利用者:ダーフレ/北海道地誌
この本 (ダーフレ/北海道地誌) では、日本の北側にある北海道の様々な要素を加味しつつ地域性を紹介する。あくまでも「北海道」を「都道府県」ではなく「島の名前」としてである。
地理
[編集]北海道は大まかに分けると中央部分の菱型に近い部分と、左下側の
地図
[編集]気候
[編集]北海道は北に位置するため梅雨がない。気候は本州と異なる冷帯 (亜寒帯) である。冬は長く、11月頃から雪が降り始める。家の窓を二重窓にするなどして寒さをしのいでいる。冬に大雪が降るため、スキー場などの産業も発達しているほか、夏も冷涼であることを生かした農業も行われている(詳細は後述)。
オホーツク海の流氷(りゅうひょう)が冬に見られる。北海道の北東の海岸がオホーツク海側の海岸であり、1月ごろから3月ごろまで、流氷が見られる。
北海道では冬には雪も多く降るので、札幌市(さっぽろし)では雪まつりも毎年、冬の2月ごろに行われている。
農業など
[編集]北海道の農業は、全国でも有数の生産量である。農地が大規模な農家が多い。そのため専業農家も多く、農業にコンバインなどの大型の機械を用いている。
- 西部
石狩平野(いしかり へいや)などでは、稲作がさかん。北海道の西部で、稲作がさかん。石狩平野も、やや西寄りにある。 東部と比べて西部は、気温も、比較的、夏は高くなる。西部の冬の雪は、東部よりも多い。
北海道の南部から中部に、南北に長く伸びる山脈の 日高山脈(ひだか さんみゃく) があり、この日高山脈の東西で気候が分かれる。
米は、もともと熱帯の作物なので、もともとの米は北海道では育たず、近現代の北海道の米は、品種改良されて寒くても育つように改良された米である。
北海道では、盆地でも米作りがされる。なぜなら、盆地は、夏の間、気温が高くなるからだ。北海道中部の、上川(かみかわ)盆地や富良野(ふらの)盆地などでは、稲作もされる。
- 東部
東部はあまり気温が上がらない。そして夏には、霧が多く発生する。冬は、西部よりも雪が少ない。
稲作や畑作などに適さない場所では、かわりに畜産や酪農などが行われている。 北海道の東部では、畑作や畜産や酪農がさかんである。
十勝平野(とかち へいや)は、気候がやや冷たいのと火山灰地が広がることから、あまり米づくりに向かず、かわりに畑作や酪農がさかんに行われている。 北海道の畑作物は、じゃがいも、てんさい、たまねぎ、かぼちゃ、にんじん、だいず、あずき などである。 北海道が日本1位の生産量の農産物も多く、だいず、たまねぎ、かぼちゃ、てんさい、あずき、にんじん は、北海道が日本1位の生産量である。(「てんさい」とは砂糖大根のこと。甜菜(てんさい)。根をしぼって砂糖を取る。)
このほか、北海道中部にある夕張(ゆうばり)ではメロン栽培が有名。北海道中部にある富良野(ふらの)ではラベンダー栽培が有名。
根釧台地(こんせんだいち)は冷たい気候で、土が火山灰である。 そのため、農産物の栽培には不向きであり、かわりに酪農や畜産が行われている。根釧台地の酪農では、バターやチーズ、牛乳などを生産している。
根釧台地の火山灰土は、阿寒岳(あかんだけ)や摩周(ましゅう)などからの火山灰である。
根釧台地の開発は、農作物が栽培しづらく開発が遅れたため、第二次世界大戦後になって開発が行われ、酪農などがさかんになった。 1950年代から「パイロットファーム」事業や、1970年代の新酪農村(しん らくのうそん)などで、根釧台地での酪農の開発がさかんになって大きな酪農地帯に発展したが、その後の貿易の自由化などで乳製品などの価格が落ちて、あまり利益があがっていない。
北海道の酪農は、消費地の本州から遠いこともあり、バター、チーズなどの乳製品の生産が発達したが、現代では冷凍輸送の発達もあり、牛乳なども多く生産している。
開拓前の北海道
[編集]アイヌ
[編集]北海道にはアイヌと言われる先住民族がいる。明治時代に北海道の開拓が進められるまで、アイヌの人々のことを「
土地利用
[編集]江戸時代末期からロシアへの対抗策として幕府が測量を進めるなどが行われていたが、それは開拓に値するものではなかった。しかし、明治時代に北海道は大日本帝国の領土として一方的に組みこまれ、北海道の開拓が本格的に始まった。そのため、それ以前の自然が失われてしまった。現在の北海道でみられる田畑などの多くは、開拓後のものであり、森林を伐採して切り開いたものである。明治の開拓以前は、原野や森林が多くあった。 アイヌ民族は狩猟で生計をたてており、農耕の習慣が無かった。
明治のはじめごろに、開拓使(かいたくし)という役所が置かれた。
ロシアなどに対抗する警備の役割を兼ねて、日本の兵士に農業をさせる屯田兵(とんでんへい)が多く、北海道に置かれた。
