メディア倫理

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

ここではジャーナリストなどマスメディアの仕事に携わる人に必要なメディア倫理について解説します。

署名記事の必要性[編集]

w:実名報道も参照

ジャーナリストは記事を発表する際、署名記事を原則にすることが望まれています。

フリージャーナリストの上杉隆は『ニューヨーク・タイムズ』記者時代、同紙の東京支局長から、「取材・執筆した記事には最終的に責任を負わなくてはならない。もし、責任を負えないならばその記事は書かれるべきではない。署名記事は絶対条件である」、「たとえ、厳しい論調の記事になろうと、取材相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから、取材相手の名前を明らかにしながら、記者だけが匿名の世界に逃げるようなことはあってはならない。それは恥ずべき卑怯な新聞記者のやり方だ」といわれたといいます[1]

アメリカの新聞では、例外的に、独裁国家や戦地におもむき、自らの正体を明かすことが生命の危険につながる恐れがある場合は匿名が許されますが、それでも匿名にしなければならない理由が書き込まれて読者への説明責任を果たそうとしているといいます[2]

表現の自主規制[編集]

w:表現の自主規制も参照

小学館で『週刊ポスト』編集長代理などを務めた堀田貢得は、漫画は「ユーモア」と「毒」が作品の味付けに不可欠といわれているが、差別表現で問題を起こした作品の「ユーモア」や「毒」は許されないもので、発行部数の膨大さからいっても社会的影響は大きく、責任も大きいものであると指摘しています[3]

堀田は、「したがって、表現者には才能やセンスも重要だが、21世紀の表現者には人権感覚が強く求められる」とも主張しています。人権感覚は運動団体の関係者すら差別のカテゴリーが異なる人の人権となると「自信がない」と述懐するほど難しい問題で、出版業界でも人権感覚を研鑽するために社内啓発に努力しているが中々理解されないのが実情だといいます。あえていえば、実際に直面しないと理解できないのではないかと堀田は本音を述べています[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 133-138頁。
  2. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 138-139頁。
  3. ^ 『実例・差別表現』 34-35頁。
  4. ^ 『実例・差別表現』 35頁。

参考文献[編集]

  • 上杉隆 『ジャーナリズム崩壊』 幻冬舎幻冬舎新書〉、2008年7月30日。ISBN 9784344980884
  • 堀田貢得 『実例・差別表現…糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ』 大村書店、2003年7月7日。ISBN 4756330215