高校受験ガイド/高校合格後に向けて

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

大学進学したい場合[編集]

中高一貫校のペースに追いつく必要性[編集]

現在、多くの私立高校は付属中学を持っており、その付属中学では中3のうちに、高校1年の内容に突入しています。なぜなら、私立中の授業では、検定外教科書が「英語」教科と「数学」教科で学校専売品として存在しており、多くの私立中学でその検定外教科書が使われております。その検定外教科書で、英語と数学では、中3のうちに高校1年の内容に突入しています。

数学は因数分解(3次式)以降の二次関数や三角関数などは予習が難しいかもしれませんが、しかし英単語なら独学で勉強できるので、春休みのうちに英単語を勉強して追いつきましょう(なお、因数分解は、春休みのあいだの宿題になる場合がある)。

おそらく、高校側からも、「春休みの課題」などとして、付属中学と公立中学との隙間を埋めるための課題が出されると思います。

つまり、英単語と、因数分解(三次式および二変数二次式)が、春休みの宿題の定番です。加えて、対称式とか交代式とか、そこまで「春休みの課題」に出る高校もあります。

なお私立高校の場合、1~2月に合格した子は、まだ3月まで高校教科書を購入できないので、2月ごろの合格者登校日のあたりに学校側から宿題のプリント(英単語のスペルを覚えろプリント)を渡されたり、あるいは課題図書の読書感想文などを先に出されることもあります。

なお、高校からの配布物を間違って捨てないよう、中学時代のプリントなどを捨てるのは、高校入学後の後回しにしましょう。


いっぽう、偏差値の低い高校だと、春休みの課題の内容が、中学の復習だったりして、「ブリッジ数学」などの復習用の問題集だったりします。偏差値の高い高校では、そんな復習用の問題集は、やらないです。

偏差値の高い高校だと、数学IAの傍用(ぼうよう)問題集または参考書のチャート式で、上述の因数分解や「データの分析」(新課程)とかが範囲です。20世紀は因数分解が定番でしたが、21世紀の令和になり「データの分析」が課題に加わったのが、時代の進歩を感じさせて現代的です。

「データの分析」のように新しい単元は、私立の高校側は今までの授業計画をあまり変えたくないので、入学時などの「春休みの課題」にそういう新単元を中心に出して、教えた事にさせてしまう、という教育テクニックがあります。公立高校で果たして可能なテクニックかどうかは知りません。

新学期の数学は、第2章の「二次関数」から始まるのが、私立の進学校あるあるです。

ほか、整数とかも21世紀になって加わりましたが、これを春休みの課題に回すという手もあります。春休みの課題に整数を回すことで、新学期からの授業では、90年代からの伝統的な授業計画を変えずに済みます。整数なら中学生でも分かるし、整数問題は中学入試などでも出ることがあるので、コレも課題にちょうどいいです。

ほか、幾何学のチェバの定理とかああいう授業で飛ばす単元を「春休みの課題」に回すというのも手です。

データの分析、整数、図形、これを「春休みの課題」に回してしまえば、授業は二次関数から始められます。そして二次関数が終わったら、さっさと三角比・(数学IIの)三角関数に入れます。私立なら数か月早く1年生のうちに三角関数を始めるというのも進学校あるあるです。私立進学高校では、入学時の数学の教科書は2年生の分まで買うことになり、1年の終わりには数IIをやるのが定番です。


私立の進学校や、偏差値が高めの私立高校に進学するということは、こういうハイペースな勉強が必要だという意味です。そういう勉強がイヤなら、もし読者が読んでる今がまだ中3の春~夏なら、そもそも高校卒業後の進路(たとえば「どこどこ大学に進学したい!」とか)を考え直すべきです。

そもそも私立の難関校の場合、そもそも高校入試問題の時点で、もうそのような高校予習を意識した出題になっている場合もあります。たとえば数学なら、確率の「順列・組み合わせ」の初歩なら中学生でも何とか解けるので、そういう出題がもう偏差値60私立高校あたりから高校入試で出されたりします。

なお、理科・社会科については、あまり高校入試に理科・社会科を出す私立高校は少ないが、もし入試に理科・社会科を出す場合、偏差値のそれほど高くない55~60くらいの日東駒専(日大・東洋大・駒沢大・専修大)の地方の付属校レベルでも、もう高校の理科基礎レベルの話題を出します(たとえば日大の付属など)。

これはなぜかというと、中学教材でも理科・社会科の検定教科書のコラムや、学校配布の資料集などで、普通に高校範囲の内容も紹介しているからです。私立高校側からすれば、単にコラムや資料集などもよく読むマジメな受験生を高校入試で欲しいだけですが、しかし中学校ごとにどの教科書や資料集を使っているかは違うので、よって、発展的な参考書が必要になります。

標準的な高校受験用の理科参考書を買えば、その参考書の傍注(ぼうちゅう)やコラムや発展あたりに書いてあるレベルですので、そういう参考書で自発的に勉強する能力が要求されています。こういう人らと3年後に大学受験で競走することになります。

