中学校理科 第2分野/生物の進化

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地上のセキツイ動物の祖先は、もとをたどれば魚類であることが、地層の調査から分かっている。

まず、親から生まれた子や、子だけでなく孫以降の子孫にもに、ある性質が受け継がれつづけることを、遺伝(いでん、英: heredity)という。

ある生物の遺伝に関する情報は、その生物の細胞の核の中の、染色体の中の、遺伝子(いでんし、gene)という部分にある。(※ くわしくは3年の理科で、遺伝子について習う。)


生殖をして子供が出来るたびに、なんらかの理由により、すこしずつ遺伝的な特長が変化していって、あるいは、ある子供が生まれるときに突然に遺伝的な特徴が変異をして、その子が、そのまま親になって子供をうんで、次の世代へと、変化が受け継がれていった、というような事が、数多くの世代で繰り返されていって、種(しゅ)が変化していった。

このように、世代を重ねることに遺伝的な特徴が変化していき、その変化が受け継がれることを、進化(しんか)という。このため、進化には、とても長い年月がかかる。

遺伝子が変わらない限り、遺伝的な特徴は、変わらない。

この分野で言う「種」(しゅ)とは、動物や植物などの種類とかのことである。植物のタネ(種)のことでは無いので、間違えないように。

進化とは[編集]

  • 進化で無い現象

世代を重ねない変化は進化では無い。 たとえば昆虫の、幼虫からサナギ、成虫への変化は、世代を経た変化で無い。幼虫からサナギなどへの変化は、同じ世代内での変化であるので、進化では無く、単なる変態である。


また、遺伝によって、子孫に受け継がれない、ある親だけでの変化は、進化では無い。 たとえば、ヒトの親が、子供を生む前に、食べ物をたくさん食べて、太っても、その変化は、別に遺伝子を変化させないので、進化では無い。

同様に、ヒトの親が、子を生む前に、髪を切ろうが、その変化は遺伝子を変化させないので、進化では無い。

動物が子供を産むたびに、親と特徴が少しずつ違うのは、動物の子は、遺伝子を、父親と母親の両方の性質を受け継ぐので、子の遺伝子は父とも母とも遺伝子が違っている。子の遺伝子の半分は、父親に由来しているが、子の遺伝子の、もう半分は母親由来の遺伝子である。

これはセキツイ動物の場合である。 ほかの種では、そもそも性別があるとは限らない。単細胞生物などでは、性別が無く、細胞分裂で個体数を増やす種もある。(※ くわしくは、生殖と遺伝子の関係については、中学3年で習う。)


  • 進化の例
両生類は、魚類から進化した。
鳥類は、ハチュウ類から進化した。
魚類は、水中の無セキツイ動物から進化した。
  • 進化の順序の調べ方

地層から分かる。古い時代の地層から見つかる物ほど、古い時代の生き物である。


  • 類縁関係

ある種と、べつの種が近いかどうかは、遺伝子の調査から分かる。遺伝子とは、細胞の中にある、遺伝をつかさどる部分であり、染色体の中に、ふくまれている。染色体は、核の中に、ふくまれている。(※ 遺伝については、くわしくは中学3年の理科で習う。)


  • 発生の初期
いろいろなセキツイ動物の発生の初期。画像のAの段階を見ると、どのセキツイ動物も、似たような形になっている。

レントゲン写真やエコー写真などの透過写真で、セキツイ動物の、さまざまな種の個体が生まれる前の胚(はい)のころの写真を撮影すると、どの種でも、発生の初期の、最初のほうの姿は似たような姿をしている。

このような事からも、セキツイ動物は、ほぼ共通の祖先を持つ可能性が高いことが分かる。

  • 化石

たとえ現在は存在していない種でも、その種の化石が残っていれば調べられる。 シソチョウ(英:archaeopteryx)という種の化石には、鳥の特徴とハチュウ類の特徴があり、この事実から、鳥類とハチュウ類は、近い種であることが分かる。

シソチョウは恐竜に近い骨のつくりを持つが、前足が つばさ になっており、羽をもっている。シソチョウには、口には歯があり、尾が長く、ハチュウ類の特徴を持つ。いっぽう、つばさがあり、鳥類の特徴を持つ。

