利用者:Tim Starling/temp

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

これは素案です。

ここで管理者への立候補を受け付けます。管理者について知るにはWikibooks:管理者をご覧ください。

ガイドライン[編集]

一定期間の活動実績があり、コミュニティーに広く知られている参加者で、特に問題を起こしていないのであれば管理者権限を与えるということに、コミュニティとして同意を求めます。

管理者への推薦[編集]

管理者への推薦には、被推薦者への事前の承諾が必要となります。

新規の推薦は上に加えてください。

管理者への立候補[編集]

管理者に立候補される方は、こちらに。信任についての質疑を行いますので、あわせてコメントをお寄せください。

新規の立候補は上に加えてください。


NUll[編集]

ウィキペディアでは0null0であるNullです。人のことを止めているだけではのうがないし、管理者が不足しているらしいので、正式に立候補します。

  1. 削除、ブロック、保護といいった基本的なこと以外は介入しません。コミュニティの秩序の最低限の維持だけを考えています。
  2. ルールつくりはコミュニティの方々が作るべきことと考えますので、意見を言うかもしれませんが、その場合は当然、一参加者としてです。
  3. アクティブな管理者が5人以上になった際には、管理者をやめます。

以上の三点を表明しておきます。Null 2005年3月10日 (木) 11:17 (UTC)

(コメント)質問です。削除についてですが、判定について何か基準はありますか?ないならない、ケースバイケースならそういう回答でもかまいません。(Wikipediaでは最近、強硬な存続意見が1人でもいたら削除を躊躇(あるいは放置)するような管理者が多いので、質問しています。)--Goki 2005年3月10日 (木) 11:52 (UTC)

Gokiさんのご期待にはおこたえできないと思います。削除はあくまでもコミュニティの判断であり、管理者になったとしても、基本的にはボタン押しです。なんらかの方向性を示唆する程度です。管理者はその程度の権限しかもちません。それを越えるような権限を行使するようであれば、管理者としては問題があると考えます。Null 2005年3月10日 (木) 12:47 (UTC)

(コメント)2点、質問いたします。

  1. まだまだ本文の量が少ないwikibooksプロジェクトですが、「将来的に考え得るプロジェクトの到達点」と「それに達するために必要とされる一般的な参加者の作業」についてNullさんの視点で簡単にご説明いただけないでしょうか。この質問とその回答は、どのような方が管理者に立候補しているのかをなるべく明らかにすることを意図してのものです。
  2. 「アクティブな管理者が5人以上になった際には、管理者をやめます。」と表明されていらっしゃいますが、アクティブの基準が具体的にどのようなものであるのかご説明いただけないでしょうか。例えば、「過去1週間において、権限を行使している」などの定義があると思います。また、以上の表明に基づいて一度管理者をやめられた後に、将来、再度立候補することがあり得るかどうかも、分かっていた方が参加者の便益になると思われますので、お答えいただけないでしょうか。--YuTanaka 2005年3月10日 (木) 13:47 (UTC)

1)なんともはや遠大な質問ですね。これは教科書とはなんぞや? という命題を突きつけているようなもんなのですが。 真の知に至る体系とは、年度とかそういった切り口ではなく、階段の段差をなるだけ少なくし、それでいて、その先は分野といった単純なものではなく、網の目のように複雑にからみあっている実社会・制度・事実のように、縦横に関連できるようにすべきものである。そういった観点を視覚的に実態化し、学ぼう・教えようとする者のために準備することは、現状ではネット上でしか構築しえないであろうということを前々から思っていたので、ここにひとつやりがいを感じているわけです。ですから、ブックスの到達すべき点は、既存の情報の単純な電脳化ではその目的の半分も満たしていない、すべてが融合している必要はないが、総合的な体系になりうるだけの関連性を持ち合わせた教育的構造を作り上げること。ということでしょうか。ただ、私が危惧しているのは、日本語版というこの縛りですね。世界中の教育状況とかを調べ上げたうえでそれをやることによって、書かれていることの学習が他国においてはどのように位置づけられていて、とか、そういうことをやっていくのもこのプロジェクトとして意味があるとも思うんですが。そうしないと、現状の日本の教育における断面になりかねないので。とかいて、1の二つめのについて書くのがものすごく重たく感じました。かけるんだろうか?

