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'''台湾の歴史'''('''たいわんのれきし''')では、[[台湾]]地域の歴史区分と主要な歴史的事項を述べる。なお、台湾地域の地域範囲については[[台湾#地域範囲|台湾の地域範囲]]を参照のこと。
歴史学 > '''台湾の歴史'''('''たいわんのれきし''')
この本では、[[w:台湾]]地域の歴史区分と主要な歴史的事項を述べる。なお、台湾地域の地域範囲については[[w:台湾#地域範囲|台湾の地域範囲]]を参照のこと。


== 時代区分と主要事項 ==
== 時代区分と主要事項 ==
*[[史前時代 (台湾)|史前時代]]
*[[w:史前時代 (台湾)|史前時代]]
:[[230年]]、[[三国時代]]の[[呉]]の[[孫権]]が探索を行った。
:[[w:230年]]、[[w:三国時代]]の[[w:呉]]の[[w:孫権]]が探索を行った。
:[[607年]]、[[中国]]の文書に台湾への探検の記録が記載される。
:[[w:607年]]、[[w:中国]]の文書に台湾への探検の記録が記載される。
:[[14世紀]]半ば、[[元]]朝が[[澎湖諸島]]を領有。
:[[w:14世紀]]半ば、[[w:元]]朝が[[w:澎湖諸島]]を領有。
:[[1608年]]、[[有馬晴信]]が台湾へ軍勢を派遣。
:[[w:1608年]]、[[w:有馬晴信]]が台湾へ軍勢を派遣。
:[[1616年]]、[[長崎]]代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。
:[[w:1616年]]、[[w:長崎]]代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。

*[[w:オランダ植民統治時代 (台湾)|オランダ植民統治時代]]([[w:1624年]]~[[w:1662年]])
:[[w:1624年]]、[[w:オランダ]]の[[w:オランダ東インド会社|東インド会社]]が、台湾島の大員(現在の[[w:台南市]]周辺)を中心とした地域を制圧。
:[[w:1626年]]、[[w:スペイン]]勢力が台湾島北部の現[[w:基隆市]]付近に進出して要塞を築く。
:[[w:1642年]]、オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
:[[w:1661年]]、[[w:鄭成功]]の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する。


*[[オランダ植民統治時代 (台湾)|オランダ植民統治時代]]([[1624年]]~[[1662年]])
*[[w:鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権時代]]([[w:1662年]]~[[w:1683年]])
:[[1624年]]、[[オランダ]][[オランダ東インド会社|東インド会社]]が、台湾島の大員(現在の[[台南市]]周辺)を中心とした地域を制圧
:[[w:1662年]]、[[w:鄭成功]][[w:オランダ東インド会社]]台湾から駆逐する事に成功する
:[[1626年]]、[[スペイン]]勢力台湾島北部の現[[基隆市]]付近進出て要塞を築く
:[[w:1683年]]、鄭氏政権が[[w:清]]降伏、滅亡する
:[[1642年]]、オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
:[[1661年]]、[[鄭成功]]の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する。


*[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権時代]]([[1662年]]~[[1683年]])
*[[w:清朝統治時代 (台湾)|清朝統治時代]]([[w:1683年]]~[[w:1895年]])
:[[1662年]]、[[鄭成功]]が[[オランダ東インド会社]]を台湾から駆逐る事に成功する。
:[[w:1683年]]、[[w:清]]が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼことに成功。後に台湾を[[w:福建省]]に編入する。
:[[w:1858年]]、[[w:天津条約]]によって[[w:台南市|台南]]・安平(アンピン)港や[[w:基隆市|基隆]]港が欧州列強に開港される。
:[[1683年]]、鄭氏政権が[[清]]朝に降伏し、滅亡する。
:[[w:1874年]]、[[w:日本]]による[[w:台湾出兵]](牡丹社事件)が起きる。
:[[w:1884年]]、[[w:清仏戦争]]が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。
:[[w:1885年]]、[[w:台湾省]]を新設する。
:[[w:1887年]]、[[w:基隆市|基隆]]―[[w:台北市|台北]]間に[[w:鉄道]]を敷設する。
:[[w:1888年]]、[[w:郵政総局]]が完成する。
:[[w:1895年]]、[[w:下関条約]](馬關條約)に基づいて台湾が[[w:清]]朝から[[w:日本]]に割譲され、台湾省が廃止される。


