聖書ヘブライ語入門/はじめに

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

「聖書ヘブライ語」という場合の聖書とは,ユダヤ教の正典とされ,プロテスタント教会で「旧約聖書」と呼ばれているものである.ただしこの聖書はヘブライ語だけで書かれているのではない.全体の 1 パーセントあまりに当たる部分,すなわち 創世記 3147 の中の二つの単語, エレミア書1011ダニエル書24-728エズラ書48-618712-26 は,ヘブライ語とは別のアラム語で書かれているので,この入門の対象外である.このアラム語―—厳密には聖書アラム語—―はヘブライ語と同じ文字で書かれているので,聖書ヘブライ語を学んだ人には朗読することができる.しかし理解するためには,ヘブライ語とは多少異なる文法と辞書とを必要とする.いずれ取り上げられると思われる.

ところで,いま「文法と辞書」としたが,普通は目に見える書物の形をとった文法書・辞書を考えるのだが,そして外国語の場合確かに我々はそういう書物の助けを借りて学びかつ理解することが多いのだが,ここではむしろ,その言語を母語とする人々の頭の中にある一連の規則を指している.例えば我々日本語を母語とする者は,我々の脳裏に刻み込まれた日本語の文法と辞書を,ほとんど無意識のうちにめくりながら,日本語を話し,読み,理解しているのである.だから,どんな言語にも必ず,そういった意味での文法と辞書があるわけである.

それでは聖書ヘブライ語の場合,その文法・辞書はどのような人々の頭の中にあったものなのか? 実はこれは非常に難しい問題である.もし聖書が一人の人によって書かれたものであるのなら,その著者の文法・辞書を考えればよいわけだが,例えば 創世記 にしろ ヨブ記 にしろ,現在は一つの形をとっている書物でも,実際は何人もの人によって書かれたものであることは,今ではほとんど常識と言っていいだろう.これら著書たちの出身地の違いは当然方言差を示していたはずだし,さらに,書かれた時代も,聖書のなかで一番古い資料と一番新しい資料との間には千年ほどの開きがある,と言われている.千年も経てば,どんな言語でもお互いに通じ合えないくらい違ったものになるのが普通である.ところが不思議なことに,我々が手にするヘブライ語聖書は,そのように顕著な方言差・時代差を示しているようには見えない.これはいったいどういうことなのだろうか.ヘブライ語聖書の本文は,ユダヤ教伝承学者の手によって,紀元100年頃に最終的に確定されたといわれるが,そこに至る過程で,素材・資料,著述,編集,等いくつもの段階で何人もの人の手が加えられていくうちに,その言語がかなりの程度,画一化された,と考えざるを得ない.とすれば,最終的な聖書本文確定の作業に当たった伝承学者の頭の中にあったものが,聖書ヘブライ語の文法・辞書であった,ということに一応はなるだろう.

しかし一方,その時代には,ヘブライ語はもやは日常の言語ではなくなっていたのだから,彼らのヘブライ語の知識―—つまり文法と辞書—―自体,伝承に基づく,多少とも擬古的・人工的なものであったことは容易に推定できる.その知識に基づく彼らの聖書解釈は,彼ら自身の言語たるアラム語やその他の言語で書き記され,またヘブライ語そのものも,聖書ヘブライ語を規範として,ユダヤ教共同体の中で,文字言語として,様々な作品を生みつつ,その生命を保ってきた.こうして二千年来伝えられてきたヘブライ語の知識と,西欧の学会においても近世以降盛んになったヘブライ語研究によって,聖書ヘブライ語の理解は次第に深められ,伝承本文(マソラ・テキスト)以前のヘブライ語の姿も,ある程度明らかにされるようになった.それには「七十人訳」を始めとする古代語訳との照合による本文批判学,アッカド語・アラビア語・ウガリド語など,ヘブライ語と親戚関係にある所謂セム諸語の比較言語学的研究,そして近年目覚ましい展開を繰り広げている文法理論研究の成果が,あずかっていることはいうまでもない.

この入門では,そういったヘブライ語学の成果をふまえた上で,聖書ヘブライ語の文法を構成している一連の規則を,できるだけ平易な形で記述する.言語学の専門用語はなるべく使わないようにこころがけ,やむを得ず使うときには,日本語などを例にとって説明する.専門用語を多く用いれば,記述が簡単,明確になって,著者としてはずっと楽なのではあるが.一方、伝統的なヘブライ語の文法用語は,他の文法書を参照するときに必要と思われるので,煩をいとわず紹介し,言語現象一般と関連させつつ説明する.

「ヘブライ語は難しい」といわれる.本当に難しいのか,どこが難しいのか.まず第一の難関は文字とその発音である.見慣れない字形,その上下に細々と付いた様々の補助記号は、確かに見るだけで頭も痛くなろう。言葉は音によって意味を表す仕組みであるから、まず耳で覚え、その上でそれを文字で書く術を習うのが普通だが,我々の場合は聖書を「読む」のが目的だから,文字はどうしても覚えなければならない.しかしヘブライ文字は22種類.ローマ字よりも覚えやすい理屈である.発音符号も実際覚えなければならないのは十余りである.ヘブライ語の仕組みに慣れてきたら母音記号はむしろ邪魔者にみえてくるはず.実際の発音も,ヘブライ語をしゃべろうというわけではないし,第一,上に述べたことからもある程度は推測できるだろうが,ダビデやエレミヤの口から出たはずのヘブライ語を再現することは非常に困難である.だから我流の発音でもよいだろう.とはいえ,喉音の豊かなセム語独特の音声は一度ぜひ耳にしてほしい.残念ながら現代ヘブライ語では殆どきかれなくなったが,アラビア語にはよく保存されている.

次に単語の活用.これはギリシア語などに比べるとずっと単純.名詞の変化はなく,動詞の「時制」は2種類だけで,接続法などもない.英語の be, is, was,ギリシア語の λέγω, εἴρω, εἶπον のように,全く異なる語根が一つの動詞の活用表を構成している,というようなこともなく,不規則動詞のように見えるのも,実は音便の結果に過ぎない.単語同士を結合して文をつくるための規則,すなわち統辞法も,西欧諸語にくらべて非常に簡単,とはいえ本当は簡単だから難しいのだが.ヘブライ語の文法は西欧語よりも日本語に似たところが多いと思うことがある.