高校受験ガイド/高校生の論文
高校生の論文は文系分野ばかり
[編集]基本
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一部の私立高校で卒業論文など論文を書いていたり(2年生で論文風の作文を書くこともある)、国公立でも一部の高校で論文を書いていますが、分野は文科系の分野がほとんどです[1]。例外としてスーパーサイエンスハイスク-ルの指定を受けるような設備の充実した高校でもない限り、理系の実験は難しいのが現状です[2]。近現代の経済などが、比較的に書きやすいでしょうか。
基本的には、社会科学系の分野です。
なので、最初から高校の文系教科側にカリキュラムとして論文執筆を組み込む私立高校もあり、たとえば私学の麻布(あざぶ)中学・高等学校がそうであり、地歴・公民公民の科目に論文カリキュラムを組み込んでいます[3]。
なお、大学入試側も、高校の探求が公民科目に寄っているのを反映してだろうか、一部の文系学部の入試科目から歴史科目を外す動きもあり、早稲田大や青山学院大学ですらそのような入試改革の動きがあります[4]。おそらく、偏差値上位の私立高校で探求を頑張れる優秀な学生をゲットしたいのでしょう。
書籍名などで「論文」と題されることもありますが、実際には、埼玉県立浦和(うらわ)高校の場合、出典など多少の裏付けのある文集や紀行文なども混ざっています[5]。まあ、論説文であることには、変わりありません。一言も「学術論文」とは題されていませんし。「総合的な学習の時間」(2023年の現代は「総合的な探究の時間」)などの時間を、それらの論文・作文などの執筆や調査に当てている事もあります[6]。ただまあ、紀行文といっても、けっして旅行先は単なる国内観光地とは限らず、国費での海外語学研修での米国大学あたりの訪問記とかの紀行文とかだったりする高校生もいるので、世間一般の旅行の紀行文のようなものとは区別したほうが安全だとは思います。基本的に、学問的に読む価値のありそうな文章であることが求められるとは思います。
なお、歴史の論文は、とても難しいので、(感想文などではなく)学術的な論文としては避けるべきです(史実の確認はとても難しいので[7])。
中央大の付属高校いわく、
論文のテーマ(問い)は、「えっ。こんなに小さな問題でいいの?」と思うくらいに絞り込むこと。漠然とした問いは、いつまで経っても書き出せないか、概論を述べるだけで終わってしまう。論文を読んだ人に、「ふむふむ。それで?」と言われてオシマイ。
です[8]。
神戸大の付属高校でも、説明画像「良い問いの条件とは?」で、「すぐに答えが出る問いではないか?」と釘を刺したうえで、
さらに、
「しかし、1年ぐらいで答えが出る程度に小さい問いか?」
と述べています[9]。
神戸大付属校が言うには、高校生のする研究論文にとっての「良い問い」とは、1年間つづけられるほどに「やりたい」、高校生でも「できる」、社会がその研究を支持してくれそうなほどには「意義がある」の3本が必要です。まとめると、
- やりたい
- できる
- 意義がある
の3本です。
さて、参考文献として読む本の冊数は、たとえば『浦和高校論文集』の論文をいくつか見たのを例にすると、一般の大人向け(ここでは「高校卒業者むけ」という意味)に書かれた本が10冊~15冊ていどです。そのうち、大学教養レベルの教科書が1~2冊もあれば十分でしょう[10]。
参考文献のひとつとして、アメリカなど海外で使われている教科書の和訳を読めば(たとえばマンキュー経済学[11]など)、国際的に通用する議論になるので、お得です。
和訳さえている本を読めば十分であり(英語の原典・原書に当たる必要は無い)、そもそも高校の先生にその翻訳を確認するだけの時間がありません(もし先生が英文和訳の添削ばかりしてたら、先生が過労になってしまいます)。なので、日本国内で先行研究のあるテーマを選ぶことになるでしょうか。
なお、(基本的な教科書を除くと、)参考文献リストの載ってない本は、先行研究とは言えません[12]。なので、メインに使う本には、参考文献リストが載っている本を選びましょう。
今までの議論の前提として、先行研究がある程度は存在しているテーマを研究するのがコツです[13]。高校レベルだと、そうしないと卒論を書くのが難しいでしょう。
また、客観的データを自分で入手できるテーマに限ります[14]。このため、最近の流行の調査とかは、客観性がとぼしく、論文としてはテーマに不適です。
また、参考文献は変わりますが(文献名は忘れました)、現在始まったばかりの流行は、基本的には評論などを行わないのが、評論の業界でのマナーです。たとえばテレビで放送開始したばかりのドラマとアニメとか、基本的には放送開始から半年~年内には論文などでは大々的には論評してはいけません。なぜなら、論評そのものが作品の評判に影響を与えて変化させてしまうので、観察対象がその論評のせいで変化してしまい、業界全体での客観的な研究ができなくなってしまうからです。具体的な参考文献名は忘れたのですが、1990年代後半に同人サークル「と学会」(オカルト本を研究している同人サークルのひとつ)が、市販の書籍でそう述べていました。