*[[清朝統治時代 (台湾)|清朝統治時代]]([[1683年]]~[[1895年]])
*[[w:日本統治時代 (台湾)|日本統治時代]]([[w:1895年]]~[[w:1945年]])
:[[w:1895年]]、[[w:台湾民主国]]の建国・崩壊。
:[[1683年]]、[[清]]朝が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。後に台湾を[[福建省]]に編入する。
:[[w:1915年]]、[[w:西来庵事件]](タパニー事件)の勃発。
:[[1858年]]、[[天津条約]]によって[[台南市|台南]]・安平(アンピン)港や[[基隆市|基隆]]港が欧州列強に開港される。
:[[1874年]]、[[日本]]による[[台湾出兵]](牡丹社事件)が起きる
:[[w:1930年]]、[[w:霧社事件]]の勃発
:[[1884年]]、[[清仏戦争]]が発生して台湾もフランス軍攻撃される。
:[[w:1944年]]、[[w:日本軍]]による[[w:徴兵制度]]が発足。[[w:台湾人日本兵]]が兵役服務する。
:[[w:1945年]]、[[w:大日本帝国]]が[[w:連合国]]に降伏。[[w:第二次世界大戦]](当時の台湾では「[[w:大東亜戦争]]」)が終結。
:[[1885年]]、[[台湾省]]を新設する。
:[[1887年]]、[[基隆市|基隆]]―[[台北市|台北]]間に[[鉄道]]を敷設する。
:[[1888年]]、[[郵政総局]]が完成する。
:[[1895年]]、[[下関条約]](馬關條約)に基づいて台湾が[[清]]朝から[[日本]]に割譲され、台湾省が廃止される。


*[[日本統治時代 (台湾)|日本統治時代]]([[1895年]]~[[1945年]])
*[[w:中華民国の歴史#中華民国と台湾 台湾の歴史、1945~1949)|南京国民政府統治時代]]([[w:1945年]]~[[w:1949年]])
:[[w:1945年]]、[[w:中華民国の歴史#南京国民政府期(1928~1949)|中華民国(南京国民政府)]]・[[w:中華民国軍|国民政府軍]]が[[w:台湾]]に上陸。台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置。
:[[1895年]]、[[台湾民主国]]の建国・崩壊。
:[[1915年]]、[[西来庵事件]](タパニー事件)の勃発。
:[[w:1947年]]、[[w:二・二八事件]]勃発。以降、国民政府による[[w:白色テロ]]が頻発する
:[[w:1949年]]、[[w:蒋介石]]が[[w:国共内戦]]で崩壊状態にある[[w:国民政府]](国府)を[[w:台北市]]へ移転し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
:[[1930年]]、[[霧社事件]]の勃発。
:[[1944年]]、[[日本軍]]による[[徴兵制度]]が発足。[[台湾人日本兵]]が兵役に服務する。
:[[1945年]]、[[大日本帝国]]が[[連合国]]に降伏。[[第二次世界大戦]](当時の台湾では「[[大東亜戦争]]」)が終結。


*[[中華民国の歴史#中華民国と台湾 (台湾の歴史、1945~1949)|南京国民政府統治時代]]([[1945年]]~[[1949年]])
*[[w:台湾国民政府]]統治時代([[w:1949年]]~[[w:1996年]])
:[[1945年]]、[[中華民国の歴史#南京国民政府期(1928~1949)|中華民国(南京国民政府)]][[中華民国軍|国民政府軍]]が[[台湾]]に上陸。台湾を統治する機関・台湾公所を設置
:[[w:1950年]]、蒋介石が[[w:総統 (中華民国)|総統]]職に就任。[[w:中華民国]]・台湾国民府の活動が本格化
:1955年、台湾国民政府が[[w:浙江省]]・大陳列島を喪失。これにより、今日の[[w:台湾#地域範囲|台湾地域(広義の台湾)]]が形成される。
:[[1947年]]、[[二・二八事件]]が勃発。以降、国民政府による[[白色テロ]]が頻発する。
:[[w:1971年]]、[[w:国際連合]]総会にて、[[w:アルバニア]]提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「[[w:中国]]」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
:[[1949年]]、[[蒋介石]]が[[国共内戦]]で崩壊状態にある[[国民政府]](国府)を[[台北市]]へ移転し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
:[[w:1972年]]、[[w:日中国交正常化|日本と中華人民共和国の国交樹立]]により[[w:日華平和条約]]が終了。台湾国民政府が[[w:日本]]との国交を断絶。
:[[w:1979年]]、台湾国民政府が[[w:アメリカ合衆国]]との国交を断絶。
:[[w:1987年]]、[[w:台湾]]で戒厳令を解除。その後、他の地域でも暫時解除。
:[[w:1996年]]、国民の直接選挙による総統選出が実施され、[[w:李登輝]]が当選。[[w:中国国民党|国民党]]の一党独裁体制が完全に消滅。


