっている。どんな複雑な技を出しているときも、大基本の世界を忘れないように。

開放系[編集]

体を開いてエネルギーを出す 通常の防御本能の働き方では体が閉じてしまうが、それを開放し続けることを強制し、開放すると危機的状況を脱出できるという経験を重ねることにより、防御本能の発現方法が理性と一致し、体全部の分析力をもって問題を処理できるようになる。  体力を限界まで削って稽古することがこの稽古の主眼なのではなく、心身を全て開いて余分な物を出し切ることや、体を使って心の状態が強烈に変化させられ固定されることを勉強することが大事である。  この稽古方法は、形が厳密に決められているものの、苦しいところを抜けていくためには、指導者の力量がなければすぐにただのしごきになってしまうので、一番指導力が問われる稽古である。  体力がないと、苦しい状態を抜けて新しい感覚を味わうまで回復力が追いつかないので、できるだけ若いうちに稽古すると良い。

養気系[編集]

エネルギーを循環させる方向性のない稽古。 リラックスさせたり、体の自由な反応と物理的制限の関連性を研究することに向いている。 力を抜いた状態で稽古をするので、病気や寝たきりの状態など元気のない人でも強力な技を出すことができるようになる。

自護系[編集]

エネルギーを蓄える 考えをまとめる 既存の物を守り育てる方法が勉強できる。 どうしても力が抜けてしまってはまずい場合や、物事を落ち着いて処理する能力を高めたい場合に稽古すると良い。

正立系[編集]

上記3っつの稽古体系の特徴を併せ持つ。 体を整え、形を正しくし、現実と稽古を摺り合わせることに使う。

大基本[編集]

栄光[編集]

全てを天に差し出した、天相という状態を維持しながら前へ切り、証光という状態に持ってくる。

由来[編集]
名前[編集]

新約聖書 ダビデ詩篇19:1-6より

歴史[編集]

野毛山公園南西部において、全力で僅かに反りのある木刀で斬り合う稽古をするうちに、全員の木刀が天を向き、色々な神秘体験をしたことから生まれた。

意味と効果[編集]

栄光を行って得られる感覚を常に維持できるように練習する。また、栄光は全ての天真体道の型の最低条件である。 栄光は無限遠に視点を置き(意識の無限の拡大)、全ての存在の合一(陰陽一体)させる印である。これは天真体道の型の全てに共通する、新体道を創作目的である。 そのうち、栄光大は人間の体にとっても最も安全に無限の努力ができる場を提供する型であり、全てを差し出して無限の彼方を斬るという最も単純な意識の使い方で天真思想を体感する型である。 自由に全力を出してくださいと言われてやったとしても、この型の自由さを超えられない。せいぜい、大声で叫んだり、酔っぱらいのようにジタバタしてジャンプするだけだ。渋谷のスクランブル交差点で大声で叫んでジタバタしたり、全力で走ったりしても、たまにいる目立ちたい人なのかもしれない。ビルから飛び降りたり、電車に飛び込んでもそれは、足を踏み出してしまえば、全身全霊でなにかに積極的に集中することはないのではないでしょうか。 この型をやれば、全員が注目するだろうと多くの人は感じるだろうし、自殺など比べ物にならないぐらい意識的に常に自分を無限の彼方に差し出す必要がある。それぐらい既存の全身全霊という概念や自由という概念を超えた型なのだ。また、安全面では、飛び降り自殺と違って、意識的に差し出すことをやめれば生きていられるし、限界のところであと一歩という気持ちで自分を差し出せば、自殺しようと飛び降りたあとから、もう一度死ぬつもりで飛び降りるぐらい努力し集中することと同じである。死ぬことというのは、ほとんどの人にとって、想像しうる限りの最大の努力だが、それ以上の集中と努力を意識的に常にしても安全である。もちろん、後述するが、安全に稽古をするためには道場への礼が必要であり、特に掃除をすることで、安全に稽古ができる。礼をつくすことで、自由かつ安全に稽古ができるという、虚飾を廃した礼儀作法の真髄を自然と学ぶことができるであろう。 方向性という点でいうと、例えば羅針盤がなければ、まっすぐ歩いてくださいといわれても、同じところをぐるぐる回ってしまう。この型は、世の中にある最も強力な方向性を与える印である。すなわち、思想探求のための最も正しい羅針盤である。この羅針盤を使用して、どの方向が真っ直ぐかということを理解しその方向に進んでいくことで、自分が知っている領域を超えて自由になれる。

人間は、キーボードをタイプするときには意識や論理に基づいてどのように集中したらよいかということに集中力を使わなければならない。言い換えると、正しく集中することに気を使う必要がある。 それに対して、栄光は、正しく実行するための論理的な思考の負荷を最も軽減して、全力で妥協なくやることで天真思想を体感するという目的を最短で達成する正しさを担保できる型である。言い換えると、気を使わなくても正しく行いやすい。 最も単純に意識を使って正しく思想を学ぶことができるので、論理や意識による誤りを自らの体を使って訂正しながら稽古を進めることができる。 この型を行って得た感覚で論理的な思考(集中)を使い、複雑な型を体を通して得た正しさで演じることができるように練習する。 意識を使っていると、正しさに狂いが生じるので、そのときはこの型に戻る。

