ロジバン/統語論/接続表現

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論理接続[編集]

厳密なレベルでの文というものは真理関数的である。たとえば「John is a man or James is a woman.」という文は、「John is a man」が本当(真)である或いは「James is a woman」が本当であるとき、真となる。「John is a man」が間違い(偽)でも「James is a woman」が本当であれば「John is a man or James is a woman.」は真である。逆もしかり。両方が本当である場合すなわち条件が二重に満たされている場合も真となる。この文つまり命題真理値は、それを構成する下位的な二つの命題「John is a man」と「James is a woman」それぞれの真理値との関数関係のうえに得られる。この論理関係の要となっているのが「or」である。「or」が「and」など他のものに替わるとき、論理関係が変わる。そのような接続語を正式には論理演算子といい、それを使った表現を論理演算という。論理演算という言葉はあまり日常的ではないが、用途自体はごく身近なものである。それぞれ本稿では論理接続詞・論理接続と呼ぶ。ロジバンは多くの論理接続詞を持っている。自然言語のものがときとして曖昧であったり不十分であるのにたいして、ロジバンのものは本格的な論理学の基準に即している。

真理関数は全部で16対が存在する。これを図式化したものが真理値表である。「or」は次のように表せる:

前の文 後の文 結果
T T T
T F T
F T T
F F F


*T・Fは真・偽の意
この図は、結果の真理値を集めて TTTF と書いて簡略化できる。つまり「~ or ~」の真理関数を TTTF として表せる。ロジバンの論理接続詞はそれぞれが独自の真理値表を体現している。

体言‐体言、用言‐用言、命題部‐命題部、文‐文という関係層の相違によって論理接続詞を使いわける。ただし表す論理関係の種類の一致によって同じ要素母音字が共有される。たとえば A という母音字は TTTF を表す要素として一連の .a / gi'a / ja / ija / ga / gu'a という接続詞に共通する。要素母音字そのものからなる .a は体言用の接続詞であり、他の接続詞にたいして最も単純な姿をしている。そこで以下のリストでは体言用のものを例として挙げている。

まずは基本的な四要素(ベン図は赤部分が真で白部分が偽を表す):

.a
TTTF : p OR q

(first is true and/or second is true:前者が真、または/かつ、後者が真のとき) (論理和)

.e
TFFF : p AND q

(first is true and second is true:前者が真、かつ、後者も真のとき) (論理積)

.o
TFFT : p XNOR q

(first is true if and only if second is true:前者と後者が共に真、または、共に偽のとき) (否定排他的論理和)

.u
TTFF : p

(first is true whether or not second is true:後者がどうであろうと、前者が真のとき)

この四つについて、左項(p)・右項(q)の否定や転換を施すことで、 TTTT と FFFF を除く全ての真理関数に対応する論理接続詞を得ることができる( TTTT と FFFF は非実用的なので用意する必要がない)。その組み合わせが次のとおり:

.anai
TTFT : p OR ¬q = p←q

(first is true if second is true:後者が真ならば、前者が真のとき / 前者が真、または、後者が偽の少なくとも一方が成立するとき)

na.a
TFTT : ¬p OR q = p→q

(first is true only if second is true:後者が真のときのみ、前者が真のとき / 前者が偽、または、後者が真の少なくとも一方が成立するとき) (論理包含)

se.u
TFTF : q

(whether or not first is true, second is true:前者の真偽は問わず、後者が真のとき)

na.anai
FTTT : ¬p OR ¬q

(first and second are not both true:前者と後者が同時に真でないとき) (否定論理積)

.onai
FTTF : p XOR q

(first or second is true, but not both:前者と後者の片方だけ真のとき) (排他的論理和)

se.unai
FTFT : ¬q

(whether or not first is true, second is false:前者の真偽は問わず、後者が偽のとき)

.enai
FTFF : p AND ¬q

(first is true, but second is false:前者が真で、後者が偽のとき)

na.u
FFTT : ¬p

(first is false whether or not second is true:後者の真偽は問わず、前者が偽のとき) (論理否定)

na.e
FFTF : ¬p AND q

(first is false, but second is true:前者は偽で、後者が真のとき)

na.enai
FFFT : ¬p AND ¬q

(neither first nor second is true:前者も後者も偽のとき) (否定論理和)

na は左項の否、 nai は右項の否を指す。ピリオドは単に母音の区切を示している。 nai の前にピリオドを打って na.a.nai としても問題はない。 se は PS の転換に用いるのと同じものであり、ここでは論理関係の反転を意味する(実際に .u と se.u のベン図は相対している)。

用言用と命題部用の接続詞は体言用のものを基本とした形をしている:

体言間 命題部間 文間 用言(重語)間
... na.anai ... ... nagi'anai ... ... na.ijanai ... ... najanai ...
... na.anai ... ... nagi'anai ... ... .inajanai ... ... najanai ...
... na.anai ... ... nagi'anai ... ... na.ijanai ... ... najanai ...
... na.anai ... ... nagi'anai ... ... .inajanai ... ... najanai ...
A GIhA JA* JA