2)管理者がどれだけ増えようが、アクティブでない休眠管理者はカウントすべきではないとおもっています。では、問題のアクティブな管理者とはになりますが、管理者の業務が山積している状態であれば一週間における管理業務に・・・などと書けばよいのでしょうが、そういった視点でかくのもちょっと問題があるとは思います。では、現段階で表現をかえましょう。管理者が5人になった段階で、管理者をやめますと。アクティブという表現が問題になるのであれば、ここであっさり捨てます。正直、本当にアクティブに管理業務をこなす方がいえば、その方だけでことたりるであろう行量であるある可能性も大ですので。あと、基本的に一度辞めたら、二度目はなるつもりはありません。私はあくまで、一時的に混乱する、あるいはしているかもしれないコミュニティにおいて、一定の秩序を確保するために一時的に立候補するだけ、だからです。Null 2005年3月10日 (木) 17:36 (UTC)

  • (反対)残念ながら反対させていただきます。理由は大きく二点あります。
  1. 人間として信頼がおけない。とくに私が重視しているのは、外部サイトとはいえ個人攻撃をしておられる懸念が高い(「個人攻撃はしない」というのはウィキメディアプロジェクトの基本方針の一つです)と、管理者権限の使用に周到さ真摯さが見られないということです。これは以前に直接おいさめ申し上げた飲酒しての管理者権限の使用を止めていただきたいということです。実際に濫用があったとはいまのところ考えておりませんが、そのような状態の方に管理者権限の行使をしていただきたいとは思いません。
  2. プロジェクトの性質を理解しておられるように見えない。上のご意見を拝見してその感を強くしました。お考えは面白いとおもいますが、ネット上にあることはウィキブックスのコンテンツにとって本質的な性格ではない(これはたんなるナレッジベースではなくまさに書籍の制作のためのプロジェクトなのですから)、ということを理解しておられないとも感じました。
    1. ウィキメディアプロジェクトにとって、オンラインであるということは実は余り本質的なことではありません。私はそのように理解しています。もちろんコンテンツの制作にとっては重要な要素ですが、その究極の目的はすべての人に知識を無料あるいは出来る限り無料に近い形でいきわたらせることにあり、そこにはコンピュータやネットワークへのアクセスをもたない人への配布も含まれます。特にウィキブックスの場合は第三世界での配布が大きく意識されており、すでに外部団体の助成を得ての紙媒体配布のコンテンツ制作もはじまっています。オンラインに限定した理解をされておられる点で、ウィキブックスのミッションステートメントなどをどれだけお読みいただいているのか、またウィキメディアプロジェクトそのものについてのご理解をどれだけ私などとは共有しておられるのか疑問に思います。そうしたプロジェクトの性格に付いて既発表済みの情報とかなり違ったことを考えておられる方の管理者就任に賛成するということは私個人としては抵抗を覚えます。
    2. 私はリアルタイムでは経験しませんでしたが、かつてのスペインやロシアでのフォークは、管理者として指導的立場にあった方が、ウィキメディアプロジェクトと異なる方向性をもってコミュニティに影響力を及ぼしたということもひとつの原因であったと理解しています。ですので明らかに違う方向性を打ち出しておられる方の就任に私は賛成しがたく感じます。ですがお考え自体は面白いと思いますので、ご自分でサイトをたててなさることをお薦めします。

--Aphaia 2005年3月11日 (金) 21:20 (UTC)

(コメント)

  1. まず、私は、最低限の秩序維持だけを目的としておりますので、講釈をたれるようなことをするつもりもなければ、ルール整備をするつもりもありません。又、そういう作業が不要なのであれば、いくらでも立候補は取り下げます。管理者はボタン押し係りなのであれば、緊急時における作業以外、本来はボタン押しの要請に従うだけだと考えていまるわけですが。私がAphaia氏に反対するのはそのボタン押し係りとしての判断部分の資質の問題であるわけです。
  1. ここで媒体に関する部分は、メディア論争をすることになるのでコメントはしません。一言だけ言うならば、ならなぜ日本語版なのか? ということでしょうか。Null 2005年3月12日 (土) 05:39 (UTC)
  • (コメント)以前ウィキペディアで削除依頼のやり方にそぐわない削除を行っていらっしゃいましたが、お勉強はしなおしましたか? Kzhr 2005年3月13日 (日) 04:55 (UTC)
  • 具体例の提示をお願いします。Null 2005年3月13日 (日) 05:08 (UTC)
  • こういうカウンターはやりたくないですが、あえてやらせていただきます。--------複数のハンドルを使い、問題があると撤退宣言を、すぐに復活するような方に反対することについては、なんら問題はないと考えています。そして、そのつど、なんらかの問題を起こしているようですから。問題がないというのであれば、Aphaia氏には明確に個々の問題について反論していただきたいと思います。Null 2005年3月13日 (日) 08:05 (UTC)

Aphaia[編集]

