小学校国語/4学年
慣用句
[編集]慣用句
[編集]慣用句(かんようく)とは、ふたつ以上の言葉(ことば)があわさって、もとの言葉とはちがう意味(いみ)をもつもののことです。
たとえば、
- 「ねこの手も かりたい」
という慣用句があります。
「ねこの手もかりたい」とは、「とても、いそがしい」という意味です。もちろん、本当に ねこの手をかりるわけではありません。
いそがしすぎて、ちいさな動物のたすけも、かりたいので、「ねこの手もかりたい」というのです。
このほかにも、「ほねが おれる」という慣用句もあります。
「ほねがおれる」とは、「とても、つかれた」という意味です。
- ・馬が合う(うあまがう) ・・・ 気が合うこと。
- ・水入らず(みずいらず)
- ・うり二つ(うりふたつ)
- 雲をつかむ
- 朝めし前
- ごまをする
- ねこのひたい
慣用句は、おおむかしの古い言葉とは、かぎりません。
たとえば、
- ブレーキをかける
なども慣用句です。
故事成語
[編集]故事(こじ)とは、むかしの できごと や、いいつたえ のことです。
故事成語(こじせいご)とは、むかしの中国の ことわざ のことです。
これから紹介する「五十歩百歩」や「漁夫の利」などは、すべて、むかしの中国にあった ことわざ です。
- 五十歩百歩 (ごじゅっぽ ひゃっぽ、ごじっぽ ひゃっぽ)
意味: あまり、ちがい の ないこと。
- むかしの中国の戦国時代、魏(ぎ)という一つの国の王さまの恵王(けいおう)は、孟子(もうし)に たずねた。 「わたしは、ひごろ から人々を大切にしているつもりだ。だが、他の国の人が、魏(ぎ)をしたって流入してきた様子がない。これはどういうことなのか。」
- 孟子は言った。 「まず、王にたずねます。戦場で2人が、怖く(こわく)なって、逃げ(にげ)ました。ある者は100歩だけ、にげました。、ある者は、50歩で、とどまったとします。そこで50歩、にげた者が、100歩、にげた者を臆病者(おくびょうもの)と言って、笑った(わらった)とします。王は、どう思われますか。」
- 王は言った。 「それはおかしい。どちらとも、逃げたことには、ちがいないではないか。」
- 「そのとおりです」、と孟子は言う。そして魏(ぎ)の政治(せいじ)も、他国と比べて、ちがいがないと、思われているのです、と孟子(もうし)は説明しました。
このような出来事から、五十歩百歩という故事成語が、うまれました。
- 漁夫の利 (ぎょふのり)
意味: ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者(別の人)が、苦労しないで利益を得てしまうこと。
むかしの中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。
- ある日、川べりで、貝(かい)が、殻(から)を開けて ひなたぼっこ をしていると、鳥のシギ(鳥の種類(しゅるい)のひとつ)がやってきて、貝の身をついばもうとしました。貝は 殻(から)を とじて、シギのくちばしを はさみました。 シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、死んだ貝があるだろう』と言いました。すると、貝は『今日も明日もこのままならば、死んだシギがあるだろう』と言う。そうして、両方とも意地をはって争って(あらそって)いました。その場所に、たまたま漁夫(ぎょふ、漁師(りょうし)のこと)が通りがかりました。そして、運のいい漁夫は、シギと貝の両方をつかまえました。
- 蛇足 (だそく)
意味: よけないものをつけたしたせいで、だいなしになること。
- むかしの中国で、えらい地位の人が、家来をあつめて、お酒をふるまおうとしました。しかし、みんなで飲むには、お酒が足りませんでした。そこで、えらい人は、家来に、こういいました。えらい人が言うには、「では、家来のそれぞれのものが、地面に蛇の書いてみて、いちばん上手に蛇の絵を書けた家来に、酒をふるまおう。」といいました。そして集まった家来みんなが、それぞれ、蛇の絵を書きました。
- そのとき、いちばん早く絵をかけた者が、ほかの家来たちに自慢(じまん)して、「わたしは、お前たちよりも絵がうまいから、お前たちが蛇の絵を描いているあいだに、私は足すらも書けてしまうぞ。」と自慢(じまん)しました。
- ほかの者たちが、蛇の絵をかき終わったころ、さいしょに蛇の絵を書いた人は、蛇に、足をつけたした絵を書きおわっていました。
- しかし、ほかの家来たちは、「蛇に足があるのは、おかしい。蛇には足がないはずだ。だから、お前の書いた、この絵に書かれている生き物(いきもの)は、蛇ではない。」と文句をつけられてしまいました。