また、国公立の中高一貫校では、高校の国語の「言語文化」科目や、社会科の「公共」と高校家庭科「家庭基礎」と「情報」を、中学のうちに1単位ぶん開始している学校もあります(国立の神戸大学付属の中等教育学校の公表されているカリキュラム表がその証拠[1])。

なお、この神戸大付属校、教育課程表を見ると、けっして「家庭総合」など履修してないし、芸術IIもないし、情報IIもないし、第二外国語のドイツ語とかフランス語もありません。受験特化のカリキュラムです。国公立だからって、必ずしも、受験以外の教科もバランスよく勉強しているわけではありません。つまり、一般的な公立高校の教育課程にある「自由選択科目群」が、この神戸大付属校には無いです。

いっぽう、たとえば東京都立の日比谷高校のカリキュラムは、選択科目ですがドイツ語・フランス語などありますし、芸術IIも履修させる方式です。日比谷高校には「自由選択科目」群があります。このように、国公立の進学校でも学校ごとの個性の差が大きく、必ずしも国公立の進学校すべてが日比谷高校のようなわけではありません。けっして、国公立の高校だからって、フンボルト理念的なバランス人材を育成してるなんて、早合点しないようにしましょう。


早慶上理(早稲田、慶應、上智、東京理科)など大学偏差値が60以上(もちろん駿台模試で)の私大に現役合格したい、というのは、こういうハイペースな勉強が高校3年間も持続できることが前提です。

その上で、「文武両道」とか言ってる高校なら、部活とかも熱心にしてるので、とんでもない重さです。甲子園に野球部がときどき出場してる運動部の強豪校の私立高校なのに、高校入試の数学でもう「順列・組み合わせ」に相当する出題をしてる私立高校とか、これもうかなりハイペ-スの高校なわけです。

決して東大合格者とか医学部合格者とか少ない私立高校の高偏差値校だからって、決して「これなら私でも簡単に追いつけそう」みたいなヘンな勘違いをしないでください。そういう私立高校の人は、スポーツの選手寿命の短さなどの理由で現役で大学に行こうとするし、別に官僚や医者や大企業文系を目指していないので、いちいち浪人してまで2~3歳ほど年取ってまで国公立とか医歯薬学系とかを目指さないだけです。


ともかく、中学3年時代の、受験の年度の12月~年明け3月は、どうせ部活はすでに引退しているわけだし、委員会も基本的には引退でしょうから(ただし、学級委員など一部の委員を除く)、特に卒業式までの放課後には用事は無いと思います。なので、特に放課後に仕事のある委員会・部活のメンバーでもない限り、合格後はさっさと高校レベルの英単語などを予習・復習しましょう。


中高一貫校の冬期講習

私立の中高一貫校の進学校は、中3の冬休みは決して休みではなく、冬期講習があったりします。さすがに12/31の大晦日(おおみそか)の数日前と正月の3が日は休みでしょうが(教師も休みたいので)。まあ、クリスマス休暇(きゅうか)なんて無いと思うのが常識でしょう。

「進学校の高校に合格する」という事は、彼らと競走することです。


中3最後の春休みの部活動の有無

なお学級委員のほか、吹奏楽部・合唱部が、卒業式の当日に演奏や合唱などで部の活動として校歌や卒業式歌などを式のBGMとして公演させられる学校も時々よくあります。しかし常識的に考えて、受験勉強の負担になるような練習計画は組まないでしょう。

ただし、公立高校は試験日が遅く3月に受験をするのが普通なので、受験日と卒業式の日にちが近く、少し日程的にキツいかもしれません。

少子化などの問題もあり、地域によっては吹奏楽部・合唱部などの2年生以下の部員が少ない中学もあります。

ここら辺は、それぞれの中学の問題であり、当wikiからは当事者でないので知りようがなく、何とも言えません。それぞれの中学で、どうにかしてください。

中学だけでなく高校の卒業式も同様の傾向、吹奏楽部や合唱部などは儀式の音楽の練習に付き合わされるという慣習の高校もあり、その場合は高校も卒業前の日程が埋まる。

吹奏楽部や合唱部など一部の部活の引退が遅いからといって、引退後も部の活動に付き合わされるからといって、特に高校入試では評価されません。受験本番での入試の得点が低ければ、志望校には不合格です。

進学高校と底辺高校の差

進学校は、さすがに入学式は授業がありませんが、しかし2学期や3学期の初めなどの始業式の日は3時間目あたりから授業があります[2]

進学高校は、体育祭とか文化祭の準備や練習などで、いちいち授業を潰しません。放課後とかに体育祭などの練習や準備をやります[3]。このため、ただでさえハイペースな進学高校は、ますますハイペースになります。