履歴

Aphaia です。管理者に立候補します。直接の動機ですが、Sitenoticeの入れ替えで管理者権限の必要を感じました。そう頻繁にかえるものでもありませんが、毎回どなたかにお願いしてかえていただく、あるいはそのつど temp sysop にしていただくというのも煩瑣ですので、これを機会に立候補することにしました。

ウィキメディア・プロジェクトでは日本語版ウィキクォートおよびメタで管理者をしています。またウィキメディア財団サイトの編集者もつとめています。プロジェクト全体の多言語化が関心のひとつでもあります。

こちらではドイツ語教科書の執筆を主にしています。ns:0へサブページが導入されたため、大規模な移動を考えており、それでリダイレクトの即時削除を20くらいか出すかもしれません。それについても他の方をわずらわせるよりは自分で対処したほうがよいのかなと感じますが、jawb の即時削除要件には当てはまらないというなら、特に自分ですることにこだわりはないということも申し上げておきます。

自分がこうありたいと考える管理者像については最近q:Wikiquote:管理者にまとめましたが、これは自分個人のかんがえというわけではありませんので、少しこちらに述べておきたいと思います。

プロジェクトを成功させるには、中立的な観点、法と秩序の遵守、事柄が要求する限りでの学術的な精確さを追求すること、その一方コミュニティとしてのある種の一体感をもつが必要だと考えます。コミュニティの参加者としてはウィキの自己組織性を評価し、「大胆に」「ルールにこだわらない」を心情としています。ないそれぞれの参加者が自分の意見を率直に述べ合うことがプロジェクトの長期的な発展には重要だと考えています。短期的には気まずい思いをお互いすることもあるかもしれませんが、自分に美点があるとすれば、激烈な論争をしても、相手が誠意ある論敵であれば、相手との間にわだかまりを残さないことをあげてもよいでしょうか。

プロジェクトへの関与の仕方ですが

  • 合意を重んじ、管理者として振舞う限りは丁寧にかつ中立な立場で関与するように心がける。
  • 透明性を重んじ、報告は、可能な限り、コミュニティが要求している程度に応じて迅速かつ詳細に行う。
  • 一参加者として振舞う限りは、大胆かつ率直に意見を言う。この場合極力管理権限の行使はしない(たとえば自分が出した依頼は自分では処理しない、賛否を述べた場合もこれに準じるなど)

ことを心がけています。

もう少し詳細に述べると

  • 合意形成の時点では、意見は率直にいい、合意ができたときには自分の個人の意見とは別としてそれを尊重する
  • 管理者権限は極力明文化された規定の枠内で行使する。しかし行使をためらうことはしない。荒らしには厳正に対処する。また規定のない事例に出会ったときには、自分が既存の規則と矛盾しないと考える限りで、独自の判断を行うことがある。ただし迷う場合には合議のルートに載せることを好む

というところでしょうか。

荒らしへの対処ですが「罪を憎み、人を憎まない」(原典はこちら)と「しなくてよいことはしない」をモットーにしています。他プロジェクトでも、落書きの即時削除や差し戻しはわりと使いますが、ブロックしたことはほとんどありません。

ご審議をよろしくお願いします。--Aphaia 2005年3月1日 (火) 05:22 (UTC)

