高等学校古典B/方丈記

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鴨長明。伝・土佐広周(とさ ひろかね)筆。

『方丈記』の作者は、鴨長明(かもの ちょうめい、かもの ながあきら)。随筆である。 鎌倉時代の初期ごろの作品であり、一二一二年(健暦二年)ごろに成立。

『徒然草』の作者の兼好法師(けんこうほうし)と間違えないように。兼好法師と鴨長明とは、別人である。

『方丈記』の文体は和漢混交文(わかん こんこうぶん)。 そもそも和漢混交文の文体が日本で定着した時期が、この鎌倉時代の初期のころである。 (なお、日本最古の和漢混交文の作品は『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)であると一般に言われている。)京都の鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継(かもの ながつぐ)の次男として生まれた。

『平家物語』や『徒然草』よりも、『方丈記』は古い。

『平家物語』と『徒然草』は、『方丈記』の影響を受けていると思われれる。

鴨長明の生きた時代は、源平の合戦の時代の前後にあたり、鴨長明の人生観には、この争乱および、作中で語られた災害(飢饉など)などが、作中の無常観などに影響を与えていると思われる。

ゆく河の流れ[編集]

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  • 大意

世の中のものはすべて、いつかは死んで滅びる。一見すると、長年変わりのないように見える物でも、たとえば川の流れのように、古いものが消えては、新しいものが来ているという結果、外から見ると川の形が変わらずに見えているだけに過ぎないように、じつは川の中身が変わっており、川の昔の水は流されてしまうように、決して、ある人が永久に繁栄しつづけることは出来ない。

  • 本文/現代語訳

ゆく河(かわ)の流れ(ながれ)は絶えず(たえず)して、しかも、もとの水(みず)にあらず。よどみに浮かぶ(うかぶ)うたかたは、かつ消えかつ結びて(むすびて)、久しく(ひさしく)とどまりたるためしなし。世の中にある人(ひと)とすみかと、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ(ならべ)、甍(いらか)を争へる(あらそえる)、高き(たかき)、卑しき(いやしき)、人の住まひ(すまい)は、世々(よよ)を経て(へて)尽きせぬ(つきせぬ)ものなれど、これをまことかと尋ぬれば(たずぬれば)、昔ありし家は稀(まれ)なり。あるいは去年(こぞ)焼けて今年(ことし)作れり(つくれり)。あるいは大家(おほいへ)滅びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中(なか)に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡(あわ)にぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、いづ方(かた)より来たりて、いづ方(かた)へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔(あさがお)のに異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

流れゆく川の流れは絶えることなくて、それでいて、もとの水ではない。よどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では出来て、長い間とどまっている例はない。世の中にある人と住みかとは、また、このようである。

玉を敷いたように美しい京の都の中に、棟(むね)を並べて、甍(いらか)を競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、世代を経ても無くならないものであるが、これを本当かと調べてみると、昔からあった家は珍しい。ある場合には去年焼けて今年作った物である。ある場合には、大きな家が滅んで小さな家となる。住む人も、これと同じである。 場所も変わらず、人も多いけれど、昔見た人は、二、三十人のうち、わずかに一人か二人である。朝に(誰かが)死に、(その一方で、)晩に(誰かが)生まれる世の習いは、まさしく水の泡に、よく似ている。

(私には)分からない、生まれてきて(そしていつか)死ぬ人は、どこから来て、どこへ去るのか。また分からない、(一時的にすぎない)仮の住まいに、誰のために心を悩まし、何によって目を喜ばせるのか。その(家の)主人と住まいとが、無常を競う様子は、まるで朝顔の露のように変わりない。ある場合は露が落ちて花が残っている。(しかし)残るといっても翌朝には枯れてしまう。ある場合は花がしぼんで、露が消えない。消えないといっても晩を待つことは無い。(露は晩まで残れない。)


