高等学校日本史探究/多文化共生

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 現代の日本では、様々な立場の人々が一緒に暮らしています。近代化のために国境を越える人が増えています。外国人を受け入れるようになってから、日本ではどのような世の中になりましたか?

関連[編集]

  1. 条約改正
  2. サンフランシスコ平和条約
  3. 阪神・淡路大震災

人の移動の始まり[編集]

 近世まで、日本国内の移動も多くの制限があったので、海外への移動を原則的に禁止していました。ところが、開国してから、外国人が居留地で商売をしたり、日本から外国へ旅行したりするようになりました。18世紀末に条約が改正されると、居留地は廃止されて、内地雑居制度が導入されました。内地雑居制度では、外国人が土地を所有していない限り、国内各地で暮らせるようになりました。しかし、外国人労働者の数はあまりいませんでした。その理由として、多くの中国人が海外で働きたいと思っても、一部の専門職を除いて、禁止されていたからです。第一次世界大戦後、日本の賃金が上がりました。そのため、植民地から多くの人が低賃金労働者として日本に渡りました。

戦後日本社会と外国人[編集]

 旧植民地出身者は、第二次世界大戦後の占領期の間、外国人として登録されていても、日本国籍を持ち続けていました。しかし、サンフランシスコ講和条約が締結されてから、日本国籍を失いました。このため、在日外国人のほとんどが朝鮮半島出身者になりました。外国人と国民を比較すると、権利や社会的待遇が同じように扱われません。そのため、差別をなくし、文化を守り育てる動きがありました。高度経済成長期以降、グローバル化が進みました。国際人権条約の締結や様々な国から難民を含む新たな外国人(ニューカマー)の受け入れから、外国人の立場が少しずつ変わってきています。国際結婚も増え、国籍と文化の関係も変わりました。

多文化共生[編集]

 阪神・淡路大震災の時、外国人被災者に情報が届いていない面がありました。そのため、地域社会の問題も明らかになり、各地で多文化共生のスローガンが使われました。グローバル化に伴い、外国人は様々な産業で重視されるようになりました。学校や自治体の仕事でも、徐々に定着しています。同じ社会の一員なので、一部の自治体は住民投票権を認めています。海外の子供でも、関係なく一緒に暮らせるような社会にしなければなりません。

資料出所[編集]

  • 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年