高等学校世界史B/1970〜2000年ごろの世界
東アジア周辺の経済発展と民主化
[編集]1960〜80年代から、韓国・台湾・シンガポール・マレーシアが工業的に発展してきて、これら4か国はNIES(新興工業経済地域、ニーズ)と呼ばれた。
日本では50〜60年代に高度経済成長と呼ばれる急激な経済発展をとげたが、NIESでは10〜20年ほど遅れて工業化した。
こうして、アジアが発展してきたぶん、欧米からは雇用が流出しはじめた。イギリスが慢性的な不況におちいって「イギリス病」と言われるようになった時期も、この頃(1960年以降?)の時代である。
なお韓国では1963年に軍人の朴正煕(パク チョンヒ)がクーデタを起こして独裁的政権をにぎっており、79年まで政権は続いたので(79年にパクチョンヒは暗殺される)、その情勢下で経済発展したことになる。
日本と韓国の国交回復(1965年)は、パクチョンヒ政権下での出来事である。国交回復の際、韓国が対日賠償請求権を放棄するかわりに、日本は韓国に経済投資を協力することになった。このようにして、韓国に日本などの外資が投資をしていった。
79年にパクチョンヒは暗殺され、80年に光州(こうしゅう)で民主化運動が起きるが弾圧され(光州事件)、その後も数年ほど独裁政権が続いたが、88年に韓国政府は民主化宣言を行った。また、88年にはソウルオリンピックが開催され、国際的な知名度を高めた。
そして、91年に韓国は北朝鮮とともに国連に加盟した。
台湾は、1949年以来、国民党の独裁政権が80年代ごろまで続いたが、アメリカの圧力もあり、87年に戒厳令が解除され、88年に国民党の李登輝が総統に就任して民主化を推進し、2000年までの長期政権を築いた。2000年の選挙では、民進党の陳水扁に平和に政権交代した。
中国では89年に北京の天安門広場で学生などによる民主化運動が起きたが、政府はこれを弾圧した(天安門事件)。
「開発独裁」
[編集]60〜80年代の韓国や台湾が、独裁政権下であったにもかかわらず経済発展が急速だったことから、当時は「開発独裁」などと言われた。しかし2000年代に入ったころからは、独裁的な中国も発展したし、独裁的なロシアはいまいち経済発展しないし、民主主義のインドも経済発展いてきた。
- ※ そもそも歴史的には、ドイツ帝国のヴィルヘルム1世による独裁下での経済発展などもあるし、「開発独裁」という言葉に、あまり経済学的に深い価値は無いだろう。
なお、インドネシアでは1965年に軍部のスハルトがクーデタを起こして政権をにぎり、以降、独裁政権が1996年まで続いた。
フィリピンではマルコスが1965年から独裁をすすめ、20年ほどの長期の独裁をしたが、1986年にフィリピンは民主化。
中国の市場開放は80年代始めから
[編集]中国経済は81年ごろから市場開放的な経済改革(人民公社の解体、生産請負性、など)をしていたが、天安門事件にともない、西側諸国は一時的に経済制裁をしたが、以降も中国は市場開放政策をすすめた。(中国政府は1992年ごろからに「改革・開放」とか「社会主義市場経済」などと言ってたが、べつに90年代から中国が市場開放が始まったわけではない。すでに80年代から中国は市場開放を進めている。)
この90年代ごろから、中国への外資の投資が活発になりはじめ、安い賃金を利用して中国経済は低価格向けの輸出製品を増やし、2000年ごろには成果が出始めて、中国は「世界の工場」と言われるほどになった。
共産圏の独自の市場経済政策
[編集]中国とベトナムでは、ソ連が崩壊する前から、市場経済的な政策を部分的に導入していた。ベトナムが86年に行った「ドイモイ」(刷新)政策が、そのような市場経済的な政策である。ドイモイ政策では、外資からの投資も奨励された。
もっともソ連自身も85年から「ペレストロイカ」(建て直し)や「グラスノスチ」(情報公開)などの改革を進めていた。
通貨危機
