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高等学校古典B/漢文/四面楚歌

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

『鴻門之会』のあと、項羽は楚の王として即位し、沛公を漢王として当時は田舎であった蜀の地に追いやる。

その後、項羽は、反乱軍の盟主であった懐王(かいおう)と対立し、懐王を殺してしまう。

このことにより、項羽に不満のあった諸侯たちが反発し、その結果、それらの反発勢力を上手くまとめた沛公の陣営が強大化してしまう。

そして、()(かん)との戦争になる。

()の王は項羽である。(かん)の王は劉邦(沛公・高祖)である。

なお、范増(はんぞう)は、すでに項羽のもとから去っている。

そして、項羽の軍勢は負け、つまり項羽の軍が負けており、項羽たちは垓下(がいか)に追い詰められた。

この戦場での楚軍は、項羽が直接、率いている。そのため、項羽は戦場にいる。

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本文

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ナク
ムコトナリスルヲ
イニキテタル
たチテ
セラレテ駿アリすゐきスイテ
つくリテ
おほフ
アラゆカ
ベキ
なんぢヲセント
フコト
ルモノ

書き下し文

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項王の(ぐん)垓下(がいか)(へき)す。(へい)少なく(しょく)()く。漢軍(かんぐん)(およ)び諸侯の(へい)(これ)(かこ)むこと数重(すうちょう)なり。(よる)漢軍(かんぐん)四面(しめん)(みな)楚歌(そか)するを()き、項王(すなわ)(おほ)いに(おどろ)きて曰はく、「(かん)(みな)(すで)()()たるか。(これ)(なん)楚人(そひと)(おお)きや。」と。

項王(すなわ)(よる)()ちて帳中(ちょうちゅう)(いん)す。美人()り、()()(つね)(こう)せられて(したが)ふ。駿馬(しゅんめ)あり、()(すい)(つね)(これ)()す。(ここ)()いて項王(すなわ)非歌忼慨(ひかこうがい)(みづ)()(つく)りて(いわ)はく、

(ちから)(やま)()()()(おお)ふ   
(とき)()あらず(すい)()かず
(すい)の逝かざる奈何(いかん)すべき
()()(なんぢ)奈何(いかん)せんと

歌ふこと数闋(すうけつ)美人(びじん)(これ)()す。項王、(なみだ)数行(すうこう)(くだ)る。左右(さゆう)(みな)()き、()(あお)()るもの()し。

語釈

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垓下(がいか)⸺今の安徽省(あんきしょう)霊璧県(れいへきけん)
(へき)⸺立てこもる。
楚歌(そか)⸺その地方の歌。
帳中(ちょうちゅう)⸺とばりの中。(※ とばりは漢字で「帳」と書く。)
(こう)⸺ここでは「寵愛(ちょうあい)」の意味。原文に受身の字は句法は無いが、ここでは文脈から「こうせられて」と受け身で訓読する。
忼慨(こうがい)(いきどお)り嘆く((なげ)く)。
(けい)⸺語調を整える助字。
()く⸺進む。
(けつ)⸺歌が一曲終わること。
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句法など

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  • 何〜也 (なんゾ〜や)
何楚人之多也 (なんゾそひとのおおキや)
「何〜也」で「なんぞ〜や」と訓読して、「なんと 〜 なことよ」という詠嘆(えいたん)を表す。
例文の訳: なんと楚の国の人の多いことよ。

現代語訳

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項王の軍は、垓下(がいか)(の城壁)に立てこもった。(楚軍の)兵は残り少なく、食料も尽きはてた。漢軍(かんぐん)と、(漢の同盟国の)諸侯の軍が、これ(=楚軍のいる城)を包囲しているのが、幾重(いくえ)にもなっている。ある日の夜、(外側の)漢軍の東西南北の四方向から楚の民謡(みんよう)が聞こえてきて、なので項王はとても驚いて、言ったことは「漢はすでに楚を占領したのか。これは何とも楚人の多いことだ。」と。

項王はそこで夜に起きて、とばりの中で飲んだ。(そこに)美人がいた。(美人の)名前は()である。いつも寵愛されており、項羽に付き従っていた。(また)名馬がいた。(馬の)名前は(すい)。項王は(戦場などでは)いつもこの馬(=騅)に乗っていた。