  • 語句(重要)
・絶えずして - 「絶え」は動詞「絶ゆ」の未然形。「して」は接続助詞。
よどみ - 川などの流れの一部分が、障害物で停滞すること、または停滞した部分。現在でも、文学に限らず、川や風などの液体・気体の流れで、障害物などにより、周囲よりも流れが遅くなり停滞している箇所がある場合、そのように流れの停滞している箇所の事を、「よどみ」(淀み)と言う。
かつ消えかつ結びて - 「かつ」は副詞。「かつ」の意味は「一方では」。「一方では消えて、もう一方では出来て」。
ためし - 前例。先例。
かくのごとし - このようなものである、の意味。「ごとし」は比況の助動詞
・いやし(賎し、卑し) - 身分が低い。
・知らず、(※中略)、いづ方(かた)へか去る - 倒置法により、動詞が先に来ている。
・たがためにか心を悩まし - 「か」は係助詞だが、「悩まし」は連体形であるが、係り結びだからではなく、文が続くからである。係り結びが流れている。
・何によりてか目を喜ばしむる - 「たがためにか心を悩まし」と対句的な表現になってる。「しむる」は使役の助動詞「しむ」の連体形。
・無常 - 仏教用語で、すべてのものは生滅や変化をしつづけ、同じ状態ではいられず、永遠であることは出来ないということ。
・露 - はかない物のたとえとして、よく古文で用いられる。
  • 語注
・うたかた - 水面の泡。
・たましきの - 「玉敷きの」のことで、宝石を敷いたように美しい、という意味。
・甍(いらか) - 屋根瓦(やねがわら)。
・去年(こぞ) - 意味は、現代の「去年」(きょねん)と同じ。読みが「こぞ」と読むことに注意。

対句になってる箇所[編集]

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

において、それぞれ対句は、

・「ゆく川の」 と 「よどみに浮かぶ」
・「流れは」 と 「うたかたは」
・「絶えずして」 と 「かつ消えかつ結びて」
・「しかも・・・あらず」 と 「ひさしく・・・ためしなし」

「ゆく川」と「もとの水」 などのように対句になっている。参考書によって区切り方が微妙に違うので、あまり厳密には、こだわらなくて良いだろう。

次の文の 「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」にも対句がある。

・「人」 と 「すみか」

が対句になっている。

他の文にも、多くの対句的な文もある。

「たましきの・・・小家となる」の文では、

・「棟を並べ」 と 「甍を争へる」
・「高き」 と 「いやしき」
・「去年焼けて」 と 「今年作れり」
・「大家滅びて」 と 「小家となる」

が対句。

「あるいは露落ちて花残れり」の文では

・「露落ちて」 と 「花残れり」

などが対句。

他にも、多くの対句がある。「住み人も・・・似たりける」の文や、「知らず・・・異ならず」の文などに、いくつもの対句がある。 「住み人も・・・似たりける」の文では、

・「所も変はらず」 と 「人も多かれど」
・「朝に死に」 と 「夕べに生まるる」

が対句。

「知らず・・・異ならず」の文では、

・「生まれ」 と 「死ぬる」
・「いづかたより来たりて、」 と 「いづかたへか去る。」
・「たがためにか心を悩まし」 と 「何によりてか目を喜ばしむる」
・「あるじ」 と 「すみかいづかたへか去る。」

が対句。

このように、方丈記では対句が多く用いられている。 対句法のほかにも技巧は使われており、「知らず」などのように倒置法が用いられている。

大火とつじ風[編集]

安元の大火[編集]

  • 大意

都ですら、けっして変わらないことはできず、火事になってしまえば、火も広がりやすい。なのに、どうして世間の人は都に家を建てたがるのだろうか。住まいにこだわるなんて、つまらないことである。

  • 本文/現代語訳

予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(はるあき)を送れる間(あいだ)に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。

いんじ安元三年四月(うづき)二十八日かとよ。 風激しく吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、都の東南(たつみ)より火出で来て、西北(いぬゐ)に至る。果てには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいごくでん)・大学寮・民部省などまで移りて、一夜(ひとよ)のうちに塵灰(ぢんくわい)となりにき。

火(ほ)もとは、樋口富小路(ひぐちとみのこうぢ)とかや。舞人(まひびと)を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇を広げたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)にむせび、近きあたりはひたすら炎を地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる炎、飛ぶがごとくして、一、二町を越えつつ移りゆく。