放送開始から1年程度の月日が経って、ようやく、評価が確定してきてから、論評を開始しないといけないのです。
比喩を言えば、バードウォッチングで鳥を観察する人は、基本的には、鳥に気づかれないように観察しなければなりません。
なのに、先行研究の少ない分野を研究しようとしている人は、たいてい、こういう基本マナーが分かってない人なので、もし自分がそうだとしたら、反省しましょう
あと、卒業論文とかにもし放映中のドラマとかの研究を書いてしまって、卒業後にもしそのドラマの俳優が麻薬所持とかで逮捕されたら、製本された論文集、どうするんですか? 論文を撤回しようにも、卒業アルバムと同様に卒業論文集も製本されて卒業生の共通の思い出のメモリアルになっているので、もはや撤回できません。
卒業後に改訂版を出せないので、もっと慎重な先行研究の多めのテーマを選んでください。
そういう新しいテーマは、卒業論文ではなく、雑誌論文とか、大学教員になったら紀要(きよう)とか、個人の書籍とかブログでやってください。
比喩的に言えば、卒業論文集は個人の所有物ではなく、半分は、卒業生一同の共有物のようなものです。
こういうふうに、最近の人気マンガだとか芸能だとか現代の若者などの流行分野を研究するのは、とても難しいのです。
ほか、よくある流行研究のマチガイで、「反映論」と言って、「この作品のこの描写は、社会の〇〇な実態を反映している」という推測です。その作品の人気をもってして、社会が○○であるという主張を正当化しようとするものです。
反映論は、高確率でマチガイだというのが、学問業界での経験則です[15]。
まず、作品のリアリティ描写は、あくまで作家の想像・認識であり、必ずしも社会における共通認識とは限りません。あくまで「作者はそう思っている」という参考程度なだけです。それ単独では、どうあがいても、社会をとらえる事は無理です。
また、仮に消費者もふくめて人々もそう認識していたそしても、その消費者の共通認識が事実かどうかも不明です。単に消費者たちのデマや迷信といった勘違いかもしれません。「デマ」や「迷信」という言葉が存在する理由からも分かるように、人々が共通で思っているからって、真実とは限りません。
その業界(たとえば小説の業界)の大半の作者がそう思っているなら、それは業界の表現の傾向として価値はあるかもしれませんが、しかし大抵の場合のミスとして、論者がサンプルとして選んだ作者が、論者の社会思想に近い作者ばかり選んでいというふうに片寄っているのがオチです[16]。
フィルターバブルやエコーチェンバーのような現象が、コンテンツ分析でも起こりやすいのです。その典型例がまさに悪い意味での「反映論」です。また、同様のミスは、SNSなどネットメディアでの分析でも起こりがちであり、そのため、とても研究は難しいです。
コンテンツ業界の分析にて、サンプルを片寄らせずに分析する際に、先行研究無しで行うには、かなり多くの作品を調べる必要がありますが、しかし高校生には時間的に無理です。
ほか、小説もマンガも、基本的には作中で、書店など販売経路を批判できません。仮に書店業界になにか問題点があっても、批判できず、そのジャンルでは問題自体が存在自体がしない事になります。
さらに、映画などコンテンツ制作にお金のかかる分野だと、スポンサーなどの都合で、特定の傾向ばかり作品が多く作られる可能性もありえます。
もし、すでに新人作家の新作の批評が多く出版市場にあっても、新人・新ジャンルなどの場合、その批評家たちが業界事情で意図的に小さなウソをついている場合もあります。たとえ有料の評論誌でも、業界事情で、小さなウソをつくのです。
たとえば、基本的に新人・新ジャンルなどの作品は、実態よりも、ほめます。
これは、新聞などのニュース業界の用語でも同様であり、ニュース業界では「新婚期間」「ハネムーン」といって、新人は基本的にほめる慣習なのです。
たとえば、政治の国政選挙の結果で新政権が樹立したら、3か月~6か月ていど、メディアはほめます。(国政選挙以外の党内投票は別。)
同様のことは、小説などの作品批評でもあるのです。
このため、たとえば新人の処女作(しょじょさく)への批判が、処女作ではなく第二作目以降に対して批判が行われる事もあります。
べつに「作家のスポンサーの宣伝費が尽きたから、評論誌などが批判を書くようになった」とかではなく、元からそういう業界内部のハネムーン的な慣習があるのです。
たとえるなら、子育てのようなもの、まずは、子供の個性を尊重する。でも大人になったら、実績も問われる、みたいな関係です。処女作は子どもとして優遇される。二作目以降で、大人あつかいで、補助輪が外される。
