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日本語/構文

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

日本語の構文論についての概略を述べる。

文とは何か

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文法とは文を定義する仕組みである。文法には二つの意味があるとよく言われる。一つは母語話者に備わる文法であり、もう一つはそのモデルである。モデルとしての文法が妥当であるならば、その文法は母語話者に替わって文を定義する。以下で扱うのはモデルとしての文法である。日本では義務教育で日本語の文法を教わる。この文法は一般に「国文法」と呼ばれる。以下、国文法を下敷きにして、必要に応じて理論言語学の概念を加えていく。文法によって、ある記号列は文であるか非文 であるかが判別される。そのように判別される文というものを予め特徴付けることは難しい。文法が出来上がると、それによって文が特徴付けられる。しかし母語話者は母語についての直観を持ち、ある記号列を文であると判別することができる。文法とはすなわちこの直観の記述である。母語話者が文であると認定する記号列は、書記言語においては句点(。)やピリオドで終わることで便宜上それと指示することができる。

構造と文節

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 文は構造を持つ。母語話者が文を理解するのはその文に構造を当て嵌めるという行為であり、作文や発話するというのは構造を文字や音素の組み合わせに投影するという行為である。文法は、文の構造を定義し、適格な構造を不適切な構造から区別できなければならない。  文法は文の構造に関して、原始記号と組み合わせ方を定義する。文の原始記号は語である。厳密には語より小さい単位である接辞などの形態素も含まれる。国文法で構造を表す方法には文節を用いるものと入子型構造がある。義務教育を受けた者には文節が馴染み深いというメリットがあるが、構造表示の正確さという点では入子型構造の方がすぐれている。両者を用途によって使い分けることにする。  文法は原始記号と構造を定義する。構造を表す方法には文節を用いるものと入子型構造がある。義務教育を受けた者には文節が馴染み深いというメリットがあるが、構造表示の正確さという点では入子型構造の方がすぐれている。両者を用途によって使い分けることにする。  文は文節から構成される。文節は自立語を核として任意に付属語を伴う。

文節 = 自立語⌒付属語
文節 = 自立語

 複数の文節は連文節を構成する。文節自体はそれ自体のトリビアルな連文節ということができるかもしれない。連文節の最大のものが文である。義務教育では強調されないが、連文節は重要である。

文節
連文節:∅⌒文節⌒∅、文節⌒文節、文節⌒文節⌒文節、など
最大の連文節 =def 文

 修飾関係と補助関係は原則として連文節によって定義される。

連文節 α, β において、α⌒β ならば α は β を修飾する。
連文節 α, β において、α⌒β ならば β は α を補助する。

 連文節の構造は階層構造をなす。文節と文節が連文節をなし、また連文節と連文節が新たな連文節をなす。最大の連文節である文が形成されるまで反復する。

上の文の確定方法に従うと

お金持ちで、ひとに親切な男が近づいてきたよ。

は日本語の文だと判定することができます。このような文は「文節」と呼ばれる要素が集まって作られています。文節は、次の||で区切るところ(学校では「ね」が入る、と教える)で文節に分けられます。

お金持ちで||ひとに||親切な||男が||近づいて||きたよ

このような文節の境界部分は、他に「ほら」や「あのー」などの要素(独立部の一種)を差し挟むことができる位置で、ある意味のまとまりと別のまとまりの切れ目になっています。

(ほら/あのー)お金持ちで(ほら/あのー)ひとに(ほら/あのー)親切な(ほら/あのー)男が(ほら/あのー)近づいて(ほら/あのー)きたよ

このようにわけられる文節は、独立部を除いて、他の文節と一定の関係を結んでいます。これらの関係は、修飾の関係、並立の関係、補助の関係に分けられます(修飾部を非修飾部分に要求される「補充成分」とそうでない「修飾成分」に分ける考え方もある)。

修飾の関係
親切な男
ーー⇨⇦
並立の関係
お金持ちで親切な
ーーーー⇨⇦ーー
補助の関係
近づいて来た
ーーー⇨⇦ー

これらのうち、修飾の関係と補充の関係は、かかる文節とうける文節との関係で、修飾の関係ではかかる文節が前に来て、補充の関係ではかかる文節が後に来ます。

連文節

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上に挙げたような関係によって文節はより大きな「連文節」を構成します。