武道的側面[編集]

自分から見ると引き斬りであるが、相手から見ると押切である。陰陽一体の剣である。

哲学的側面[編集]

天相は神を愛することの象徴であり、その愛をままに隣人を愛するというキリスト精神の現れが証光である。

能力開発的側面[編集]

一定の目標を持ち続け、それに向かって力を抜いて努力し続けることを体に強制することから、日常生活においてどのような行為がそのような行為になるのか理解できる。 新体道の稽古の中で一番方向性を定めるのに有効な稽古である。

天真五相[編集]

由来[編集]

武道の持つ最も大切な条件と効果を満たし、誰にでも簡単にできる型を開発しようとしてできた。 修験道の印(声つき)+空手の型によってできた。 江上茂が最初にこれを見たとき、しばらく黙った後「俺を殺す気か!!」と言った。

分解した意味[編集]
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誕生 自分の目標へと燃え上がっていく 蕾が開いていくような速度で

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開拓 前後左右上下に切り開いていく 切り開いた宇宙を充実させるように

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統治 切り開いた宇宙を希望へ向かって育てるように 朝日が登っていくように45度まで上げる

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献上 育てたものを宇宙へ返す すべてを包み込むように。

ウン[編集]

無 地へと帰っていく

効果[編集]
武道的側面[編集]

ほとんどの上半身の動きが含まれているので、複雑な技も簡単に出すことができる。 どんな流派の技術も分析できる公式である。

哲学的側面[編集]

この型は生命の一生、時空の流れを表しているので、稽古することによって、自分の思想がどのような発展過程の途中にあるのか、大局的に客観視することができる。

能力開発的側面[編集]

人間は、無意識的行動から思想を分析することができる。 各部分の動きの特徴を分析する力が高まると、他人を分析する能力が高まる。また、それが高まると、自らの動きをビデオカメラなどで撮って分析することにより、自己分析ができる。

実績[編集]

JICAによって、ネパールのラジオ体操(ナマステバーヤン)として100校以上のネパールの学校に普及している。単純かつ覚えやすいので、指一本動けば教えることができる。

瞑想組み手[編集]

効果[編集]
わかめ体操[編集]
効果[編集]
  1. あらゆる情報の送受信能力を向上させます

その結果として、

    1. 相手の文化を理解するインスピレーションが強くなり、人間関係改善の具体的解決方法となり得ます。
    2. 相手の体の状態を正確に把握できるようになり、心身の問題を把握する能力が向上します。
    3. 尋問せずに相手の情報を引き出せるようになるため、情報戦、ゲリラ戦において優秀な兵士を、一般市民として常に平時から養成することが可能です。
  1. 無駄な力みがとれます
    1. 先入観をなくし、今までとは違った発想が容易にできます。
    2. 疲れがとれ疲れにくい体になります。
  2. 相手を大切にし、思いやることができるようになります
  3. 仲間との一体感を高めます
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旧名:光と戯れる。

由来[編集]

青木は、誰でも一瞬で天地人人々ワレ一体の状態にする稽古法を探求していた。あるとき、首が悪く、新体道の大基本である栄光を行うことができない稽古人になんとかその状態になってもらおうとしていたところこの稽古法を考案した。

役割[編集]

手を取りに行く方が攻撃側で、とられる方が受けである。

種類と稽古手順[編集]

最初は3秒かけて押し、遠くへのその集中を保ったまま、3秒かけてゆっくり引きましょう。 少なくとも、三回に一回は遠くを見ます。 手と足を一致させるために、手を出すと同時に足を出しましょう。

  1. 正立 重心を下ろす
  2. 一人わかめ ひとりで限界まで柔らかくさせて
  3. わかめ体操 前対前 一番単純な方法で押させる。ステップが複雑になるほど押し方が下手になるので、一番単純なステップで押させる
    1. 前対横
    2. 前対後ろ
    3. 前対回りながらおす
    4. 交互 役割を交代させながら押して
    5. 集団 他人の安全など気を配る範囲を大きくする 自由に動いても相手を妨害しないことを学ぶ。
  4. 一人わかめ 自分の体の中を持って精密に使う。
    1.  動中動
    2.  静中動
    3.  静中静 より静まっていき
  5. 正立 最後の最初よりもっと深い瞑想状態に入る

天真柔操[編集]

参考書[編集]

「朝の体操 夕べの体操」岡田満著

実績と使用法[編集]

省略して良いが順序を絶対変えないこと。手の先から肩までやったら、頭の上から足の先まで行う。 5分ほどまで短縮しても効果がある。たとえば、東京海上日動のクレーム処理部門で毎朝5分だけやったところ、1年後には喧嘩が収まり、部署の歴史上初めて最優秀部署として社内で表彰された。自分で自覚することは難しいが、継続的に行い自分で自分の状態を記録することによって、変化を自覚できるであろう。

特徴[編集]

誰もが素早く、どんなに体が凝っていても力みを抜いて激しい運動ができるように設計された体操である。

  1. 自分のリズムを見つける
  2. ほぐす
  3. のばす
  4. 柔らかくする
  5. 開く
  6. 整える

という順番で行うと、安全に激しい運動ができるようになる。

大多数のほかの瞑想と違って、意識を丹田にためずにずっと下まで下ろす。そのために手の先から肩まで体操した後、頭の上から足の下という順番に体操して、意識を大地の奥深くまでに下げます。

