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中学校国語/敬語

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

敬語

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相手への敬意をあらわしたり、文をやわらかくする言葉を敬語(けいご)という。動詞や助動詞が特別な形になったり、名詞に「お」「ご」をつけることで敬語にすることができる。(一覧表はw:敬語より)


敬語の分類法は、じつは2通りある。

ひとつは、丁寧語・尊敬語・謙譲語の3種類に分類する方法と、 もうひとつは、丁寧語・尊敬語・謙譲語・美化語・丁重語の5種類に分類する方法である。


3種類に分類する場合、美化語は丁寧語の一部として扱うのが普通である。

学校教科書でも、教科書会社にとって3種類の方法を採用しているか、それとも5種類の方法を採用しているかが違う。

文献によっては、丁重語を「謙譲語II」などと表記する場合もある。


教育の歴史的には、明治時代から西暦2000年ごろまで長く、敬語は3分類で教育してきた。

しかし2007年ごろから、中学高校の学校教育で敬語の5分類を紹介してよい事になったようである。


尊敬語

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尊敬語(そんけいご)とは、文中で話題になっている人物への敬意を直接表す言葉である。

動詞の尊敬語の場合なら、その動作をする人物が尊敬の対象である。


よって、たとえ、話題になってない人物への敬意があっても、話題にしている人物や動作主への敬意を示さない表現ならば、それは「尊敬語」には分類しない。

このような、文中の話題人物だけに敬意の限られる表現を、果たして「尊敬語」と呼ぶべきか読者は疑問があるかもしれないが、しかし歴史的な経緯によって「尊敬語」と呼ぶように普及してしまっている。なので、学校教科書でも、文中で話題になっている人物への敬意を直接表す言葉のことは「尊敬語」と呼んでいる。


通常の言葉 尊敬語
言う おっしゃる
行く いらっしゃる
おいでになる
お越しになる
いる いらっしゃる
おいでになる
(おられる)
思う 思し召す(あまり使われない)
買う お求めになる
求められる
聞く (~が)お耳に入る
着る 召す
お召しになる
来る いらっしゃる
おいでになる
見える
お見えになる
お越しになる
くれる 下さる
賜わる(主に書き言葉として使用)
死ぬ お亡くなりになる
亡くなられる
逝去する
知る ご存じだ
する なさる
あそばす(あまり使われない)
食べる
飲む
召し上がる
寝る お休みになる
休まれる
見る ご覧になる
命じる 仰せ付ける(あまり使われない)


