高等学校世界史B/スペインの盛衰からオランダの覇権へ

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スペインからのオランダ独立[編集]

1516年にハプスブルク家のカルロス1世がスペイン王位につき、さらに神聖ローマ皇帝もカルロス1世が兼任した。

ハプスブルク家の領土はスペインとオランダであった。

カルロス1世の退位後は、皇帝位は弟のフェルディナント1世が相続し、息子のフェリペ2世がスペインのハプスブルク家を相続し、フェリペ2世がオランダも支配した。

しかし、1568年にオランダでスペインの支配を拒否する独立運動が起き、1581年にオランダが独立してネーデルランド連邦共和国の独立を宣言し、オランダ独立戦争が始まり(1568〜1609年)、こうしてハプスブルク家はオランダ領土を失った。

この時代、スペインはアメリカ大陸から大量に銀が流入して繁栄しており、また、1571年のオスマン帝国との海戦であるレパントの海戦にもスペインは勝利したが、オランダに独立されるなどして、しだいにスペインは弱まっていった。

また、イギリスはオランダ独立を支持していた。

1588年、スペイン対イギリスの海戦が起きたが、スペイン海軍はイギリス海軍に敗れて、のちにスペインが衰退する原因にもなった。

1609年にはオランダとスペインの休戦条約が締結され、こうしてオランダは独立を勝ち取った。

1602年、オランダは連合東インド会社(オランダ東インド会社)を設立し、東南アジア・東アジアとの貿易を行った。

オランダのアムステルダムは国際金融の中心的な都市になった。