そのほかの調査とも合わせて、鳥類はハチュウ類から進化した事が分かっている。 1億5000万年前の地層からシソチョウの化石が見つかっている。

動物の進化[編集]

  • セキツイ動物の進化の順序

さまざまな調査から、脊椎動物は、まず魚類があらわれ、魚類の一部が両性類に進化し、さらに両生類の一部がハチュウ類に進化したことが分かっている。 そして、ハチュウ類の一部から、鳥類とホニュウ類が進化した。

魚類 → 両生類 → ハチュウ類 → 鳥類
           │
           └ → ホニュウ類
         

鳥類からは、ホニュウ類は進化していない。哺乳類の祖先は、ハチュウ類である。

種の近い物どうしは、特徴も近い。

たとえば両性類は魚類から進化したが、両生類も魚類も、ともに水中に卵を産み、また、変温動物である。


魚類は、えら呼吸である。両生類は、子はえら呼吸であり、両生類の親は、肺呼吸である。いっぽうハチュウ類は肺呼吸しか出来ない。

呼吸からも、

魚類 → 両生類 → ハチュウ類

という進化の順序が見て取れる。


ハチュウ類、鳥類、ホニュウ類は、呼吸が、肺呼吸である。


魚類そのものは、何から進化したのかというと、水中で生活する無セキツイ動物から魚類が進化したと考えられている

セキツイ動物の骨格を見ると、形は違っていても、骨の数や位置が似通っているものが多い。


  • カモノハシ(platypus)
カモノハシ。顔は右側。

オーストラリアに生息するカモノハシ(英:platypus)は、子を母乳で育てるのでホニュウ類だが、卵生であり、くちばしを持っている。このため、カモノハシは、ハチュウ類から哺乳類への進化の間の状態の種であると考えられている。 必要ないけど カモノハシは毒を持っている

またカモノハシは体が毛におおわれている。このことからも、ハチュウ類とホニュウ類との近縁関係が、うかがえる。


  • シーラカンス
シーラカンスの標本。

シーラカンス(英:coelacanths)は魚類の一種であり、現在(2014年に本文を記述。)も種が現存している。胸びれ(むなびれ)の内部に骨があり、セキツイ動物の前足に当たると考えられている。地質時代の古くから、体のつくりが変わっておらず、そのため「生きている化石」(英:living fossil)などとも言われる。「生きた化石」とも言う


シーラカンス以外にも、地質時代など古くから体のつくりが変わっていない種はある。ゴキブリなども、古くから存在している。 シーラカンスは、かつて「絶滅した」と考えられていた。


セキツイ動物の前足は、骨格のつくりから、魚類の胸びれにあたり、鳥類のつばさに当たる。このように、役割がちがっていても、つくりの同じ器官のことを、相同器官(そうどう きかん)と言う。


いっぽう、つくりがちがっているが、役割が同じ器官のことを相似器官と言う。たとえば、昆虫の羽と、鳥類の つばさ が、相似器官(そうじ きかん)である。


  • ハイギョ
ハイギョの一種、オーストラリアハイギョ。

ハイギョ(英:lungfish)は、オーストラリアなどに住む魚類の一種である。魚類だが、肺がある。詳しく言うと、ハイギョの浮き袋が、肺の機能を持つ。このことから、魚類の浮き袋がもとになって、両生類の肺が進化したことが、うかがえる。


シルル紀後期の胞子嚢。緑: 胞子四分子。青: 三条型胞子(Y字型の模様がある胞子)。胞子の直径はおよそ30~35μm

本項では、植物の進化(しょくぶつのしんか)について述べる。植物は進化段階ごとに、複雑さを増大させていった。藻被(en:algal mat)から始まって、陸上植物、維管束植物、真葉植物を経て、現代の複雑な種子植物に至る。単純な段階の植物が繁栄している間にも、さらにはそれらが進化し続けている環境でも、最終的には新しい段階の植物が、前の段階よりもいろいろな点において「成功」することになる。また、ある時点で最も複雑な植物の中から「より複雑な」植物が現れるということを、多くの分岐学的研究が示している。