動詞いがいでも、名詞にも尊敬語はある。

「○○さま」(たとえば「山田さま」など)
「○○殿」

などは、名前に「さま」・「殿」をつけられる相手が尊敬されているので、尊敬語に分類される。

「あなた」・「どなた」も尊敬語である。


尊敬語とは、文中で話題になっている相手に敬意があることを明確に示す表現である。

なので、たとえ丁寧な言い回しであっても、たとえば「お米」や「ご飯」などのように、尊敬の意思が不明な表現の場合には、尊敬語には分類しない。

「ごらんになる」は見る人を尊敬しているので尊敬語である。

しかし「ご飯」は食べる人を尊敬しているわけではないので、尊敬語ではない。

たとえば

「ご飯をくいやがれ。」

のように、まったく敬意のない表現であっても、慣用的に「ご飯」でひとつの単語になっているので、使う場合もある。


「お休みになる」は、休む人を尊敬しているので、(「お休みになる」は)尊敬語である。

しかし「お米」は、コメを尊敬してはいないので、尊敬語ではない。



「ごらんになる」の「ご○○になる」ほかにも、「お帰りになる」「お食事になられる」などのように

「お○○になる」・「お○○になられる」

などのような動作をあらわす表現は普通、尊敬語である場合が多い。


しかし、「おたずねする」は、尋ねる人物は自分なので、尊敬語ではなく、謙譲語に分類する。


  • 学校の敬語の理論

さて、中学・高校の敬語教育では、「お◯◯する」は機械的に謙譲語へと分類される。「お◯◯になる」は、機械的に尊敬語へと分類される。

たとえば、「お食事する」は謙譲語に分類される。「お食事になる」なら、機械的に尊敬語に分類される。


尊敬語や丁寧語か

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たとえば、

「お元気ですか?」

の「お元気」とは、尊敬語か丁寧語か。

これがもし「お米(を食べる)」や「ご飯(を食べる)」といった単語の場合、特に誰も尊敬していないので、「お米」も「ご飯」も普通は丁寧語に分類する。


しかし、「お元気ですか?」という文章の場合、尊敬している対象が聞き手、もしくは読み手である事が、明確である。

じっさい、自分の健康のことを「お元気」とは言わない。

「お元気」といった場合、自分いがいの誰かの健康のことについて言及しているのである。

これが、「お米」や「ご飯」などと、「お元気」の違いである。


問題は、この「お元気」を尊敬語に分類するか丁寧語に分類するかである。


日本の小中高の教育の敬語の分類では、「お元気」・「お休みになる」・「ごらんになる」などは「丁寧語」には分類しない。「お元気」などは尊敬語として分類する。

日本の学校文法では、けっして「丁寧語であり尊敬語である」(×)のような、2つの種類にまたがる分類はしない。


ひとつの敬語表現は、「もし丁寧語であれば、尊敬語ではないし謙譲語でもない」し、「もし尊敬語であれば、丁寧語ではないし謙譲語でもない」のように、丁寧語か尊敬語か謙譲語かのどれかひとつであるように分類する。


謙譲語

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謙譲語(けんじょうご)とは、動詞の場合、その動作の受け手への敬意をあらわす表現である。

また、人物などの名詞・代名詞の場合は、その人物の立場を低くする(へりくだる)ことで、間接的に聞き手などへの敬意を表す言葉が、謙譲語である。

特殊な形のものが多い。


通常の言葉 謙譲語
会う お目に掛かる
お目もじする(あまり使われない女性語)
与える
やる
差し上げる
上げる
献上する
献呈する
献じる
進呈する
ある ございます
言う 申し上げる
申す
行く 伺う
参上する
上がる
参る
いる おる
受ける 拝受する(主に書き言葉として使用)
思う 存じる
借りる 拝借する
聞く 伺う
承る
拝聴する
来る 参る
死ぬ 亡くなる
知らせる お耳に入れる
知る 存じる
存じ上げる
承知する
する いたす
訪ねる 伺う
参上する
上がる
お邪魔する
食べる
飲む
頂く
頂戴する
見せる お目に掛ける
ご覧に入れる
見る 拝見する
もらう 頂く
頂戴する
賜わる 拝受する 拝領する[1]
読む 拝読する

「おたずねする」は、たずねるのは自分なので、「おたずねする」は謙譲語に分類される。


名詞の謙譲語とは、たとえば「粗品(そしな)をお送りします。」の「粗品」が謙譲語である。(※ 光村図書が「拙著」を紹介)

自分のことを「小生」(しょうせい)というのも、謙譲語である。(※ 三省堂が「小生」を紹介)

自分が作家の場合、自分の著作を拙著(せっちょ)というのも、謙譲語である。「拙」(せつ)とは、「つたない」という意味であり、「つたない」とは、「ヘタである」「未熟だ」のような意味である。(※ 光村図書が「拙著」を紹介)

大人のサラリーマンやビジネスマンが、自分の勤務先の会社を「弊社」(へいしゃ)という場合があるが、これも謙譲語であろう。「弊」(へい)とは、「ついえる」とか「つかれる」とか、そういう意味である。(※ 光村図書が「弊社」を紹介)

ちなみに、自分の勤務先いがいの会社のことを敬語でいう場合は「御社」(おんしゃ)という。(※ 光村図書が「御社」を紹介)


  • 分類の不明確な表現

さて、ところで、偉い人からの手紙を受けとった場合、「お手紙を受けとった」などと言ったら、「お手紙」は謙譲語だろうか?

いっぽう、自分が手紙を送る場合にも「お手紙をお送りします」などというので、「お手紙」は尊敬語にもなるのだろうか?

検定教科書の出版社によっては、ある教科書会社の見解では、偉い人から送られた「お手紙」は謙譲語に分類し、一方、自分が偉い人に送る「お手紙」は尊敬語に分類する教科書もある。(※ 光村図書、教育出版などの中2国語の教科書)

いっぽう、三省堂や学校図書の中2教科書は、このような「お手紙」の話題については、触れていない。

丁寧語

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丁寧語(ていねいご)とは、特に敬意の対象を設けず、文をやわらかい調子にする言葉。文末を「です」「ます」としたり(敬体)、動詞と同じく「お」「ご」をつけることで丁寧語になる。