  • (反対)理由は細々と申し述べるつもりはありませんが、あえて挙げるなら「オオカミ少年」には、管理者になってほしくないということでしょうか。(私はこれ以上のコメントはするつもりがないので質問等をされても一切答えません。ご了承願います。)--Goki 2005年3月1日 (火) 07:35 (UTC)
  • (賛成)Aphaia さんはウィキブックスの初期から参加され、またウィキクォートでの速やかな基本ルール整備や他言語との橋渡しなどご活躍のご様子ですし、管理者権限を持っていただくことは大きな助けになることと感じます。私の活動は基本的に削除屋のような感じになっていますし、ブロックについては Aphaia さんと大きく異なり「罪も人も断ずる」という視点で居ますので、これはコミュニティにとっても好機の到来であると思いました。よろしくおねがいします。--Lots 2005年3月1日 (火) 08:07 (UTC)
  • (反対)Aphaiaさんからの質問については答える気はありませんが、他の方の質問については答えないわけではありませんでしたので訂正の上、改めて反対意見を書かせていただきます。
    1. まず「オオカミ少年」についてですが、これがすべてです。(これ以上はコメントしません。)
    2. 自分が犯したミスなどについての身の処し方がまるでなってない。
      1. ウィキペディアでの削除議論において「石垣りん」について、正当な削除の議論を経ずに即時削除で対処しようとしたこと。([1]から履歴をたどってください。)
      2. Fauby氏に対する、いくらなんでもアレはないだろうというコメント。[2]
      3. 管理者への立候補(推薦)の際に、私が悪意なく行った過去ログ化について、さも悪意があったかのような言い方をされ、その名誉回復の処置を何らなされていないこと。([3],[4]ほか)
      4. 管理者の立候補の履歴について、特に議論もなく「自分の落選の履歴を消したいがため」(私にはそのように見えました)ドイツ語版がそうだからというのを理由に抹消しようとしたこと。[5]
以上が理由です。--Goki 2005年3月1日 (火) 09:11 (UTC)
  • (コメント)悪意があってしているようにおっしゃられることは残念に思います。ひとつだけコメントしておきます。立候補の履歴ですが、私は自分の分がまじっておりましたので、落選者の分はirc にそのときいた方にお願いしました。実際に動いていただくまでに随分間があったようですが、それはその方の問題であってわたくしの問題ではありません。--Aphaia 2005年3月1日 (火) 13:43 (UTC)
  • (反対)反対意見を出しておきましょうか。Aphaia氏の行動はウィキペディアでみている限りにおいて、冷静さを欠く行動が散見されます。又、ウィクショナリでの問題も無視できないでしょう。管理者に一番必要なのは冷静な判断です。それを私は求められないと考えます。Null 2005年3月1日 (火) 14:32 (UTC)
  • (コメント)そもそも最初はウィキペディアでの聖書関連においてぞっき本についての問題でしょうか[6]。あのときも登場してすぐに問題を起こされていますね。ご自分が不適切な用法をしたという意識がないような状態ですし。Null 2005年3月1日 (火) 18:29 (UTC)
  • (反対)反対のお二方とほぼ同じです。Johncapistrano 2005年3月2日 (水) 08:19 (UTC)
  • (コメント)ポインタを追加しました。端的にいえば物事の始末のつけ方がなっていないということです。理由はどうあれ、利用者ページで"quit"と書いておきながら、1週間で何の説明もなく、何事もなかったかのように復帰したり(利用者ページにいろいろ書いてた外国人の方にはフォローしたのですか?)、自分に対する中傷には敏感なのに、他人に対するそれには鈍感であったり…。--Goki 2005年3月4日 (金) 12:30 (UTC)
  • (賛成)(アカウント取得からは日がたっているものの初編集は直近であるためここで意見を述べるのは気が引けますが)筋の通らない反対意見が散見されるような気がするので、バランスを取るために コメントさせていただきます
    • 他のプロジェクトでの活動をあれこれあげておられますが、そちらのコミュニティの参加者とこちらの参加者では人数も質もずいぶん異なります。ですから同じ問題が起こるとは思えません。しかも反対意見の方々の上げられている問題点は、言いがかり、とまでは申しませんが、ほとんど誤解に基づくもののようにお見受けします。
    • 重要なのは、今ここにあるウィキブックスです。active sysop の常駐しないプロジェクトの運命は悲惨だと、ウィクショナリを見て嘆息しております。とりあえず暫定的にsysopになっていただいて、3ヶ月ほど様子を見られてはいかがですか?(ウィキペディアでも初期の頃はそういう形で就任されたsysopがいらっしゃいました)。その間に問題が起きて「退任していただいた方が良い」というコミュニティの合意ができれば退任していただいたらよいのです。Miya 2005年3月5日 (土) 14:50 (UTC) 修正Miya 2005年3月8日 (火) 06:03 (UTC)