地質的な証拠によると、12億年前の地上には藻類膜(algal scum)が形成されていた。しかし約4億5000万年前のオルドビス紀になるまで、いわゆる地上植物は現れなかった。それらは約4億2000万年前のシルル紀後期になって多様化し、その成果は前期デボン紀のラーゲルシュテッテンであるライニーチャートから見ることができる。このチャートは、鉱泉による珪化作用によって、初期植物を細胞段階までよく保存している。デボン紀の中期までには、現生の植物にある部分の多くが現れる。根、葉、二次木部など。またデボン紀後期には種(タネ)が現れた。 それらにより、デボン紀後期の植物は、巨木の森を形成できる段階まで高度なものになっていた。デボン紀以降にも進化は続いた。ペルム紀末期の大量絶滅で、多少の構造的変化はあったものの、ほとんどのグループが比較的無傷だった。そして約2億年前の三畳紀に、花が出現し、それは白亜紀と第三紀を通じて大発展した。最も新しく登場した大きなグループはイネ科の草で、およそ4000万年前の第三紀中期から重要な存在になってきた。イネ科の草は、新しい代謝の方法を開発することにより、低い二酸化炭素濃度や、熱帯の温暖乾燥気候に1000万年前から適応してきた。

陸上への進出編集

デボン紀に植物は、陸上への大規模な進出を開始した。そして、それ自身の浸食と堆積の作用によって、大きな気候の変化をもたらした。

陸上植物は、おそらく5億1000万年前ごろに、緑藻類から進化した。現生で最も陸上植物に近い緑藻類は車軸藻植物門、特に車軸藻類である。車軸藻類の生態が当時からあまり変わらないものと仮定すると、陸上植物の起源は以下のようなものになる。枝分かれをした糸状の藻で、半数体(haplontic)。棲息場所は浅い淡水の下で[4]、おそらく、季節的に乾燥する小さな池の縁であった。また、菌類との共生が、初期植物の陸上進出を助けた可能性がある。

いわゆる陸上植物は、陸上での最初の光合成生物というわけではない。岩石の風化についての研究によれば、生物は既に12億年前に陸上に生存していた。また10億年前の淡水湖の堆積層から微生物の化石も見つかっている。しかし炭素同位体の地質記録の研究によれば、8億5000万年前までは、大気の構成に変化を与えるほどの影響は無かった。これらの生物はおそらく、小さく単純で、藻類皮膜(浮き緑藻、algal scum)に毛が生えた程度のものであった。

4億7000万年前のオルドビス紀中期から、陸上植物のものと比定される最古の記録である四分子胞子が見つかっている。四分子胞子とは、同種の4つの胞子が(立体的に)つながっているもので、1つの細胞が減数分裂をする過程で発生する。四分子胞子はすべての陸上植物と一部の藻類で生じる。最古の胞子の微細構造は、現生の苔類のものとよく似ており、同じ段階の生物だったことを示唆している。これ以前に真核生物の陸上進出がなかったのは、もしかすると大気の「毒性」が障害になっていたのかもしれない。もしくは単に、陸棲化に必要な構造の複雑さを獲得するまでの進化に、時間がかかっただけなのかもしれない。

三条型胞子というのは、四分子胞子が分かれたものである。これはすぐ後のオルドビス紀後期に現れる。四分子胞子が分かれるとき、それぞれの胞子に丫字型の「三条」が現れる。胞子が隣接する胞子と一点に押し込まれていた跡である。しかしながら、この現象が起きるためには、早い段階から胞子壁が、頑丈で堅牢性のあるものでなければならない。堅牢性があることから、耐乾燥性もあったことが示唆される。そして耐乾燥性は水中以外で生存する胞子にのみ固有な特性である。実際、有胚植物の中で水中生活に戻ったものは、堅牢な胞子壁を欠いており、そして三条を持っていない。藻類胞子の詳細な研究でも、三条を持つものは存在しない。これは、これらの胞子壁が十分に堅くないことと、また割合は高くないが、押しつけられて三条痕ができる前にバラバラになったか、もしくは正四面体の四分子にならなかったかである[8]。

最初期の陸上植物の大型化石は、葉状体の生物であった。これは流れのある湿地に棲息しており、シルル紀の氾濫原を覆っていたことがわかっている。それは土地が水浸しのときのみ生き延びることができた。