敬意の対象を設けないとはいえ、結果的に話し相手や読み手に敬意があってもかまわない。


丁寧語のうち「お花」や「お水」などのように、丁寧にされる対象のもの(例では、「花」や「水」)が尊敬対象で無い場合の丁寧語をとくに美化語と呼ぶ場合がある。

花を尊敬しているわけではなく、話し相手などを尊敬して場合もあるが、しかし、そうとは限らず特に誰も尊敬していない場合もあるので、尊敬語には分類せず、「お花」や「お水」などは「美化語」という丁寧語の一種に分類する。

ほかにも、たとえば、

「お米を食べる。」

のように、現代では「お」をつけるのが普通になってしまっている単語もある。

「ご飯」(ごはん)も、美化語である。(飯を尊敬しているわけではないだろう。)


通常の言葉 丁寧語
与える
やる
上げる
言う 申す
行く 参る
いる おる
買う 求める
来る 参る
死ぬ 亡くなる
する いたします
食べる
飲む
頂く
頂戴する
寝る 休む


(※ 範囲外)このほか、美化語には「あげる」・「亡くなる」などもある。本来「あげる」は目下の者から目上の者にものを差し出すときに用いた謙譲語だが、「花に水をあげる」などのように特に花に対して敬意をあらわすわけではないが「花に水をやる(本来、こちらが正しい)」では乱暴な感じがする場合、他に適切な言葉がないことから「あげる」を用いることが多い。また、「父が死ぬ」と言わず、本来尊敬語である「亡くなる」を用いる人が多い[2]。この場合も特に敬意を表しているわけではないが、「死」という言葉を直接使うことに対する抵抗感から「亡くなる」という表現が用いられる。


敬語の間違い

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敬語は日本語を母語とする人でも間違えやすい。間違いの多くは、尊敬・謙譲・丁寧の区別があいまいで、謙譲語を使うべきときに尊敬語を使ってしまうなどのミスと二重敬語と呼ばれる尊敬語(または謙譲語)の文節に尊敬の助動詞「れる」「られる」を用いる過剰な敬語表現である。よくあるミスを挙げてみよう。

  • 「(先生に対して)僕のお父さんは~」
「お父さん」は尊敬語。自分の家族や身内などを紹介する場合には「父」「母」などを用いる。
  • 「先生はおられますか」
「おる」は謙譲語であり、相手に使う言葉ではない。また、「おられる」は謙譲語「おる」と尊敬の助動詞「れる」が組み合わさった二重敬語になっている。正しくは「先生はいらっしゃいますか」。

また、よく議論になる敬語として、さ入れ言葉れ足す言葉、「バイト敬語[3]」などがある。さ入れ言葉とは、「読ませていただきます」を「読ませていただきます」とするように動詞の後に「さ」を入れることである。れ足す言葉は、「行けます」を「行けます」といってしまうことである。そして、「バイト敬語」とは「コーヒーのほうをお持ちしました(正しくは「コーヒーをお持ちしました」)」「こちらコーヒーになります(「こちらがコーヒーです」でよい)」など、ファミリーレストランやコンビニにてよく使われる敬語のことである。

さ入れ言葉やれ足す言葉は「正しい日本語」として認知されていないため、違和感を感じる人が多い[4]。「バイト敬語」はテレビやコンビニなどで日常的に使われ、耳にすることの多い敬語だが、年配の人を中心に違和感を感じる人も少なくない。いずれにせよ、どれも現在「正しい日本語」とされていないため、作文や面接の際には使わないようにしたい。

備考

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丁重語

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謙譲語とは、自分をへりくだる表現である。

謙譲語のうち、特に話の聞き手(話し相手)を尊敬している場合、それを「丁重語」(ていちょうご)というのに分類する場合もある。

たとえば、謙譲語「参る」は丁重語に分類される。


丁寧語の分割

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丁寧語のうち、「です」「ます」「ございます」を、話相手に対する敬意があるとして、「お米」「ご飯」などとは独立させる流儀もある。

つまり、

話相手に対する敬意のある丁寧語: 「です」「ます」「ございます」
話相手に対する敬意のない丁寧語: 「お米」「ご飯」
  1. ^ これらの3語は主に書き言葉として使用する。ただし、「拝領する」はあまり使われない
  2. ^ 「Aさんのお父様が亡くなる」というのは本来の用法である尊敬語。また、祖父母については古くから自分の祖父母でも「亡くなる」を用いてきた。
  3. ^ 論者によって「コンビニ敬語」「テレビ敬語」などとネーミングは異なるが、本稿ではこの言葉で統一する。
  4. ^ 例えばNHKみんなでニホンGO!」4月8日放送分「結婚させていただきました」では、当初半分以上が「違和感を感じる」としていた(その後の説明の結果、肯定する人は83%に変わった)。