ほか、定期試験の出題範囲が、すでに違っています。

数学なら、たとえば章末に入門的な「A問題」の頁と(基本問題~練習問題レベル)、「B問題」(応用問題~発展問題、理系向け問題)の頁とがあって、底辺高校だとA問題しか1~2年生の定期試験しか出ない、なんて差もあります[4]

底辺高校が3年生になってから文系コース数学で習うB問題が、すでに進学高校では1~2年生の定期試験で文系コースがクリア済み、なんて差もあります。

ほか、(進学高校などでは、)チャート式など参考書から定期試験の数学が出題される場合もあります[5][6]。私立高校側が入学前などに数学参考書を買い与えている場合もあります。(進学校でないと、検定教科書と、教科書会社による傍用問題集しか与えてない場合もあります。)


高校入学前の3月中盤~後半の「仮入学」が、公立高校だと、私立の1~2月の「合格者登校日」と同じで制服など学用品の物品購入とかだけど、しかし私立はその物品購入を2月や1月に終えてるので、私立の3月の「仮入学」ではもう、確認テストなどを始めていたりとかもしかねません。私立の仮入学は、一部の入学の遅れた生徒を除き、もう春休みの課題の確認テストとかを仮入学の日にしていたりとか、しかねない。

進学校では、公立高校でも私立高校でも「宿題考査」(しゅくだい こうさ)などと言うテストがあり、予習を含む宿題も含めて、休み明けの確認テストやあるいは定期テストの範囲になります。春休みに限らず、夏休みや冬休みなどでも同様です。

つまり、学校で習ったことだけでなく、宿題すらも定期テストの範囲になるのが進学校あるあるです。もしかしたら偏差値の低い高校でも宿題考査はあるかもしれませんが、進学校のおそろしいところは、宿題に予習が入っていることです。

また、このような宿題考査の事実から、ちまたにあるエセ勉強法の「受験対策では、基本的に復習さえしてればいい」と言うのは大間違いであり、そもそも進学校は宿題などで予習を生徒に命令しています。その宿題を全体に授業がすごいハイペースで進んでいくので、宿題で予習しているのを知らない外部の人は、てっきり「進学校の生徒でも、授業の復習しかしていない」と勘違いをしているだけです。


公立の生徒がこれから制服を購入するために高校に登校する際、私立の生徒はもう高校の制服を着て高校に登校の時期です。入学前の3月後半の登校日の確認テストで、テスト後、生徒が「あの問題むずかしかったよね~」(女子)とか、男子が「なあ、あの問題、解けたか~」(男子)とか、確認テストの問題の話をしたりの時期です。日本の格差社会。


ほか、教育課程表だけでは一見すると「授業進度が遅い」ように見えても、じつは定期試験では高校1年からB問題にまで入っている、じつは授業スピードの速い高校もあります(しかも、その高校の生徒が気づいてない)。

だから、たとえば、偏差値の高い私立高校(たとえば高校偏差値65)で校風の自由さがウリの高校で「わが高校は、のびのびとした学風の高校で、カリキュラムの自由度が高いです」みたいな『ゆるふわ系』みたいなことを言っている偏差値60の高校とかでも、じつは文系コースの生徒ですらB問題に高校1~2年の定期考査で当然のように挑戦させられていたりするのです。勘違いしないでください。決して、のびのびとした『ゆるふわ系』の校風だからって、決して定期試験の5教科の出題まで『ゆるふわ系』ではありません。市販の受験ガイドにある高校偏差値はウソをつかない。


決して、文化祭とかの行事の日だけの軽快そうな雰囲気に騙されてはいけません。じっさい、偏差値の高い進学校に、文化祭以外の日にちの土曜日(たとえば高校説明会など)に行くと、自習スペースとかで高校生が黙々と放課後に勉強してたりする人がなんか多くて、空気がピリピリしていたりします。何度も言いますが、市販の受験ガイドにある高校偏差値はウソつかない。

そういう高校生活がいいか悪いかという話は当ページでは一切しておらず、進学校はあくまでこういう所です。こっちが進学校の本性(ほんしょう)です。たとえ部活との両立とか文武両道みたいな事を言っていても、基本的に偏差値60越えをしている進学校の高校は、こういう感じの、少し勉強でピリピリした雰囲気もある学校なのです。


それを知らずに、うっかりスポーツ推薦とか部活の県大会などの業績で偏差値53くらいの人が、偏差値60以上のゆるふわ系の私立高校に特別枠で合格してしまうと、けっこう高校の授業についていくのに大変ですので、頑張ってください。

問題集も、進学校なら自分でやります。定期試験の1か月くらい前などに問題集の範囲も示されて、そういうのを自分でコツコツとやれるのか、評価されているのです。


こういう、細かい差が積み重なって、進学高校のもつ、大学側からの指定校などの信用が生まれています。

高校入学の時点ですでに進学高校は先に進んでいるのに、ますます先に進みます。

一見すると難しそうですが、何のことはない、学校配布の問題集をきちんとその学期中に大体こなすとか(ただし数学問題集・物理問題集とかのB問題の理系向け発展問題とかは、さすがに高校3年に回す)、あるいは市販の普通の参考書や単語集とかできちんと予習・復習もしているかとか、そういう当たり前の勉強が出来るかどうかが見られているのです。


