学習方法/高校受験/国語

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基本のスタイル・課題[編集]

参考書を良く読んで、市販のドリル、ワークブック、問題集を練習、学習するのが有効です。そして、語句や漢字などの書き取り練習も有用でしょう。

読書ももちろん国語に関わっていますが、それはむしろ勉強というよりは自分自身の楽しみで、受験勉強としてはもうちょっと素朴な訓練的な行為、書き取りを中心とした学習が望ましいですね。

最近では記憶を促進するための別の方法も提唱されているようですが、古典的な記憶方法としては、ノートに漢字や語句を何回か反復的に書いて、覚える、定着させる、これは昔からスタンダードな学習法として行われてきたことです。

小説を読むよりも国語参考書にある例文を読むほうが、受験勉強として効率的だという前編集者の指摘もありますが、一方文章というのは試験問題のために抜粋されたものはあくまでも一部にすぎませんから、最初から最後まで本や文章を読んでこそ、きちんと著者の主張を読んだことにはなる、とは思います。

高校入試の出題文は、物語文だけではなく、評論や詩、説明文や随筆など多岐にわたりますが、これはむしろ当たり前のことで、そうじゃあないと思っている人はほとんどいないでしょう。前編集者はこのページの前前編集がそういう間違いを犯していると指摘していましたが、これは明らかに前編集者の誤読でしょう。

現代語文法や古語文法も出題範囲になりますが、そんなに詳細な突っ込んだ出題はされないとみて良い。市販の参考書などで、ごく基本、常識的な事項を覚えて理解しておけばいいでしょう。

習字、硬筆書写は高校入試では扱わない[編集]

中学国語では、習字や硬筆などの書写を習いますが、高校入試の課題にはなりませんね。

高校の国語では国語科の学習課題にも採用されていません。習字は芸術科目の「書道」で扱う程度です。そのため、一般的な大学入試で課題になることもありません。

書き取り練習[編集]

漢字の書き取り練習[編集]

漢字の書き取りは、対象の語句を、ノートに何回か縦に繰り返して書く。小学校でもやっていましたし、我々は基本的に伝統的に、年少の時はそうやって漢字練習してきましたよね。読めるだけではなく書けることも重要。かける漢字は大抵自分で読むことができますしね。

ドリルなどで読みを出題された漢字でも、あまり難しくない、難読ではない漢字は、書き取り練習もしておくといいですよ。

ことわざ、故事成語、熟語[編集]

ことわざ、故事成語、熟語は意味を知るだけではなく、ノートに鉛筆で書き取り練習をしてみるといいですね。記憶に関しての書き取りの効果というのは、今現在では様々な議論があるようですが、自分で実際に語句や文章を手で書くというのは、明らかに現実の行為ですし、現実に物質界で行為を成したというのは、確実に自分自身と現実世界に大きな影響を与えたと見ていいと思います。

学校や塾で漢字や語句の書き取りテストがあった時は、その課題は重要語句でしょうから、予習も復習も、書き取り練習もしておくのがいいですね。

兎に角記憶できる出来ないに関わらず、ノートに様々な事を自分の手で鉛筆で書くというのは、知的に意義のあることだと考えます。

単語、語句だけではなく、まとまった文章を書くのもいいですね。内容に関しては様々な場合が考えられるでしょう。読むだけではなく書く、これは国語学習にとって非常に重要な事です。

重要語句を書こう[編集]

「漢字」「故事成語」「熟語」「ことわざ」「語彙」「外来語」、重要語句を書きとり練習する。書き取りの記憶に関する有効性には最近疑義が唱えられているようですが、現編集者は過去の伝統や経緯に倣って、書き取り練習は推奨しておきます。

書き取りに限らず、ストレスを感じるほど大量にこなす必要はないと思います。一回の練習量が少なくても、総合的な学習量が少なくても、一回一回の学習に意味がありますし、その勉強、練習を少しずつ積み上げていくにつれて、確実に学習が進み、前に進んでいきます。