  • (賛成)私は賛成の立場を取ります。
  1. 今のウィキブックスは死にかけというより死んでいます。マニュアルも規定も殆ど無く、誰が管理者をやっても、さほど問題になる程の事は殆どないと思います。
  2. やる気のある人ができる事をやる。今のウィキブックスに大切なのはそれだけです。
  3. 重要なのは、Aphiaさんがウィキブックスの管理者になったとしたら何か問題が起こるか?です。上げられている反対意見の多くは、他のプロジェクトでの一般ユーザーとしての問題点であり、ウィキブックスの管理者になればどういう操作の時にどういう問題となるか?が予想すら述べられていません。かつて、利用者としてこういう事があり、管理者になったとしたらこういう問題がおきる可能性が大きい。という形で述べるべきです。言い争いなどに関しては、一般ユーザーと管理者の間で発言権に軽重はありませんから、そこに管理者権限が加わったとしても何か新たな問題に発展するとは考えにくいです。
  4. 一般ユーザーとして喧嘩もしない高潔な人のみが管理者をやるべきでしょうか?私はそうは思いません。そういった余分な条件をつければつけるほど、管理者のなり手はいなくなります。一般利用者的行動と管理者的行動は別物です。管理者的行動を取ったときに、どういう問題がおきるか?が問題です。そして特に、ウィキブックスには管理者どころか一般利用者すら殆ど見当たりません。
  5. 反対意見を述べるのであれば、ウィキペディアなどの他プロジェクトではなく、ウィキブックス内での振舞いを元に、述べるべきです。ウィキプロジェクトは相互に補完しあうプロジェクト群ではありますが、ユーザー登録もウィキペディアとは別です。ここはウィキペディア外であることを示しています。別の名前で登録し、他のプロジェクトのユーザーと同一人物であることを示す人もいれば示さない人もいます。他プロジェクトでの活動を示す人のみが(肯定的或いは否定的)理由に他プロジェクトでの実績を挙げられることになると、立候補者に対する審査がひどく公平性を欠いたものとなってしまいます。
  6. 他プロジェクト内での争いは、当該プロジェクト内で処理してください。
Harami 2005年3月6日 (日) 03:00 (UTC)
  • (コメント)みなさまコメントをありがとうございます。審議中には特に答えるべき質問やあからさまな誤解に基くご発言を戴かない限り、コメントするつもりはなかったのですが、新規に公約をふたつ付け加える必要を感じましたので、あえてコメントすることをお許しください。以下日本語版ウィキブックスと関わりがないとはいえ、他プロジェクト等での話が続きます。ご了承ください。
    すでにご存知かもしれませんが、m:スチュワードの追加信任という話が出ています。以前に不足だという声があったときに、必要ならば助力するということを申し出たことが背景にあるのでしょうか、事情はMLを見ていただきたいと思うのですが、アンテールさんの選挙をしようという提案に対して、ジンボさんが直接任命するという意向を表明されて、そこで下馬評に私の名前も出てきましたアンテールさんのメール。ただこれはあくまでも彼女の予想ということであって、ジンボさんの胸中が現在どうということは分かりません。
    そもそも直接任命が本当に行なわれるのか、選挙になるのかということは分からない状態での話でもあり、コメントしようかどうか迷いましたが、管理者権限に直結することでもあり、審議を行なっている最中でもあるこちらにはお知らせしておこうと思いました。ウィキクォートのほうは、話が確定してから表明すればいいと考えています。
    前置きが長くなりましたが、公約というのは次の二点です。スチュワード権限をもった場合ですが、
    • 現在管理者をしているプロジェクトではビューロクラット権限を請求します。これはスチュワードがもっている権限のうちにビューロクラット権限も含まれますので、事態を明確にするためのものです。信任されなかった場合にはそのプロジェクトでビューロクラット権限を行使することはしません。
    • スチュワードにはデシスオプ権限(管理者権限を剥奪する権限)がありますが、この行使は、以下に述べる例外を除き、私の母語である日本語コミュニティでは行使しません。これはスチュワード権限の行使の方針で明確に定められていることです。自分の母語でも自分がアクティヴでないので行使してよいという方針をもつかたも実際におられますが、私は個人の信念として母語のコミュニティではこの権限を行使しない、ということをここで明確にしておきたいと思います。ただし緊急の場合でコミュニティの合意が明白であり、他のスチュワードを待つことが出来ない事態であるときを除きます(管理者権限をもったボットの暴走のような)
    以上です。引き続きご審議をよろしくお願いします。--Aphaia 2005年3月6日 (日) 16:54 (UTC)