各部解説[編集]

胸開[編集]

結び立ちからステップ1則にて結び立ちまで前進する間に、養気体から開放体になりつつ胸を開く。 大上段 上段 中段 下段 最下段がある。大上段と上段の違いが曖昧になりがちなので、大上段の時は、手首をより外側に絞ると良い。 これが正確にできていれば、ステップがより正確になるので、結び立ちが綺麗になるようにすること。

立ち方[編集]

体勢+立ち方 という命名規則である。それぞれの立ち方に対して4っつの体勢の立ち方がある。

八字立ち[編集]

正立八字立ち[編集]

新体道の中で、栄光の次に大事なものだ。 有り体に言えば、ただ普通に立って少し前屈みになるだけだが、軍隊などでやる直立不動では前から押されたときに弱すぎで動きずらい。従って、土踏まずの真ん中の上に重心を持ってきて少し前屈みになって、前から押されても後ろから押されても強い体制を作って稽古を進めていく。  この立ち方は、縄文人が立っているような立ち方で、人間が自然にたった立ち方である。また、激しく動いても冷静さを失わずに落ち着いて色々な処理ができる体勢でもある。  新体道に入門するときは、ここから始める。立てない人には座った状態で正立させる。

閉足立ち[編集]

親指の先もかかともぴったりくっつけましょう。礼をするときに使います。

結び立ち[編集]

大立ち[編集]

騎馬立ち[編集]

新体道の騎馬立ちは、膝を外に極端に張り出すことがない。 松濤館が張り出すのは船越義珍が極端なガニ股だったので、それを真似した伝統が残っているからで、力を抜くためには自然に前に出せば良い。 あまり足の間隔を開いてはだめで、肩幅の2倍ぐらいにして、足首の関節を曲げられるところまで曲げて自然に落とせばOK。

三戦立ち[編集]

伝統的な流派の一部では、ひねって金剛力を養成するという名目で、ひねって足に力を入れるが、新体道では少し内に足の先を向けて運足に注意して稽古すること。

不動立ち[編集]

楽しみ方[編集]

腰を低くして、安定性を立っている時よりも感じながら、より自由に開かれながら動く。 足腰が地面から生えている木のようにしっかりとしており、どんな早く動いても、そうなっていることを実感すること。これをたくさんやれば、どんなに荒れた環境でも落ち着いて動けるようになります。 より早く前進後退すると、最初は自然に体が閉じてしまいますが、開きながら安定する楽しみを覚えると、ストレスに耐えるのではなく南極を楽しめるようになります。

注意点[編集]
  • 膝関節の位置が両方共股関節より正面から見て内側に入らないこと。
  • 足の内側の親指とかかとを結ぶ線があるとして、前足は進行方向と並行よりも外側に向いていること。後ろ足は進行方向にたいして足の内側の親指とかかとを結ぶ線が直角よりも小さい角度で交わる線を描き、足の外側の線が直角よりも大きい角度を描くようにする。
  • 進行方向からみて、かかととかかとの間に隙間がある状態にする。理想は棒1本。
  • 左右の足の裏にかかる摩擦力とその方向をできるだけ同一にする。
  • 腰はできるだけ前に向ける。
  • 最初は、特に上体は開放体で稽古する。
  • 不動立ち前進時には開放系で稽古をしていても、丁度中間地点で正立体になるのはよい。開放系の稽古といっても、他の体勢も使う。

心身開発[編集]

新体道において大基本の次に重要である。やり方を言葉で説明できるものの、取り組み方や号令の雰囲気が非常に大事なので、最初から一人では取り組まず習った方がよい。特に、従来型の疲れたら休み、体力が回復したらまた行うという運動ではなく、疲れてもやり続け力をどんどん抜いていくという方法なので、それを楽しめるようになると継続的に取り組むことができる。また、大勢で行うと、勢いでどんなに運動していない人でも、1kmぐらいは行うことができるので、大勢でお祭りのように行うのが、リラックスするためにも効果的である。 シゴキと競争でやっていては、何時まで経っても競争する意識が抜けずにきついだけで終わってしまう。体に負担がかかるので絶対に最終目的を他人との競争に設定してはならない。

  • 反り飛び
  • 開脚大

中段胸開か腰に手を当てるか2パターンある。

  1. 補助付き

補助者と共にオの発声をし、補助者は前の人間の手を下から支える。

  1. 押し相撲
  • 開脚小
  • 開脚小による手取り組手
  • 双蹴り
  • 補助付き
  • 瞑想ジャンプ
    • 瞑想ジャンプによる手取り組手
  • 開放体正座
    • 金剛位合唱

座布団を使って楽をしていいから、限界まで遠くを見ると楽しめるので、それをどんどん続けられるように努力する。

ステップ8則[編集]

この稽古は視線の目標を1点からずらさない。

  • 海亀

腰を落とすときに腰の前側を下げ過ぎないように

  • 足の裏を分ける
  • 内回り外回り

出した足の親指側に回転するときが内回り、小指側に回転するときが外回り。 九か条や投技の記述に出てくる。

単球体・双球体[編集]

