高等学校世界史探究/オリエントと地中海世界 学習のポイント
オリエントは人類文明の始まりの場所です。メソポタミアやエジプトでは、大規模な灌漑農業が行われ、高度な都市文明が発達しました。メソポタミアには周辺地域からセム語やインド・ヨーロッパ語を話す人々が次々と侵入し、国家の興亡を何度も繰り返しました。楔形文字、六十進法、太陰暦などが造られました。一方、ナイル川流域のエジプトは、その地理的条件から周辺民族の攻撃を受けにくく、エジプト語系民族の文明が永らく続きました。神聖文字などの象形文字、パピルス(紙)、太陽暦などもその文化の一部として誕生しました。
セム系のアラム人、フェニキア人、ヘブライ人は、地中海の東岸にあるシリアやパレスチナで、それぞれ異なる活動をしていました。アラム人は自国内で商売をしながら、フェニキア人は地中海を舞台に商売をしていました。ヘブライ人はユダヤ教という一神教を作り、それが後にキリスト教やイスラーム教を生み出しました。紀元前7世紀、アッシリアやアケメネス朝がオリエントを統一して帝国を築きました。
アレキサンドリア帝国の崩壊後、西アジアではギリシアのセレウコス朝やバクトリアが力を持つようになりました。その後、イラン系のパルティアが成立し、東西貿易に乗じて大成功をおさめました。パルティアを倒した後、イランのササン朝が成立しました。ゾロアスター教を国教とし、イランの伝統文化を復興させようとしました。また、インド、ギリシア、ローマなどの文化の影響を受けながら、高度な国際文化を作り上げました。7世紀以降、この文化はイスラーム文化にも影響を与えるようになりました。
紀元前2000年頃、地中海世界では強い王を中心としたエーゲ文明の発展が始まりました。これはオリエントの影響があったからです。エーゲ文明が崩壊した後、ギリシア人はポリスと呼ばれる都市国家をつくりました。紀元前5世紀、アテネは民主的な政府を持つ最初の都市国家になりました。ギリシア人は、明るく、論理的で、人々に焦点を当てた文化を作り上げました。これはオリエントの文化とは異なっていました。ギリシアのポリスはやがて民衆の争いで崩壊し、アレクサンドロス大王がオリエントにもたらしたギリシア文化は、ヘレニズム文化と呼ばれるものに発展していきました。紀元前6世紀末、イタリア半島の中部にローマが誕生しました。共和制の支配下で、新天地の征服や植民地化を積極的に進めるとともに、法律や土木建築などの実用的な芸術を発展させました。ローマが地中海をその内海とする大帝国となったのは紀元前1世紀の話です。ローマが世界に与えた最も重要な遺産は、ローマ帝国が作った普遍的な法と4世紀にローマ帝国の公式宗教となったキリスト教です。
本文資料出所
[編集]- 山川出版社『改訂版 詳説世界史研究』木村靖二ほか編著 ※最新版ではありません。