- のせいで、蛇に足をつけたした絵を書いた人は、せっかく足をつけたしたのに、ほうびの酒をもらえませんでした。
- 矛盾 (むじゅん)
- とら の威(い)を借る(かる)きつね
- 蛍雪の功 (けいせつ の こう)
- 温故知新 (おんこ ちしん)
- 一刻千金 (いっこく せんきん)
短歌
[編集]短歌は五・七・五・七・七音である。 季語は、ふくまれていなくてもよい。
柿本 人麻呂 (かきのもとの ひとまろ)
- 東(ひんがし)の 野にかぎろいの たつみえて かえり見すれば 月かたぶきぬ
藤原敏行 (ふじわらの としゆき)
- 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかねぬる
藤原定家 (ふじわらの さだいえ)
- 見わたせば 花ももみじも なかりけり 浦(うら)の苫屋(とまや)の 秋の夕ぐれ
良寛(りょうかん)
- かすみたつ ながきはるひに こどもらと てまりつきつつ このひくらしつ
- むしのねも のこりすくなに なりにけり よによなかぜの さむくしなれば
百人一首
[編集]「百人一首」(ひゃくにん いっしゅ)といった場合、ふつうは、いまから千年くらいに、まとめられた、小倉百人一首(おぐら ひゃくにんいっしゅ)のことをいいます。
その時代の、短歌をよむのが上手な人の短歌を100人ぶん集めたものなので、「百人一首」といいます。
小倉百人一首は、カルタにもなっています。(『いろはカルタ』とは、ちがうものです。)
持統天皇 (じとう てんのう)
- 春(はる)すぎて 夏(なつ)来(き)にけらし 白たえ(しろたえ)の 衣(ころも)ほすちょう 天(あま)の香具山(かぐやま)
(はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま)
柿本人麻呂 (かきのもとの ひとまろ)
- あしびきの 山鳥(やまどり)の尾(お)の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねん
(あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん)
山部赤人 (やまべの あかひと)
- 田子の浦(たごのうら)に うちいでて見れば 白たえの 富士(ふじ)の たかねに 雪はふりつつ
(たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきワふりつつ)
猿丸太夫 (さるまるだゆう)
- 奥山(おくやま)に もみぢ踏み分け(ふみわけ) 鳴く鹿(しか)の 声(こえ)聞くときぞ 秋は悲しき
(おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきワかなしき)
古式部内侍 (こしきぶの ないし)
- 大江山(おおえやま) 生野(いくの)の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立(あまのはしだて)
(おおえやま いくののみちの とおければ まだフミもみず あまのハシダテ)
安部仲麻呂 (あべの なかまろ)
- 天の原(あまのはら) ふりさけ見れば 春日(かすが)なる 三笠(みかさ)の山(やま)に いでし月(つき)かも
(あまのハラ ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)
光孝天皇 (こうこう てんのう)
- 君(きみ)がため 春(はる)の野(の)にいでて 若菜(わかな)つむ わが衣手(ころもで)に 雪はふりつつ
(きみがため ハルののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきワふりつつ)
平兼盛 (たいらの かねもり)
- しのぶれど 色にいでにけり わがこいは ものや思うと 人の問うまで
(しのぶれど いろにいでにけり わがこいワ ものやおもうと ひとのとうまで)
源経信 (みなもとの つねのぶ)
- 夕されば 門田(かどた)の稲葉(いなば) おとずれて あしのまろやに 秋風ぞ ふく
(ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞフク)
藤原顕輔 (みなもとの あきすけ)
- 秋風に たなびく雲の たえまより もれいずる月の かげの さやけさ
紀友則 (きの とものり)
- ひさかたの 光(ひかり) のどけき 春(はる)の日(ひ)に しず心なく 花(はな)の散る(ちる)らん
