中学校社会 地理/日本の諸地域 近畿地方
地域データ
[編集]- 三重県
県庁所在地: 津(つ)市
- 滋賀県
県庁所在地: 大津(おおつ)市
- 京都府
府庁所在地: 京都市
- 大阪府
府庁所在地: 大阪市
- 兵庫県
県庁所在地: 神戸(こうべ)市
- 奈良県
県庁所在地: 奈良市
- 和歌山県
県庁所在地: 和歌山市
気候
[編集]気候は、北部・中央部西部・中央部東部・南部に分けることができる。
- 北部・・・日本海に面し、夏は南東の季節風により比較的乾燥、冬は北西の季節風の影響で雪が多く降る。山陰や北陸の海岸部の気候と共通する。
- 中央部西部・・・兵庫県南部や大阪平野は瀬戸内の気候で、雨が少ない。
- 中央部東部・・・内陸は盆地を形成し(京都盆地、奈良盆地、琵琶湖沿岸)は夏・冬/ 昼夜の寒暖差が大きい
- 南部・・・夏は南東の季節風の影響で雨が多い。特に紀伊山地の南は日本有数の多雨地域。沿岸は黒潮(日本海流)の影響で冬も温暖。
文化
[編集]平城京・平安京などの古都があったため、古い町並みが多く、それらが世界文化遺産に登録されている場合もあり、世界遺産が多い。また、京都は観光名所にも、なっている。
大阪は、江戸時代は商業の中心地であり、「天下の台所」とも言われた。明治時代の以降も、西日本の商業の中心地になったので、そのような経緯もあり、近畿地方の商業では、卸売(おろしうり)が大阪を中心にして発達している。
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今井町(いまいちょう)、奈良県 橿原(かしはら)市。 歴史的に古い建物が多く残っている町である。
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京都の祇園祭(ぎおん まつり)。京都市の、祇園祭りは、7月1日から、ほぼ一ヶ月のあいだ神輿(もこし)、山ぼこ を持った人たちが、街を町中を歩きます。京都市にある八坂神社(やさか じんじゃ)のお祭りです。
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異人館(いじんかん)通り。神戸市。山本通り~手前旧ハンセル邸(シュウエケ邸)。
これら異人館は、日本国から重要伝統的建造物群 保存地区として選定されている。 -
姫路市(ひめじし)の市街から見た姫路城(ひめじじょう)。兵庫県。写真の青い かざり は「姫路お城祭」の期間中なので。
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高野山(こうやさん)。和歌山県 高野町(こうやちょう)。空海(くうかい)が開いた寺である。
町並み
[編集]大阪・神戸・京都が、この近畿地方の都市圏である。
- ニュータウン
第二次大戦後は、平地に住宅地が足りなくなったため、山間部を切り開いて、千里(せんり)ニュータウン、泉北(せんぼく)ニュータウンなどが作られた。
- 大阪の都心回帰
1960~70年代は郊外のニュータウンに人口が流出していったが、しかし21世紀ごろから大阪都心に高層マンションが増え、大阪の都心の人口が回復している、と言われる。
- 臨海部の埋め立て地
臨海部は埋め立ても多い。また、ニュータウンの開発の際に、切り崩された山の土を使って、埋立地のポートアイランドが作られた。
- 阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災(はんしん・あわじ だいしんさい)では震度7の都市直下型の大地震が起きた。 そもそも震度7自体が、この阪神・淡路大震災で新設された。
震災後の復興では、避難場所を増やしたり、防災のために道路を拡張したりと、防災を意識した街づくりがされた。
工業
[編集]- 阪神工業地帯