反映論やハネムーンなどの問題があるので、流行作の分析というのは、とても難しいのです。だから、先行研究のとぼしい分野は、高校生は手出しをしないほうが良いのです。
べつに「反映論だからといってダメ」というわけではなく、「反映論による研究は、とても難しい」という事です。往々にして、社会の反映ではなく、未熟な論者の願望の反映になりやすい、という事です。
たとえば、ノンフィクションの分野なんて、もともと社会への批評的な目線のある分野だし、それまで反映論を排除するのも、それはそれで問題でしょう。
このため、流行作の分析は、たとえ学術論文があっても、あくまで仮説です。もっとも学問は基本的には、信ぴょう性の高そうな仮説の集合ですが、特に流行作の分析の論文や評論書などは、まだ検証が不十分であり、他者による未検証の度合いが高いという事です。
今年の流行は、もう論文は高校生には無理です。5年前とかの流行でも、卒業論文にするのは、かなり難しいでしょう。15年前とかになってようやく、なんとか、とても調べて、何とか卒論になるくらいでしょうか。
いっぽう、あまり古すぎると、自分の生まれる前の研究になるので、これもまた難しい。たとえば多くの高校生にとって、30年前の流行は、生まれる前の時代です。
こういう事もあるので、文芸の研究などは、若者には難しいです。
「社会科学」と言われる経済学および法学の研究と比べて、「人文学」と言われる文学(文芸の学)・歴史学・哲学などは、若者には難しいと昔からよく言われています。(たとえば社会学者の宮台真司も著作でそう言っていました。)
これはつまり、ネットの匿名掲示板とかで放映中の作品などを議論している人や、そのような評判を参考に作品鑑賞している人は、上述のような意味でも、あまり信用しないほうが良い、という意味です。論評の基本マナーを知らないほどに論評のレベルが低くて頭わるい馬鹿のくせに「自分は頭がいい」と思っているという、自己の精神病の病識(びょうしき)に欠ける人です。
残念ながら、作家でもこのような基本の分からない人が存在します。志望業界の若手にそういう低レベルな作家の多い業界の場合、これから衰退していく業界でしょうから、志望先を変えるのが良いでしょう。
今は盛り上がっていても、若者のレベルを見れば、これからが分かります。俗に「ピークアウト」と言う言葉があり、その時点では盛り上がってても以降は低減していく現象のことを言います。
なお、学校の図書室に新刊の本の購入をリクエストする場合でも、あまりにも新しすぎる本の購入だと、売上を下げる営業妨害になりかねないので、図書室での購入を断られる場合もあります。特に小中学校の義務教育で、そのような傾向があります。
なので、ともかく先行研究を無視して「どんなテーマでも」と言うのは、無理なのが実情です。実際、教育学の論文『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』(大貫眞弘・竹林和彦 共著) P.179によると、下記のように問題点が指摘されているのが現実です。
また、多様なテーマに対応するだけの蔵書数は、高等学校の図書館にはない。大学附属校で高校生も大学図書館を使用できる状況であればいいのだか、多くの学校はそのような状況にはない。公立図書館の利用や高大連携による大学図書館の利用も紹介されているが、情報の宝庫である充実した図書館が、すぐに利用できる校内に設置されているか否かは大きな問題である。
なお、論文は文章の長さよりも質が重要であり、6000字でも内容がシッカリしていれば高校論文としては問題ありません[18]。16万字とか書く必要はありませんし、そもそも長すぎる論文だと先生が過労になってしまって読み切れません。高校2~3年生の16万字×40人×担当クラス数(たとえば4学級)=2560万字のレポートなんて、どこの高校でも先生は読みたくありません。
なお、『浦和高校論文集』によると、浦和高校の卒論は2万文字が目安らしいです[19]。
このように学校によって、字数の相場は違います。
そのほかの卒論のある高校は、
筑波大学附属坂戸高等学校や東京大学教育学部附属中等教育学校、名古屋大学附属高等学校など。
私立なら、早稲田大の付属校や、専修大学附属松戸高等学校など。
これに関して、マーチの大学付属校は実質的に文系重視です。いちおう理工学部もありますが、付属校の生徒からは敬遠されています[20]。
- 同一テーマに関する複数の文献を比較
ほか、高校レベルの論文を書くための文献の冊数として、5冊~10冊以上を読むのが基本です。どこの上述の高校も、そのくらいの冊数の本を、論文執筆のために読ませています。(ただし、エッセイとかを書く場合は別。)なるべく同じテーマの本を読む必要があります。