紀貫之 (きの つらゆき)
- 人は(ひとワ)いさ 心も(こころも)知らず ふるさとは 花ぞ(はなぞ)昔の(むかしの) 香(か)に にほいける(においける)
能因法師 (のういん ほうし)
- 嵐(あらし)吹く(ふく) 三室(みむろ)の山(やま)の もみぢ葉(ば)は 竜田(たつた)の川の 錦(にしき)なりけり
後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん) 藤原実定(ふじわらの さねさだ)
- ほととぎす 鳴きつる方(かた)を ながむれば ただ有明(ありあけ)の 月(つき)ぞ 残れる(のこれる)
明治時代および明治時代よりあとの短歌
[編集]与謝野晶子 (よさの あきこ)
- 金色の ちいさき鳥の かたちして いちょうちるなり 夕日のおかに
佐々木信綱(ささき のぶつな)
- ゆく秋の 大和(やまと)の国の 薬師寺(やくしじ)の 塔(とう)の上なる 一ひら(ひとひら)の雲
石川啄木 (いしかわ たくぼく)
- たわむれに 母を背負いて(せおいて) そのあまり 軽き(かろき)に泣きて(なきて) 三歩あゆまず
漢字の部首
[編集]熟語の成り立ち
[編集]要約(ようやく)とは
[編集]要約
要点(ようてん)
かじょう書き(かじょうがき、箇条書き)
点字
[編集]漢字辞典
[編集]漢字辞典では、漢字の読み方や成り立ち、使い方を調べることができます。
漢字辞典の使い方を勉強しましょう。
漢字辞典には、「音訓さくいん」「部首さくいん」「総画さくいん」の3種類のさくいんがあります。
音訓さくいん
[編集]「音訓さくいん」は、漢字の音訓で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわかっているときに使えます。
「音訓さくいん」を開き、音訓と漢字が五十音順にならんでいるので、調べたい漢字の読みから調べたい漢字を探します。
部首さくいん
[編集]「部首さくいん」は、漢字の部首で漢字を探すさくいんです。漢字の読みがわからなくても、部首がわかれば使えます。
「部首さくいん」を開き、部首がその画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の部首の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。
総画さくいん
[編集]「総画さくいん」は、漢字の総画で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわからず、部首もわからないときに使えます。
調べたい漢字の画数を調べ、「総画さくいん」を開き、漢字の画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の画数の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。
図書館・図書室
[編集]報告書のかきかた
[編集]- ※ 検定教科書では、報告書の書き方の単元は、3年生~5年生の教科書に分散している。
小学校では、社会科見学や、理科の実験などで、なにかをしらべたあとに、調べた内容について、報告書(ほうこくしょ)を書く場合があります。
大人(おとな)のいう、会社などで言う(いう)、「報告書」(ほうこくしょ)とは、仕事で起きた(おきた)出来事(できごと)や、仕事として何かの実験(じっけん)などをした結果を、書類(しょるい)にまとめて、報告した冊子のことです。
とはいえ、小学生に、そういう大人の書くような本格的(ほんかくてき)な報告書を書くのはむずかしくて、無理(むり)です。なので、まずあ、社会科見学など、学校で起きたことの報告書を書いてみて、練習(れんしゅう)しましょう。
この教科書(小学校国語/4学年)では、小学校での、報告書の書き方について説明します。
小学校での報告書を書く際には、つぎのような事を、心がけると、書きやすいでしょう。
だれにむけて書くか
[編集]まず、学校のそとの人が読んでも、分かるように、書きましょう。
学校の国語の授業では、成績(せいせき)をつけるのが、じぶんたちの学校の先生なので、ついつい、学校の先生にむけてのお手紙のように、書いてしまうかもしれません。
ですが、あなたが大人になったときに仕事(しごと)で書く報告書は、先生いがいの人が読むためのものです。
友達(ともだち)どうしの、日記でもないのです。
報告書の構成(こうせい)
[編集]おおまかには、次のような構成(こうせい)で書くと、書きやすいでしょう。
- 実験の報告書の場合
- なにを調べたいのか?