その中の人、うつし心あらんや。あるいは煙にむせびて倒れ臥し、あるいは炎にまぐれてたちまちに死ぬ。あるいは身一つ辛うじてのがるるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝(しつちんまんほう)さながら灰燼(かじん、かいじん)となりにき。その費(つひ)え、いくそばくぞ。 そのたび、公卿(くぎやう)の家十六焼けたり。まして、そのほか数へ知るに及ばず。すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女(なんによ)死ぬるもの数十人。馬牛のたぐひ辺際(へんさい)を知らず。

人の営み、みな愚かなる中に、さしも危ふき京中の家を作るとて、財(たから)を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞはべる。

私が、物事の道理を分かるようになった時から、四十余年の年月を過ごしているうちに、世の不思議をみることが、しだいに度重なった(たびかさなった)。

去る安元三年(一一七七年)の四月二十八日だったか、風が激しく吹いて、静かでなかった夜、午後八時ごろ、都の東南より火事が起き、北西まで至った。しまいには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいごくでん)・大学寮・民部省などにまで(燃え)移り、一夜のうちに、塵と灰になった。 火元(の場所)は、樋口富(ひぐちとみ)の小路(こうぢ)だとか聞く。舞人を宿泊させていた仮屋より(火が)出てきたという。

吹き迷う(=吹き乱れる?)風によって、(火は)あちこちへ移りゆくしだいで、(まるで)扇を広げた(形の)ように末広がりになった。遠くの家では煙にむせかえり、近い所では、とにかく炎が地に吹きつけられた。空には灰を吹き上げており、(灰が)火の光に照らされ、あたり一帯が真っ赤になっている中に、風にこらえきれず、吹きちぎられた炎が、(まるで)飛ぶようにして、一、二町を越えながら(燃え)移ってゆく。その中にいる人は、生きた心地がしなかったであろう。

ある人は煙にむせて倒れ伏し、ある人は炎に目が眩んで、たちまちに死ぬ。ある人は体一つで、やっとのことで逃げられても、家財を取り出すことはできない。たくさんの珍しい宝物が、うっかり灰となってしまった。その損失は、どれほどだろうか。(数え切れないほどに大きな損失額だろう。)

その(火事の)とき、公卿(=朝廷での上級の貴族階級の一つ)の家が十六軒、焼けた。まして、そのほか(の者の家の消失)は、数えて知ることができない(ほどに多い)。(火事の被害の)すべては、都のうち、三分の一に(被害が)及んだという。男女の死んだ者は数十人。馬や牛にいたっては、どれほどかも分からない。

人の営みは、すべて、愚かである中に、こんなに危険な京の中に家を建てて、財を費やし、心を悩ますことは、とりわけつまらない事である。


  • 語句(重要)
とかく - あちらこちら。
さながら - すっかり。全部。
・おろかなり - 愚かだ。
・あじきなし - つまらない。
・ - 。
  • 語注
・ものの心 - 物事の道理。
・いんじ - 「いにし」(往にし、去にし)の撥(はつ)音便。
・安元三年 - 一一七七年。
・戌の刻ばかり - 午後八時ごろ。
・朱雀門 - 大内裏の南側にある正門。
・大極殿 - 朝廷の正殿。
・大学寮 - 官吏を養成する教育機関。
・民部省 - 戸籍・徴税などをつかさどる機関。
・樋口富小路(ひぐちとみのこうぢ) - 樋口小路と富小路との交差した場所。
・一町 - 長さの単位、および面積の単位。長さの場合、約百九メートル。面積の場合、約百二十平方メートル。
・うつし心 - 正気。平常心。この方丈記の文では、文脈から「生きた心地」。
・まぐれて - 目がくらんで。
・公卿 - 朝廷の三位以上の上級貴族。
・ - 。

つじ風[編集]

  • 大意

治承四年、大きなつむじ風によって、京の都が甚大な被害を受けた。まるで地獄の業の風かと思うような、すさまじさだった。


  • 本文/現代語訳

また、治承(ぢしょう)四年卯月(うづき)のころ、中御門京極(なかみかどきやうごく)のほどより大きなる辻風(つじかぜ)起こりて、六条(ろくじょう)わたりまで吹けることはべりき。