さらに、受験特化の超・進学校では、そもそも高校の部活の引退が早くて2年生の3学期末で引退とか、もう2年生の2学期末で引退とかの高校すらあると言われています。偏差値70前後以上の高校になると、私大の付属高校ではないかぎり、それはもう超進学校かどうかといった問題になってきます。

あまり偏差値が高すぎる高校に進学しても、「部活の練習の時間もなくて不満」とか、「授業がハイペースすぎて、ついていけない」とかになるので、まあ各自で志望進路をもとに高校の志望校を調整してください。

ほか

進学校はもう、校歌を入学前に覚えさせられます。「ホームページ(または動画サイト)に校歌の音源がアップロードされてるので聞いて覚えろ」系です。パソコン環境が無いなら用意しましょう。というか、そもそも出願の時点でweb出願で、パソコンの無い家庭を弾いています。

ほか、進学校でなくともありますが、入学者登校日のうちに、校歌の練習です。

高校は「芸術」教科が選択性なので、「音楽」科目を履修しない人もいるので、なので別の日に練習です。進学校は授業時間を校歌指導でつぶしたくないので、登校日とかのうちに校歌の練習です。

私立進学校は伝統的に先取り学習[編集]

ていどの差はあれ、私立の進学校は、先取り学習をしています。

ビジネス雑誌プレジデントのネット記事『「かつては東大卒よりも価値があった」47都道府県に必ずある"超名門"公立高校の全一覧【2022上半期BEST5』によると、もう1963年の時点で、灘高校では高校2年に高校3年の範囲を終わらせていると言われていました[7]

それが正しい勉強法か知りませんが、こういう人達が大学受験で難関大を目指す際の競争相手です。

春休みの読書感想文[編集]

私立高校や難関校などでは、『春休みの課題』の一つとして、英単語や数Iの因数分解(3次式)のほか、読書感想文が出ます。この『春休みの課題』の課題図書は、高校側から指定されます。べつに読書感想文じたいは大学受験の一般入試には必要ないのですが、これを例に、エリート高校生に必要な考え方を説明します。

課題図書は高校側から指定されるので、特に高校新入生としては何を読むかは考える必要は無いのですが、しかし本ページで何も説明しないのもツマラナイので、この節では、教育者の側の視点で、大人たちがどう考えているのかを説明します。

なお、高校によっては、春休みではなく夏休みに回されて、『夏休みの読書感想文』となる場合もあります。春休みは、因数分解とか英単語の課題とかで忙しい進学校もありますので。ゴールデンウィークの前後に提出、というのもよくあります。

原稿用紙に手書き

なお、春休み直後に感想文を提出するスケジュールの高校の場合、基本的に(パソコンではなく)原稿用紙に手書きになるでしょう。なぜなら、まだ入学前なので、高校の用意するPCアカウントが使えないからです。

中3と新入生と高校3年生以外は、まだ授業が3月の後半まで続いています。なので、中3が卒業する時期でも、まだ高校のPCアカウントが変わりきっていません(3~4月はアカウントの変更の作業中です)。このため、パソコン用アカウントを新入生が使えるのは、入学後のもっと数週間ほど後の時期になる場合があります。

なお、新入生に限らず、これから高校2年生~3年生になる生徒や、中高一貫校の付属中学の生徒でも、春休みとその前後の時期は、年度の変わり目のコンピュータ関係の移行作業中なので、学校のコンピュータ室やそれ用のアカウントなどは使えません。

売り切れ注意

電子図書でない場合、課題図書は、時間が経過すると売り切れます。再入荷には時間が掛かりますので、教科書購入のタイミングの時についでに早めに購入しましょう。たとえ感想文の提出日がもっと後のゴールデンウィークなどでも、購入は早めにしなければならず、春休み中に購入して課題図書を手元に確保しないといけません。

物語とは限らない[編集]

まず、「高校入学時の読書感想文は、物語の感想文とは限らない」という点です。よくあるのは、たとえば郷土史(きょうどし)などの身の回りの歴史を扱った解説書などの感想文です。たとえば、思いつきで架空の題名をあげますが、『関東地方の宿場町の歴史』(架空)みたいな感じの本です。どうせ『総合的な探究の時間』の地域探究とかで郷土史の本を読む生徒が多いのだし、だったら最初から郷土史の入門書を課題図書にしてしまえば一石二鳥です。

さすがにピンポイントに学校のある市町村の郷土史ではないですが(たとえば『武蔵村山の宿場町の歴史』みたいなのは無い)、しかし『関東地方の○○の歴史』みたいに道州レベルに限定すれば、その地方に関係の深そうないテーマの歴史本が幾つか出版市場にあります。