連文節は単独の文節と同じように他の文節と一定の関係を結び、さらに大きな連文節を構成します。最も大きな連文節は文です。この点は中学高校の国文法では軽視されがちなようです。係り受けの関係をもっとも小さな文節相互の関係から始め、最大の連文節である文まで完全に行い、文の構造を全体的に理解しておくことが大事です。

もちろんこれが常に必要であるわけではなく、いわゆる「文のねじれ」を直そうというときなどには必要な係り受けの関係だけを取り出せばよいのですが、その時にも、明確に示された部分以外の構造に配慮しておくことが大事です。

上で挙げた文を最小の係り受けからはじめて、最大の連文節である文まで続けたものが次の構造です。

お金持ちでひとに親切な男が近づいてきたよ...(1)
ーーーー⇨⇦ーーーーー(並立)
ーーーーーーーーーー⇨⇦ー(修飾・被修飾)
ーーーーーーーーーーーー⇨⇦ーーーーーー(主部連文節による連用修飾)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(最大の連文節=文)


さて、この文の一部である「お金持ちで」を「お金持ちな」に置き換えると係り受けの関係は次のように変わります。

お金持ちなひとに親切な男が近づいてきたよ...(2)
ーーーー⇨⇦ーー(直近の名詞を連体修飾)
ーーーーーーー⇨⇦ーー(複文的な連文節による連用修飾)
ーーーーーーーーーー⇨⇦ー

 このような係り受けの構造は、次のような、(1)と(2)とにそれぞれ対応する解釈をあわせもつ多義的な文(3)を表現し分けることを可能にします。

お金持ちのひとに親切な男が近づいてきたよ…(3)

ここで、読点(、)の役割の一つに触れておきましょう。(3)に次のような読点を打つと、解釈は(1)に対応するものに特定されます。

お金持ちの、ひとに親切な男が近づいてきたよ。
ーーーー⇨ X ⇦ーー(直近名詞の連体修飾をキャンセル)
ーーーー⇨    ⇦ーーーーー(並立)

これは、読点が隣接する文節の係り受け関係をキャンセルするためです。このように考えると、読点とは(ときどき言われるようですが)「ながくなったからそろそろ打とうかな」と思って打つ、というようなものではなく、文の構造を明示する積極的な働きをしていることがわかります。

文の成分

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文を構成する文節・連文節には、文の中である一定の働きを担っているものがあります。そのような文節または連文節を「成分」と言います。

例えば

あっ、うちの子が道路で遊んでいる!

という文は次の四つの成分からできています。

独立部(あっ)・主部(うちの子が)・修飾部(道路で)・述部(遊んでいる)

このうち、述部は文の中核をなす成分ということができます(単文・複文・重文を参照)。述部の(連)文節は修飾部(特に補充成分)による修飾を受けてさらに大きな、述部的連文節を作ります。複文や重文に見られる文に似た成分はこの述部的な連文節です。

述部が用言である場合には連用修飾の成分を受け、体言である場合には連体修飾の成分を受け、これらは決して紛れません。名詞は体言ですが述語的な成分を伴うと用言として振る舞いますので、「名詞+述語的要素」の全体を修飾する成分は連用修飾成分です。連体修飾の成分は用言以外では必ず連体格の助詞「の」を伴い、外形上も連用修飾の成分とは区別されますので、述部の名詞だけを修飾する場合は連体修飾です。この区別は次のような漢語サ変動詞で確認されます。

深く古文を勉強する(「深く」「古文」=連用修飾)
古文の深い勉強をする(「古文」「深い」=連体修飾)

主部は、係助詞「は」や副助詞を伴う「主題」と呼ばれる成分か、多くの場合格助詞「が」、または一部格助詞「に」を伴う格成分かを指します。他の述部の修飾成分と比べた場合、主部は構文上の際立った特徴を示します。

これらに加え、中学校の国文法では「接続部」という成分を教えています。   さらに、文は「詞」と呼ばれる客体的成分と「辞」と呼ばれる主体的部分から成り立つと考えられます。これらが包み包まれという関係を繰り返し、「入れ子構造」(時枝誠記)をなします。文末の■は「零記号」と呼ばれる辞です。