灰色の部分が要素母音であり、ここが .e / .o / .u 等との代替箇所である。

解説書ではしばしば jek や gihek といった総称が用いられる。 jek と言えば ja / je / jo / ju の系全般を指す。同様に gihek は gi'a / gi'e / gi'o / gi'u の系全般を指す( jek と gihek の k は系の k、という語呂合わせができる)。

命題部という階層まで及ばずに用言のレベルで複数の言葉を繋ぎ合わせる用言用の接続詞はつまるところ重語と似た構造の中に置かれるわけである。ただしこのとき接続詞によって取り結ばれる言葉同士の間には修飾関係が成立しない:

lo melbi ja xajmi
綺麗あるいはおもしろい、もしくは両方を兼ねたもの

melbi は ja を介しながら xajmi と連なって重語構造にあるが、両者は修飾関係のかわりに論理関係を結んでいる対等な用言同士である。ちなみに ja すなわち OR (厳密には AND/OR)という接続詞を忠実に表せる言葉が日本語には存在しないため、訳は不自然な言い回しとなっている。

ja で結ばれた言葉のまとまりに別な用言が続く場合、この重語は修飾関係を伴う:

lo melbi ja xajmi ninmu
綺麗あるいはおもしろい、もしくは両方を兼ねた女の人

左から読んで先に出来上がる構造を優先するという原理に従い、ここでは melbi ja xajmi が一つの飾部に仕上がって右側の被部 ninmu に係っている。 ja によって結ばれているのはあくまで melbi - xajmi (美しい‐おもしろい)であり、 melbi - xajmi ninmu (美しい‐おもしろい女)ではない。後者の構造は次のように明確に表し分けられる:

lo melbi ja xajmi bo ninmu
綺麗なもの或いはおもしろい女、もしくは両方
lo melbi ja ke xajmi ninmu [ke'e]
綺麗なもの或いはおもしろい女、もしくは両方

bo は左にあるもの(xajmi)と右にあるもの(ninmu)とをデフォルトの結合法則から免れさせて結びつけるボンドのようなものである。これによって ja が担う論理関係が melbi - xajmi 間でなく melbi - xajmi ninmu 間となる。つまり melbi が飾部で xajmi ninmu が被部である( xajmi と ninmu の間にも下位的な修飾関係があることに注意)。もう一つの処方は ke-ke'e による意図的な結合(grouping)である。後者の例では ja のすぐあとに ke が置かれており、そこから何らかの結合が始まることが示されている。結合範囲は ke'e によって閉じられるまで続く。範囲の末端が文末となる場合は ke'e を省いてもいい。 bo の例と同様、 melbi が飾部で xajmi ninmu が被部としてまとめられている(xajmi ninmu そのものも一つの下位的な重語であり、 ninmu は当然 xajmi の被部である)。左から読み通すときには ke-ke'e の用法のほうが構造を把握しやすいといえる。また bo は両側2語のみを繋ぐのにたいして ke-ke'e はその範囲内に幾らでも語句を収納することができる。

重語の中の重語の中の重語、あるいはもっと複雑な構造の場合も要領は同じである。極端な例:

lo melbi ja xajmi je ke xendo ja prije ke'e kanro citno bo prenu
綺麗で或いはおもしろくて、そして親切で或いは賢くて、健康的な、若い人

nelci の対象となっている最上位の被部は prenu である。これにまず citno がデフォルトの結合法則を破って優先的にかぶさり、両者を kanro が修飾し、そのまとまりをさらに melbi ja xajmi je ke xendo ja prije ke'e という一つの論理構造体が形容している。ロジバンのほうで実現されている形容関係・論理関係が日本語のほうに継承されきれていないことに注目されたい。

用言間以外の用例をいくつか紹介する:

ko'a na.e mi prami do (体言間)
彼ではなく僕が君を愛している
mi djica loi bakni rectu na.e loi jipci rectu (体言間)
牛肉ではなく、鳥肉がほしい
mi do pu nelci gi'e cabo prami (命題部間)
僕は以前君を好きだったが今は愛している。
mi do pu nelci .ije [mi] [do] ca prami (文間)
僕は以前君を好きだった。(僕は)(君を)今は愛している。
mi djuno le du'u do vi gunka .inaja mi xlura do (文間)
君がここで働いていることを知っていたら、君を誘った

cabo の bo は、 先出の命題部の pu のsumtcitaに ca が巻き込まれないよう、後出の命題構に繋ぎとめておくボンドの役目を果たしている。

以上の接続詞は、繋ぎ合わせる言葉の後に出される後置的(afterthought)なものである。これに加えて前置的(forethought)な接続詞というものがロジバンには存在する。体言間・命題部間・文間に兼用のものと用言間専用のものと2種類ある。

体言/命題部/文間 用言(重語)間
ganai ... ginai ... gu'anai ... ginai ...
ganai ... ginai ... gu'anai ... ginai ...
ganai ... ginai ... gu'anai ... ginai ...
ganai ... ginai ... gu'anai ... ginai ...
GA GUhA