さて、「物語」以外といっても、さすがに数学や物理の本が課題図書になるわけではなく、文科系の分野か、せめて社会科学(しゃかい かがく)系に限りますが。教師側はあくまで感想を第一に書かせたいので。読書で得られる歴史知識とかは、あくまで派生物です(ただし、歴史本や社会科学本のなかで、派生的に自然科学に触れることもある。たとえば明治の近代化の歴史をあつかう本なら、必然的に西洋から輸入した科学技術の知識も扱うので)。

※ なお、明治時代の歴史をあつかう本を課題図書にした場合、そのまま高校1年の『歴史総合』にも使えそうな知識なので、一石二鳥どころか一石三鳥です。

このように、どうせ本を読むなら、のちのちの授業でも応用できそうな本を読むのが一石二鳥です。偏差値の高い高校では、高校側がそういう応用性の高そうな本を、課題図書に指定してきます。

なのに「読書感想文 = 物語の感想文」としか思いつかない低い偏差値の高校の人はもう、ここで格差が開いています。

世間には「感想文」とか「読書」と聞くと、物語しか思いつかない人がいます。おそらく、国語の授業以外で感想文を書いたことのない人なのでしょう。しかし、少なくとも偏差値の高い高校の入学時の読書感想文は、そうではありません。


20世紀のかつては、心理学や再生医療など新しめの学問の入門書などが課題図書に指定されたりした時代もありました(なんか医学部の小論文に使えそうな課題図書)。しかし、現代では、あまり課題図書には選ばれないでしょう。国語教師が最近の進歩の早い心理学やら再生医療の知見を追いかけるのは、労力的に無理なので。


そもそも、高校入試とその対策で、物語文とか古文漢文なんて充分に読ませてるわけで、なので読書感想文としては、入試では問われなかった他分野との総合力とか高校側は見たいわけです。そのほうが全人格的な総合力の育成にもなるし、まさに『総合的な探究の時間』に必要な総合力の育成にもつながるし、文理融合の課題解決の土台にもなからです。

なのに「読書感想文 = 物語の感想文」という偏差値の低い高校の人はもう、ここでも格差が開きます。こうして、格差は開くべくして開くのです。


ほか、世の中には知能障害の重い人がいて、そういう人の中には、たとえば小学校の掛け算と割り算すら出来ない人もいます。そういう人は当然、高校受験でも、けっして大学受験を目指すような進学高校には合格できなくて、障害者教育のための特別な高校に進学するわけです。そういう障害の重い人は、ほとんど物語文しか読めない人もいるのです。

進学高校の人なら、そういう障害ある人が読めないような、複合的で高度な問題を扱った歴史書とか読むと良いでしょう。そういう本が、高校教師の手によって課題図書に選ばれているわけです。

なるべく新しめの本[編集]

なお、課題図書でたとえば歴史を扱う本を図書にすることもあるからといって古すぎる本ではダメで、なるべく最新の知見(ここ十年以外が良いでしょう)が反映された本を読むのがポイントです。とはいえ、高校側が気を利かして、そういう新しめの本を課題図書に指定してくるので、中高生としては特に気にする必要がありません。

よく、「西洋の大学では、ギリシア以外の国でも教養として古代ギリシアの古典を読ませるのが正統とされる」とか言いますが、しかし、そういう古い本を読む前にまず、高校生や中学生は、なるべく新しい知見を入れるべきなのです(ここ50年以内の知見が良いでしょう)。そもそも大学から異国の古典を読ませるという事は、裏を返すと「高校卒業までは、異国の古典には、あまり深入りさせない国が多い(単純な暗記科目になりやすく、教育効果が低いので)」という意味でもあるのです。

中学校の社会科の教科書の構成だって、そうなってるでしょう。多くの中学校の社会科では、まず中1に『地理』によって、ここ20年以内の世界情勢について現状認識の目星(めぼし)をつけで、そのあと中2で『歴史』に入って起源をさぐっているのです。

ほか、そもそも古典文学や古代史・中世史などはすでに多くのプロの学者によって研究済みのことが多く、なのに今さら高校新入生ごときが研究しても、新しい観点からの新しい知見につなげるのは 至難のワザ(しなんのわざ)です。(よほどテクノロジーが急速に発展したりしないかぎり、新しい研究手法は出てこないので、高校生ごときが新発見をするのは至難(しなん)です。)

読書感想文では、別に論文を書くわけではないので、新発見をする必要は無いのですが、しかしまあ、どういうわけか基本、課題図書には新しめの本を選んでくれるのが一般的です。


新しい本の著者は基本、古い古典から得られる知見を先行研究として踏まえた上で、新著を書いてくれてるわけです。読者の時間を節約するために、古典のうち要点だけを踏まえて、新著に活用しているわけです。なのに、せっかく新著の著者が古典をふまえて要点だけを活用してくれたのに、若者がまた古典から読み直しては、社会全体では作業が重複しており、時間の無駄です。


