高等学校世界史B/19世紀の欧米の文化と社会

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絵画[編集]

19世紀の絵画において「写実主義」や「印象派」という分類があり、検定教科書にも紹介されている通説だが、しかし、この用語は不正確である。

ルノワール『ブランコ』
絵画史では「印象派」の作品とされるが、しかし、(縮小画像で見る限りにおいては)この絵は写実的な画風である。

絵画の「印象派」とされる画家ルノワールは、けっして一つの作風でいくつもの作品すべてを描いたのではない。写実的に描いた作品もあれば、そうでなく印象重視で非写実的に描いた作品もある。

また、彼は、絵画中の光によって色あいの変化を表現を重視したが、光によって色が変化するのは物理的な事実であり、けっして印象ではない。

(※ 「ルノワールの画風が写実的でない」という通説は間違ってます。光によって色が変化するのは、物理的な事実です。要するに、馬鹿な美術評論家のなかには、画力の低い人達がいて、そういう人たちが美術史をつくってきた。)

(印象をそのまま描こうとした画家は、ゴッホです。ゴッホは、日本の浮世絵などに影響を受け、写楽などの作品と似た構図の作品すら残すほどであった。)

※ ルノワールは、それまでの西洋美術において「写実的である」とされている既存の画風について、作品をつくる事で「ちがう」と反対意見を言ってるだけであろう。
ミレー『種まく人』
ミレーの画風は写実主義に分類される。しかし、ミレーの作品は、どの作品でも、色使いが現実の風景よりも暗く、写真のような色使いではなく、ミレーは印象を重視している。ただし、(教科書の小さい画像では分かりづらいが)細かいところまで絵が描かれている。このように、写実主義と印象主義の境界はあいまいである。

ルノワールより少し前の時代に流行したミレーは、農民などを題材にした絵を描き、(現代の美術史では)「写実主義」(リアリズム、realism)に分類される。たしかにミレーの画風はルノワールよりも細部まで描きこまれてる場合が多いが、だが、レンブラントなどの前時代の画家と比べたら、べつにミレーの画風が、特段、レンブラントなどの画風と比較して写真のようなわけではない。(※ レンブラントの作品については『高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会』を参照せよ。)


「写実」という訳語から、ついつい写真のような連想を、われわれ日本人はしてしまいがちである。だが、写実と和訳される前の英語、もともとの英語は realism (リアリズム)であり、直訳すれば 現実主義 という意味である。

では、なにと比べて「現実」なのだろうか。

ミレー『落ち穂ひろい』(おちぼひろい)

じつは、フランス革命以前の絵画では、貴族が画家に絵画作成の注文を出すなどして、貴族などが肖像で描かれることが多かった。貴族以外のものが描かれる場合でも、教会などの注文で、キリストなどの宗教的聖人や、天使などが描かれる場合が多かった。

貴族にしろ、教会にしろ、一般の農民の小作人と比べたら、基本的には、お金持ちであり、権力者であろう。

そういう、お金もち・権力者を描く以前の美術が、「現実的でない」というような意味あいで、ミレーはそれまでは描かれることのなかった貧農を描いたわけである。

もっともミレー以前にも、レンブラントだって『夜警』などの作品で、貴族以外の自警団などの市民を描いてるわけだから、けっしてミレーだけが、いきなり貴族以外のものたちを描く意義を発見したわけではない。

だが、分類の都合上、どこかの時代でわれわれは過去の画家たちの区分を線引きをする必要があり、なので美術史の慣習上、レンブラントは「写実主義」に含まれないと分類され、ミレーは「写実主義」に含まれると分類されることが多い。


ルノワールの画風は、教科書の小さい写真では分かりづらいが、じつは、あまり細かいところを正確には描き込んでなく、細部をボカしている。なので、そこが通説で「写実的ではない」と、現代の評論家から指摘される根拠だろう。

しかし、それは単に解像度の問題にすぎない。現代の評論家たちは、カメラの発明初期の解像度の少ない写真を見て、「写実的ではない」などとタワゴトを言うつもりだろうか?