大阪湾の側の臨海部や埋め立て地には、重化学工業の工場が多く、鉄鋼や石油化学の関連が多い。これら大阪湾の周辺の工業地帯が、阪神工業地帯(はんしん こうぎょうちたい)として知られる。
他の工業地帯・地域とちがい、自動車の工場は少ない。(ないわけではない。自動車メーカーのダイハツは大阪の企業。)
第二次大戦後は重化学工業が発達したが、戦前の関西では糸を原材料にする繊維工業(せんい こうぎょう)が発達していた。
- 中小工場
また、重化学工業の大工場とはべつに、機械工業などの中小工場が、東大阪(ひがし おおさか)市などに多い。人工衛星「まいど1号」なども開発され、打ち上げられた。近年では、ハードロックナットも有名。
- 家電メーカーの大企業
内陸部の門真(かどま)の周辺に、大手家電メーカーのパナソニックの工場があるので、関連の電子部品の工場も多い。
三重県の亀山にシャープの液晶テレビ工場がある。
液晶パネルや太陽電池などの生産・開発が、これらの地域でさかんである。2022年現在は液晶パネル工場は物流センター変わっている
- (※注意 家電業界は、近年は国際競争がきびしく、そのため本記事の執筆時(2014年当時)の本文の記述と、読者が読んだ時点での現状が、大きく違っている可能性がある。)
- ※ 大阪に、カジノ構想があるが、受験研究社はこれを、不況で空き地になった大工場の敷地の活用だろうと分析している。液晶パネルの不況など、上記では一部は物流センターに変わってるとあるが、これを他にもカジノに流用しようという構想だろうという事。「大阪湾パネルベイ」構想という液晶の産地にする構想があったが、しかしこれが液晶の不況により、大変な事になっている。
地形など
[編集]北部の海岸や、南部の海岸には、リアス海岸が多く見られる。
南東部の三重県の志摩半島(しま はんとう)や英虞湾(あごわん)では、真珠の養殖がさかんである。
近畿中部の滋賀県にある琵琶湖(びわこ)は日本一の広さの湖。高度経済成長期のころなど、かつて、生活排水などで琵琶湖に赤潮(あかしお)が大量に発生した。赤潮とは、プランクトンの大量発生で水面が赤くにごって見える現象である。近年でも、ときどき赤潮が発生する。赤潮が大量に発生する原因は、栄養であり、水の富栄養化(ふ えいようか)が原因である。廃水にふくまれる、りん や 窒素 などが原因と考えられている。合成洗剤の廃水に、これらの成分が多い。
農業など
[編集]和歌山県では、みかん、梅などの生産がさかん。 畜産では、牛肉の生産がさかん。三重県では松坂牛(まつざかぎゅう、まつざかうし)。他の地域では、神戸牛(こうべぎゅう)。近江牛(おうみぎゅう)など。これらの肉牛は高級牛として日本全国で有名。
昔は林業がさかんであった。杉、ひのき の木材を生産していた。吉野杉(よしのすぎ)など。吉野は奈良県。 しかし第二次大戦後は、外国からの輸入木材による価格の低下により、国産木材の需要は低迷した。また、林業の就業者の高齢化も、問題になっている。
- (※ 社会科の範囲外: ) なお、近畿地方にかぎらず、じつは日本の畜産で飼育されている肉牛の品種は、明治時代に日本の牛を外国の牛と交配させて品種改良させた品種である。(技術家庭科の東京書籍の検定教科書に、そう書いてある。) 日本の多くの肉牛の品種は、けっして日本古来の牛そのままの品種ではない。
- なので、よく日本産の牛を世間的には「和牛」(わぎゅう)というが、それは単に、日本で明治時代以降に長らく飼育されてきた品種という程度の意味でしかない。
伝統工芸
[編集]京都府では、京友禅(きょうゆうぜん)、西陣織(にしじんおり)、清水焼(きよみずやき)など。
- 滋賀県の信楽焼(しがらきやき)
など
コリアタウンと中華街
[編集]日本には、外国人も多く暮らしています。そのうちの多くは、中国人(約64万人)と韓国人・朝鮮人(合わせて約50万人)です。