  • (コメント)Miyaさんのコメントについてはがっかりです。私はこれからウィキブックスに貢献しようと思ってました。(程度についてはWikipediaがメインになりますので他の方々より多くは貢献できませんが)「他プロジェクトでの実績を挙げられることになると、立候補者に対する審査がひどく公平性を欠いたものとなってしまいます。」というこを挙げた方がいらっしゃいますが、私が挙げたトラブルについてはプロジェクトが同じであろうが、異なろうが発生しうる事項です。今後Aphaiaさんが私が挙げた事柄について、トラブルを起こさないようにするのであれば賛成に転じることもあるかと思いますが、1項目(過去ログの件)を除いて今後も同様なことを起こさないとは、考えにくいのです。また、貢献しないなら意見するななどというのは傲慢です。どうやら、これ以上私がコメントしても「貢献しないなら意見するな」の意見しか出ないようですので、この場でのこれ以上のコメントは一切控えさせていただきます。(個人的な反論等がありましたら会話ページなどでお願いします。)--Goki 2005年3月7日 (月) 12:16 (UTC)
  • (コメント)これまで一般的に管理者の権限は、人と問題を起こしそうにない人に信任として与えているとおもいましたが。問題を起こしそうな人が権限を持った場合、権限の行使に疑念がつきまとうのですが。そしてそれはウィキペディアのように人が多いところであれば目もつくでしょうが、ブックスでは人の目が少ないだけにスルーされる可能性があります。これは危険だとは思いませんか? これまで二度、ウィキペディアで信任されなかった理由は何だと思いますか?Null 2005年3月7日 (月) 13:09 (UTC)
  • (コメント)あと、へんな行動起こす人のブロック、保護といった行動のために管理者が必要なのなら、私がやってもいいですよ。Null 2005年3月7日 (月) 23:32 (UTC)
  • (中立)他のプロジェクトは本プロジェクトと切り離してという意見の方が多い様ですが、立候補者自身が他プロジェクトでの実績を引き合いに出しておられるのですから、反対意見で他のプロジェクトに言及されるのもおかしな事ではないと思います。賛否についてですが、「相手が誠意ある論敵であれば」などの表現に疑問を感じる為、賛成はしません。--Snow 2005年3月8日 (火) 02:32 (UTC)
  • (コメント)
  1. Gokiさんのコメントは、少し話が噛み合ってないように見受けられます。
    1. 「公平性」の問題自体と、それを押してでも意見するかどうかは別の事です。「公平性を欠きはするものの」意見しているのか、「公平な」意見として出しているのかは全く別です。
    2. 「貢献しないなら意見するな」とはどなたも言われておりません。
    3. もうこちらではコメントしないとの事ですが、私は、ここ以外で議論を続ける必要性を感じないのでこちらに書きました。あくまで審査のためだけの議論ですし。
  2. Nullさんのコメントは、具体性がありません。その記述からは危険かどうかは判断できません。
    1. 一般的とは何を指されてるのでしょう?ウィキブックスの管理者のことですか?すぐ下にあるLotsさんの時の議論を見る限りは、そのような所への注目した議論はあまりなされてないように見受けられますが。
    2. Miyaさんも私もプロジェクトの規模に言及しております。問題の起きる頻度、衝突の起きる頻度は、ウィキペディアとは大きく異なります。管理者権限が行使される頻度も違います。疑念がつきまとうのであれば、疑念を持った人が追跡するでしょう。自らの疑念を他の人の考えにまで一般化されているような気が致します。疑念を抱いているのはNullさん自身ですから、Nullさん自身が追跡し続けることと思われますが。
    3. どういった状況になると主張されているのかが見えません。現在、或いは近未来のウィキブックスの運営において、どういった権限行使について、どういう問題が起こると予想されるのか?そういった問題はウィキブックス内でどの程度起こりうるのか?ということをきちんと書くべきです。
    4. 高い確率である種の問題が起こると予想されるのであれば、Miyaさんの期限付きで様子見という案はどうですか?高い確率で起こるのであれば、十分な期間が取られていれば起こると思われますが。
    5. それと他の人の立候補を阻止するために嫌々ながら立候補するのもいかがなものかと思われます。立候補されるのであれば、そういった喧嘩腰な立候補ではなく、少なくとも表面的にはこちらと別個の独立な問題として切り離された方がよろしいかと存じます。
  3. Snowさんの指摘は尤もだと思います。しかしながら私は、候補者自身の他プロジェクトでの肯定的な実績のアピールにも注目すべきではないと思います。あくまで問題はこのウィキブックス内でどうか、今後どうなるか?だと思いますよ。
Harami 2005年3月8日 (火) 05:22 (UTC)
  • (コメント)Snowさんご指摘の「相手が誠意ある論敵であれば」という表現について、聖人君子でない限り、誠意の無い相手にまでわだかまりを残すなとは誰も言えないだろうと私は思います。
    なお前回のコメントで誤解を与えるような言い方をしてしまった部分を修正しました。Gokiさん、気を悪くさせてしまってごめんなさい。私は他の人のやり方に文句を言うつもりはありません(言うつもりなら、もっとはっきり言います:)Miya 2005年3月8日 (火) 06:29 (UTC)