このようにして、北海道の原野は農地などに開拓され、北海道は農業がさかんになった。 明治時代に日本の農学校に赴任(ふにん)したお雇い外国人のクラークも、農学校の教師であった。
- 地名に見られるアイヌ語の名ごり
地名に、アイヌの名残が多く見られる。たとえば「札幌」は「サッポロベ」が由来。
- 札幌(さっぽろ) ← サッポロベ (乾いた大きな川)
- 苫小牧(とまこまい) ← トーマコマイ (沼のある川)
- 小樽(おたる) ← オタルナイ (砂だらけの川)
- 歌志内(うたしない) ← オタウシナイ (砂の多い川)
- 稚内(わっかない) ← ヤムワツカナイ (冷たい水の川)
- 富良野 ← フラヌイ(においがするところ) ※ 硫黄のにおい
- 知床(しれとこ) ← シレトク (大地の突き出たところ) ※ 半島
- 帯広(おびひろ)オペレペレケブ (意味:いくつも分かれている川)
- 登別←ヌブルベ (水の色の濃い川)
- 根室(ねむろ) ← ニムオロ (樹木がしげる所)
- えりも ← エンルム (つきでた所。岬)
- 室蘭 ← モルラン (小さい坂)
- 釧路(くしろ) ← クシル (超える道)
- 石狩川 ← イシカラベ (曲がりくねった川)
- 夕張(ゆうばり) ← ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)
- 利尻(りしり) ← リイシリ (高い島)
明治政府が、あまりアイヌの文化の保護に熱心では無く、同化政策に力を入れていたこともあり、アイヌの文化が衰退してしまっており、アイヌは少数民族になっている。第二次世界大戦後は、政府はアイヌ文化を保護する方針へと変えた。
自然
[編集]世界自然遺産が多い。知床半島(しれとこはんとう)は世界遺産。
釧路湿原(くしろ しつげん)などの湿地も多く、タンチョウヅルなどの水鳥(みずどり)などの飛来する場所にもなっており、ラムサール条約の区域内である。 ラムサール条約とは、水鳥の生息地の湿地を保護するための国際条約である。 タンチョウは、特別天然記念物である。
釧路湿原は国立公園になっている。 他にもラムサール条約に指定された湿地が北海道には多くある。
火山
[編集]火山も多く、有珠山(うすざん)や周辺の山々は、ときどき噴火する。 洞爺湖(とうやこ)は、有珠山の活動によって出来たカルデラに水がたまった場所である。このようにカルデラに水がたまって出来た湖をカルデラ湖(カルデラこ)という。 北海道には、他にもカルデラ湖がいくつかあり、たとえば東部には阿寒湖(あかんこ)や摩周湖(ましゅうこ)や屈斜路湖(くっしゃろこ)があり、これらがカルデラ湖である。
洞爺湖の場所は、当然、有珠山にある。
有珠山の周辺地域では、防災マップ(ハザードマップ)も作られている。
洞爺湖の近くに温泉(洞爺湖温泉)があるのも、有珠山が火山だからである。有珠山は、ほぼ30年ごとに噴火すると言われている。1910年、1944年、1977年、2000年に噴火している。
有珠山の近くにある 昭和新山(しょうわ しんざん) は、第二次大戦の末期1944年(昭和19年)に出来た。
人口
[編集]札幌市(さっぽろし)に人口が集中している。札幌市の人口は190万人ほどであり、北海道の人口の約3分の1が集中している。札幌は政令指定都市になっている。
札幌市の町並みは、道が京都市のように碁盤(ごばん)の目(め)状になっている。これは明治政府が計画して都市が作られたからである。明治時代に開拓使という役所が置かれた場所も、札幌市である。
水産業
[編集]漁獲量が全国1位な海産物はさけ、ます、かに、ほたてがある。
1970年以前は、ロシアやアラスカ沿岸(アメリカ合衆国)で、日本の漁船が漁をする北洋漁業で、 すけとうだら などを取るのが盛んだった。1970年代の排他的経済水域の設定で、北洋漁業がおとろえ、漁獲量が大きく減少した。
近年では、養殖に重点がおかれ、 ほたて や こんぶ などの養殖、栽培漁業に力を入れている。
水産加工業もさかんでかまぼこや缶詰食品などが生産されている。
工業
[編集]室蘭市(むろらん し)で製鉄業。苫小牧市(とまこまい し)で製紙工業。室蘭、苫小牧ともに、場所は北海道の南東部の太平洋側にある。
- 炭鉱都市(たんこう とし)
かつて、北海道に石狩炭田(いしかり たんでん)など、かつて石炭の炭田があり、さかえたが、第二次世界大戦後に衰退した。夕張(ゆうばり)などは、かつて炭鉱都市(たんこう とし)として、さかえていた。 夕張市は、第二次世界大戦後に石炭産業が衰えて、財政が悪化した。そのため夕張市は観光を振興したり、「夕張メロン」などの特産品を作ったりして町おこしをしたが、今も夕張市の財政は苦しいままだ。