「平家物語 祇園精舎」の版間の差分
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「知らざつしかば」ではなく,「知らざりしかば」かと思うのですが。 |
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2022年11月16日 (水) 12:47時点における版
本文
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山、これらは皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の亂れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信賴、これらはおごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、傳へ承るこそ心もことばも及ばれね。
その先祖を尋ぬれば桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、高見王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、高望王の時、初めて平の姓を賜はつて、上総介に成り給ひしより、たちまちに王氏を出でて人臣に列なる、その子鎮守府将軍良望、後には國香と改む。國香より正盛に至る六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をば未だ赦されず。
本文の読み方
ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり。 しゃらそうじゅのはなのいろ、 じょうしゃひっすいのことわりをあらわす。 おごれるひともひさしからず、 ただはるのよのゆめのごとし。 たけきものもついにはほろびぬ、 ひとえにかぜのまえのちりにおなじ。
とおくいちょうをとぶらえば、 しんのちょうこう、かんのおうもう、りょうのしゅうい、とうのろくさん、 これらはみな、きゅうしゅせんこうのまつりごとにもしたがわず、 たのしみをきわめ、いさめをもおもいいれず、 てんかのみだれんことをさとらずして、 みんかんのうれうるところをしらざつしかば、 ひさしからずしてぼうじにしものどもなり。
ちかくほんちょうをうかがうに、 じょうへいのまさかど、てんぎょうのすみとも、こうわのぎしん、へいじののぶより、 これらはおごれるこころも、たけきこともみなとりどりにこそありしかども、まぢかくは、 ろくはらのにゅうどう、さきのだいじょうだいじん、たいらのあそんきよもりこうともうししひとのありさま、 つたえうけたまわるこそ、こころもことばもおよばれね。
そのせんぞをたずぬればかんむてんのうだいごのおうじ、 いっぽんしきぶきょうかずらはらしんのうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがまご、 ぎょうぶきょうただもりのあそんのちゃくなんなり。 かのしんのうのみこ、たかみのおう、むかんむいにしてうせたまいぬ。 そのみこ、たかもちのおうのとき、はじめてへいのしょうをたまわって、 かずさのすけになりたまいしより、たちまちにおうしをいでてじんしんにつらなる。 そのこちんじゅふのしょうぐんよしもち、のちにはくにかとあらたむ。 くにかよりまさもりにいたるまでろくだいは、しょこくのずりょうたりしかども、 てんじょうのせんせきをばいまだゆるされず。
現代語訳
祇園精舍の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。娑羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
遠い外国 (の例) を見ると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の安禄山、これらはみな元の君主や先代皇帝の政治に従わず、(栄華の)楽しみを極め、忠告にも深く考えようとはせず、天下が乱れることもわからずに、人々の苦労するところとなるものも知らなかったので、長続きせずに滅びた者たちである。
身近な日本 (の例) を見ると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、(これらの人は)得意になる心も猛々しい心も、みなそれぞれ持っていたが、最近では六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申した人の様子は伝え聞いても想像することも形容することもできない(ほどである)。
その清盛の先祖を調べると、桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王から数えて九代目の子孫、讃岐守正盛の孫で、刑部卿忠盛の嫡男である。葛原親王の御子、高見王は、官職も官位もないままなくなられた。その御子の高望王のとき、初めて平の姓を賜わって、上総介になられてから、ただちに皇籍を離れて臣下の列に連なる。その子・鎮守府将軍良望は、後には国香と名を改めた国香から正盛に至るまでの六代は、諸国の国守ではあったが、殿上人として昇殿することは、まだ許されなかった。