腰の中にジャイロがあると思って、それが高速回転するイメージを持つ。

全く静止していても膨大なエネルギーを持てるようにする。

ジャイロの重さを重くすると、腰の移動で威力が出るけど、動きが遅くなる。威力のある突きの練習を練習をしておいて、ジャイロのイメージを軽くして、重い突きを速く打てるように練習する。

各種イメージ法[編集]

歯車[編集]

腰に付いている歯車によって、手が動かされているとイメージして、歯車の比を変化させることによって、腰を少し動かせば手が大きく動くようにしたり、逆に、腰を大きく動かしたとしても手があまり動かないようにして加減をする。手と腰が一致していれば、歯車の歯が欠けない。

新体道一般科[編集]

新体道を日常生活の中で使うための方法。

薬物治療[編集]

イタリア ヴァーヴァニア ジャンニロッシ 大師範

刑務所での更正プログラム[編集]

イタリア ヴァーヴァニア ジャンニロッシ 大師範 薬物中毒者によると、栄光はgood tripと同じであるそうだ。

ハーバード大学での正式科目の採用[編集]

 マイケル・トンプソン大師範がハーバード大学に在任中に新体道は正式科目として採用され教えられていた。

精神障害の子供のためのプログラム[編集]

精神障害者と健常者を区別せずに指導しているが、精神障害者の心身の安定のために効果を発揮しているので、小学校低学年の精神障害者がよくきている。特にうつ傾向のある人に効果がある。 イタリア ヴァーヴァニア ジャンニロッシ 大師範

ろう学校での指導[編集]

体を開きながら声を出すと、耳に聞こえない人にとってはむずかしい、大きな声を出すと言うことが抵抗なくできるようになる。 これは、初対面でも指導によって実現した実績がある。 イギリス ブリストル 皆川正 道守

シュタイナー学校での新体道[編集]

ドイツのシュタイナー学校に公式に認められている東京賢治シュタイナー学校で新体道が3年間教えられた。この学校では「日本の素晴らしい文化、伝統、自然に根ざしたシュタイナー教育の創造と実践」が掲げられており、日本の優れた精神伝統文化の武道を教育に採用していた。「21世紀を切り開く真に自立した子どもたちを、親、教師、地域コミュニティが一体となって育成する学校」というコンセプトは新体道そのもの方向性でもあり、親御さんと先生の深い理解とバックアップのもと、わずか三年間であったが非常に高い成果を上げることができた。新体道には気の察知という訓練があり、日本武道では他に例が無い心法の優れたシステマがある。3年目にはいった時には上級生達は何十年も修行した名人と同様に背後からの気をほぼ正確に察知できるレベルに上達していた。また、ヨガ教師も舌を巻くような非常に深い瞑想状態へ入れるようになっていた。ある教育委員会のトップが新体道の授業を参観したときに、子供達の姿勢の美しさや統一した身心の動きに驚嘆し、その成果を高く評価した。

ネパールの学校での新体道[編集]

2007年よりカトマンズの進学校である私立セワサダンイングリッシュボーディングスクール、その後、ユニバーシティ・スクール、シャンカダハール・スクール等にて新体道が朝礼で教えられている。ネパール人は民族の博物館と言われ120以上とも推定される多民族によって形成される。また、カースト意識が根強く残り異なるカーストで互い互いに垣根を作り、人々が分断されている。このような環境から、ネパール人は協調したり”和”を創るのが極端に苦手であり、互い互いに垣根を越えて交流することはしない。子供達も互い互いに気持ちやリズムを合わせる体操がいつまでたっても出来ない所があり、無意識に刷り込まれた分断意識(カースト意識)が強固な壁となっていると思われる。新体道には無意識の条件付けや観念を肉体をとうして超えていく優れたシステムを持つが、心が明るくなり前向きになる事から先生や生徒達から好評を博す。

 ネパール人の深層には聖なるヒマラヤを背後に、数千年以上の連綿と続くヒンドゥーと仏教の精神文化の融合が背骨にあり、新体道の身心一如に導くシステマが発揮され6歳の子供達から年長の子供まで深い瞑想状態へ入っている。

さらに、2013年度から世界遺産ボーダナートにあるチベット人の学校マナサルワールアカデミー(300名)で新体道の指導が始まったが、好調に指導が進んでいる。一つの民族と背後に大きな精神文化をもつチベット人ということが大きな要因だと思われる。

JICAが開発したネパール国民体操に採用[編集]

ネパールのラジオ体操としての位置づけでJICA(酒井直之氏)が制定した ナマステ体操(Namaste Byayam)は三つのパートに分かれるが、最後のパートに 新体道の極意型「天真五相」が置かれている。国営テレビなど2局が毎週定時に 放送していた。現在100校以上の学校の朝礼で実施されている。 なお、ナマステ体操の開発者の酒井氏は香川の尽誠学園で大リーガーの伊良部など を新体道システマで指導し甲子園へ導いた。香川大学の元助教授である。

老人ホームでの指導[編集]

介護武術としての新体道 一時期新体道にいた甲野善紀氏が作り上げたが、新体道としては、介護される側の体の使い方を無意識のうちに学ばせ介護する側の疲れを取るプログラムを持っている。 曽根田敦志正指導員 清田真澄 イタリア アーロン・ザレッティー助教