1940年代に欧米で提唱された「シントピカル・リーディング」という読み方がこれに近いのですが、しかし1940年代のことを21世紀の2020年代に当てはめるのには無理があります。なので、あまり、この読書法の用語には、こだわらないのが良いと思います。
北里大学(付属高校とかではなく大学本体の某・研究室)によると、「シントピカル・リーディング」とは、同一テーマに関する複数の文献を比較し、結果や考察の相違点を調査する読書法です[21]。なお、syntopical とは、『本を読む本』(How to read a book )著者のM.J.アドラーの造語です。
ともかく、研究的な内容の文献調査は、もはや文献の内容が完全に正しい保証は無いので、決して1冊の本を鵜呑みにしてはいけません。
もちろん、単に書籍数の多数決で真偽を判定、なんてのも論外です。高校生には論文に使える時間に限度がありますが、高校生なりに、ある程度は検証しましょう。
さらに、匿名掲示板「2ちゃんねる」(現在は「5ちゃんねる」)の格言ですが、「悪口は自己紹介」というのがあります。
頭の悪い人は悪口を言うとき、自分が思われたくないことを悪口にする、というヤツです。たとえば、学校の勉強ができない人が他人に悪口をいうとき、「お前、弱そうだな」とか自分の少ない長所(勉強できないが体力がある)が相手にはないとけなす悪口を言うような感じです。
で、反映論も、たいてい自己紹介です。なぜなら反映論によくあるのが、社会への批判を「読み取る」(読み取ったつもりになっている)やつだからです(実際の統計がどうかは知りません)。
娯楽物から社会分析を読み取ってしまうのは、「自分は社会分析の力があると思われたい」という願望のあらわれ、
もっと言うと、「今の自分は社会的には評価が低いが、しかし本当の自分は社会的な分析力があり、自分は頭が良すぎるために世間の凡人からは理解されないのだ」という願望のあらわれ、
もっと言うと、「自分を低く評価している社会が気に食わない。だから今の社会は間違っている。だから、いまの社会への批判が、最近に流行している名作には込められているはずだ。いやむしろ、そういう批判的な作品こそが「名作」の条件だ」という、本末転倒な認識です。
もっと言うと、自分の好き嫌いと、世界の真実との区別がついていない、幼稚な子供です。
自己紹介でない批判をするのは難しい。というか、そういうのが本来の「批判」です。そうでないのは、単なる「悪口」「難癖(なんくせ)」です。
仮説思考
[編集]中央大付属の場合、論文を書く際、あれこれと文献をいくつも集める前に、「たぶんこれはこういう仕組みだろう」的な、仮説として仮の「答え」を用意しておきます[22]。
ほか、立教池袋高校の卒論では、2年生のうちに仮説を提唱させ、3年生でその仮説を検証します[23]。
このスタイルは、決して日本独自のスタイルではなく、数学のスタイルも世界的にほぼ同じであり、特に理系の学術での基本的なスタイルです。数学書では、定理が提唱され、その証明があとに続く、というのが数学のよくあるスタイルです。世界中、ほとんどがそうです(疑うなら、欧米の数学書や物理学書の翻訳を見れば分かります)。
一見すると「定理」や「法則」とは述べてない語りが長々と前節に続いていても、その前節の中には、かならず、仮説の提唱があり、その仮説の検証が含まれています。
実験中に起きたことを順番通りにまとめるのは、決してページ数の限りのある論文で行う事ではなく(ただし、よほどの短い実験の場合は例外)、実験ノートなどの別メディアで行うべき事です。そもそも、長い期間を書けて調べて得られた知見を、同じ時間を掛けなくても読者が手短かに検証できるように要約したものが論文です。起きた事を長々と述べるのは、まだ検証を行う前の段階です。
企業のホウ・レン・ソウ(報告、連絡、相談のこと)で言うなら、「報告」ではなく「相談」として行うべきことです。または、「トラブル報告」のように報告にトラブル解決のための相談がともなうような報告にて行う事です。
論文は、トラブル相談ではありません。そもそも読者は、自分の仕事にこれから起きそうなトラブルの解決策を探したくて、論文を読んでいるのです。
文科系の分野などだと、時と場合と分野によっては、この「仮説 → 検証」のスタイルから外れる場合もありますが、しかしまずは上記の「仮説 → 検証」の基本スタイルを身に着けるのが先です。
この「仮説-検証」のスタイルは、何も中央大だけの独自見解ではなく、高校の理科の教科書の巻末にある「課題研究の仕方」みたいな章を読んでも、同様に仮説やモデルの設定などをせよと書いてあります。つまり、別に文系のテーマだけでなく理系のテーマの場合でも同様に、仮説やモデルを設定する必要があります。
- ※ なお、「モデル」とは、けっして美人とかのことではなく、理論の「模型」(model)という意味。「少々の誤差はあるが、おおむね減少の仕組みを、簡潔に説明していると思われる理論」のことをモデルと言います。(詳しくは高校の情報科で習います。)