新著の著者が先行研究をほんとうに踏まえているかどうかは、すでに出版社の編集員などが確認をとっています。さらに教育系団体の「推薦図書」に指定されるような新しめの本なら、その団体のメンバーも確認をしているわけです。その上、さらに高校新入生の課題図書に選ばれるような本では、その高校の教師も、新著の内容のすぐれている点を確認しているわけです。

なので、その上さらに高校生が古典から読み直すのは、もはや作業の重複であり、時間の無駄なのです。

なるべく外部者が書けない感想文を[編集]

どうせ著作物を書くなら(感想文も著作物の一種です)、オリジナリティがあったほうが希少価値(きしょうかち)が高くて良いので、郷土史のように他県の人には深い感想の書けない分野の本を読むというのも、よくある手です。役割分担です。まあ、進学高校なら高校教師側がそういう本を課題図書に選ぶので、そこの新入生なら悩む必要は無いです。

いっぽう「読書感想文 = 物語の感想文」として世間で流行している本ばかり読んでる人は、もう図書選びの時点でオリジナリティが低く、格差が開いています。


物語を読むにしても、どうせ読むなら、「高校生になる自分たちのための本」を読むべきです。

主人公が現代のリアルな高校生、「青春の悩み」みたいなのをテーマにした物語の本、そういう本を優先して読んだほうが、読書感想文としては良いでしょう。というか、そういう物語の本が、教育系団体の「推薦図書」を経由するなどして、高校の春休みの課題図書に選ばれたりします。

どんなに世界的に売れてる童話とか、幼児むけのファンタジー文学だろうが、そういうのは後回しにすべきであり、そもそも課題図書に選ばれないでしょう。コツは「幼児でも読める本は、幼児に読ませる」です。


なので、世間の流行を追いかけているだけの 事なかれ主義(ことなかれしゅぎ)の人、つまり まるで「赤信号、みなで渡れば、怖くない」(芸人の ビートたけし の川柳(せんりゅう))みたいな発想の人は、著作権ビジネスの世界でも、負けるべくして負けてしまいます。

図書選びのコツとしては「なるべく、バカでも存在に気づく本は読まない」のがポイントです。

このように、格差の大きな原因の一つは、そもそもの思考・趣向(しゅこう)がもう、格差競争で負けるべくして負ける思考回路になっているのです。

『ハイリスク・ハイリターン』という言葉がありますが、世の中には、ご都合主義のワガママな人もいて「他人と同じことばかりやっててローリスクでいたいけど、でも報酬はハイリターンのほうが良いなあ」とか思ってる、頭わるい人も多いのです。

単に性格が悪いゆえの事なかれ主義のくせに、「自分は協調が高い」とか勘違いして「俺はみんなと足並みをあわせて頑張って流行を追いかける勉強をして同じことをしてるのに、なんで俺は評価が低いんだ!」みたいに勘違いしている人も世間に多くいます。単に流行にながされて、広告メディアの用意した情報を消費してるだけのことを「勉強」だと思ってる、末期(まっき)の人も多いのです。


余談[編集]

課題図書が、なん十冊もの中から自由に選べる高校と、数冊の中から選ぶ高校と、1冊を指定される高校があります。

1冊を指定する高校の場合、その図書中の漢字などが定期テストの範囲になったりします。本当に読んだなら、漢字を書けなくても読めるはずだよねって言うこと。


課題図書の宿題は、出されるのはせいぜい年に1回くらいです。私立の進学校では、夏休み・冬休みなどは塾の夏期講習とか冬期講習とかで忙しい人もいるので、そんなに読書感想文ばかり長期休暇のたびには出しません。


全国コンクール

青少年読者感想文全国コンクールが選ぶ「課題図書」と、進学校が選ぶ「課題図書」とは違います。どこの地域の大型書店などでも春先や夏先などに並ぶ「課題図書」は、この全国コンクールの課題図書です。

全国コンクールは、甲子園とかああいうのと同じで、大会です。そういう大会に興味ある高校生は、どうぞ全国コンクールの図書をお読みください。たとえるなら青少年読者感想文全国コンクールの課題図書は、吹奏楽の大会の「コンクール」の「課題曲」とかと同じような文脈での「課題図書」です。

高校の理科と社会は中学コラムの復習レベルから始まる[編集]

中学校の理科と社会科のコラムでは、高校の範囲をあつかっています。中学教科書・資料集の教科書会社・教材会社によって、高校のどの話題をコラム的に扱っているかが違います。なので高校では、理科と社会科では、どの単元でも、中学のコラムで扱ってようが、理科と社会科ではその中学コラムの内容の復習から始まります。


高校教師はいちいち「復習」と宣言せず、単に高校の教科書に書いてあることをそのまま授業しているだけです。しかし結果的に高校教科書の理科と社会科の内容が、理科と社会科では、中学コラムの復習から始まる内容になっています。