日本でやる場合は責任問題を明確にして、部屋の掃除をするなどして、その場の雰囲気を徹底的に把握してからやること。若者に危ないことをやらせるよりも、体力がなく注意力もないので、簡単に限界を超えてしまう。

 体力のない人間に方向性を与えて引っ張るためには相当な一人稽古が必要である。体力のない人間を教えるときほど体力がいると覚悟してやること。

順番をアレンジする場合、理論に従って行うこと。体力がなくても、順番を変えたり、天真柔操 心身開発 本稽古 という大枠を変えて行うことは初心者は避けること。

体系を使った稽古というのは、いくら休んだりだれても、目的がしっかりしているということが長所である。休んでいる最中、雑談している最中でも、指導者は体系の中でどの位置づけにいるのか常に把握していること。

あんまに応用する方法[編集]

相手に効く殺人技を相手を癒やすことに応用する。 よく効く技や意識の使い方を体を使って学習したあと、あんまをする。 Amma France 技術顧問 伊藤不学道守 

新体道武術[編集]

 古今東西の色々な人間開発法を参考に取捨選択して開発された武術である。 新体道武術というのは、ただの松濤会空手の発展ではなく、ただひたすらに効率を追求し他流派の良いところを常に取り入れ続けて今でも発展している。

動き[編集]

全て加速度運動であり、急に動きを止める(きめる)ということは絶対にしない。 また、モーションキャプチャーしたとしても、数学的にシンプルである。 無駄な動きをなくし、できるだけ簡単に技をかけるように稽古すること。 一見八百長にみえるのが本物である。

技の命名規則[編集]

  • 順技 逆技により左右が
  • 立ち方
  • 入り身の深さと方向

で技の名称が決定される。これにより実行手順を記録することができる。

例:不動立ち+前進による+中段+追い突き+本(順)突き

技が終わった時に取る構え+動作方向+攻撃する対象+攻撃手法+下半身の動きという構成である。

命名規則を学習する手段として効果的なのが、稽古記録をつけることである。

各種武道科[編集]

新体道の母体となった、空手とその応用の柔術 新体道一般化を発展させた専科、さらにそれを発展させた剣術とその新しい体系である剣武天真流。 新体道を使って、既存の棒術を見なおして作りなおした、棒術とその応用の杖術。

空手・柔術[編集]

拳に関する理論[編集]

追い突きと受け突き 衝突するときの衝撃を受けきれるだけ拳を受け突きに近くする。 表拳と裏拳 相手の向きにより決定する

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いくら柔らかくやっても、とるべき形をとること。

平安5段[編集]

貫手による上げ受けから引いたあとは左前うでを進行方向と直角に、右前腕を並行にすること。ここを正確にすることで、型の効果が倍増する。

鉄騎[編集]

1から3段まで連続してやるのが本来の姿である。 波返しの時に、返す足の反対側に状態を移動しないこと。予備動作無しに受ける感覚を身につけること。

太極大[編集]

まろばしは手をできるだけ深く交差させたところから、三次元的に90度違う方向に技を出すこと。

三戦 転掌[編集]

手を柔らかく使うところをどれだけ綺麗にやるかがサビである。

構え[編集]
羅漢構え[編集]

上の手の上端が目の高さになること。下の手の下端は騎馬立ちの膝の高さぐらい。

棒押し[編集]

押し切るときに開放体で。

棒術・杖術[編集]

体系[編集]
棒体操[編集]

棒に馴染むことを主目的とした遊びのようにできる稽古法

持ち替え[編集]
  • 大立ち・開掌・肘を常に伸ばしたままで行う。
  • 目の高さより棒を下に下げないこと。

終わった時に遠くを見たまま、棒も遠くに捧げるようにして十分集中した後に、用意、下げ棒とゆっくり戻していく。

ジャグラ棒[編集]
天投げ[編集]

棒を柔らかく受け止める 棒の雨によって力みが大地に溶けていくように

キャッチ棒[編集]
バランス棒[編集]
棒による心身開発[編集]
単技[編集]
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俊風[編集]
モーセの棍[編集]
秀志[編集]

末吉の改良

龍虎[編集]
組み棒[編集]
  • 互いの棒を合わせて構えるときに、中心を取り合えば棒の幅の半分だけ相手の領域に入るので、その取り合いで間を締める。
  • 牽制などを駆使して、相手に入らせない。攻撃側は度のタイミングでも隙があったらそこを攻める。

射程が合わない攻撃では組手が成立せず、双方危険である。近すぎれば相手の牽制にやられるし、遠すぎれば受ける意味がなくなる。

  • 十字受けをする場合、すべての次元からみた棒の角度が直角になるよう受けること。また、棒先は1尺余らせて受ける。
  • 棒が弾かれないように攻撃が終わるまでずっと切り続けること。撃力で攻撃していると、棒が跳ね返り、相手へ複数の衝撃が伝わり、深いところへ浸透しない。棒の音がカンカンパチパチといっているのはそれができていない証拠であり、棒同士が融け合うような、クワッという音のほうが良い。
  • 両手突き対虎翻受け