[[[うち]の>子]が> [道路]で> [遊ん]で>いる]■>

このような構造は生成文法で用いられる「ラベル付き括弧付け」で表した構造とほぼ等しいものになります。

[CP [IP [NP[NPうちの]子が] [I'[VP[PP道路で] [V遊んでい]] [Inflる]] [Comp 0]]

単文・複文・重文

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文は述部をいくつ、そして複数の場合には相互にどのような関係にあるかによって三つに分類されます(学校文法では「主部と述部」と教えています)。 述部を一つだけ持つ文を単文といいます。

雨が降っている

述部が複数あり、それらが並立の関係となっている文を重文といいます。

雨が降り風が吹いている
ーーー⇨⇦ーーーーーー

述部が複数あり、連体修飾または連用修飾の関係にある文を複文といいます。

雪がふる(という)予報が出ている
ーーーーーーーー⇨⇦ーー(連体修飾)
雪が降って冷え込んできた
ーーーー⇨⇦ーーーーーー(連用修飾)

述部が連用形か連用形+テである場合、形の上からだけでは並立の関係か修飾の関係か判断できない場合があります。

平叙文・疑問文・命令文・感動文

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文は、文全体をまとめて聞き手に伝える様式を示す「陳述」の性質によって四つに分類されます。

平叙文

ある情報について断定して聞き手に伝えます。

ここからは富士山が見えます

このような文を「肯定文」と言います。これに対し、ある情報について、それが成り立っていない、と伝える文を「否定文」と言います。

ここからは富士山が見えません

時枝誠記の構造では、「ます」「ません」の部分が陳述で、それぞれ「丁寧・断定」「丁寧・否定」を表すよう分化しています。この陳述が「ここから富士山が見え」という部分を包んでまとめ、文の性質を決めています。

[ここからは富士山が見え]ます>
[ここからは富士山が見え]ません>
[CP [IP ここからは富士山が見え]-[CompPol-Neg-Mod]]
疑問文

次の文は、ある情報について、その内容が成立するか否かを聞き手に尋ねる文で、「諾否疑問文」などのように呼ばれます。

ここからは富士山が見えますか

この疑問文の「富士山」を「何」という不定語に置き換えたものは、不定語の部分の情報を聞き手に尋ねる文で、「疑問語疑問文」などのように呼ばれます。

ここからは何が見えますか

日本語では、疑問語疑問文が次のように文頭におく必要はありません。

何がここからは見えますか

疑問文では陳述「ますか」が「ここから富士山/何が見え」という部分を包んでまとめています。

[ここからは富士山が見え]ますか>
[ここからは何が見え]ますか>
命令文
免許証を見せなさい
感動文
寒い!
なんて寒さ!

単文のタイプ

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単文は述部の性質によって基本的には主に以下の四種類に分類できます。

何処〻に何々がある/何処〻に誰々がいる(存在文)
ストーブの前に猫がいる
何々(誰々)が何々している(動詞文)

述部を修飾する補充成分によってさらに様々なパタンをとります。

雪が降っている
子供が泣いている
大学生たちがお昼を食べている
サラリーマンが地下鉄に乗っている
男子学生が女子学生にプレゼントを渡している
何々が斯ウ〻だ(形容詞文)
あの猫がかわいい
あの犬が獰猛だ
何々(誰々)が何々(誰々)だ(名詞文)
彼女がその大学院生だ

以上の文は無題文といいます。このような単文の一つの文節を主題にすることによって有題文を作ることができます。この際、主題は文の一番はじめに来ます(主語以外で元の位置にある場合は、他と対比する意味が強くなります)。

有題文:文節+係助詞/副助詞
文法書は机の上にある

修飾の関係:補充成分

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修飾部のうち、述部が必要とし、それがないと不足だと感じられるような(質問を引き起こすような)ものを補充成分といいます。

さっきね、ヨシカミに行って食べたの ー 何を食べたの

補充成分には名詞句と従属句があります。名詞句は格助詞を伴います。従属句は引用の「と」「って」を伴う場合や係助詞「か」を伴う場合と、形式名詞「こと」や準体助詞「の」を伴って名詞句相当になる場合があります。