植物が陸上へ上がった後、乾燥に対してはいくつかの対処法があった。コケ植物は乾燥に対し、忌避あるいは屈服する。つまり、棲息範囲を湿潤な環境に限定するか、または乾燥しきって次の水が得られるまで新陳代謝を「延期」状態にする。維管束植物は、乾燥に抵抗する。維管束植物のすべてが、外気に接触するところに防水性の外皮層を備えており(これはコケ植物の一部も同様)、水分のロスを節約している。しかし、すべての部分を覆ってしまうと、大気中のCO2も得られなくなってしまう。そこで、維管束植物はすみやかに気孔を進化させた。これは小さな穴で、呼吸を行うためのものである。また、維管束植物は体内の水の移動を助けるために、維管束組織を発達させた(下記参照)。また、配偶体主体の生活

すべての多細胞陸上植物は、二つのフェーズ(しばしば「世代」と言われるが、これは誤解を招きやすい)からなる生活環を持っている[17]。一つのフェーズは、配偶体と呼ばれ、染色体を1セットだけ(1nと表す)持っており、配偶子(精子と卵子)を生産する。もう一つは胞子体と呼ばれ、ペアの染色体(2nと表す)を持っており、胞子を生成する。この2つのフェーズは、同一であることも、きわめて異なっていることもある。

植物進化で圧倒的に多いパターンは、配偶体フェーズの縮小・胞子体フェーズの増大である。陸上植物の祖先だった藻類は、ほぼ確実に単相(半数体)植物であり、生活環を通じて単相であって、単細胞の接合子が2nステージだった。すべての陸上植物(有胚植物とも言う)は単複相である。つまり、単相と複相のステージで、どちらも多細胞である期間がある[17]。

単複相生活環の発生の理由としては、競合する2つの理論がある。

内挿説(もしくは対照説、挿入説とも言う)[18]によれば、胞子体フェーズはまったく新規に進化したものである。接合子が減数分裂を行う前に、有糸分裂して生長することによって胞子体になった。この理論は、最初の胞子体は配偶体とまったく異なった形態をしていたこと、また胞子体が配偶体に依存していたことを示唆する[18]。このことは、コケ植物について知られている知識とよく適合するように思われる。コケ植物は、生活力のある葉状の配偶体が、単純な胞子体、それもしばしば茎の上に胞子嚢が付いただけのものに寄生されている。 胞子体の複雑性がだんだん増大して、光合成細胞までが備わるようになると、それはもう配偶体に依存しなくてもよくなる。ツノゴケ類(Anthoceros)にその例が見られる。またさらに胞子体が発展し、組織と維管束系を備えるようになり、支配的なフェーズになる。つまり維管束植物と同様になる[17]。 この理論は、小さなクックソニア(Cooksonia)の個体が、配偶体に支えられていたという報告からも指示される。軸の増大が観察されており、これにより光合成組織の余地と、持続可能性が出てきたことが、自立した胞子体フェーズの発生を可能にしたかもしれない[18]。

他の仮説は、変化説(あるいは、相同説)と言う。この仮説は、胞子体は、接合体の発芽の後の減数分裂の遅延によって、突然胞子体が現れたというものである。遺伝子の内容が同じなのであるから、単数体と倍数体のフェーズは同じようなものになる。この説は、ある種の藻類の生態を説明する。これらの藻類は、そっくりの胞子体と配偶体のフェーズをそれぞれ形成する。その後乾燥した陸上環境への適応において、そのままでは生殖が困難になるため、配偶体の生殖活動が簡略化され、耐乾燥性の胞子をよりよく散布する胞子体が複雑化するという結果になった[17]。ライニーチャートに保存されていた植物の胞子体と接合体は、似た程度の複雑さを示していた。このことは変化説の補強証拠となる[18]。

生体内の水輸送編集

光合成のために、植物は大気からCO2を取り入れることを必要とする。しかしながら、これはコストを伴う。気孔が開いてCO2を取り入れている間、水分は蒸発する[19]。水分はCO2を吸収するよりも速く失われるので、水分を補充する必要があった。植物は湿った土壌から光合成が実行される場所へ水分を輸送するシステムを発達させた[19]。初期の植物は細胞壁を通して水を吸い上げていた。そして気孔を進化させることで、水分のコントロール(およびCO2の獲得)の能力を得た。水分輸送のための組織はすぐに進化し、hydroids, 仮導管、内皮に支えられた二次木部、最終的に導管が出現した[19]。