最初は上段突きに対して受けを行うこと。互いの棒の角度が平行になるほど受けづらいので、中段が最も危険である。顔を突くのが危ないからといって、約束した場所を突かないとかえって危険である。案外避けられるものなので、しっかり突くこと。 怖いのならば、上段打ち込み対上段打ち込みなど、手加減しやすい組手で全力で行って慣れること。 両手突きは最も射程が短く強力な技なので、届いておらず組手が成立しない場合が多い。

  • 4本組み棒

4種技ごとの間合いを使い分けること。特に諸手突きが相手に届いていないことが大半で、そこで組み棒が破綻しやすい。 持ち替えの回数を相手と同じにすること。

  • 真常 

90度に演舞して、元の場所に戻るように設計してある。

砂かけが相手に届かずただの空振りになりがちなので、絶対にそこで相手に下がらせるほど攻撃すること。そこで十分追い込まなければ次の一歩を大きく出られてしまう。どちらも常時限界まで機動性を発揮するように。

創栄組み棒[編集]
投技[編集]

すべての投技は、入身と基本技(礼法を含む)と差し込みとステップの組み合わせで記述されている。 差し込みがない技もある。 短時間で切り込む方向を変更する回数が多いほど技の難易度が高くなる。

  • 差し込み
  1.  内側 前
  2.  内側 後ろ
  3.  外側 前
  4.  外側 後ろ
  • 各種投技
    • 大平原

      振り返っても入身している方向は最初と変えない

    • 開弾き

養気体で入って、開放体になる。相手と融け合っていれば技はかかる。

専科・剣術[編集]

剣術九か条[編集]

後ろに行くほど前の段階の複合技になっている。剣術で使用するのは太刀であるが、応用編である、剣武天真流は反りがある刀を想定している。その剣武の体系も、技の最小構成である単技 それの組み合わせの複技、組技、というように、要素をひとつづつ追加して構成されている。 1 大上段  2 上段切り込み左右  3しゃがんで下段横   4 突き 先を取る 後を取る  一人型の場合は 普通について 半身で突きを連続 5 三方切り 初太刀を横に抜く ななめ 縦 切る方向も3つ 6 脇構えの方向に振りかぶって 隠しておいて本技で攻撃 後を取る 7 6で 後を取って 5 8 切りながら方向転換 一回の振りで三方向全部切る 振りかぶらないように全部体の横で処理できるような型になっている。5箇条みたいな角度変化なし ターゲットの位置変化 5 + 6 + 3  9 7 +3

  • 一か条

米字練気的な意味でのパターン変化 大上段切り込み対上段切り込み

  • 二か条

技をかける時に相手の攻撃の段(上中下)と自分の段を違える。

    • 大上段
左右対称の攻撃の典型例として
    • 上段
左右非対称な攻撃の典型例として
  • 三か条
    • その一
    • その二
  • 四か条

攻撃(主に大上段)に対して

    • その一

(主に上段へ)立気で突きに行く 一刀流的な意味での切り落とし。

    • その二

(主に上段へ)遅れたタイミングでもただ前に出て相手を突けることを学習する

  • 五か条

米字練気的な意味で、自分の技を変化させて連続攻撃 攻撃(主に大上段)に対して、深く入身して ステップ8則の

    • 外回り
    • 内回り

で方向転換して切る

    • その一
    • その二
  • 六か条

脇構えの方向に振りかぶって 隠しておいて本技で攻撃 後を取る 攻撃始動時に構えの変化を入れても遅れないことを学習する。一手損の攻めでも、損得を超越する。

  • 七か条

六箇条と五箇条の複合。 新体道はわかりやすく大きい動きで学ぶが、これは意味が破綻すると、存在意義がなくなり一箇条のぶつ切りになるので、正から稽古。

  • 八か条(一本橋)

攻撃中の方向転換 一回の振りで三方向全部切る  ターゲットの位置変化と空間が限定された戦闘。

  • 九か条

6箇条の後連続技、技を出しながら位を変化。

    • 大上段
    • 水平
  • 三人一列 互いの気の流れに反応し、統一基本技で切り合う 一番難しい稽古である。

瞑想法[編集]

ここでは静かに動かない瞑想法について書く。

  • 大宇宙と小宇宙の融合

瞑想の最初にこの2つをイメージして融合させる。

  • 火の玉瞑想法
  • 金剛位合掌

栄光正 揚げおろしもいいが、こっちとは少し違う効果である。

天真一法[編集]

同定[編集]

新体道で習ったことを応用するために一番重要な技術である。

もしこの技術を磨いてなにか新しいものを作ったり日常生活に活かそうとしないのならば、新体道によって能力が上昇しただけで満足してしまうので、全く意味が無い上に最後の最後で自分の足で歩くことができなくなる。 同定について

同種同定(同型)第一種[編集]

類推同定 第二種[編集]

異種同定(異型)第三種[編集]

この第三種同定を習得するために新体道が設計された。 最初は上手に同定できなくても、だんだんとその範囲や有効性が広く高くなっていきます。

型を覚えるためのガイドライン[編集]

