中学校社会 地理/アフリカ州

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気候など[編集]

アフリカの衛星画像
サハラ砂漠

アフリカの原住民の大半は黒人である。しかし、アフリカ北部の原住民は、黒人だけとは限らない。アフリカ北部の住民には、古代や中世から、アラブ系の人びとやヨーロッパから移住した白人たちの子孫も多い。

「アフリカの原住民 → 黒人」(×)という先入観は、間違いである。

黒人が原住民の多くを占める地域は(アフリカ大陸の北部にある)サハラ砂漠(サハラさばく)より南の地域であり、このアフリカ南部の住民には今でも黒人が多く、「ブラックアフリカ」と言われる。

アフリカは、地域によっては砂漠(さばく)の地域もあれば、熱帯林の地域もあるし、草原の地域もある。


沿岸部をのぞく、北部と南部では、砂漠が多い。

アフリカ北部には、サハラ砂漠がある。


アフリカの中部を赤道が通っている。そのため、アフリカの赤道に近い地域は、標高が高いエチオピアなどの地域をのぞけば、ほとんどが熱帯である。

アフリカ中部のギニア湾岸やコンゴ盆地のあたりの地域は、雨が多く、そのため熱帯林が多い。この熱帯林の地域の農業では、いも類やバナナなどを栽培している。


赤道から離れるにしたがって、気候が乾燥していき、風景が、しだいに熱帯林から草原にかわっていく。

サバンナ(ケニア)
しまうま (タンザニア)

草原の地帯では、1年のあいだに、雨季(うき)と乾季(かんき)がある。このため、木々はあまり育たず、草原が広がり、サバンナ(サバナ)やステップなどと言われる。 ゾウや しまうま やライオンなどが多いのは、この草原のあたりである。


そして、さらに赤道から離れると、草原から砂漠へと変わっていく。

ただし、アフリカ北西部のモロッコなどの地中海沿岸では、やや雨が多い。なので、小麦や ぶどう やオリーブなどの地中海式の畑作の農業が行われている。大陸の南端の沿岸部も、同様にやや雨が多いので、似たような畑作が行われている。

アフリカ北部にある砂漠で、世界最大のサハラ砂漠がある。 アフリカ北部の文化は、西アジアのアラブ地方の影響が大きい。サハラ砂漠とその北部でのアフリカ北部では、アラビア語が話され、宗教はイスラム教が信仰されている。

砂漠での暮らしも、らくだや羊などの家畜を連れて、草と水を求めて移動する遊牧(ゆうぼく)である。

なお、エジプトは、アフリカ州の北東部にある。エジプトに、ナイル川が流れている。ナイル川は、世界で最長の川である。

ナイル川の流域図

アフリカ北西部にナイル川があり、川の周辺では農業が行われ、なつめやし などが栽培されている。 なお、ナイル川は、上流の水源地が降水量の多い場所にあるので、エジプトの乾燥地帯を流れていても、ナイル川は1年中、かれることがない。なお、このように、上流の水源が降水量の多い場所にあった、乾燥地帯を流れる川を、外来河川(がいらいかせん)という。

いっぽう、 サハラ砂漠より南の地域では、伝統的な宗教と、キリスト教が多い。言語は、中央アフリカや南アフリカでは旧宗主国の公用語である英語やフランス語などが使われている国が多い。アフリカには多くの民族や部族があり、それぞれ言葉もちがうので、公用語を英語やフランス語などと定めている場合が多いのである。

ヨーロッパ州の侵略による植民地支配と、独立[編集]

アフリカは16世紀ごろ、ヨーロッパに侵略され、ヨーロッパの植民地になった。原住民の黒人たちは、奴隷として諸外国に輸出され、とくに北アメリカ大陸と南アメリカ大陸に多く輸出された。 このような貿易を奴隷貿易(どれい ぼうえき)と言う。