三、四町(ちょう)を吹きまくる間(あいだ)に、篭もれる家ども、大きなるも、小さきも、一つ(ひとつ)として破れざるはなし。さながら平ら(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)柱(はしら)ばかり残れるもあり、門(かど)を吹き放ちて四、五町がほかに置き、また垣(かき)を吹き払ひて隣と一つになせり。いはむや、家の内の資材、数(かず)を尽くして空にあり。檜皮(ひはだ)・葺板(ふきいた)の類ひ(たぐい)、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵(ちり)を煙(けぶり)のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびただしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業(ごふ)の風なりとも、かばかりにこそとぞおぼゆる。家の損亡(そんまう)せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を損なふ人、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。

つじ風は常に吹くものなれど、かかることやある。ただことにあらず、さるべきものの論しかなどぞ、疑ひはべりし。

また治承四年の四月のころ、中御門京極のあたりから、大きなつむじ風が起こって、六条大路のあたりまで吹いたことがありました。

三、四町を吹きまくる間に、(つむじ風の中に)入っていた家々は、大きな家も小さな家も、一つとして壊れない物はない。まるごと(家全体が)ぺしゃんこに倒れた家もあり、桁や柱だけが残った家もある。門を吹き飛ばして四、五町も離れた所まで行った例もあれば、また、垣根を吹き飛ばして隣の家と一つになった例もある。まして、家の中の家財は、数限りなく空を舞い、檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)の類は、(まるで)冬の木の葉が乱れ飛ぶようである。塵を煙のように吹きたてているので、まったく視界も見えず、ものすごく(風音が)鳴り響くので、(人々が)言う声も聞こえない。あの地獄の業の風も、これくらいと思われる。家の損失だけでなく、これを修理している間に、けがをして、身体障害者になった人も(多くて)数知れない。この風は、南南西の方角に移っていって、多くの人を嘆かせた。

つむじ風はよく吹くものであるが、こんなこと(=治承四年のつじ風)があるだろうか(いや、今までこんなにひどい風は無かっただろう)、ただごとではない、しかるべき神仏のお告げか、などと疑いました。


  • 語句(重要)
・ - 。
  • 語注
・治承(ぢしょう)四年 - 一一八〇年。
・中御門京極(なかみかどきょうごく) - 中御門大路と京極大路との交差する場所。
・辻風(つじかぜ) - 竜巻。つむじ風。
・地獄の業(ごう)の風 - 地獄で吹く暴風。地獄に落ちた悪人の、悪事の重さに応じて、強い風が吹いて、苦しめる。
・未(ひつじ)の方 - 南南西。
・ - 。

養和の飢饉[編集]

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  • 大意

養和の頃、干ばつ・大風、洪水などにより不作となり、大きな飢饉があった。京の路上には物乞いがあふれた。

  • 本文/現代語訳

また養和(やうわ)のころとか、久しくなりて確かにも覚えず、二年(ふたとせ)が間(あひだ)、世の中飢渇(けかつ)して、あさましきこと侍りき(はべりき)。あるいは春・夏、ひでり、あるいは秋・冬、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀(ごこく)ことごとくならず。夏植うる営み(いとなみ)ありて、秋刈(か)り、冬収むるぞめきはなし。

これによりて、国々の民、あるいは地を捨てて境(さかひ)を出で、あるいは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈り(おんいのり)始まりて、なべてならぬ法(ほふ)ども行はるれど、さらにそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操(みさお)もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物(たからもの)、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金(こがね)を軽く(かろく)し、粟(ぞく)を重くす。乞食(こつじき)、道のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。

また養和のころであったか、長い年月が経ってしまったので正確には覚えていないが、二年の間、世の中では飢饉になって、驚きあきれるほどにひどい事がありました。ある場合は春・夏に日照り(=干ばつ)、ある場合は秋に大風・洪水など、よくない事が次々に続いて、穀物はまったく実らない。夏に(苗を)植えるという仕事があっても、(なのに)秋には刈りとって冬には収穫するというにぎわいは無い。これ(=不作)によって、諸国の民は、ある者は土地を捨てて境(=国境など)を出て、ある者は家を放置して山に住む。(寺社では、)いろいろなご祈祷が始まって、並々ならぬ修法も行われるが、まったくその効果が無い。京の習わしとして、何事にしても、すべて、元は田舎を頼りにしているのに、まったく(京に)送りこまれる物がないので、そのようにばかり体裁を保てるだろうか(いや、保てない。)こらえかねて、さまざまな財宝を手当たり次第に捨てるように(売ろうとして穀物と交換しようと)するけど、まったく目をとめる人もいない。たまたま(財物と穀物とを)交換する者は、黄金(の価値)を軽くし、穀物(の価値)を重くする。物乞い(ものごい)が道端(みちばた)に多く、嘆き悲しむ声がどこでも聞こえた。