ともかく、中央の場合、たとえば、「自転車と歩行者のあいだの交通事故を減らす方法を見つけたい」という問いなら、とりあえず仮の「答え」として、「自転車の利用者のマナーを向上させる」のような仮説を用意するのです。
もちろん、まったく文献調査やアンケート調査もしてない段階なので、この答えが正しい保証はありませんので、あとで答えを修正することになる可能性もあるかもしれません。
ですが、まずは仮の答えを用意します。また、そう思った「根拠」を文中で提示します。で、これをあとは時間の限り、警察などの客観的な統計とか調べたり法律を調べたりとか、さきほどの仮説や根拠の妥当性を検証していきます。
もし自分の仮説が間違っていそうだと思ったら、その時は単に論文のその箇所を直せばいいのです。
完璧な仮説はNGです。仮説は修正していくものです。
「仮説が間違っていると分かった」のなら、それは研究が進展して、仮説が反証されたという事ですので、良いことです。「仮説がこれこれこういう実例により正しそうである」という立証だけでなく、反証もまた、検証の一種です。
仮説が無いと、そもそも立証や反証の対象物が無いので、なにも検証を進められず、研究の深堀りが難しくなります。
なお、論文にかぎらずビジネスでの営業や企画などでも、まずは仮説を用意します。これをビジネス用語で「仮説思考」と言います。
言い回しは業界によって違いますが、考え方は似ています。
ビジネスの世界では、時間が限られているので、漠然と何でも事前調査するという事は、不可能です。なので、とりあえず仮説を立てて、その仮説を少しだけ検証して、あとは実際に活用しながら修正していきます。
仮説思考によって、本当に解くべき問題が何なのかが、明確になります[24]。
この方法に文句をつけてくる学者や教員がいたら、ビジネスの出来ない人なので、あまり相手しなくていい。例外として、数学とかの完全な論理性や、あるいは医療とかの極度の慎重さが要求される分野とか、国会の立法とかでない限り、仮説思考で良い。
Quick and Dirty(クイック・アンド・ダーティ)といって、「汚くていいので、さっさと進めろ」みたいな意味の言葉が、ビジネスやソフトウェア開発などの言葉であります。
とりあえず、精度は低くていいので、仮説・根拠のセットを提示するのが先であり、とりあえずそのセットの検証を始めていくのが先です。
- 感想文ではない
論文は、感想文ではありません。なので、基本的には、「仮説の提唱 → その根拠」のように、順番が決まっています。
「アブストラクト」 abstract と言って、本格的な学術論文では、冒頭に、要点や結論を書いた手短な段落を1つ用意する事が求められます。
高校生の論文では、べつにアブストラクトを書く必要は無いですが、しかし、なるべく文章中の早い段階で、これから検証する仮説が何なのかは、明示する必要があります。
作文教育を根拠にして、仮説を提唱せずに長々と書かれるのは、読み手の負担が増えて、迷惑です。
もし随筆文や紀行文などを書きたいなら、提出物の冒頭に、紀行文などである旨を述べてください。
紀行文かなと思って読んでたら、もし最後のほうで急に仮説を提唱されたら、読み手は、読み返しを冒頭からする必要が生じるので、とても迷惑です。
世間では、海外の作文教育を、論文の書き方と混同・誤解するような言説が、いくつかあります。「ヨーロッパの作文の書き方は、アメリカとは違う」みたいなのです。
しかし、ドイツでもフランスでも、論文の書き方は、少なくとも理系分野なら世界的に共通であり、数学のように、仮説 → 検証、というスタイルが基本です。
文句があるなら、物理学者アインシュタインの論文でも、物理学者ボーアやプランクの論文や学術書でも、なんでも良いですが、そういうのの文献の和訳を読めば分かります。
いつまで読み進めても、ろくに仮説・学説に相当する定理・法則などが提唱されない書籍は、論文や学術書としては、認められません。
問題解決ではない
[編集]論文を書くなどの研究は、「問題解決」型の学習ではありません。現状の問題点を見つけて、それを検証、深堀りなどをして「解明」するのが、「研究」です。そもそも解決していないから、研究テーマなのです。社会問題など、一個人での解決は、無理です。時間も予算も、解決するには、大幅に不足しています。
大学などで行われる文科系の「研究」の多くは、良くも悪くも、問題点を見つけて深堀りするだけです。
もし解決策が思い浮かんでも、実際にその解決策を実行して事態が好転しても、それを現状の社会の「問題点」を明らかにして解明するという形の文章に変換しないかぎり、論文にはなりません。
正直、「問題解決」とは、論文は相性が悪いこともあります。問題解決ばかりしている暮らしの不足を補うための論文、とでも言えばよいでしょうか。