名詞句
乗客が車掌に電車の到着時間を訪ねた
従属句
乗客が車掌に電車がいつ着くのかと尋ねた
乗客が車掌に電車がいつ着くのか尋ねた
乗客たちには電車がいつ着くのかがわからなかった

格助詞「が」「に」(連体修飾成分の中で「の」も)を伴う主部は卓立した特性を持つ補充成分の一つと考えられます。

修飾の関係:修飾成分

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修飾部のうち、文による状況の説明をより詳しくするために付け加えられる、必須ではない成分を修飾成分(付加部)といいます。

様態の修飾(ドノ樣二)
おじいちゃんがゆっくり歩いている
程度の修飾(ドノ位)
あさりがどっさりとれた
状況設定
昨日、悲別で

修飾成分には、連用修飾であるにも関わらず補充成分の修飾を行うものがあります。

自動車が一千万台生産された(数量詞)
同級生たちがシラフで大騒ぎしている(描写の二次述語)
パンがこんがり焼き上がった(結果の二次述語)

補助の関係

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補助の関係にある用言は、主部の中心となる述語の意味を様々な形で補います。このような用言を補助用言といいます。

雨が降っていた(継続)←雨が降った(完了)
妻が私にたこ焼きを買ってきた←妻がたこ焼きを買った
息子が夕飯の準備を手伝ってくれた←息子が夕飯の準備を手伝った

補助用言とそれが補助する述語はそれぞれ独立の文節で係助詞や副助詞を伴うこともできますが、意味的にはひとつの成分であるため、読点を打ったり、ポーズを入れて読んだりすることはできません。

息子が夕飯の準備を手伝って(も)くれた
×息子が夕飯の準備を手伝って、くれた

形容詞を否定する補助形容詞は独立の文節を成します。

あの花は美しく(は)ない

一方、似た関係である動詞の否定は独立の文節を成さず、否定の助動詞として動詞に後接して一文節を形成します。動詞の否定形に係助詞や副助詞を差し挟もうとする場合には「動詞連用形+形式動詞し+否定助動詞ない」という形になります。

彼はもう学校へは行かない
×彼はもう学校へ行きはない(○彼はもう学校へは行きはしない)

補助・被補助の関係にある動詞に似ているものの、結びつきが強く一つの語(複合語)になったものを複合動詞といいます。複合動詞は文節を分けるように「ね」を入れることはできません。

さっき仕事をはじめ(×ね)かけた

補助用言の代表的なものには上に挙げた否定の補助形容詞の他、断定の補助動詞「ある」(「名詞+で」に続く)や「アスペクト」という時間に関わる意味を持つもの(「動詞連用形+て+しまう(ちゃう)」など)、利益の移動に関わるもの(「動詞連用形+て+もらう」など)、などがあります。

並立の関係

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並立の関係も連体的なものと連用的なものがあります。

連体的
太郎と花子と、CD-ROMやUSBメモリなど
連用的
動詞
雨がふり風が吹く、雨が降ったり雪が降ったりしている
形容詞
美しく優しい、美しいし優しいし
名詞+繋辞・形容動詞
学生で実業家だ、学生だし怠惰だし

連体的な並立文節が他の並立文節とまとめられて連用修飾の連文節となる場合、連用形になります。

静かな部屋で広い部屋=静かで広い部屋

複数形はある意味で並立表現の縮約と見ることができますが、英語では-sをつけた複数形ではthe student A and student Bのようなものをthe studentsとして表し、そこには他のタイプのひとは含まれないのにたいして、日本語の「達」では「学生Aと学生Bとその保護者」のようなものを「学生達」とすることができます。

ト格の文節は「喧嘩する」「結婚する」では補充成分として連用修飾の関係にあるわけですが、同時に、主部と並立の関係にあるとも見ることができます。

太郎が花子と喧嘩した⇔太郎と花子(と)が喧嘩した

また、二番目の助手「と」を置くか置かないかで次のような違いが現れます。

絵里と美香が結婚した=異性婚解釈「(他のひとと)結婚したのが絵里と美香」/同性婚解釈
絵里と美香とが結婚した=同性婚解釈のみ


複文と中央埋め込み

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単文相当のもの(節)は補充成分として文に埋め込まれて複文を作ることができる。