  • 語句(重要)
・あさましき - 驚きあきれるほど、ひどい。
・ひでり - 干ばつ。日照りのこと。
・ - 。
  • 語注
・養和 - 一一八一年から翌年までの年号。
・五穀 - 本来は米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆のことだが、ここでは穀物全般のこと。
・ぞめき - にぎわい。
・ならひ - 習慣。習わし(ならわし)。
・念じわびつつ - 我慢しかねる。こらえきれない。
・目見立つる - 目をとめる。
・耳に満てり - あちこちで聞かれる。至る所で聞かれる。
・ - 。

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  • 大意

翌年になっても飢饉は終わらず、さらに疫病までもが流行した。道端は死体であふれかえり、腐臭で満たされていた。さらに、薪(たきぎ)さえも不足して、人々は自分の家を打ち壊して薪として売る者もいた。中には仏像や仏具を盗み出して薪として売りさばく者もいた。

  • 本文/現代語訳

前の年、かくのごとく、からうじて暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさざまに跡形なし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまりゆくさま、少水(しょうすい)の魚(うお)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞ひ歩く(こいありく)。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香(か)世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。

あやしき賤(しづ)山(やま)がつも力尽きて、薪(たきぎ)さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価(あたい)、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹付き(につき)、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひ混じはりけるを尋ぬれば、すべき方なきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世(じょくあくせ、じょくあくのよ)にしも生まれあひて、かかる心憂き(こころうき)わざをなん見侍り(みはべり)し。

前の年は、このようにして、ようやく暮れた。翌年は、(飢饉から)立ち直るかと思われたが、さらに疫病も加わって、いっそう激しくなり、(飢饉から直るような)形跡は無い。世の人は皆、飢えきってしまったので、日がたつにつれて、(惨状が)限界に達する様子は、「少水の魚」(=少ししかない水に住む魚)のたとえに当てはまる。しまいには、笠をかぶり、足を包み、相当な身なりをしている者が、いちずに家ごとに物乞いをして歩く。このように、困窮して呆然とした人が歩いているのを見てたら、いきなり倒れ伏してしまったりもする。土塀(どべい)のそばや、道端に、飢え死にする者のたぐいは、数え切れない。 (死体を)取り片付ける方法も分からないので、臭いにおいが、あたりに満ち満ちて、(死体が腐って)変わっていく顔形や(体の)様子は、目も当てられないことが多い。まして、(鴨川の)川原などには、(死体が多く転がっており)馬や車の行きかう道さえ無い。

身分の低い者や木こりさえも力が無くなり、薪さえ欠乏していくので、頼るところの無い人は、自分の家をこわして、(それを薪として)市に出て売る。一人が持って出た値段は、一日の命(をつなぐ食費)にさえ及ばない。不思議なことには、薪の中に赤い塗料が着いており、緊迫などが所々に見える木が、混じっているのを(これは何なのかと)調べてみると、どうしようも無くなった者が、古寺に行って仏像を盗み、お堂の道具を壊して取って、割り砕いたのであった。(仏法の廃れた)汚れ果てた世に生まれて、このような情けない仕業(しわざ)を見たのでした。