(コメント)Haramiさんへ。ご本人が答えずに他の方が熱心なのはどうにも奇妙なのですが、いいでしょう。 まず5番目ですが、人の立候補を阻止しているのではなく、立候補者に反対しているだけなんですが。どうしてこのような誤解が生まれるのか、私は理解に苦しむのですが。Haramiさんこそ、よく読んでいただけないでしょうか。

又、どこが喧嘩腰な立候補かもよくわかりません。ウィキペディアでもメインでやっているのはへんなことをする人に警告したり、それを聞かない場合にはブロックする。編集合戦があれば保護する。あとは削除ですか。秩序を乱すような方の行動を止めることをメインにしているわけですが、現状のブックスの新規投稿状態であればそれぐらいはやりましょうか、というのがいったいどこが喧嘩腰なんでしょうか? 説明していただけないでしょうか。Null 2005年3月8日 (火) 10:46 (UTC)

(コメント)では4番目ですが、これは↓でGokiさんが懸念されていることでもあるのですが、いったん就任した管理者の権限を剥奪するルールが整備されていないので、「やらせてみればいい、ダメだったらやめさせる」なんてことは簡単にはいえないのです。これはウィキペディアに参加している方なら理解されていることだと思っていたのですが。そういう発言をするのであれば、解任にむけてのルールつくりも同時進行ぐらいのペースでしなければならなくなりますが、Haramiさんはそれをする意思はありますか?Null 2005年3月8日 (火) 13:05 (UTC)

(コメント)私こそ誤解していましたので、先の(特にMiyaさんに対する)コメントは(ここではコメントしないというのも含めて)撤回・訂正するとともにお詫びいたします。申し訳ありません。--Goki 2005年3月8日 (火) 11:58 (UTC)

(コメント)他プロジェクトでの実績を根拠に管理者に対する立候補の賛否をコメントする件については、公平性に欠くものではなく、何ら問題ないと考えていることを改めて申し上げます。ルールの整備については管理者でなくてもできることですし(現にWikipediaのほうではそうですよね。)、管理者の役割としてはNullさんの意見にほぼ同意するものです。具体的に危惧しているものについてですが、現状ja.wikibooksの管理者が3人(アクティブな管理者は1人?)の状態で、かつAphaiaさんがsysopの権限を持った状態で、私が先に具体的に挙げたようなふるまいや、このようなふるまいを起こされますと非常に困るのです(こちらも参照)。まだja.Wikipediaのほうは幸い多くの管理者がいらっしゃり、1人の管理者の誤りや(いろんな意味での)暴走についてはブレーキをかけられるのですが(この件ではMiyaさんが仲裁されてます。ありがとうございます。)、現状のja.wikibooksではそれが望めません。また、管理者に問題があった場合罷免する手続きが整備されていないのも「問題があればやめさせればよい」と思うことができない1つの理由でもあります。--Goki 2005年3月8日 (火) 11:58 (UTC)

  • (コメント)たとえ罷免手続きが整備されたとしても、現状の辞任処理ですらやや滞っている印象があるので、やはり「問題があればやめさせればよい」とは簡単に言えません。--Goki 2005年3月9日 (水) 01:30 (UTC)
  • (コメント)先ずMiya氏の意見についてですが、私はAphaia氏が誠意がないと判断した相手と論争後にわだかまりを残そうが残すまいがそれはまた別の話であると考えます。今回は、立候補者は誠意を感じる相手にわだかまりを残さないというのを美点として挙げる方であると言うこと等を念頭において賛成でも反対でもないという立場を表明させて頂きました。
続いてHarami氏の意見についてですが、注目すべきかどうかについては現状はこういった発言に対するルールもないため、お互いの考え方にしたがってそれを判断して賛否表明するしかないと思います。--Snow 2005年3月8日 (火) 12:11 (UTC)
見直していて氏は「(肯定的或いは否定的)理由」という発言をされていたので、私の発言を一部削除しました。--Snow 2005年3月9日 (水) 03:01 (UTC)
  • (質問)まず他言語版の管理者が、必ずしも管理者にならないように、他のプロジェクトの実績については考慮しないと考えるのが自然と、私は思うのでひとまず横において置かせて下さい(この件に関しては全体的なルールがないし、この件は問題が大きすぎてここで論じるべき問題ではない)。
wikibooksの活動が短いので、執筆者の私と管理者になろうとしているあなたの間に思想の相違があったりすると今後の問題になるので、幾つかの質問をさせてください。
あなたが立候補された際に、事柄が要求する限りでの学術的な精確さを追求することということを書かれております。
一方で、初学者向けの参考書や教科書においては、難しい内容は頓挫してしまう為に、理解を容易にするように精確さを無視して、分かりやすい記述に努める必要があります(もちろん、間違えは認められるものではありません)。精確さを追求することによって、このような初学者を追い返すような参考書や教科書を陳列する場になってしまうのではないかという懸念を抱きました。
私はWikiは利用者が少ないことには発展しないと考えており、そのためには定められたルールの中で間口を広くするべきだという認識でおります。wikibooksがオープンコンテントな教科書や参考書の集まりだとなっている以上、原則として、私はそれ以上のことを要求するべきでないという認識です(もちろん、以前に議論があったゲームの攻略本は、「ジミー・ウェールズが商業広告をしない」といっているのに反すると思われるので賛成ですが)。
要点を纏めると以下の二点について解答を伺いたい。G 2005年3月9日 (水) 10:43 (UTC)
  1. 学術的な精確さを追求することと、初学者との関係について伺いたい。
  2. 学術的な精確さを追求することによって間口が狭くなることで、利用者の減少、及びウィキブックスの停滞が見込まれるが、この点に関して。
まずやや精確さを欠く表現になったことをお詫びします。私がプロジェクトといったのは「ウィキメディア・プロジェクト」全体のことであって、特にウィキブックスに限定した話ではありません。
学術的な精確さの要求については、最近 wikipedia-l で議論があり、Jimmy Wales 氏のコメントが出されました。そこでは Wikipedia は事柄においては elitism であり精確さを追求するということが明確に言われています。私もこの意見に賛成です。つまり執筆者には一定の努力と能力が要求されるべきであるし、表現の精確さが追求されると考えています。
一方で、「事柄が必要とする限りでの」と注釈をいれたことにご注目いただきたいと思います。あくまでも一般読者を対象にした百科事典なり教科書なり入門書なりの執筆がここではなされるのであって、そこではおのずと学習者の理解に合わせるということが要求されると考えます。そこでは、たとえば例外事項を詳細に書くことはとどめる、一定の範囲内に使用する概念を限定するなどの教育的な配慮が求められるでしょう。子供にはじめて算術規則を教えるのに、おはじきをもってして、環の概念からは教え始めないというのと同じです。適切な読者層の設定が教科書には必要であり、そこでは体系的な詳細かつ緻密な記述が適切な場合もあり、段階を追って記述の詳細さが変化していく場合もあるでしょう。そして両者に渡って重要なのは、明らかな嘘や間違いをできる限り除去するということであって、教育上の効果を減じるような仕方でまで正確さを追求するということではないと考えます。
二番目のご質問ですが、それはなにをもってして「利用者」と呼ぶか、なにをもってして「停滞」とみなすかによってもお答えが変わるだろうと思います。個人的な考えとしては、投稿が大量にあることがただちにプロジェクトの活性化であるとは考えません。

