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高等学校倫理/中国の思想Ⅰ

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

天の思想

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中国思想において、宇宙を支配する者がである。古代思想の基となった書の一つである『書経』の時代には天は天帝として擬人化され、一種の神のような存在とされた。

戦国時代には再び抽象的な存在として認識されるようになり、人間と天との関連を説く天人相関、天人合一の考え方が生まれるようになった。

さて、天(天帝)は人間世界の望ましいあり方を天命として人間に命じる。そして、天命を受けて人々を導く存在が天子である。天子は周代には(周)王であったが、始皇帝による統一の後には皇帝が天子とみなされるようになった。

天子は社会の指導者であり、天命にしたがって人々に役割を与え、それを十分に果たせば人々は幸福に暮らせる。しかし、天子が天命に背く行いをすれば、人々はひどい政治だけでなく、災害や戦争などによって苦しめられる。そうなれば、天は別の人物に天命を下し、新たな天子となる。これが易姓革命である[1]

そのため、指導者が天命を知ることは社会秩序を正し、人々の生活を平和にするために必要不可欠なことであった。

周王朝の制度

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こうした天の思想が確立したのが周王朝の時代であった。周の支配のベースとなったのは血族内の祭祀から生まれた慣習的ルールであったであった。天子たる周王は天の祭祀もつかさどっていた。

また、周は血族や盟約によって結ばれた氏族を諸侯に封じて土地や人民を世襲される封建制度を確立する。こうした制度は単なる社会制度にとどまらず、祭礼や共同体内の扶助とも結びついていた。

戦国時代の到来と諸子百家

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しかし、紀元前8世紀ごろになると周王朝の勢力が衰えてゆき、かわって諸侯が強い力を持つようになった。諸侯は富国強兵策をとり、領地の内外から優秀な人材を求めた。それに呼応した様々な思想家たちを諸子百家という。

現在の諸子百家の分類は『漢書』芸文志に準拠している。それによれば、次のように分類されている。

  1. 儒家
  2. 道家
  3. 陰陽家
  4. 法家
  5. 名家
  6. 墨家
  7. 縦横家
  8. 雑家
  9. 農家
  10. 小説家

ただし、この中から小説家を省き、九流百家ともいう[2]。また、兵家を入れて十流とすることもある。

儒家、道家、法家、墨家については別ページに譲ることとする。ここでは前述の4派以外の学派について紹介しよう。

陰陽家の思想家として、鄒衍(すうえん)が挙げられる。彼の著作は残っていないが、『史記』などに概略が残されている。それによれば、世の栄枯盛衰と瑞祥との対応を検討する。その際に鄒衍は火・水・木・金・土の5つの徳の転移を見出す(五行思想)。

名家は論理学あるいは言語哲学の学派といえる。思想家には恵施と公孫龍が挙げられる。特に公孫龍は言葉と物の関係を考察し、分類分けを行った。その中でも有名なものが白馬非馬論である。これは、形に命名した「馬」と色彩に命名した「白」とは別のものであり、これらが複合した白馬は馬とは別のものであるという論である。公孫龍の説は現代哲学とも通底するテーマを持っていたが、難解であることやその後の発展が進まなかったこともあって単なる詭弁術と見なされた。



  1. ^ 易姓革命の思想は後に、孟子によって儒家の思想に位置づけられる。
  2. ^ 浅野裕一『諸子百家』(講談社)p.12