けっして「うちの高校は、1学期に中学レベルの復習をしている! レベルが低い」とか悲観しないでください。高校の授業の各学年の初めはそういうものであり、中学コラムの復習から始まります。


公立中学校だと、その地域の公立小学校と連携しているので、小学校で扱った内容との重複が無いのですが、しかし高校は違います。


特に社会科では、歴史分野は中学2年、地理分野は中学1年で習い、公民と比べて1年間以上のあいだが空いていますので、高校の世界史や地理などが中学コラムで扱った内容から始まると、ついつい高校教育のレベルが低く感じがちですが、単に高校教育に関する勘違いです。


日本は教科書検定の制度があるので、中学教科書は教科書会社ごとにコラムの内容がバラバラですので、高校はいちいち特定の教科書会社のコラムにまで合わせることはできません。

文化祭に模擬店の無い高校・大学[編集]

高校によっては、文化祭の出し物で、焼きそばとかを生徒が販売する模擬店(もぎてん)がありません。必ずしもどの高校の文化祭にも模擬店が存在するとは限りません。なぜなら、資金管理の難しさ、販売トラブル時の対応の難しさもあります。特に食品を扱う場合は、食中毒の防止の問題、ほか、加熱などの際に火器を扱う問題もあり、なかなか現代日本では模擬店は難しいのです。

保健所への届け出の有無など、進学校の生徒にとっては時間が掛かり、受験競争のきびしい現代では、なかなか難しいことを理解する必要があります。関係者の検便(けんべん)なども、面倒です。

たとえ卒業生の中高年の保護者が高校時代だったころには母校の文化祭で模擬店があっても、さいきんの子世代・孫世代の現代では模擬店をしなくなっている場合もよくあります。

「食品の販売を認めていない」、または「食品を扱う場合は、一般の商店で購入した調理済み食品(菓子など)の転売しか認めてない」、「火気厳禁」、などの制限がある事も現代では多々あります。

なので、商業高校などでないと、生徒による模擬店での飲食の販売は難しかったりします。

また、理系の大学学部の進学に力を入れている進学高校の場合、文化祭での模擬店の経験などビジネス系の経験は推薦入試などのアピール材料になりづらいし、そもそも理系の多い国公立があまり推薦枠そのものを取ってない、などの事情も理解しなければなりません。


または、たとえ文化祭に屋台はあっても、販売している人が生徒ではなく、高校の取引先の外食業者、イベント業者の手配した屋台業者、なんて事もあります。

マンガなんかだと、学園モノのマンガでは生徒が文化祭で色々と販売したり商売したりしますが、マンガはフィクションですので、実態とは違います。

「運動部が文化祭で、模擬店の屋台で食品販売」なんてのは、もはや進学高校では昭和や平成初期といった昔の話です。なので運動部の人は、体育祭などでアピールすることになります(もっとも、体育祭を校外に公開してない高校も多いので、高校受験をする中学生には無関係です)。

なお、大学でも、理科系の大学だと、食品販売どころか、学生による模擬店そのものが無い場合もあります(屋外には業者による屋台があるだけ)。昼食は校内の食堂だったりします。特に医歯薬系の学部学科など、日々の学業でとても忙しいので、学生の模擬店は無い可能性が高いでしょう。

大学でも、文科系の学部とか、理系なら栄養学科とか食品系でないと、じつは文化祭で学生が食品を販売していない場合が多いのです。

中高一貫校の内部生と外部生の差[編集]

行事の差

たとえば芸術鑑賞会の行事で、公立中学では交通費の問題からか文化庁の補助金によって地元の公民館や文化会館に楽団などを招いての鑑賞行事だったりする一方で、私立中学では文化庁の補助金の公民館での芸術鑑賞会はしつつ、さらに別行事で、私立中学ではたとえば自費で自校の体育館(講堂を兼ねている)などに文化人を招いて実演や講演してもらったりとか、あるいは自費でどこかの美術館だの音楽コンサートホールだのに鑑賞に行ったりとか、私立は少し芸術行事が多い場合もあるえるのです。

なお、私学あたりの中高一貫校の進学校での中学および普通科高校での芸術教育のレベルですが、べつに芸術系の学科ではないので、せいぜい芸術系の(やる側の)行事が中学と高校どちらかで1個多いぐらいです。あまり行事が多すぎると5教科の勉学に支障がありますので。


体育の中学での授業の差

体育の授業も、公立中学では学校によってはプールが無くて水泳の授業が無いとか、公立・私立の格差があるわけです。

ほか、その私立の設立の理念かなんかで、普通の中学の授業ではしない、ややマイナーなスポーツや武道をしている私立中学もあったりします。


差がない部分もあります。

さすがに私立中学でも、フットサルやスカッシュやクリケットなど、あまりにマイナースポーツすぎるのは、(指導要領の体育科には書いてありますが)さすがに授業でそれらマイナースポーツを行うのは、ごく少数の私立中学だと思いますので、心配は不要です。