*[[台湾国民政府]]時代([[1949年]][[1996年]]
*[[w:総統民選期の中華民国|台湾選挙時代]][[w:1996年]]~)
:[[1950年]]、蒋介石が[[総統 (中華民国)|総統]]就任。[[中華]]・台湾国民政府の活動本格化
:[[w:2000年]]、[[w:総統 (中華民国)|総統]]に[[w:主進歩党]]の[[w:陳水扁]]が選出され、[[w:中国国民党]]初めて野党となる
:[[w:2004年]]、[[w:陳水扁]]が総統職に民選で初めて再選される。
:1955年、台湾国民政府が[[浙江省]]・大陳列島を喪失。これにより、今日の[[台湾#地域範囲|台湾地域(広義の台湾)]]が形成される。
:[[w:2005年]]、[[w:連戦]][[w:中国国民党|国民党]]主席が[[w:中華人民共和国]]を訪問。[[w:胡錦濤]][[w:中国共産党|共産党]]総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。
:[[1971年]]、[[国際連合]]総会にて、[[アルバニア]]提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「[[中国]]」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
:[[1972年]]、[[日中国交正常化|日本と中華人民共和国の国交樹立]]により[[日華平和条約]]が終了。台湾国民政府が[[日本]]との国交を断絶。
:[[1979年]]、台湾国民政府が[[アメリカ合衆国]]との国交を断絶。
:[[1987年]]、[[台湾]]で戒厳令を解除。その後、他の地域でも暫時解除。
:[[1996年]]、国民の直接選挙による総統選出が実施され、[[李登輝]]が当選。[[中国国民党|国民党]]の一党独裁体制が完全に消滅。


[[Category:歴史|たいわん]]
*[[総統民選期の中華民国|台湾総統選挙時代]]([[1996年]]~)
:[[2000年]]、[[総統 (中華民国)|総統]]に[[民主進歩党]]の[[陳水扁]]が選出され、[[中国国民党]]が初めて野党となる。
:[[2004年]]、[[陳水扁]]が総統職に民選で初めて再選される。
:[[2005年]]、[[連戦]][[中国国民党|国民党]]主席が[[中華人民共和国]]を訪問。[[胡錦濤]][[中国共産党|共産党]]総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。

2006年11月28日 (火) 14:34時点における版

歴史学 > 台湾の歴史たいわんのれきし

この本では、w:台湾地域の歴史区分と主要な歴史的事項を述べる。なお、台湾地域の地域範囲については台湾の地域範囲を参照のこと。

時代区分と主要事項

w:230年w:三国時代w:呉w:孫権が探索を行った。
w:607年w:中国の文書に台湾への探検の記録が記載される。
w:14世紀半ば、w:元朝がw:澎湖諸島を領有。
w:1608年w:有馬晴信が台湾へ軍勢を派遣。
w:1616年w:長崎代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。
w:1624年w:オランダ東インド会社が、台湾島の大員(現在のw:台南市周辺)を中心とした地域を制圧。
w:1626年w:スペイン勢力が台湾島北部の現w:基隆市付近に進出して要塞を築く。
w:1642年、オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
w:1661年w:鄭成功の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する。
w:1662年w:鄭成功w:オランダ東インド会社を台湾から駆逐する事に成功する。
w:1683年、鄭氏政権がw:清朝に降伏し、滅亡する。
w:1683年w:清朝が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。後に台湾をw:福建省に編入する。
w:1858年w:天津条約によって台南・安平(アンピン)港や基隆港が欧州列強に開港される。
w:1874年w:日本によるw:台湾出兵(牡丹社事件)が起きる。
w:1884年w:清仏戦争が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。
w:1885年w:台湾省を新設する。
w:1887年基隆台北間にw:鉄道を敷設する。
w:1888年w:郵政総局が完成する。
w:1895年w:下関条約(馬關條約)に基づいて台湾がw:清朝からw:日本に割譲され、台湾省が廃止される。
w:1895年w:台湾民主国の建国・崩壊。
w:1915年w:西来庵事件(タパニー事件)の勃発。
w:1930年w:霧社事件の勃発。
w:1944年w:日本軍によるw:徴兵制度が発足。w:台湾人日本兵が兵役に服務する。
w:1945年w:大日本帝国w:連合国に降伏。w:第二次世界大戦(当時の台湾では「w:大東亜戦争」)が終結。
w:1945年中華民国(南京国民政府)国民政府軍w:台湾に上陸。台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置。
w:1947年w:二・二八事件が勃発。以降、国民政府によるw:白色テロが頻発する。
w:1949年w:蒋介石w:国共内戦で崩壊状態にあるw:国民政府(国府)をw:台北市へ移転し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
w:1950年、蒋介石が総統職に就任。w:中華民国・台湾国民政府の活動が本格化。
1955年、台湾国民政府がw:浙江省・大陳列島を喪失。これにより、今日の台湾地域(広義の台湾)が形成される。
w:1971年w:国際連合総会にて、w:アルバニア提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「w:中国」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
w:1972年日本と中華人民共和国の国交樹立によりw:日華平和条約が終了。台湾国民政府がw:日本との国交を断絶。
w:1979年、台湾国民政府がw:アメリカ合衆国との国交を断絶。
w:1987年w:台湾で戒厳令を解除。その後、他の地域でも暫時解除。
w:1996年、国民の直接選挙による総統選出が実施され、w:李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が完全に消滅。
w:2000年総統w:民主進歩党w:陳水扁が選出され、w:中国国民党が初めて野党となる。
w:2004年w:陳水扁が総統職に民選で初めて再選される。
w:2005年w:連戦国民党主席がw:中華人民共和国を訪問。w:胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。