- 実験の方法。
- 実験して、わかった事実。
- 実験の結果から考えたこと。
- 今後の疑問(ぎもん)
- 見学の報告書の場合、
- なにを見学したのか? なにを教えてもらうための見学なのか?
- 見学で見たもの、教えてもらったこと、質問したこと、などなど。
- 今後の疑問(ぎもん)
また、見学した先の場所でもらったパンフレットなどは、「今後の疑問」などを調べるときに参考(さんこう)になるので、パンフレットは大切に取っておきましょう。
また、実験の報告書も、見学の報告書も、どちらの報告書でも、書いた自分の名前や、見学した日、実験した日を書くことも、忘れないようにしましょう。
では、なんで、これらの構成で書くと、よいのか、説明します。
- なにを調べたいのか
時間にはかぎりがあります。なので、すべてを調べきることは、むりです。
なので、自分たちは、その調べごとをとおして、何を調べたいのかを、報告書の はじめ のほうに、書いておくとよいでしょう。
- 見学のときは、メモをとる
見学のさいちゅうは、報告書をかいている時間は、ないです。
かといって、なにもメモを書かないと、あとから思い出すのが、たいへん になります、。
なので、見学のときは、できれば、ノートと筆記用具を用意して、そのノートに、メモを書いておきましょう。
(※ 見学をする場所によっては、ノートなどのもちこみが、禁止(きんし)されている場合もあります。なので、見学する場合、ノートをもちこんでもいい場所なのかどうかを、あらかじめ、見学先の人に、教えてもらいましょう。)
- その他
見学の報告書では、じっさいに起きたことを、起きた順番で書いたほうが、読みやすくなります。
(しかし、実験の報告書の場合は、ちがう場合もあります。)
たとえば、工場の見学では、いろんな場所を見せてもらって、それぞれの場所で、説明をしてもらったり、質問に答えてもらったりすることがあると思います。
報告書では、それぞれの場所ごとに、なにを見たのかを、みた場所の順番ごとに説明しましょう。
たとえば、パン工場で、
- 小麦こ をこねて、パンの形にする機械(きかい)。
- パンの形になった、やくまえのパンを運ぶベルトコンベア。
- パンをこれから焼く(やく)機械(きかい)。
- やいたあとにパンを、さます機械
- さめたパンを、袋(ふくろ)に つめる機械。
のような順番で見たとしたら、その順番で書きましょう。
ふつうは、工場の人が、パンをつくるための順番と、同じ順番で見学をさせると思います。なので、見学した順番どおりに報告書(ほうこくしょ)を書けば、ふつうは、だいじょうぶです。
ですが、工場によっては、ときどき、つくるための順番と、見学の順番とが、ちがう場合があります。
ですので、ねんのため、どういった順番でみたのかを、報告書に書いておきましょう。
たとえば、次のような構成になると思います。
見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。 このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) )
もし、順番を思い出せないなら、けっして、むりしないで、順番を書かないでください。
報告書は、学校のテストとは、ちがいます。
自分の知らないことや、覚えてない(おぼえてない)ことなのに、もしもウソをついて覚えているフリをすると、報告書を読む人がだまされてしまい、とても、迷惑に、なってしまいます。
見学先の人に説明してもらったことなどがある場合、見学先の場所の説明のところで、いっしょに、説明された内容(ないよう)も、報告書で書いておくと、よいでしょう。
また、何かを見せてもらった時に、おどろいたり、感動したりしたことなど、思ったことがあるでしょうから、どう感動したり、どうして、おどろいたのか、報告書で、てみじかに説明しましょう。
このさい、気をつけることとして、感動したり など の思ったことは、実際に見学で目でみたもの とは、区別(くべつ)して 書くようにしましょう。
この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。
このように、2つ以上の文章にわけて書くと、よいでしょう。
実際に起きたことや、実際に目でみたものなどの事実(じじつ)と、自分の頭のなかで考えたこととは、ベツのことです。
自分のあたまで考えたことは、もしかしたら、実際とは、ちがうかもしれません。
なので、事実と、考えたこととは、区別するようにしましょう。
うまく書くテクニック
[編集]それぞれの場所の説明が長くなりそうな場合、次のように、場所ごとに見出しをつけると、読みやすくなる場合もあります。