国際連合ルワンダ支援団のベルギー人職員が殺害された事件の記念施設の外観、銃弾の跡が数多く残されている。

しかし、第二次大戦後、世界的な独立運動の高まりや民主主義、民族主義の高まりにより、1950年代ごろから、つぎつぎとアフリカの国が独立した。とくに1960年に多くのアフリカ諸国が独立したので、この年は「アフリカの年」(アフリカのとし)と言われている。

ヨーロッパ各国の植民地の境界線は、ヨーロッパ諸国のつごうにより、緯度や経度によって国境が決められたので、アフリカの国境は直線的であった。それらの境界線が、独立後の今でも国境として残っている。

このため、一つの国内に多くの民族が居るので、民族どうしの対立や、領土をめぐる対立など、紛争や内戦のある国も多い。

ギニア湾岸[編集]

図のAのあたりの海域がギニア湾。

ガーナはアフリカ中西部のギニア湾の沿岸部にあり、高温多雨の地域であり農業がさかんで、カカオの生産地として世界でも有数。カカオはチョコレートの原料の食物。

コートジボワールとガーナは、世界でも上位のカカオ生産地である。

コートジボワールについで、ガーナはアフリカではカカオの生産量が多い。カカオは元々は南アメリカ州の作物だったが、植民地時代にヨーロッパ人がアフリカに持ち込んだ。

なお、生産量の世界1位はコートジボワール(ギニア湾の沿岸国)の約30%、ガーナは2位〜3位くらいで約15%。東南アジアのインドネシアも15%くらい。

産業[編集]

アフリカの農業では、綿花、コーヒー、カカオ、天然ゴムなどがさかん。

茶のプランテーション(ケニア)

植民地時代にヨーロッパ州への輸出用に、大農場(プランテーション)が作らされた。そのため、アフリカの作物は自給用よりも、主に輸出用の、商品作物が多い。

たとえば、ガーナではカカオプランテーションが多い。ちなみに、カカオは、植民地時代に南アメリカから(※ アフリカではなく南「アメリカ」)、ヨーロッパ人がアフリカ大陸に持ち込んだものである。

ほかの国では、ケニアプランテーションが多い。なおケニアは、第二次大戦前はイギリスの植民地だった。イギリスで茶(紅茶)がよく売れるので、ケニアで茶が大量生産されたのである。

第二次大戦後の独立後は、欧米の所有だった農場は国有化されたが、現在でも、それらの農産物が、ドルなどの外貨(「がいか」、意味:外国のお金のこと。)をかせぐための重要な輸出品である。

国にもよるが、アフリカの多くの国で、工業が発達しておらず、貧しい国が多い。アフリカでは、人口増加がいちじるしい。

アフリカの農産物が輸出用にかたより、自給用の作物が少ない。国によっては食料不足になる国もあり、欧米や日本などの諸外国から経済援助や食料援助を受ける国もある。

※ だが例外的に、南アフリカ共和国では機械工業や鉄鋼業が発達している。


アフリカは、金やダイヤモンドや銅などの鉱産資源が豊富である。植民地時代から、これら地下資源の採掘が行われ輸出されてきた。

また20世紀には、石油がナイジェリアやアルジェリアなどで採掘されている。アルジェリアやリビアなど、アフリカ大陸の北部に、石油が多い。(ナイジェリアはギニア湾岸にあり、アフリカ中部の国。)

さらに近年は、コバルトやクロムなどの希少金属(きしょうきんぞく、レアメタル)が採掘されている。パソコンや携帯電話などの電子機器にもレアメタルは使われている。アフリカ南部に、これら金属の産出地が多い。

資源が多いにも関わらず、アフリカ国内に高度な工業力を持たないので、あまりアフリカの工業が発展していない。教育が整備されておらず、文字を読めない人なども多い。そのため、あまり工業の労働者が育たない。

モノカルチャー経済[編集]

アフリカの産業は、農業や鉱産資源など、あまり高度な技術を必要としない産業にかたよっており、しかも輸出用の産業にかたよっている。 とくに農産物は多くの国で生産できるので、国際競争も激しい。しかも輸出用の作物の多くは、商品作物なので、アフリカ内では消費しづらいので、たとえ売り値が安くても輸出せざるを得ない。このため、商品作物は価格が不安定なのが一般であり、国際市場の影響を受けやすい。