それどころか、大学評論家によると、大学の文科系学部の伝統的な授業内容ですら、教育内容が問題解決につながっていないのが実態だと報告されています[25]。
読書の方法
[編集]論文を書く際の読書の方法として、当然ですが、関連するテーマの本を、何冊も読みます。高校によって要求される冊数は10冊か20冊か、差がありますが、ともかくそのくらい読みます。
この際、同じ著者の本ばかりを読むのではなく、なるべく別々の著者の本を読みましょう。
さらに、自身の確認した体験などを通して、検証します。
これを Syntopical Reading と言います。高校生くらいになったら、こういう読書が求められます。卒業論文などを描く際の読書も、このレベルでしょう。
『本を読む本 読書家をめざす人へ』 (1978/1/1、モーティマー・J・アドラー (著), チャールズ・ヴァン・ドーレン (著), 外山滋比古・槇未知子訳 (著) )にそういう話題があるらしい。
普段の読書でも、同じテーマの本を、別々の著者で、いろいろな視点で読んでおくと、論文や研究につながりやすくなります。
本に書いてあることの要点を把握するだけなら、中学生レベルとのこと。その本だけを鵜呑みにすればいいのですから、とりあえずの要点の抽出は、そんなに高度ではありません。
- ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.179
- ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.179
- ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.183 の注6 2023年12月02日に確認.
- ^ 後藤健夫 著『増加する「Fランク大学」、“ボーダーフリー”時代の大学の選び方』、ダイヤモンド社教育情報、2022.12.22 3:20
- ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P42
- ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P40~P42
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P25
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P25
- ^ pdf 『2023 年度 Kobe ポート・インテリジェンス・プロジェクト 課題研究・卒業研究ハンドブック』P.30
- ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P393およびP379など
- ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P379など
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P18 2023年12月02日に確認.
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P5 2023年12月02日に確認.
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- ^ 『メディア批評系の卒論をどう指導するか』2012.02.02 Thursday
- ^ 『メディア批評系の卒論をどう指導するか』2012.02.02 Thursday
- ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.179 の節「3)研究環境(施設面)の問題点」 2023年12月02日に確認.
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P25 2023年12月02日に確認.
- ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P148
- ^ 『理系学部への進学率、付属校は低調 進学校は伸び』、2023年10月17日 5:00 、※会員限定記事
- ^ pdf 『2021北里大学「大学院感染制御科学府」学修要項.pdf』P.123
- ^ pdf 中央大学杉並高等学校 国語科『高校生のための卒業論文ガイド』,P23 2024年03月20日に確認.
- ^ 葉山 梢 著『卒論の執筆通じてリベラルアーツ教育 内部推薦のポイントにも 立教池袋』2022.06.08
- ^ 『実験する前に論文を書こう~「仮説思考」を読んで~ (ver1.0) 』2024年1月6日 20:16
- ^ オンラインのメガスタ公式チャンネル 『文学の力で社会の課題を解決する!!』2024/04/10、 3:30 あたりから 2024年04月10日に確認.