【1】 この見学について ぼくたちは、せいれき2019年の6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 【2】 見学のときのこと (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 (2) ベルトコンベア そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。 (3) ベルトコンベア このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) )
見出しのつけかたは、上で紹介した方法のほかにも、べつの方法もあります。
< この見学について > ぼくたちは、せいれき2019年の6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 < 見学のときのこと > (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 (※ 省略(しょうりゃく) )
ひとつの報告書のなかでは、見出しのつけかたは、同じ方法にしておきましょう。
小学校での報告書は、感想文でもある
[編集]小学校では、よく、報告書で、感想も書かせる場合があります。(※ 検定教科書でも、社会科見学での報告書の例として、文章のところどころに感想を書いている。)
つまり、感想文と報告書とを、合わせて、ひとつの提出物(ていしゅつぶつ)の原稿用紙(げんこうようし)のなかに書く場合がある場合が、よくあります。
とはいえ、じつは大人の仕事の報告書では、かならずしも感想を書く必要はないです。
しかし小学校では、そこまで「報告書」を感想文と区別(くべつ)しません。
単に、社会科見学などをしたあとの学校にもどってから小学生に書かせる感想文のことを、小学校では「報告書」(ほうこくしょ)というような場合もあります。
大人の都合ですが、小学生が社会科見学で見学するような内容は、いっしょに見学に行った先生はすでに知っているので、見てきた物事(ものごと)の説明だけを読まされても、読んでる先生は、あまり楽しめないのです。
なので、授業で社会科見学について作文を書かされたときの授業の題名が「報告書」(ほうこくしょ)というタイトルであっても、感想も書いてあげましょう。
こういう、感想文と報告書のまざったような作文を書くように授業でいわれた場合、次のように、見学してきたものの説明のあとに、それぞれの感想を書くと、書きやすいでしょう。
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【1】 この見学について
ぼくたちは、2019年6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。
そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。
【2】 見学のときのこと
(1) パンをこねる機械
見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。
この機械は、△△な動きをしていてました。
ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 ← ※ この説明のように、見たもののあとに、感想を書くとよいだろう。
このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。
(2) ベルトコンベア
そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。
このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。
それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。← ※ この説明のように、なにか見たものを説明したあとには、その感想を書くとよい。
(3) ベルトコンベア
このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。
(※ 省略(しょうりゃく) )
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まとめ の書き方
[編集]報告書(ほうこくしょ)では、報告書のさいごか、または、さいしょのほうに、
報告したい内容について、全体的にどうだったかのまとめを書く場合もあります。
たとえば、社会科見学でのパン工場では、「まとめ」なら、たとえば見学全体を通して、いまのパン工場では、清潔(せいけつ)で安全(あんぜん)な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かったとしたら、そのことをまとめに書きます。