このような、輸出に片よった産業の構造のため、アフリカの労働は賃金が低く、それがアフリカの経済が発展しづらい理由の一つだろう、と考えられている。 このような、特定の産業にかたよった経済のことを、しかも、そのために生活が貧しい経済を、モノカルチャー経済という。

南アフリカ共和国のアパルトヘイトと廃止[編集]

南アフリカ共和国の政治では、少数の白人が、黒人を支配する政治が第2次大戦前から続いており、アパルトヘイト( 意味:人種隔離(じんしゅ かくり) )と言う、人種隔離の政策が取られていた。

アパルトヘイト政策のため、黒人には長い間、選挙権が無かった。住むところも人種によって決められた。人種のことなる人との結婚は、禁じられていた。

このような差別的な政策に対し黒人による差別への反対運動が続いた。国際社会の批判もあり、1991年にアパルトヘイト政策が廃止された。

ネルソン・マンデラ元大統領
ヨハネスバーグ(ヨハネスブルグ)

そして1994年には、黒人の大統領のマンデラの政権が出来た。

法律による差別は無くなったが、満足な教育を受けていない黒人も多く、賃金の高い職につけない黒人も多いなど、なかなか上手くはいってない。

近年の南アフリカ共和国では、治安が悪化している。とくに、最大の都市のヨハネスバーグ(ヨハネスブルグ)は治安が悪い。

なお、2010年には、サッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開かれた。

都市化とスラム[編集]

ケニアの首都ナイロビの景観。
ナイロビのスラム。(ケニア)
同じナイロビ市内でも都市部とスラムで大きく風景がちがう。

アフリカの国でも、都市化が進んでいる。首都などは工業化している国も多い。携帯電話なども都市では普及している。

そのいっぽうで、アフリカ各地で人口の増加が多い。農村でも人口の増加は多い。貧しい農村に住みきれなくなった人が、仕事などを求めて都市に移住することが増えている。しかし、都市にも仕事は少ない。また、農村出身者などは、あまり教育を受けていない人が多いので、なかなか農村出身者などが、なかなか満足な仕事につけず、仕事につけたとしても賃金が安い。

満足な仕事につけず、賃金が安く、そのため住居も買えないので、貧しい人々が勝手に路上に住んだり、スラムという公共用地などに勝手につくった住居に住んだりしている。

スラムは、移住者が勝手につくったので、水道などの公共設備は通っておらず、劣悪な環境である。

スエズ運河[編集]

スエズ運河の位置
紅海の地図
スエズ運河を航行するアメリカの原子力巡洋艦ベインブリッジ (原子力ミサイル巡洋艦)

スエズ運河(スエズうんが、英: Suez Canal)はエジプトにある人口の運河で、アフリカ大陸と、ユーラシア大陸のアジア州のアラビア半島の付け根の、スエズ地峡(スエズちきょう)に位置し、地中海(ちちゅうかい)と紅海(こうかい)をむすぶ、人工の 運河である。

船舶の通行のため、スエズ運河は建設された。

1869年にスエズ運河は開通した。フランス人の土木技師レセップスが工事を指揮した。 開通から、長らくフランスやイギリスが領有を争っていて、地元のエジプトはスエズ運河を領有できなかった。しかし、1956年にエジプトがスエズ運河を国有化した。

中央アメリカにあるパナマ運河とともに、スエズ運河は、世界の二大運河(にだい うんが)として有名である。

その他[編集]

エチオピア[編集]

エチオピアは、赤道のちかくにあるが、標高が高いため、気候がすずしい

エチオピアは、第二次大戦前からヨーロッパの植民地にされていない。エチオピアは、第二次大戦前からの独立国である。(※ 標高が高いことと、関連づけて、覚える。)

エチオピアの農業では、コーヒーの生産がさかんである。(※ 標高が高いことと、関連づけて、覚える。)

宗教では、キリスト教徒が多い。だが、イスラム教徒の多い地域もあり、民族対立が起きている。

ケニア[編集]