・演武線の中心を向きながら振り返る型がほとんどである。

・手刀で受けるとき、中段廻し受け、棒術の下段払いのときは後屈が多い。

・前屈不動立ち 後屈不動立ち 不動立ちとはっきり分けて演武すること。

・まず最初は、知っている人と習い、次に本を見たり動画を見て自習し、また知っている人に習うということを繰り返す。1000回ごとぐらいに他人に点検してもらうと良い。

・中途半端にやる癖をつけると、いざというときに本気が出なくなるので、常に全力で行うこと。休まないで間違ったとしてもすぐさま修正して続けて行う。その修正するときに頭が高速で回転する感じをつかむことも型を学習する目的である。

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印とは、体によって心を操作するため体の操作法全般を言います。通常は、印という場合、主に静止した場合を言い、型といった場合主に動きで示された操作法をさします。この考え方を大幅に拡張して、手から体全体そして相手や周りの環境へと印で操作する範囲を拡張したのが新体道です。 新体道では大きくわかりやすい動きから入り、小さく静かな違いまで分析できるようにして、体で大きく心が動こくをと学んで、更に体の動きを洗練させるという事を繰り返して学習します。

構えと動き[編集]

構えから構えをつなぐものが動きだと考えて技や型を把握できる。どんな激しい動きをしていくら崩したとしても、構えに戻ることが大事である。

タイミング[編集]

新体道では相手と同時に動くことを推奨している。無心の状態になれば、相手の行動を自然に返せるようになり、それが理想である。来てから反応するようでは遅い。たまたま遊んでいたら、勝手に技がかかりましたというのを目標にすること。 タイミングについて

  1. 立気

やろうと思い始める

  1. 満気

やろうと決断する

  1. 発動

動かす命令をだす。

  1. 作動

動く

立気を捉えて適切な技を出すように稽古をする。

号令術[編集]

号令者とは[編集]

号令者といって、なぜ先生と言わないのか? 号令者は雰囲気を作り出す指揮者であるが、演奏者である稽古人とは対等の立場である。新体道は号令者とそのたの参加者が一体となって同じ課題に取り組むので、教師が課題を出し、生徒が回答するという関係ではない。したがって、号令者という表現を使っている。 現在ある資料は「号令者の手引き」しかない。これが一番正確なので、熟読すること。 号令の上達法は何を提供したいか明確にした上で掛けて反省することである。

稽古中に維持するべきイメージ[編集]

栄光と重心降下は絶対に維持すること。

号令者としての敗北[編集]

相手が出てきてから3間歩く間に長所を10と修正点をひとつ言語化できない場合は号令者の敗北である。

新体道の長所・団体稽古[編集]

なぜ新体道はみんなで稽古をして盛り上がることを重視しているので、そのための稽古法が盛り沢山である。これを利用するために、集団が生み出す雰囲気の力を最大限利用する必要がある。
雰囲気でなんとなくできてしまうという人間の特性を最大限に活かすためには、
「休みたい人間は、集中力を切らずに休ませる方法」を教えて、強力な自主性を発揮する環境を常日頃から整えることが必要である。
その上で、号令者は参加者を励まして、栄光の方向性を示して、各自それに向かっていけるようにする。
自我が確立していない集団を励まして無理やり何かをやらせるためには、目標さえも提供しなければならないので、他者催眠になってしまう。これは一度ぼろが出ると全く持ち直せない。
なので、[[300枚カード>http://koyakeishintaido.blog52.fc2.com/blog-entry-407.html]]などをやって、新体道のお題目を超える個人の目標を見つけさせることを最優先にしなければならない。そうしないと、新体道の目標が大きく誰にでも効くがゆえに、中毒症状のようなものを起こす。

  • 指示伝達

技の名前と動作を正確に伝達しなければならない。一人でも勘違いする人間がいるなら絶対に省略しないこと。 特に用意と構えと休め。技を出すタイミング(いちとかけてエイと技を出すのか、エイと言わせてからいちと掛ながら技を出すのか?前者のほうが参加者が乗りやすい)を合わせること。

  • 技の間違いを直すとき

号令をかけている時に、ここを直せばうまくいくんだろうと指摘したい気持ちになるが、大抵その指摘したいところは教えている人間の悪い癖だ。

  • 稽古の組み立て方

ノリを良くするためには、すべての稽古方法が論理的に選択され、その稽古に集まったメンバーでなにをしたかったのかわかるようにしなければならない。ただし、稽古の目的は明示されなくてもよい。 例えば、正立体で気持ちが維持できない集団に対して、心身開発体操をしてぐにゃぐにゃになる機会を作ったのに、いちいちわかめ体操の説明などを入れてその感覚を失ってしまうより、上級者の行動をなんとなく真似するだけで成立する集団わかめで、ぐにゃぐにゃな感覚を失わないうちにすぐさま自我を捨てて動く楽しさという実感へ変えるべきである。 新体道は数々のコツを掴むための非常に効率のよい体操があるけれども、やってやりぬいてどこでも使えるようになるというのでは人はついてこないし、上達も遅い。コツを掴む体操を丁寧に教えて、掴ませたのならば、すぐさま組手など複雑な場面にそのコツを持ち込むと楽しいと実感させ、コツを強力につかんでいればさらに楽しめるという刷り込みを行う。そうすると、栄光・心身開発・天真五相など、コツをつかむ単純な稽古で各自が楽しみを発見しながら自己表現できるので、ますます稽古がやりやすくなる。  体技の進化とは、コツをつかませるノウハウの進化である。そのイメージは誤解されて伝わることはあるのだけれども、蓄積していく。開拓者にくらべてあとから学習する人間はやる気がないのかもしれないが、このアドバンテージを最大限に利用して楽しみを感じ、やる気を増幅するのが最良の戦略である。=