[編集]金融業界で1997年に起きたアジア通貨危機も、インターネットの普及が関連していると考えられる。(つまり、ネットの普及により、途上国相手の金融商品の売買をしやすくなった、・・・と考えられる。) アジア通貨危機では、韓国・タイ・インドネシアの通貨が暴落した。
なお、アジア通貨危機よりも前の1994年にメキシコ通貨危機が起きている。
これらの通貨危機では、IMFや世界銀行が融資をしたので、混乱は収束していった。
なお、インドネシアでスハルトの独裁政権が崩壊したのは1998年であり、これはアジア通貨危機の翌年である。
思想・文化など
[編集]心理学者のフロイトが活躍したのが1900年前後。
社会学者のマクス=ウェーバーが活躍したのも1900年前後。
(※ 科目『現代社会』や『倫理』で、フロイトやらウェーバーの名前が紹介されるのです。)
20世紀後半には、フェミニズムという思想が流行った。フェミニズムとは、女性差別を批判する思想。
なおイスラム教の教義は、女性と男性の扱いが明確に違う。イスラム教の教義では、女性は頭髪やボディラインを隠すべきとされている。なので、イスラム教とフェミニズム思想とは、女性の扱いにおいて、思想的に対立する。
フェミニズム思想については教育学などから学問的にも批判が出されており、西洋の女性で中産階級以上で女性で異性愛者の人の立場を前提にしていて差別的である、という批判もある[1]。
「フェミニズムは、有色人種、労働者階級、同性愛者、第三世界(アフリカや南米、中東など)の立場を無視している西洋中心的な発想」であるという批判がある[2]。
入試に出づらいかも?
[編集]技術
[編集]電子技術
[編集]真空管をつかったコンピューターが第二次大戦中の1940年代に発明されるが、一般市場には、まだ普及していない。
デバイスが真空管でなく半導体になるのが1970年代ごろからである。 そして、大企業ユーザーなどでない一般人用のコンピュータであるパソコンが普及し始めるのは、1980年代の後半ごろからである。
インターネットが普及するのは90年代からである。
携帯電話は、1980年代から存在していたが、普及したのは1990年代からである。
生物学でヒトゲノム計画(人間の遺伝子配列のパターンを解析する計画)が始まったのは1991年からである。もちろん、コンピュータが普及したから、こういうゲノム研究が出来るわけである。(なおDNAが発見されたのは1953年である。)
イギリスが1960年代ごろから不況に陥ったりするが、コンピュータ技術は時期的に関係しないようである。
航空技術および宇宙進出
[編集]飛行機は(1910年代の)第一次世界大戦よりも前にライト兄弟などによって発明されており、第一次世界大戦では兵器として利用された。
しかしジェット機が発明されたのは(1940年代の)第二次世界大戦からである。
- (※ なお「ジェット機」というのは、燃料を噴出して飛ぶ飛行機のこと。それまでの飛行機は、プロペラを回して飛ぶ仕組み。)
- (※ ジェット機の利点として、高速であることと、高度が高いことがある。高度が高くなると、空気がうすくなるため、プロペラ機では上がれないのである。)(※ 音速に到達する飛行機の技術も、ジェット機の技術。)
- (※ ウィキペディア『第1世代ジェット戦闘機』の記事によると、B29(WW2中の東京大空襲などに利用された飛行機)は、ジェット機ではないらしい。)
(ロケット的なものは第二次世界大戦中にあったが、)ロケットの開発が進んだのは、戦後の冷戦中であった。 また、ロケット技術と関連して、人工衛星の打ち上げの実験なども行れた。1957年にソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功したのが、おそらく世界初の人工衛星。
アメリカは月面着陸を目指したアポロ計画が1969年に成功し、1969年に人類を初めて月面に着陸させた。
- (※ ロケットもジェット機も、燃料を噴出して飛行するという仕組みは同じ。現在では、打ち上げ用に使われるものを「ロケット」と呼ぶのが一般的。なお兵器用のロケットは、打上げ用ロケットに弾薬などを搭載したもの。)