つまり、
< まとめ > この見学をとおして分かったことですが、いまのパン工場では、せいけつで安全な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かりました。 ベルトコンベアーのような動く機械から、コンピューターのような機械まで、いろんな機械を使って工夫していました。
のようにです。
単に「勉強になりました。」だけのような文章は、「まとめ」に書く必要はないのです。
もし「まとめ」として、勉強になったことをまとめるのなら、なにがどう勉強になったのかを、書いてください。
なぜなら、見学とは、見てこさせて勉強させるために見学させるわけですから、勉強になるのは当然ですので、読んでるほうは「勉強になりました。」とだけ読まされても、ぜんぜんオモシロくないのです。
さて、わたしたち小学生にとっての問題は、この「まとめ」を、原稿用紙(げんこうようし)のどこに書けばいいかです。
答えをいうと、たぶん多くの小学校の「報告書」の場合、「まとめ」は、さいごのほうに書くほうがよいでしょう。なぜなら、「まとめ」を書きなおすとき、「まとめ」の前の段落は直さなくてすむので、「まとめ」だけを直せるからです。
もし、文章のはじめのほうに「まとめ」を書いてしまうと、「まとめ」を書きなおしたい場合に、「まとめ」の段落の行数がかわってしまう場合がよくあるので、「まとめ」のあとの、見学してきた内容の説明までも、書きなおす必要があります。
これは、大人たちが仕事で書く「報告書」とは、じじょうが違います。
大人たちの仕事での報告書では、いまの時代ではコンピューター(いわゆるパソコン)で報告書を書くので、文章の前のほうの段落(だんらく)などの行が、かわっても、コンピューターが自動的(じどうてき)に、ほかの文章の場所を移動(いどう)してくれます。
なので、大人たちの報告書では、さいしょに「まとめ」を書く場合もあります。読む人の時間の足りない場合には、とりあえず「まとめ」だけを読んでも、そこそこ内容が分かるからです。
しかし、小学校の授業でつかうような、手書き(てがき)の作文では、前のほうの段落を書きかえたときは、コンピューターのような自動的な文章の移動(いどう)は無理です。なので、小学校の作文では、「まとめ」は、報告書(ほうこくしょ)の後ろ(うしろ)のほうに書くことになるでしょう。
また、「まとめ」の場所では、自分の考えも、書くとよいでしょう。
おとなの報告書
[編集]この教科書は、国語の教科書ですので、文字をつかって報告(ほうこく)をする方法(ほうほう)を説明しています。
ですが、おとなが仕事で書く報告書(ほうこくしょ)の場合、文字をつかうのも必要ですが、場合によっては、さらに図(ず)や写真(しゃしん)をつけくわえたりします。
なぜなら、目的(もくてき)は、報告をすることです。
けっして、文字だけで、ものごとを説明することは、目的ではないのです。
もし、報告のために、なにかの形について説明する必要(ひつよう)があれば、そのものの図や写真を報告書にのせたほうが、説明が早いし、読んでるほうも分かりやすいのです。
- ※ 小学校の3年でならう 説明文(せつめいぶん)の書き方 でも、図や表(ひょう)などを必要(ひつよう)だったら使う(つかう)と、習っています。
- ※ また、5年生のある教科書では、報告書では必要ならば図や表をつかうほうがよいと、どうどうと言っています。(※ たとえば学校図書の小5国語の上巻)
ただし、小学校の場合、社会科見学などでは、写真を撮影(さつえい)できないのが、ふつうです。
企業(きぎょう)や工場(こうじょう)などでは、ひみつのノウハウがあるので、社員(しゃいん)でない人による写真(しゃしん)の撮影(さつえい)を禁止しているのが、ふつうです。
こういうときにも、説明に便利なのが、その見学先の会社のパンフレットです。パンフレットには、ふつう、外部の人にみせてもいいものの写真や図がありますので、報告書などで見学して見てきたものを図や写真で説明する場合には、パンフレットの写真などを使えばいいのです。
また、たとえば、なにかについてアンケートで調べた結果と、その内容の分析(ぶんせき)のある報告書では、アンケートのそれぞれの回答をした人数の比較などは、棒(ぼう)グラフ や 円グラフ などにすると、分かりやすいでしょう。(いまの時代なら、パソコンで、かんたんにグラフを作れます。)
「国語だから、算数のグラフをつかってはいけない」なんてことは、ないのです。
なお、パソコンなどで、図や表を、文章といっしょにのせるのには、ちょっとしたワザが必要です。小学生はまだ、そこまでできなくても、だいじょうぶです。