農業では、茶のプランテーションがさかん。

第二次大戦前の植民地時代、イギリスの植民地だった。

ケニアの公用語は、英語とスワヒリ語。スワヒリ語は、ケニアだけでなく、タンザニアなど周辺のいくつかの国でも共通語として使用されている。

ケニアの首都はナイロビ

ナイロビは発展しているが、周辺にスラムが出来ている。

ケニア山という、アフリカのなかでも、けっこう高い山がある。このケニア山が、国名の由来。

なお、「マサイの戦士」などとして有名なマサイ族が住んでいるのは、ケニアとタンザニアの周辺。

エジプト[編集]

エジプトはアフリカ州にある。エジプトの首都はカイロ

ナイル川が流れている。ナイル川は、世界で最長の川。


スエズ運河は、エジプトにある。

1971年にアスワンハイダムが建設された。

(※ アスワンハイダムについての教育は、「小学校」社会科の範囲内。日本文京出版『世界の仲の日本 小学生の社会 6下』、33ページにて、記述を確認。)

アスワンハイダムは、農業用水および、洪水の防止に利用されている。

しかし、上流から肥えた(こえた)土が運ばれなくなり、下流に悪影響が出てしまっている。

エジプトの宗教はイスラム教。エジプトの公用語はアラビア語。

ピラミッドスフィンクスは、エジプトにある。(※ 中学地理の教科書では範囲外だが、このくらいの知識は、小学校の教科書に書いてあるので、覚えておこう。)

南アフリカ共和国[編集]

アフリカ最南端の国。

黒人差別のアパルトヘイトを実施していた。

トランスバールから石炭が産出する。

地名[編集]

アフリカ北西部の端(はし)にある山脈は、アトラス山脈モロッコに、アトラス山脈がある。

モロッコの北端から、海をへだてて、ヨーロッパ州のスペインがある。

このモロッコ北部とヨーロッパとのあいだの海峡(かいきょう)を、ジブラルタル海峡という。

アフリカ南部に、喜望峰(きぼうほう)がある(最南端と言われることもあるが間違い。)。

砂漠は、アフリカ北東にあるサハラ砂漠が広くて有名である。

そのほか、リビアに、リビア砂漠がある。

また、アフリカ南部にカラハリ砂漠やナミブ砂漠がある。

エジプトの東側の、アフリカと西アジアとのあいだの海は、紅海(こうかい)という。 アフリカ大陸の南部と海をへだてて東側に、マダガスカル島があり、マダガスカルという国がある。

コンゴに、コンゴ盆地がある。

キリマンジャロ山は、アフリカで最も標高が高い。

赤道ちかくのアフリカ東部にビクトリア湖という大きな湖がある。 アフリカ大陸南部とマダガスカル島とのあいだの海峡(かいきょう)は、モザンビーク海峡(モザンビークかいきょう)という。

紛争のある地帯[編集]

(※ 紛争の発生地の地名を覚えて欲しい。紛争の内容については、範囲外なので、深入りしなくてよい。)

以下の場所が、紛争地帯になっている。

  • スーダン
  • エリトリア
  • ソマリア
  • ブルンジ
  • コンゴ
  • アンゴラ

また、これら(スーダン、ソマリアの紛争など)の紛争により、多くの難民が発生している。

スーダン[編集]

スーダンでは、北部のアラブ系イスラム教徒と、南部のアフリカ系住民の地域(キリスト教徒が多い)とが対立している。

2003年に、西部のダルフール地方が、アラブ系イスラム教徒によって襲撃されたため、国連がPKO部隊を派遣した。

2011年に南スーダンが独立した。

ルワンダ[編集]

ルワンダでは、多数派のツチ族と、植民地時代の支配者であったフツ族とのあいだで内戦が発生している。

1994年、ルワンダで、大量虐殺(ぎゃくさつ)事件が起きた。

ソマリア[編集]

東アフリカにある、インド洋に突き出た位置にあるソマリアが、紛争の多発地帯である。

難病[編集]

いくつかの地域で、エイズやマラリアなどが流行している。