長文問題について[編集]

これもほぼ当たり前の事、学生ならみんな知っていることですが、入学試験や、範囲の広い学力試験では、国語長文問題は初見の文章、新しい文章で、教科書に掲載されている文章から出題されるという事は無いですよね。

対策としては、一般の問題集や参考書、一般向けのものなら教科書の文章に拘らず取り上げられているはずなので、こういう素材を利用して学習するのが良いでしょう。

読書ももちろん国語の勉強になりますが、一方でこれは我々の趣味であり楽しみでもありますよね。読書に関してはあまり細かいことに拘らず、これは勉強だなどと思わずに、自分の楽しみで、気晴らしでやっているんだと考えたほうがいいですよ。

中学生に向けた書籍というのも世の中にはありますね。具体的に一つ上げるとすると、岩波ヤングアダルト文庫。或いはこれは小学生向けですが、朝日小学生新聞というのも、若年者に向けた教養的な文集ですよね。これらを自分自身の教養、楽しみのために、気晴らしとして読むというのはもちろんいい事ですが、高校受験国語として考えると、試験問題として採用されることは無いようです。

入試に出題されるのは、長文などの読解の他は、漢字や熟語・ことわざ・故事成語・語彙や文法(現代語、古語)などになるでしょう。参考書も有用ですし、受験用のドリルやワークブックや問題集も有効、記憶が必要な分野なら反復練習が効果的です。

難関校向けの難問集はあまり推奨しない。標準的で基礎的な国語の知見を充実させることが第一に思われる。

さて、今となっては編集の変更が頻繁になされたので、もとの原文を見つけ出すのは難しいのだが、現編集者H は以前、「文章や小説を読むという事は、一つのまとまった作品を最初から最後まで読む事であり、その姿勢が一番妥当。」「最初から最後まで、その作品を全部読まないのは、その作品を読んだことにはならないし、中途半端なつまみ食いに過ぎない。」と、いうような内容を主張した。

それに対する前編集者Suj の反論がこれ↓である。

しかし、そもそも、読み切った作品の数や文章量、というのは高校受験でも大学受験でも社会でも要求されていない。

しかし現編集者が言いたいことは、読み切った作品数や文章量を誇れという事ではなく、たとえ少数や少量でも、他者の文献を読むという事は、初めから最後までその主張を聞くことだ、と主張しているだけだ。

そしてもう一点。実は高校も大学も社会も、他者に対して一切要求なんかしていない。要求しているのはその構成員のインチキな愚か者だけ。彼らは常に他者に自分の都合のいい行動、状況、奉仕を要求している。そして彼らと同類の愚か者が、喜んで彼らの欲求を満たす。そこで結託した、お互いにはまった愚か者の集団が完成する。このインチキ集団が、それぞれ、右往左往してさらに大きくなり、その場その場でインチキな暴力をその集団の大きさの威に乗って、日々行使する。

この社会では基本的に、日々そんなことが起きているようだよ。

現代の言葉[編集]

さて、現編集者はあくまでも、他者の文献をちゃんと読むという事は、最初から最後まで全体を読むという事だと主張するが、だからと言ってその実践を押し付ける気はなく、それぞれの人が、その事実を重要視するかしないかによって、それぞれの時間でそれをしたりしなかったりすると良いと思うが、学校の国語科の勉強としては、特に受験勉強としては、多くの場合、問題集や参考書で、抜粋された文章の読解、練習をするという事になるだろう。しかし学校の授業では多くの場合、短めではあるがまとまった文章を学習課題にしているだろう。

だから受験勉強としての自学としては、受験問題集を手に入れて学習するのが良いようだ。

前編集者の主張では、問題を解く事よりもそれなりの受験向けの文章をある程度読むことが重要なので、設問に解答しなくても、わからない単語を辞書で確認するだけで、かなり効果的だ、という。