初期の植物が陸上に進出してきたシルル紀~デボン紀はCO2レベルが高く、そのため水分の問題はそれほど深刻ではなかった。大気中のCO2が、植物の活動によって減少していくと、CO2を獲得するためさらに多くの水が失われることとなって、より洗練された水分輸送システムが進化した[19]。水分輸送システムと同様に、防水性の表皮(クチクラ)も進化し、植物は常時水分層に接していない状態でも生存が可能になった。変温動物から恒温動物への変化のように、変水性en:poikilohydry植物から恒水性en:homoiohydry植物への変化によって、あらたなる場所への進出の可能性が出てきた[19]。そして植物が直面した問題は、できるだけ効率的に水分輸送を行うことと、輸送組織がしぼんだり空になったりするのを避けることの、バランスを取ることだった。

シルル紀の期間はCO2は容易に利用可能であり、その取得のために水分を消費する必要はあまりなかった。石炭紀の終期になると、CO2のレベルは現在の値に近いぐらいまで低くなり、CO2を得るために消費される水分は約17倍になった[19]。しかし、このようなCO2が豊富にあった時代でも水は貴重であり、乾燥を防ぐために植物の各パーツへ、湿った土壌から水を輸送しなければならなかった。これら早い時期の水分輸送は、水に本来備わっている凝集力/張力機構を利用していた。水は、より乾燥している部分に拡散する傾向を持っており、またそのプロセスは、細い構造で毛細管現象が起きるとより強まる。植物の細胞壁の間のような(または仮導管のような)細い通路では、水分の流れはゴムのように振る舞う。一方の端で水分が蒸発すると、それに続く水の分子が、水路に沿って引き上げられる。このため、初期の植物は蒸散作用だけで水分を運搬する力を得ていた[19]。しかし、専用の導管を持たない場合には、凝集力・張力による機構は2cm以上水を運搬することはできないので、初期の植物はそれ以下のサイズに抑えられていた[19]。このプロセスは、それ自身を存続させるために、一方の端に常に水が供給されていることを要求する。空になるのを防ぐために、植物は防水性の表皮を発達させた。初期の表皮は、気孔が無いが、そのかわり植物の全体を覆っていなかった。ガス交換ができるようにするためである[19]。しかし、ときどき乾燥が起こることを避けることはできなかった。初期の植物は、細胞壁の中に多量の水を蓄えることで、これに対処した。そして、水が供給される時まで生命活動を「保留」にすることによって、つらい時期を耐え抜いた[19]。

 

A banded tube from the late Silurian/early Devonian. The bands are difficult to see on this specimen, as an opaque carbonaceous coating conceals much of the tube. Bands are just visible in places on the left half of the image – click on the image for a larger view. 右上のスケールバーは20μm

小さなサイズの制約、また、柔組織が水分輸送を担っていることに起因する、常に湿度を必要とするという制約から逃れるために、植物はもっと効率的な水分輸送システムを必要とした。シルル紀初期から、リグニン(もしくは似た化合物)が沈着した、特殊な細胞が発達していて、萎むのを予防している。リグニン沈着のプロセスは、細胞の死と同時に起こる。内部を空にして、その中を水が流れるようにするのだ。これらの太く、枯れた、空の細胞は、細胞間で水を通す方法より100万倍も通しやすくした。そして長い距離の水分輸送と、高いCO2拡散の能力を与えた。

本来の場所に水分輸送管を持つ最初の巨視的化石は、デボン紀早期の前維管束植物アグラオフイトンen:Aglaophytonとホルネオフイトンen:Horneophytonである。これらは、現代のコケ植物が持っているハイドロイド構造に極めてよく似た構造を持っている。水分輸送の効率を高めるために、植物はさらに、細胞内の抵抗を少なくする方向に進化を続けた。管の壁を帯でまきつけるのは、シルル紀初期から現れるが、水の流れをよくする簡便な方法である。帯で巻き付けられた管は、壁に小穴模様のある管と同様、リグニン化されていた。そして、それが単細胞の導管を形成するとき、維管束植物になったと考えられる。これら、「次世代」の水輸送細胞は、ハイドロイドよりも堅い構造を持っており、高い水圧に対処できるようになっている。維管束は、ツノゴケ類の中で発達し、それからすべての維管束植物が発生した可能性もある(しかし複数回発生した可能性もある)