要するに、「絵は細かいところを描きこまなくっても、重要なポイントを押さえて描けば、そこそこ写実的に見えるし、観客にテーマも伝わるぞ」って事をルノワールは発見して、自身の作品で証明したのである。だから「ルノワールは写実的ではない」と解釈してしまうと、本質を見落としてしまうだろう。

単に光を強調するだけの構図の表現は、少なくとも(フランス革命時に)レンブラントがとっくの昔に描いており、べつにルノワールの発明ではない。

また、そもそも絵画は、なんらかの印象を伝えるために描かれるのである。けっして、ルノワール以前の画家は、印象を伝える気持ちがなかったわけではないだろう。

上述のように、写実主義と印象主義の境界はあいまいであり(※ 帝国書院でも、そういう意見)、あまり厳密には区別できない。

なおミレーが作品をえがいた意図としては、フランス社会の農民の貧しさを伝えるために、政府などに批判的な意味合いでえがかれたのだろう、と考えられている。


ドラクロア『民衆を導く自由の女神』

歴史学的には、美術の風潮の発達の順序としては、

ロマン派 → 写実主義 → 印象派

の順序で発達したとされる。

ロマン派の美術とは、代表例として、よく、19世紀前半の美術のドラクロア『民衆をみちびく女神』の絵がロマン派美術の紹介される(※ 検定教科書でも、そう)。

※ 学者は否定するかもしれないが、19世紀のロマン派とは何かの定義については、あまり定義がハッキリしてない。定義よりもドラクロアなどの作家例・作品例を覚えた方が良いだろう。


文芸[編集]

文学では、ゲーテやシラーが「古典主義」に分類される。しかしゲーテは、べつに古典を目指したわけではない。後世の文学史家が、勝手にゲーテたちを「古典主義」という名前の文芸思潮に分類しているだけである。

さらにゲーテやシラーの若い頃の作品は「ロマン主義」に分類されることもある(※ 実教出版の検定教科書で、そう分類している)。

(※ 範囲外)ゲーテは、当時は文学的な地位の低かったドイツ語を使った文章により、詩や小説、(劇などの)脚本などの文芸が作れることを示したドイツ作家のひとりである。

(※ ハッキリいって、文学史家が馬鹿である。西洋の文系学者は馬鹿なのだ。日本の西洋文学研究者は、無能な西洋学者の研究を、伝言ゲームのように、日本の若者に伝えているだけである。)

※ 単に、ロマン主義の分類におさまらない作品が多く、(後世の評論家が)それらの作品を「古典主義」に分類しただけだろう。

※ 絵を上手にかけない人たちが、美術史の通説をつくってきた。人気小説をかけない評論家が、文学史をつくってきた。

科学[編集]

19世紀後半、ドイツのダイムラー(人名)が(1886年に)ガソリンエンジン自動車を発明した。その後、ドイツのディーゼル(人名)がディーゼルエンジンを(1893年に)発明した。

電気については、イギリスのファラデーが電磁誘導の法則を(1830年代に)発見し、電気・磁気の物理の理論化がすすんだ。(※ ファラデーは物理学や化学でさまざまな量の単位になってるほどの人物であり、しかもその単位が高校物理や高校化学で出てくるので、人名「ファラデー」も覚えよう。)

さらにアメリカにおいて、(1837年ごろ)モールスがモールス信号を発明し、(1875年ごろ)ベルが電話を発明し、また(1870〜90年ごろ)エディソンがさまざまな発明をした。(エディソンの発明は、蓄音機、白熱電球、映画など)

アメリカのこのような発明と同じころ、大衆向けの新聞や郵便も普及してきて、情報伝達の速度が早まった。


また、ドイツのジーメンス(兄)は発電機を(1867年ごろに)改良し、性能を大幅に上げた。また、ジーメンス(兄)はモーターを改良し、電車を発明した。

上述のように、19世紀後半の工業において、アメリカやドイツの工業が発達し、もはやイギリスは「世界の工場」と言えるほどの優位的な地位は無くなっていった。


ダーウィンを批判する風刺画

生物学では、イギリスのダーウィンが(1850年年代に)自然淘汰による適者生存を発見して発見して『種の起源』を(1857年に)著し、進化論を主張した。

(※ じつはメンデルが遺伝の法則を発見したのも、この頃(1865年)である。しかし彼の論文は注目されず、しばらく忘れられた。1900年ごろに生物学者ド=フリース、生物学者チェルマク、生物学者コレンスなどによって、35年ほど前のメンデルの論文が再発見されることになる。)

また、19世紀後半にコッホやパスツールが細菌学のさまざまな発見をしたことにより、予防医学が発達した。


化学では、ノーベルがダイナマイトを発明したのが1867年。(クリミア戦争(1853〜56年)よりも後の時代。)