また辞書を引くのはかなり、手間がかかり負担でもあるので、程々にして切上げて、参考書の学習、参考書の語句解説の学習をすると良いだろう、とのこと。

言葉に関しては、参考書や用語集では理解が浅く、頭にあまり入ってこない場合もあるので、長文を読みながら辞書を引く作業も、やはり時々必要だろう。

辞書を引くためには、その辞書自体の前文や解説文、付録などを詳細に読み込むとより効果的に辞書が使えるが、この学習は時間が取られるうえに、受験勉強の効果には、端的には直結しないだろう。

文法[編集]

文法(現代文・古文)や漢文の句法の勉強は、ドリルやワークブック・問題集があると効率的かもしれない。

文法、句法は暗記というより、理知的な構造を探求したり、言葉の仕組みを考えることだから、興味深く楽しい学習でもある。

中学校の段階では、漢文に関して、英語の理解に準ずると考えても良い。ただし、高校以降ではもう少し別の視点が必要との指摘が有る。

現編集者H は、中学校の古典文法と漢文句法については、解説を読んで理解しただけでも充分な学習をしたと見ていいだろうと考えるが、前編集者Suj は実際にノートに鉛筆で書き取り練習をしたうえで、しっかりと手と体で覚え、記憶に定着させるべしと書いている。以上両論併記。

基本的に古文と漢文は過去の言葉なので、特に学校教育では、作文を求めることはない。試験としては、読解問題、ということになるだろう。

私立高校入試の古文漢文[編集]

対策として、その高校の過去問をよく見ていくといいでしょう。漢文は、高校入試で出題されないこともあるようだが、一方で取り入れて課す高校もある。

国語に関しては基本入学試験は初見の文章、しかし場合によっては前もって参考書などで読んだ文章が出題されることもあります。

一般的傾向として、私立高校入試問題の古文は難易度が高いとみていいでしょう。前編集者の推奨対策としては、高校受験用の発展的な古文テキスト・参考書、そして古文文法テキスト・参考書の学習が有効なようです。具体的な内容として重要なのは、

  1. 仮名づかい(頻出)
  2. 「をかし」「あはれ」「いと」などの基本的な古文単語
  3. 係り結びなどの基本的な文法

、まず、この三点を押さえておきましょう。

読解問題については、基本は現代文と同じです。「だれが」「だれに」「なにをしたのか」を整理すること、筆者が言いたいことはなにか、物語の主題、最終展開はなにかといった点を読み取ってみましょう。

古文は現代文とリズムや調子が違うので、古文に特化した参考書やテキストを手に入れて、その文章世界に慣れるようにするといいですよ。

古文の和訳本[編集]

大学受験用の参考書として、三省堂(さんせいどう)や日栄社(にちえいしゃ)が著名な古文作品の口語訳集を出版しています。

ただ実際の試験では、そこから出題されるというよりは、他の文章、あまり有名でないマイナーな古文とか、そんな出題が多いようですね。それにその参考書はあくまでも大学受験用ですしね。やはり地道に初見の文章でもそれなりに読めるように、単語、文法の学習をしておくのが正攻法でしょう。

単語を知る、覚えることは重要だけど、ひょっとしたら英語ほどではないかもしれない。中学参考書の古文単語集は有用だが、前編集者はさらに突っ込んで、高校向けの古文単語集も持って参考にするとよいと指摘している。

現編集者の一貫した主張としては、中学生は中学校範囲の課題の理解の充実を目指すべきで、高校範囲の課題に手を染めることが適している生徒はほんの一握りだろう。さらにはっきり書くと、中学校範囲の学習の理解がある程度万全で、それでも志望校の入学試験に不合格になるなら、もうそれはそれでいいだろ、と、まで思う。

しかし現実には多くの教育者や教育産業の指導者は、中学校の内に高校範囲に手を染めることを推奨するし、それが、その生徒が優秀なあかしだと見なすだろう 。