本来の目的である、学校現場で使用するにたる(そもそもこのプロジェクトは大学の教養課程の教科書を作るプロジェクトとして始まりました)教科書を作るという線から外れた状態で、投稿数が増えたとしても、私はそれは活性化とはいえないだろうと考えます。

ただし専門家だけが投稿するというのがよい姿であるとも考えません。オープンプロジェクトの利点のひとつである、素人と専門家の協調が実現することが鍵になるだろうと考えます。
私見ですが、ウィキブックスにおける活性化とは、一定の質をもった投稿があり、それによって教科書として使うに足る完成した本がいくつかあり、それを実際に使う利用者がおり、そして利用者からのフィードバックによってコンテンツが改善されるようになり、また専門家が自分の本をそこに望んでおく状態をいうだろうと考えます。
そうしたよい循環は、誰でも投稿できる状態を保ちつつ、en などで試みられている査読や評価制度などをいれて質を維持する努力をすることで保たれるだろうと考えています。もっとも、日本語版についていえば、まだ完成した本あるいはほぼ完成した本もない状態ですから、そうした質の問題や学術的精確さを個々の執筆者に厳しく要求するにはまだ早いのかなとも感じています。これはむしろ長期的な課題というべきでしょうか。
お答えになれば幸いです。--Aphaia 2005年3月10日 (木) 01:25 (UTC)
  • (保留。現状では反対)2年前のウィキペディア日本語版の時と同じ議論をしそう…多分、目指している最終目標は同じものだと感じました。ただその途中の過程に対する考え方が私と異なると言うことでしょう。
もちろん、その循環は理想だと私も考えます(そして、その循環が回り出す頃には、私は必要なくなるでしょう)が、現状では循環も何も無い状態、循環を保つことは仰っても、循環を生むための視点に欠けているような気が致します…(多分その辺は、私が想定していることと、Aphaiaさんの想定されていることが違うのではないかと…)
賛成すべきか、反対すべきか私もまだ悩んでいるところで、文章とか行動を見る限りでは、私のような考え方の人間が排除されるのではないかという懸念がある一方で、ウィキブックス内では問題をまだ起こしてないからいいではないかということでガイドラインに即して賛成すべきという考え方もあり、まだAphaiaさんがどういう方なのかを判断させてもらいたいというのが本音です。現状だけで判断しろといわれるならば、懸念の方を優先させたいです。
で、話はそれて、他のユーザーさんへの意見なのですが、aphaiaさんの管理者権限についての可否をどう決めるのでしょう?G 2005年3月10日 (木) 07:08 (UTC)

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