高等学校世界史B/東地中海の諸民族
フェニキア人( Phonicians )は、海岸付近の地域にシドン( Sidon )やティルス( Tyrus )などの都市国家(港市国家)をつくり、レバノン杉などを用いた船で、地中海貿易をしていた。また、フェニキア人は、北アフリカのカルタゴ( Carthago )に
いっぽう、アラム人がダマスクス( Damascus ; ダマスカスに同じ )を拠点にロバやラクダを利用して大規模な隊商を組織し、イラン高原から中央アジアまでを活動範囲とする内陸貿易をした。このとき、アラム語が国際商業語として用いられた。フェニキア文字から派生したアラム文字が、のちのアラビア文字の原型や、南アジアや中央アジアのさまざまな文字の原型になった。
ヘブライ人( Hebrews )はシリア南部の遊牧民であったが、前1500年ごろから、パレスティナ( Palestine )に定住しはじめた。 ヘブライ人の宗教は一神教であり、ヤハウェ[1](英語:yahveh、アラム語:𐡉𐡄𐡅𐡄)という唯一神を信仰した。前11世紀に、イスラエル王国を建国し、ダヴィデ王(David、在位 前1000〜961年ごろ)のときに、都の場所をイェルサレム( Jerusalem )とした。ヘブライ人は隊商を組織して紅海での海上交易を行った。
イスラエル王国が栄えた時代は、ダヴィデ王の時代と、ダヴィデ王の子のソロモン王(Solomon、在位 前961年〜前922年ごろ)の時代である。ソロモン王の死後、イスラエル王国は南北に分裂した。
北のイスラエル王国(前922ごろ〜前722年)は、アッシリアによって滅ぼされた(前722年)。
南のユダ王国(前922ごろ〜前586)は、新バビロニア王国によって滅ぼされ(前586年)、住民の多くはバビロンに強制連行した。これを
ヘブライ人のこのような苦難の中、ヘブライ人の宗教に、救世主(メシア、Messiah)が現れるという信仰が生まれ、ヘブライ人を神に選ばれた民族とする
そして紀元前528年、アケメネス朝ペルシアによって新バビロニア王国が滅ぼされた。そしてヘブライ人は解放されて、イェルサレムに帰国し、ヤハウェ神殿を建てるなどしてユダヤ教が確立した。
キリスト教の立場で言う『旧約聖書』は、ユダヤ教とキリスト教に共通する教典(正典)であり、イスラム教でも教典の1つとしている。 また、ユダヤ教では唯一の正典『旧約聖書』を単に『聖書』とし、『新約聖書』(に書かれた奇跡)とメサイアとしてのジーザス・クライストを認めていない。
ヘブライ人の一部は、パレスティナではなく、エジプトに移住して、ファラオの支配に従っていた。伝説では、この支配を不服とする者たちが、紀元前13世紀ごろ、ヘブライ人の指導者モーセ( Mose )によって、エジプトを脱出して(
脚註
[編集]- ^ アラム語の表記法においては母音は記されなかった(アブジャド)。この事とモーゼの十戒の1つ「主の御名を妄りに口するなかれ」と相まって、聖四文字を何と読むか、正確な発音は消失した。