社長が作家がどこに隠れているか秘書に調べさせていることをみんなは黙っていた

このことは文を自由に長く作ることができることを保証するが、これを繰り返すと非常にわかりにくい文になる。

取引先が我が社の社長が作家がどこに隠れているか秘書に調べさせていることを快く思っていないことをみんなは黙っていた

この文のわかりにくさの原因は、次のように主部と述部の間に補充成分である節を次々に埋め込んだ「中央埋め込み」という構造になっていることによる。

…主部 [主部 [主部 [主部 […] 述部] 述部] 述部] 述部…

このわかりにくさを解消する方法として、ひとつには主部の後に読点を打つ、という方法がある。

取引先が、我が社の社長が、作家がどこに隠れているか秘書に調べさせていることを快く思っていないことをみんなは黙っていた

しかしこれだけ埋め込みを繰り返すと読点だけではわかりにくさを回避できない。このような場合、被修飾成分である述部の直前に主部を持っていくという方法がある。

我が社の社長が、作家がどこに隠れているか秘書に調べさせていることを、取引先が快く思っていないことをみんなは黙っていた

主部を述部の近くに持っていくという方法はより短い文でも解釈しやすさを増す良い方法である。



日本語の語順は自由なのか

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日本語の基本語順は次のようなものと考えられます。

主部ー補充成分ー述部(他動詞):学生が古文を読んでいる
補充成分ー主部ー述部(能格動詞):学生に英文が読めない

ところで、次のように語順が入れ換わる場合があるため、よく、日本語の語順は自由だ、と言われます。

  1. うちの息子が昨日小学校時代の恩師に駅前で偶然お目にかかった。
  2. 昨日うちの息子が小学校時代の恩師に駅前で偶然お目にかかった。
  3. 昨日小学校時代の恩師にうちの息子が駅前で偶然お目にかかった。
  4. 昨日小学校時代の恩師に駅前でうちの息子が偶然お目にかかった。
  5. 昨日小学校時代の恩師に駅前で偶然うちの息子がお目にかかった。

しかし、次のような語順は許されません。

  1. ×うちの昨日息子が小学校時代の恩師に駅前で偶然お目にかかった。
  2. ×小学校時代の昨日うちの息子が恩師に駅前で偶然お目にかかった。
  3. ×お目に昨日うちの息子が小学校時代の恩師に駅前で偶然かかった。

また述部の後に連用成分をおくことも主節では可能ですが、従属節では不可能です。

  1. 昨日小学校時代の恩師に駅前で偶然お目にかかった、うちの息子が。
  2. 昨日うちの息子が駅前で偶然お目にかかった、小学校時代の恩師に。
  3. ×昨日小学校時代の恩師に駅前で偶然お目にかかったうちの息子がとうかがいました。
  4. ×昨日うちの息子が駅前で偶然お目にかかった小学校時代の恩師にとうかがいました。

次のような量化表現では、語順が変わると解釈も変わります。

誰かが誰もを羨ましがっている(some>all)
誰もを誰かが羨ましがっている(all>some, some>all)

このようなことから、語順の交替はある成分の文頭への倒置(スクランブリング)であり、この倒置は一定の制約に従うと考えられます。

スクランブリング
[IP ・・・X・・・] ⇒ [IP X [IP ・・・___・・・]]

省略は自由なのか:重文と省略

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重文では、共通する成分が省略される場合がある。例えば

父がケーキを買ってきた。そして母がオードブルを買ってきた。

という二つの単文を一つの重文にした場合、

父がケーキを買ってきて、母がオードブルを買ってきた。

とも言えるが

父がケーキを_、母がオードブルを買ってきた。

というように、共通する「買ってきた」を一つにまとめることができる。 また、

父がケーキを買ってきた。そして母がそのケーキをみんなに切り分けた。

では、

父がケーキを買ってきて、母がそれをみんなに切り分けた。

というように代用表現の「それ」を使うこともできるが

父がケーキを買ってきて、母が_みんなに切り分けた。

というようにまとめることもできる。 また

父が息子をほめた。母も息子をほめた。

父が息子をほめ、母もそうした。

と代用表現「そうする」を使うこともできるが

父が息子をほめ、母も_ほめた。

とまとめることができる。しかし

父が_、母も息子をほめた。

父が息子をほめ、母も_。

と言うことはできない。 なお、上のような省略で

太郎がフィアンセにキスし、次郎もフィアンセにキスした。

を省略して

太郎がフィアンセにキスし、次郎も_キスした。

という時には、太郎と次郎はそれぞれ自分のフィアンセにキスしたという解釈と、次郎が太郎のフィアンセにキスしたという解釈の二通りがある。

参考文献:

省略は自由なのか:複文と同一名詞句削除

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次の文では、省略と一見似ているが性質の異なるような成分のなくなり方が見られる。

娘たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている

この文は複文であるが、ちょうど次の二つの単文を組み合わせたようなかたちをしている。

娘たちがおしゃべりをしている
娘たちがお菓子を食べている

しかしこの場合、重文に見られる省略とは異なり、代用表現の出現は不可能である。

娘たちが、彼女たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている
彼女たちが、娘たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている

このような複文では、対応する二つの単文の主部のうちの片方が必ずなくならなければならない。このようなものを同一名詞句削除という。 同一名詞句削除は、A類従属句と呼ばれる従属句では一般に見られ、また、使役文などにも見られると考えられる。 A類従属句には格助詞「が」を伴う主部が現れない、と一見特徴付けることができそうだが、これは正しくない。例えば、身体の全体ー部分の関係にある主部が複数現れるような単文をもとにした場合、 一つの主部だけが消える。

彼は、意識がかすみながら崖を転がり落ちていった。

複文:可能文

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次の文を考えてみよう。

彼女には片目だけつむることができない

この文は多義的である。一つの解釈は、右か左のどちらか、つむろうとしてもできない、という解釈である。もう一つの解釈は、目をつむろうとするとどうしても両目をつむってしまう、という解釈である。この文の「片目だけ」に格助詞の「が」か「を」をつけると、解釈が前者か後者かに定まる。

彼女には片目だけがつむることができない(前者の解釈)
彼女には片目だけをつむることができない(後者の解釈)

これは副助詞「だけ」と否定の助動詞「ない」の関係の結び方が関わる。ここでまず問題にしている文が複文であり、次のような単文を組み合わせたようなものである、という点に注目しよう。

彼女に片目だけがXことができない
彼女が片目だけをつむる

これらをそのまま組み合わせると次のようになる。

彼女に片目だけが(彼女が片目だけをつむる)ことができない

この文の主部に同一名詞句削除が起こり、次のようになる。

彼女に片目だけが(_片目だけをつむる)ことができない

この文に、さらにもうひとつ、「片目だけ」という同一の名詞句が削除されなければならないが、「が」を伴う名詞句が残った場合、「できない」の連用修飾成分となる。

彼女に片目だけが(_ _つむる)ことができない

一方「を」を伴う名詞句が残った場合、「つむる」の連用修飾成分となる。

彼女に_(_片目だけをつむる)ことができない

詳細はここでは省くが、両者のうち、「つむる」の連用修飾成分の場合に「片目だけじゃない=両目」という解釈になる。 さて、以上の話は可能の助動詞を持つ次のような場合にもそのままあてはまる。

彼女には片目だけ{が/を}つむれない

このような文は単文のように見えるが、解釈の特性を踏まえると複文と考えることができる。また、伝統的に可能のe/rareは他の助動詞と同じカテゴリーに含められていたのを、時枝誠記は動詞と同じ「詞」に所属を変更させたが、可能の助動詞が自立した述部と同じように複文を構成する点はこの考えと折り合いがよい。

参考文献

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会田・中野・中村『改訂新版学校で教えてきている現代日本語の文法』右文書院.

北原保雄『日本語の世界6 日本語の文法』中央公論社.

黒田成幸『日本語から見た生成文法』岩波書店.

時枝誠記『國語学原論』岩波書店.

橋本進吉『國語法研究』岩波書店.

橋本進吉『國文法體系論』岩波書店.

文英堂編集部(編)『これでわかる国文法』文英堂.

南不二男『現代日本語の構造』大修館書店.

南不二男『現代日本語文法の輪郭』大修館書店.

Sano, Masaki.1989. A Condition on LF Representation, Tsukuba English Studies 8.

Koizumi, Masatoshi. 1998. Phrase Structure in Minimalist Syntax. Hituzi Shobo.

Saito, Mamoru. 1985. MIT doctoral dissertation.