水分輸送は調節を必要とする。動的なコントロールは気孔によって行われる。ガス交換の量を調整することで、呼吸によって失われる水の量を制限することができる。水の供給は一定ではないので、これは重要である。また実際に気孔は維管束よりも早く出現し、維管束植物ではないツノゴケ類にも存在する。

内皮[要曖昧さ回避]はおそらくシルル紀~デボン紀の間に進化した。しかしこの構造の最初の化石証拠は石炭紀になる。根にあるこの構造は、水輸送組織をカバーして、イオン交換を調整する。(また、望ましくない病原体などが水輸送組織に入り込むのを防止する)。内皮はまた、蒸散作用が水を動かすほど十分でない場合にも、圧力をかけて水を上方に押し出すことができる。

植物がひとたびこのレベルにまで水分輸送をコントロールできるようになると、本当の恒水性植物であって、表面の湿気に依存せずに根様の器官から外界の水を抽出することができ、そして非常に大きいサイズに生長することが可能になる。環境から独立できた結果として、乾燥時にも生き続けられるという能力の方は、それを保ち続けるのは困難だったので、失った。

デボン紀の間に、木部の最大直径が増大していった。ただし最小直径はほとんど同じだった。デボン紀中期では、いくつかの植物の系統で、仮導管直径は安定期に入った。仮導管の直径が太ければ、水は早く流れるようになる。しかし全体としての輸送率はまた、木質部と一緒になった断面積全体の面積にも依存する。さらに導管の厚さの増加は、植物の軸の太さ、植物の高さと相関しているように思われる。それはまた、葉の出現と気孔の密度の増加にも密接に関係している。どちらも水分の必要性を増大させる。

頑丈な壁を持った太い仮導管は、より高い輸送のための水圧を可能にする。だが、直径が太ければ、空洞現象の問題が大きくなってくる。空洞現象は、管の中に空気の泡が発生したときに起こり、水分子の繋がりを断ち、凝集力/張力機構による水の吸い上げを阻害する。仮導管にひとたび空洞が発生すると、それを取り除くことはできず、活動ができなくなる(一部の被子植物はそれが可能になる機構を発達させた[要出典])。そこで、空洞発生を避けることが植物にとって重要になる。このため、仮導管壁のピットは、空気が入って泡が発生するのを避けるために、非常に小さい直径になっている。凍結-解凍は、空洞発生の大きな原因である。仮導管壁へのダメージは、ほとんど例外なく空気漏れをもたらし、空洞発生が起こる。それで、多くの仮導管が平行して動作することが重要になる。

空洞発生を避けることは難しい。しかし、それが起こった場合、植物はそれを収拾する機構をいくつか持っている。小さなピットが隣接する導管をつなぎ、液体だけを通して気体は通さないようにする。ただし皮肉にも、塞栓の拡がりを押さえるそのピットが、その大きな原因になっている。これらのピットのある表面は、木部を通る水よりも30%流量が少なくなる。針葉樹は、ジュラ紀までには、巧妙な改良を発達させた。弁のような構造を、空洞発生の部分を隔離するのに使った。縁にある円環状の構造があって、円環の中央に小さなものが浮いている。一方向が減圧すると、小さなものが円環にはまって、そこ以降の流れを遮る。他の植物は、単純に空洞を受け入れる。たとえば、オークは毎春に太い導管を生長させる。それらはみな冬を越せない。カエデは根の圧力を利用して、根から樹液を上方に押し出し、気泡を絞り出す。

高さを増すために、新たな形質が追加された。リグニン化された壁である。機能停止になった仮導管は、通常木質で形成された、強くて木質の枝を形作るために残存する。しかしながら、初期の植物では、仮導管はあまりにも機械的強度が不足しており、枝の外周にある頑丈な厚壁組織に囲まれて、中央の位置に留まっていた。仮導管が構造的役割を担うことになった時でも、それは厚壁組織にサポートされていた。

仮導管は細胞壁で終わっており、これは流れに非常に大きな抵抗をもたらす。導管の要素は終端壁に穴を開けている。それらは列に並んで、一つのつながった管のように働く