  • 語句(重要)
からうじて - 「からくして」のウ音便。やっとのことで。
・あまりさへ - そのうえ。さらに。
・ひたすらに - いちずに。ただもう。
・頼む - 当てにする。面倒を見てもらう。
・あやしき賎山がつ - ここでの「あやし」は身分が低いの意味。山に住む身分の低い者。木こりや猟師などのこと。
・あやしきこと - ここでの「あやし」は不思議の意味。
・尋ぬれば - 調べれば。
・ - 。
  • 語注
・明くる年 - 養和二年。
・疫癘(えきれい) - 疫病。
・少水の魚 - 死が目前に迫ってることのたとえ。『法句経』『往生要集』などにある言葉。
・笠うち着、足引き包み - 高貴な婦人の服装。市女笠(いちめがさ)などをかぶり、素足をみせないように足を包んだ服装。
・山がつ - 木こりや猟師など、山に住む者で、身分の低い者。
・赤き丹(に) - 赤色の塗料。
・濁悪世(じょくあくせ) - 仏教用語であり、末法の世の中のこと。五濁十悪(ごじょくじゅうあく)の世のこと。

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  • 大意

夫婦間では、愛情の深いほうが先に死ぬ。なぜなら相手に食べ物をゆずるからである。親子間では、きまって親が先に死ぬ。

  • 本文/現代語訳

また、いとあはれなる事も侍りき。

さりがたき妻(め)・をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり。されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳(ち)を吸ひつつ、臥(ふ)せるなどもありけり。

また、たいそう「あはれ」な(※訳に諸説あり 「しみじみとする」?、「悲しい」?)こともありました。離れられない妻や夫を持っている者は、その愛情が(相手よりも)まさって深い者が、必ず(相手より)先に死ぬ。そのわけは、自分のことは後回しにして、相手をかわいそうだと思っているので、ごくまれに入手した食べ物を、相手にゆずるからである。なので、親子の場合は、決まったことで、親が先に死ぬ。また、母の命が無くなったことを気づかずに、おさない子が、それでも(母の)乳を吸い続けて横になっている事などもあった。


  • 語句(重要)
・いとけなき - 幼い。
・なほ - 「やはり」「そのまま」「相変わらず」など多くの意味があるが、どの意味の場合でも、ある状態が持続している時に用いる。
・ - 。
  • 語注
・まれまれ - ごくまれ。
・かれ - 男女に関係なく用いられる人称代名詞。
・ - 。

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  • 大意

仁和寺(にんなじ)にいる隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という僧は、路上で行き倒れになっている死体を、せめて死体を成仏させようとして、額に「阿」の字を書いて、成仏させた。

死体の数は、京の一部地域だけでも、四月・五月の、たったの二ヶ月だけで四万二千三百余りということだ。、 まして、この前後の月日も飢饉で人が死んでおり、京のほかの場所でも人が死んでおり、日本全土での死者の数は、検討もつかないほどに多いだろう。

  • 本文/現代語訳

仁和寺(にんなじ)に隆暁法印(りうげうほふいん)といふ人、かくしつつ数も知らず、死ぬる事を惜しみて、その首の見ゆるごとに額に阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人数を知らむとて、四、五、両月を数へたりければ、京のうち一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の路のほとりなる頭(かしら)、すべて四万二千三百余りなんありける。いはむや、その前後に死ぬる者多く、また、河原、白河、西の京、もろもろの辺地(へんち)などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはむや、七道諸国をや。

仁和寺(にんなじ)に隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という人(がいて)、このようにして(人々が)数も分からないほどに(I多く)死ぬ事を悲しんで、その死人の頭の見えるたびに額に「阿」(あ)の字を書いて、仏縁を結ばせ(成仏させ)る事をなさった。(隆暁法印が、死者の)人数を知ろうとして、四月・五月の二ヶ月を数えたところ、京のうち、一条から南、九条から北、京極よりは西、朱雀よりは東の路の道端にある(死体の)頭、合計で四万二千三百余りであった。まして、その(二ヶ月の)前後に死んだ者も多く、また、河原、白河、西の京、もろもろの辺ぴな土地などを加えて言えば、きりがない。さらにもまして、(日本全土の死者数として、京に加えて)七道諸国を加えたら、どうなるだろうか。(もはや、とほうもない数だろう。)


  • 語句(重要)
・ - 。
・ - 。
・ - 。
・ - 。
  • 語注
・ - 。
・川原 - 。
・返地(へんじ)- 辺鄙(へんぴ)な土地。ここでは京都近郊の、やや田舎じみた土地のこと。
・七道諸国 - 「七道」は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道。