コンテンツにスキップ

高等学校古典B/漢文/人之性悪

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

人の性は悪なり
(ひとのせいはあくなり)

荀子(じゅんし)


原文[編集]

人之性惡,其善者偽也。今人之性,生而有好利焉,順是,故爭奪生而辭讓亡焉;生而有疾惡焉,順是,故殘賊生而忠信亡焉;生而有耳目之欲,有好聲色焉,順是,故淫亂生而禮義文理亡焉。然則從人之性,順人之情,必出於爭奪,合於犯分亂理,而歸於暴。故必將有師法之化,禮義之道,然後出於辭讓,合於文理,而歸於治。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。

書き下し文[編集]

人(ひと)の性(せい)は悪(あく)なり。其の(その)善(ぜん)なるは偽(ゐ)なり。今、人の性(せい)、生まれながらにして利(り)を好む(このむ)こと有り(あり)。是に(これに)従ふ(したがふ)、故に(ゆえに)争奪(そうだつ)生じて辞譲(じじょう)亡ぶ(ほろぶ)。生まれながらにして疾悪(しつお)有り。是に(これに)従ふ(したがふ)、故に(ゆえに)残賊(ざんぞく)生じて忠信(ちゅうしん)亡ぶ(ほろぶ)。生まれながらにして耳目(じもく)の欲(よく)有り(あり)、声色(せいしょく)を好む(このむ)こと有り(あり)。是に(これに)従ふ(したがふ)、故に(ゆえに)淫乱(いんらん)生じて礼儀(れいぎ)・文理(ぶんり)亡ぶ(ほろぶ)。

然らば(しからば)則ち(すなわち)人(ひと)の性(せい)に従ひ(したがい)、人の情(じょう)に順はば(したがはば)、必ず(かならず)争奪(そうだつ)に出で(いで)、犯分乱理(はんぶんらんり)に合して(がっして)、暴(ぼう)に帰す(きす)。故に(ゆえに)必ず(かならず)将(まさ)に師法(しほう)の化(か)、礼儀(れいぎ)の道き(みちびき)有りて(ありて)、然る(しかる)後に(のちに)辞譲(じじょう)に出で(いで)、文理(ぶんり)に合して(がっして)、治(ち)に帰(き)せんとす。此を(これを)用て(もって)之を(これを)観れば(みれば)、然らば(しからば)則ち(すなはち)人(ひと)の性(せい)は悪なる(あくなる)こと明らか(あきらか)なり。其の(その)善(ぜん)なる者(もの)は偽(ゐ)なり。

句法[編集]

語釈・語彙[編集]

性(せい) - 本性(ほんしょう)。生まれながらにもっている性質。
偽(ぎ) - 人為(じんい)。作為(さくい)。人工物。「うそ・いつわり」ではない。
辞譲(じじょう) - へりくだり、譲り合うこと。
疾悪(しつお) - ねたみ、憎むこと。
残賊(ざんぞく) - 人を傷つけ、損なうこと。「残」「賊」ともに、「損なう」の意味
忠信(ちゅうしん) - まごころと誠実。
声色(せいしょく) - 美しい音楽や、美しい色彩・女性など。
淫乱(いんらん) - 人の道から外れること。「淫」とは、道から外れること。
文理(ぶんり) - 筋道(すじみち)、秩序(ちつじょ)。
犯文乱理(はんぶんらんり) - 秩序を犯し(おかし)、乱すこと。
帰於暴(ぼうニきス) - 混乱状態に陥る(おちいる)。
必将(かならズ) - 意味は、「かならず先に〜があって、その後に・・・が起きる」のような意味。「必将」の二字で「かならず」と読むのが普通。ただし、教科書によっては、「必ず 〜 将に ・・・」(かならズ 〜 まさニ ・・・ )と読む場合もある(教科書によって違う)。
師法(しほう)の化(か) - 師(し)の教え(おしえ)による教化(きょうか)。
-
道(みちびキ) - 「導き」と同じ。
然後(しかルのちニ) - そうして初めて。そのあとで。
-

現代語訳[編集]

人の本性は悪である。その本性が善であるというのは、(後天的な)人為の結果である。 さて、人の本性とは、生まれながらにして利益を好むものである。(人々は)この本性に従うため、争い奪い合うことが起きて、譲り合うことはなくなる。生まれながらにして、ねたみ憎む心がある。これに従うため、傷つけあうことが生じ、真心(まごころ)がなくなる。 生まれながらにして(美しいものを見聞きしたいという)目や耳の欲望があり、音楽や美女を好む。 これに従うため、道に外れた行いが起こり、礼儀や秩序がなくなる。

以上のとおりだとすると、(もし)人が本性に従い、感情に従うと、必ず争いごとや奪い合いが生じて、秩序は犯され乱れてしまい、混乱状態に陥る。だから(混乱に陥るのを防ぐため)、必ず教師や規範による教育、礼儀の指導があって、こうしてから譲り合いの心が生じて、筋道にかない、世の中がうまく治まる。

これらのことを見てみると、人間の本性は悪であることは明白である。その(本性が)善であるという(ふうに見えるのは)(教育などによる)人為の結果なのである。

性悪説[編集]

人間の本性(ほんしょう、ほんせい)は悪であるとする思想を、性悪説(せいあくせつ)という。

荀子(じゅんし)は、性悪説をとなえた。

ただし、荀子の主張の本当の狙いは、教育によって人々を善に導くことの意義を主張することであろう。

「性悪説」という字面(じづら)だけを一見すると、性善説の孟子(もうし)の主張と、荀子などの性悪説とは対立するように見える。

しかし、性善説の孟子も、性悪説の荀子も、譲り合いの心を道徳とする視点が、一致している。


思想の系統[編集]

荀子は儒家に属するが、荀子の弟子に、のちの法家の祖となった韓非子(かんびし)がいるので、荀子は法家の源流とも見られる。

備考[編集]

本作品では書かれてないが、荀子の『礼論』(れいろん)などを読むと、荀子は、欲望を悪の根源と考えている。しかし荀子は、欲望そのものは禁止しておらず、禁止すべきは、必要最低限を大幅に超えた、度が過ぎた欲望を禁止すべきとしているのである。また欲望をなくすことも不可能だと考えている。度がすぎた欲望に流された行動で人々が傷つけ合うことを防ぐために、手段として、礼儀が必要だと考えているのである。

また、国王などの為政者は、人々が必要最低限の欲望を満たせるようにするために、きちんとした政治を行うべきである、と荀子は考えていた。