学習方法/中学校公民

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

数学との関係について[編集]

2021時点の学習指導要領を見てみると、公民的分野として、現代社会、経済、政治、国際社会、の四つの視点を提示しています。

このうち、経済、経済学というのは、もちろんお金を扱っていますから、数字の話、 数学との親和性の高い学科、学問ですよね。実際最先端の経済学では、高度な数学の知識を駆使した議論がなされていますし、明らかに数学と大きな関連があります。

ですから、中学でも、高校でも、経済の話で数理的な議論、話がなされることは時々ありますが、しかしあくまでも概念の理解が主軸で、演習として、試験として、 計算が必要な課題が出されることはほとんどないようですね。

憲法、法律の条文について[編集]

中学校社会科公民分野として、この国の最高法規とみなす日本国憲法と、各種法律についての話題は、やはり重要なものになっていくでしょう。

憲法に関しては具体的な条文の話題も出てきますが、それ以外の各種法律、労働基準法や民法、教育基本法など、条文そのものが課題や記憶対象になることは、ほとんどないと思います。

検定教科書には、憲法や幾つかの少数の重要な法律の条文自体が参考資料として掲載されている場合が多いようですね。もちろんこの文章自体を読んで内容を考えてみることは重要ですが、むしろ中学校、初学段階では、授業や教科書、各種学習教材による、総論的概念的な解説、これ自体をよく読み聞いて、法律の趣旨内容を理解するのが、基本的な学習法になるでしょう。

しかしなぜ現実の具体的な法律が、文章として記述記録されるか?それは、その文章自体が、その法律の基盤であり、原型だからでしょう。

ですから法律の運用解釈に、何らかの現実的な問題が生じたとき、話し合い、議論の基盤はその法律の条文そのものになるはずです。

そういう意味では、学習、勉強上の方便は別にしても、現実の法律条文自体を、軽視することはできないと思います。

法律は変遷するもの[編集]

社会科として、公民的分野として明らかに法律とは重要なトピックですが、憲法や民法、刑法や労働基準法など、具体的な法律の具体的な内容が、例えば即物的に入学試験とか、そういう場で課題として重要視されることは、実際にはほとんどないようです。

理由は様々あるのでしょうが、その一つに、法律は変わっていくものだということがありますね。つまり現行の法律が本当に妥当なものなのか、現状において意義のある正しいものなのか、常に、特に国会の場で議論がなされ、事実上毎年新しい法律が制定され、既存の法律の改正がなされています。

「民法」「刑法」や、「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」「労働三法」、あるいは「労働基準監督署」、法律やその周辺の用語がありますが、具体的な現状の条文やその詳細な内容よりも、もっと大きく、用語周辺の総体的、概念的な理解が学習の中心になると思います。

身近な、定期試験、学力試験、入学試験では、単答問題としてそれらの法律周辺の用語を答えることが求められるでしょうし、中学校社会科学習の場だけではなく、日本社会、文化の一般的な要求として、適切で妥当な漢字の使用と記憶が求められています。

社会科とは、そして社会とは何だろうか?[編集]

公民的分野に限らず、そして中学校社会科に限らず、割と大きな意味で社会科、社会といった場合、我々が生まれたときに放り込まれた、この現実の人間社会について知ること、それが何かを考えてみること、もちろん我々すべて日常生活で常にそれを行っているわけですが、その大きな学習と、経験を示しているのでしょう。

学校で学習する社会科は、明治5年に学制が発されて以来、いやそれ以前の儒教・道教・仏教などの学習や議論なども、社会科の一部とみなせるかもしれません、とにかく大人たちの侃々諤々の議論の中、子供たちに提供する主張や知識が決められ、常に時代とともにその教育内容も変遷していきました。

これからもその内容は、改善を目指して変化していくでしょうし、現実の社会自体が、その教育内容の影響を確実に受けて、歴史が動いていくでしょう。

あるいは大人が偉くて子供が愚か、という、発想自体が、すでに真実を示していないかもしれませんよ。

世の中全てを知っているかのように他人や子供たちにああせよこうせよと云う人が多いですが、個人的な見解ですが、他人の自由意思を尊重せず、物事を狭く限定する人間ほど、物事についても、社会についても、人間についても何もわかっていない人物だと思います。

社会科も勉強も生活もそれ以外も、あまり堅苦しく限定して考えることなく、柔軟で気楽な発想を持って、日々の生活や学習を続けていけば、それでいいのではないでしょうか。