相手への影響[編集]

号令者が一生懸命号令をかけていると、相手はよく抜けることができるので、案外疲れない。 一方、優しくやっているようであっても、受けている方からすると、生殺しにあっているようで、休み休みやったほうが非常に疲れる場合がある。

準備[編集]

稽古にテーマを持って、どの技能を伸ばしていくのか考え、稽古体系表のどこからか入って、反対側から抜けるように稽古していくこと。

稽古体系がない場合、何が不都合なのか理解しておくこと。

号令者を育成する場合、稽古前後の礼からはじめて、準備号令をかけさせ、それから本稽古に入る、

たくさんの稽古法を実行しなければ間が持たないのは下手くそである。シンプルな稽古を稽古体系表のとおりに行い、できるだけ自分の意志を介在させないこと。

天真五相と栄光と心身開発があれば稽古は成り立つので、知らないことは教えなくて良い。技は人生をかえるので、少しでも間違った技を教えるぐらいなら教えないほうが良い。初心者に教える人間は責任重大である。間違いが少しでも習慣化すると、治すのは至難の業である。

明確な指示をだすこと。例えば、追い突きと受け突きの違いを全員がわかっていなかったとしても、稽古の方向性からいうと、どちらか特定する必要があるならば、絶対にどちらか指定すること。あやふやな指示は思い切りできない原因である。

事故が起こる確率を減らしたい場合、使う場所の掃除をすること。

手加減をして稽古している時や、締め切りを作って稽古に追い込みをかけている時が一番危ない。

稽古人を恥ずかしさ表現することへの躊躇を肯定してはならない。こんなに声 笑顔 技の大き 気持ちよさから出るあくびを表現しても良いのか?と疑われた時には、常にすぐさま肯定しどの行動が許されるのかルールを伝えなければならない。稽古場は実験場であり、ルールを守れば、どんな人間でも受け入れられるような場所を用意するのが、号令者の役割である。ルールで宣言した以外の制約をつけるときに、明確な例外を適用する理由を示さなければ安心して自分の悪いところをさらけ出せなくなる。

稽古場が良い実験場になるよう。どんなことでも安全に、参加者のこころを空っぽにして条件をクリーンにして、参加者がすべてを表現しつくせるようにすること。

号令をかけるのが一番難しいのは、稽古人のやる気の差が大きい時、2番めが体力差が大きい時である。

稽古をしたらどのような結果が出ているのかよくイメージすること。たとえば、笑顔になっているなど。

型の教授法[編集]

  1. 型で使う技を単独で練習する。ここで直さなかったことを型の最中に直すことは出来るだけしない。
  2. 分解した状態で反復練習する
  3. 見本を見せる
  4. 前後に経験者を配置して、ゆっくり行う。この時に、各技名を正確に言いながらカウントする。

その間に細かいところを直す。これ以後カウントするタイミングをずらして直すことはしない。

  1. 一抜けするまで技ごとにカウントしながら行う。

テーマを与えながらすると飽きないし効果が上がる。例えば、上手にできないうちは「丁寧に」集団で盛り上がりたいときは「みんなと合わせて」参加者の何が欠点か明らかにならないときは「大きく」「全速力で」など。一番最後にみんなと合わせて数回行い、終わる。型で得られた成果を維持するために、正立を長くとったあと、わかめ体操など。

  1. オプションで批評

熟達者を批評することで、集団で指摘しきれなかった部分を指摘して、初心者に何が良いのかを教える。

一人稽古[編集]

  • 特徴

一人稽古が良いのは、自分のペースで深められるということである。その一方ノリをすぐとなりにいる他人とともに共有しないので、社会全体や自然からの応援を受けながらやることになる。

  • 続けるコツ
    • 行くときの恐怖よりも終わった時の爽快感を思い出すこと。しかし期待してはならない。
    • ちょっとチャレンジしてみる 日常生活で視線を遠くにのばすとか、1秒からの稽古を伸ばしていく。
    • 楽しいだけ好きなだけやる 
    • 自分を許すこと。体が動かなくて、やる気がなくてもいつもほんの少しのやる気を持ち続けると抜けることができる。
    • 終わった後が重要で、日常生活にできるだけ稽古の爽快感を持ち込むようゆっくりと瞑想をしてからその雰囲気を維持するように徐々に動いていく。これができなければ稽古した意味は殆ど無い。
    • 急に何でもやりすぎない。筋肉痛は全体的になっているぐらいがちょうどいい。一人稽古では、稽古で一度抜けるという条件を満たせば、バリエーショントレーニングを行って良い。前蹴りを団体稽古で多用するが、横蹴りのタッチングなど、全員でやらない組み合わせを無理のない範囲で行うこと。
    • 新体道は古くから明日稽古法を洗練されたものではあるが、現代の栄養学を否定しているわけではない。飢餓状態に耐えることが稽古の目的ではない。ただし、断食をやるのは、食事以外からのエネルギーの循環をよく認識できるので、勧めている。