近年では、フィリピン(約20万人)やブラジル(約18万人)やベトナム(約8万人)などからの出稼ぎ労働者などが増えています。
近畿地方では、歴史的な理由から、韓国・朝鮮国籍の居住者が多いです。特に、大阪のあたりに、在日の韓国・朝鮮人が多い(受験研究社)。
- コリアタウン
大阪の生野(いくの)区の、鶴橋(つるはし)地域や今里(いまざと)新地地域には、韓国籍・朝鮮国籍の在日韓国人・朝鮮人が多く住む、コリア タウンがある。なお、神戸市の長田区にもコリアタウンがある。
在日韓国人・朝鮮人が多く日本に来た理由には、おもに以下のパターンがある。
- 第二次大戦の戦前・戦中の、日本による朝鮮半島統治時代に、韓国人・朝鮮人が仕事をもとめて日本に来た。または、連れて来られた。
- 戦後の朝鮮戦争で、朝鮮半島の民衆が、戦争の難を逃れるために、密入国などで日本に来た。
- その他。
第二次大戦前の朝鮮人・韓国人は、もともと仕事として、工場の労働力や、土木工事の労働力として日本に仕事に来た。阪神工業地帯のあたりでは、低賃金の労働者や重労働の労働者が多く必要とされていた。そこで韓国の労働者が、これら低賃金・重労働の仕事に応募した。 当時の朝鮮半島は経済発展が日本よりも遅れており、そのため日本からすれば、低賃金で韓国人・朝鮮人を働かせることが出来た。
今でこそ阪神工業地帯では化学工場や電子機器の工場が多いが、戦前の阪神工業地帯は糸を原料にする紡績業などの繊維工業や、機械工業が発展していた工業地帯であった。
今でこそ、日本の工業製品には高品質を売りにした高価格の工業製品が多いが、戦前の当時は低価格を売りにした工業製品が多かった。そのため、日本人ですら貧しい家庭の出身者などは、低賃金で重労働で働かされた。戦前の日本の輸出品として主要であった生糸(きいと)も、低賃金で女工(じょこう)などを働かして生産されたものであった。
- 予備知識: 1910年に日本が韓国(当時は「大韓帝国」と国号を名乗ってた。)を併合して、日本が朝鮮半島を統治したので(韓国併合)、それにより多くの韓国人の生活に変化があった。
当時は朝鮮半島が韓国併合により日本国の一部になっていたので、今で言うと日本の一地方から低賃金の労働者を雇い入れたような出来事であった。
さて、韓国のチェジュ島(済州島)が、韓国から日本に来る際の経由地点になっていたので、当時の韓国人・朝鮮人労働者の出身地にはチェジュ島が多い。
第二次大戦後、韓国と北朝鮮が独立し、また戦争(第二次世界大戦)も終わったので、戦前から日本にいた在日韓国人・朝鮮人は、朝鮮半島への帰国が出来るようになった。また日本国への国籍の帰化も認められた。なので、当時、日本にいた多くの在日韓国人・朝鮮人は、朝鮮半島に引き上げたり、あるいは日本国に帰化した。
このとき、そのどちらもせず、つまり朝鮮半島に帰国もせず、また日本国に国籍を帰化もしない人もいて、日本に残り続けた。そのような朝鮮半島出身の人々が、今でも在日韓国人・朝鮮人の先祖として続いている。
戦後に、朝鮮戦争などを逃れて、日本に来た在日韓国人・朝鮮人も、これら戦前から日本に移り住んでいた韓国人・朝鮮人を頼って来たので、生野を中心に コリアタウン になっていった。コリアタウンの商店街では現在ではキムチや韓国風焼き肉など韓国料理を売る料亭なども多い。
今でこそ生野の鶴橋地域や今里新地地域はコリアタウンが有名だが、もともと、生野は工場労働者などの住む町であった。今でも、コリアタウンの外側の生野区および周辺で、工場は多い。
- 中華街
もともと、近畿地方には、兵庫県に神戸港があったため、神戸の周辺地区は外国人の居留者も多かった。そのためか、神戸には中華街「南京町」(なんきんまち)もある。
ただし、近代に兵庫の外国人の居留地の(当時の)高級住宅街にいたヨーロッパ人やアメリカ人たちは、現在は住んでおらず、観光地になっている。古い洋風建築の観光地になっている。