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は1368年から1644年まで存在した国家。

歴史[編集]

建国[編集]

1368年朱元璋が元の大都を占拠し、洪武帝として即位する。

靖難の役[編集]

1399年建文帝に対し、燕王朱棣(のちの永楽帝)がクーデターを起こし即位する。

全盛期[編集]

永楽帝[編集]

対外政策では鄭和の南洋遠征やベトナム出兵、モンゴル遠征などを行った。

内政面では永楽大典の編纂、1421年には首都を北京へ遷都し、紫禁城を築いた。

衰退[編集]

北虜南倭[編集]

北方では1449年に土木の変が起こり正統帝がオイラトのエセンに捕縛され、1550年には庚戌の変が起こり、北京はモンゴルのアルタン=ハーンに包囲された。

一方南方では後期倭寇の活動が激化した。

滅亡[編集]

1631年に李自成の乱が起こり1644年には李自成が北京を占領。皇帝だった崇禎帝は自殺し、明は滅亡した。

その後[編集]

1644年にの順治帝が李自成軍を破り、北京を占領。清が中国を支配。

文化[編集]

編纂事業[編集]

編纂事業は主に永楽帝期に行われ、とくに有名なのは四書大全や五経大全、永楽大全、性理大全などである。

文学[編集]

芸術[編集]

陶磁器[編集]

代の陶磁器は無地のものが多かったが、明・清代に入ると赤絵、染付などの華やかなものが多くなった。 特に有名な産地である景徳鎮では陶磁器の完成期を迎えた。

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