{ ... na.a ... } から { ganai ... gi ... } というふうに否定詞が na から nai になるのは、対象の否定項が前者では左側にあるのにたいして後者では右側にあるから。理論上は { ga ... nagi ... } も有効だが、構文解析の観点からこれは不適切とされる。

総称として、{ ga ... gi ... } や { genai ... gi ... } 等は gek 、{ gu'onai ... gi ... } や { gu'u ... gi ... } 等は guhek と総称される。

先の用言用後置接続詞の例は guhek で次のように言い換えられる:

lo gu'a melbi gi xajmi
lo gu'a melbi gi xajmi ninmu
lo gu'a melbi gi xajmi bo ninmu
lo gu'a melbi gi ke xajmi ninmu [ke'e]

用言用以外すなわち gek の例:

genai ko'a gi mi prami do (体言間)
mi do ge pu nelci gi cabo prami (命題部間)
ge mi do pu nelci gi [mi] [do] ca prami(文間)

このように gek のみで体言間・命題部間・文間の論理接続を表し分けることができることからそれぞれに固有の語句を別々に創出する必要が無かった。 guhek は命題部間の gek との分別を図るべく創られた。

非論理接続[編集]

ロジバンでは論理接続と非論理接続が分別される。両者の違いはたとえば次の二文それぞれの「と」にある:

サナエとレイコがジュースを飲む。
サナエとレイコがピアノを運ぶ。

前者は「サナエがジュースを飲み、レイコがジュースを飲む」、すなわち同じ動作を二人が別々に行為していることを表す。後者は、ピアノの重さを考えると、「ピアノの一端をサナエが持ってもう一端をレイコが持つ」、すなわち同じ動作を二人が協力して一緒に行為していることを表す。あくまでも妥当な解釈である。日本語の「と」はこの点では漠然としており、「サナエとレイコが一緒に同じジュースを飲む」、「サナエがピアノAを運び、レイコがピアノBを運ぶ」、という解釈もできないことはない。このあたりをロジバンは明確に表し分ける。例の前者は、「飲む」という事象の項である「サナエ」と「レイコ」が共に真である即ち AND の関係にあることを言うので論理接続の範疇である。後者は「サナエとレイコ」が一つの(mass)となって事象「運ぶ」に参与することを言い、この「と」には論理性が伴わない、つまり非論理接続の範疇である。群の他にも集合和集合積集合等、そして不特定のまとまりを表すための非論理接続詞が用意されている:

非論理接続詞・群 mass joi JOI
非論理接続詞・集合 set ce JOI
非論理接続詞・列 sequence ce'o JOI
非論理接続詞・共通 jointly jo'u JOI
非論理接続詞・各々 respectively fa'u JOI
非論理接続詞・和集合 union jo'e JOI
非論理接続詞・積集合 intersection ku'a JOI
非論理接続詞・クロス積 cross product pi'u JOI
非論理接続詞・不特定 ju'e JOI

先の日本語文の「と」は次のように区別される:

la .sanaen. e la .reikon. pinxe lo jisra
la .sanaen. joi la .reikon. bevri lo pipno


集合は PS を活用するうえで群と共に重要な概念である。たとえば cuxna (選択)の x3 は集合であり、「~から~を選びぬく」という身近な表現において頻用される:

mi cuxna la .sanaen. ri ce la .takacin. ce la .reikon. ce la .matsumot.
サナエとタカシとレイコとマツモトの中からサナエを私は選ぶ。


列の概念:

ti liste mi ce'o do ce'o la .sanaen.
これは僕と君とサナエ(を並べたもの)のリストです。

順序が関わっているので、リストを後から前へ読み上げる場合には se で逆転させる:

ti liste la .sanaen. sece'o do sece'o mi
これはサナエと君と僕のリストです。

もちろん文を繋げることもできる。その場合、列は時系列となる:

mi citka .i ce'obo pinxe
私は食べた。それから飲んだ。

実用上は ba と同様である:

mi citka .i babo pinxe
私は食べた。それから飲んだ。


共通性はたとえば用言によって二項化されているものを一つの項に押し込める場合に有用である:

la .sanaen. mensi la .main.
サナエはマイと姉妹関係にある。
la .sanaen. jo'u la .main. mensi
サナエとマイは姉妹である。

非論理接続の後者は次の論理接続表現と意味が大きく異なる:

la .sanaen. e la .main. mensi
サナエとマイは(誰かにたいしてそれぞれが)姉妹関係にある。


同じ事象について、異なる項が各々に異なる項と関わっていることを fa'u で表す:

la .sanaen. fa'u la .delius. cinba la .takacin. fa'u la .kloes.
サナエとデリウスが各々にタカシとクロエにキスする。(サナエはタカシに、デリウスはクロエにキスする。)

この関係構造はsumtcita連結用法(termset)ででも表せる:

la .sanaen. ce'e la .takacin. pe'e.e la .delius. ce'e la .kloes. cinba