また、古典的な武道でも、剣道とか身体に合う防具が必要なのは、さすがに私立中学でも授業に取り入れるのは難しいです(いちおう指導要領では剣道の授業も可能)。なお、弓道は私立中学でも敷地不足で弓道場が無い私立も多いので、公立中学出身だからといって引け目を感じる必要はありません。

テニスの授業は、私立なら都心でも何とかテニス場はあるものの、敷地の問題で、テニスの授業を多くするのは私立の中高でも難しい場合もあります。


地方の中学から東京など都会の過密な地域に上京進学すると、敷地の問題で、高校での体育の授業での種目が、狭い場所でも一斉授業できる種目に限られることになります。

見方を変えれば、生まれた最初から東京に住んでいる家庭の学生は、最初から体育授業で受けられる回数の多い科目が、そういう狭い土地でも授業しやすい種目に限られているわけです。


大学スポーツの余談

ついでに大学のスポーツの話をしますと、都心すぎる東京23区内の大学は、実はスポーツがあまりさかんではありません。なぜなら、そもそもスポーツ用の敷地が狭いからです。

有名大学でも、大学によっては水泳プールが都心の校舎には無い場合もあります。また、都心でなくても、理科系の大学などはプールが無い場合もあります。

大卒のプロスポーツ選手の出身の学歴を見る時、学校名だけでなく学部名を見ると、その学部は郊外の校舎だったり(東京なら多摩地方や、他県なら神奈川・千葉・埼玉など)、あるいは地方都市の大学だったりします。そういう意味です。

弓道場やアーチェリー場の無い大学も多く(「アーチェリー」とは西洋弓術のこと)、そういう大学からは、弓道やアーチェリーのプロの卒業生は、まあいないのが普通です。


マスコミでは東京の国際大会などが放映されるので、あたかも東京はスポーツがさかんなように素人は錯覚しますが、しかし東京都心は敷地不足ですので、トレーニング効率には疑問があります。

また、都心にある私立大学の学部の多くは、戦前は専門学校だった学校も多く、そういう学部は当然、スポーツの設備が貧弱であり、大学所有のプールが無かったり、運動場なども敷地が狭かったりします。(現代でも簿記(ぼき)専門学校とかマンガ専門学校とかに水泳プールが無いのと同様です。)

こういう都心の敷地不足の事情があったから第二次世界大戦後、東京にあった私立大学は、多摩地域や埼玉や千葉などの郊外に新校舎を建てるため、新しい学部に進出したわけです。


私立高校でも、千葉や埼玉などのやや奥まった地域に、都心の有名私立大学の付属校の私立高校があったりするのも、そういう都心の敷地不足という事情での、戦後の進出です。戦後の開発で都心だと敷地不足になり、だから戦後、郊外に付属高校の校舎を立てたのです。


伝統私立はもう校内の部屋が満杯

敷地ついでに言うと、私立がたとえば「ICT教育など新しい教育のための新しい設備が必要だ」と思っても、敷地不足で設備を増やせない中学高校もあるでしょう。たとえば3Dプリンタを導入しようにも、もう置く場所が校内に無い(コンピュータ室はもう満杯)、という私立高校も多いわけです。仮に学級を1つ減らして1室あければ設備を増やすのは単純計算では可能でしょうが、しかし授業料収入がかなり減ります。

高偏差値の私立高校には、田舎の公立とは違って「空き教室」なんて発生しません。

もし、私立の中高の6学年で1クラス(40人)減らすと、学費が年間100万円だとして、6×40×100万円=24000万円 つまり年間で 2億4千万円 の収入減少です。かなりキツイ。私立高校は付属もあるので中高と6学年がつながってるので、決して1学級だけを減らして1室だけを空けて4000万円の減少に留めるというは出来ず、6学級ずつ減らさないといけないので2億4千万円の減少なのです。

しかも、1学年で偶数の8学級だったのを奇数の7学級に変えると、体育などの2クラス合同授業の編成も直さないといけず、面倒です。まあ、なのでクラスを減らすのは、有名私立では実質的に無理です。

いっぽう、付属中学を募集停止すれば大幅に部屋が空いて設備を増やせますが、今度は収入が大幅に減りますので、設備の購入費用が調達しづらくなります。おそらく銀行なども許可しないでしょう。


なので私立では、ソフトウェアみたいに敷地が不要なものに設備投資することになるでしょうか。


宗教などの教育の差

ほか、宗教系の高校なら、内部進学組はすでにその宗教の入門について習っているので、宗教教育も別々にせざるを得ません。


まとめ

まあ、上記の色々な理由で、内部進学組と外部受験組とを同じクラスにするのは困難です。

べつに外部受験組が負い目を感じる必要は無くて、外部受験組が内部進学組が体験してこなかった別のことを中学時代には体験してきています。

参考文献[編集]

書籍[編集]

なし(2024年03月31日の時点)

脚注[編集]