ここにおいて、項王は悲しげに歌い、(いきどお)(なげ)き、みずから詩を作って言うには、

(わが)力は山を引きぬき  (わが)意気は世界を圧倒する
時勢は(われに)不利であり  (すい)は進まない
(すい)の進まないこと  どうすればよいだろうか(どうしようもない)
()()や  おまえをどうしようか

(項羽の)歌うこと数曲、美人(=虞)はこれに(項羽の曲に)唱和した。 項王は涙を幾筋か流した。左右(の側近たち)も皆泣き、顔を見上げて(項王を)見ることができるものはいなかった。

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本文

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イテシテラントかうヲ
ぎシテヒテナリト
タルニハクハ
ノミルモカラントルコトヒテ
ボスニルヲなサンせき
リテ西にしセシモかへルモノ
あはれミテトストモアリテカトモ
ランはヂヒテ
タルヲスルコトタルケリ
ハント

書き下し文

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(ここ)()いて項王(こうおう)(すなわ)(ひがし)して烏江(うこう)(わた)らんと()っす。烏江(うこう)亭長(ていちょう)、船を()して()つ。項王(こうおう)()ひて(いわ)はく、「江東(こうとう)(しょう)なりと(いえど)も、()方千里(ほうせんり)(しゅう)数十万人(すうじゅうまんにん)(また)(おう)たるに()るなり。(ねが)わくは大王(だいおう)(いそ)(わた)れ。(いま)(ひと)(しん)のみ(ふね)()り。漢軍(かんぐん)(いた)るも()って渡る()からん。」と。

項王(こうおう)(わら)いて(いわ)はく、「(てん)(われ)(ほろ)ぼすに、(われ)(なん)(わた)ることを()さん。()(せき)江東(こうとう)子弟(してい)八千人(はっせんにん)と、(こう)を渡りて西(にし)せり。(いま)一人(いちにん)(かえ)るもの()し。(たと)江東(こうとう)父兄(ふけい)(あわれ)みて(われ)(おう)とすとも、(われ)(なん)面目(めんもく)ありてか(これ)(まみ)えん。(たと)(かれ)()はずとも、(せき)(ひと)(こころ)()ぢざらんや」と。

(すなわ)亭長(ていちょう)()ひて(いわ)はく、「(われ)(こう)長者(ちょうじゃ)たるを()る。(われ)()(うま)()すること五歳(ごさい)(あた)(ところ)(てき)()し。 (かつ)一日(いちにち)千里(せんり)を行けり。(これ)(ころ)すに(しの)びず。()って(こう)(たま)はん。」と。

句法など

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  • 独〜 (ひとり〜ノミ)
(いま) (ひと)(しん)のみ (ふね) ()り -
今、私だけが船を持っています。
限定の意味。
  • 縦(たとい〜)
「たとえ〜したとしても」の意味。逆接の仮定
縦江東父兄憐而王我
訳: 「たとえ江東の父兄が私をあわれんで王とするとしても」の意味。

語釈

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烏江(うこう)安徽省(あんきしょう)和県(わけん)にある渡し場の地名。
亭長(ていちょう)宿場(しゅくば)の長。
(ねが)わくは大王(だいおう)(すみ)やかに(わた)れ⸺「どうか大王さま、いそいで渡ってください」。「願〜」で「どうか〜してください」の意味。願望を表す。
江東(こうとう)長江(ちょうこう)下流の東南のあたりの地域。
子弟(してい)⸺若者。
(いえど)も⸺「たとえ〜としても」という逆接の仮定。あるいは「・・・であるけれども」という逆接の確定。この四面楚歌でも、教科書・参考書によって、どちらの訳の場合もある。
長者(ちょうじゃ)⸺徳の高い人。
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読解

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  • (われ)(なん)(わた)ることを()さん
(いまさら)どうして私が渡るだろうか。(私は渡らない。)
反語である。
  • (せき)(ひと)(こころ)()ぢざらんや
この籍(=項羽)、一人(ひとり)心に、恥じぬことがあろうか。(恥ずべきである。)
反語である。

現代語訳

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そこで項王は東に進み、烏江(うこう)の渡し場から(長江(ちょうこう)を)渡ろうとしていた。烏江(うこう)亭長(ていちょう)は、船を準備して待機している。(亭長が)項王に面と向かって言うことは、「たとえ江東(こうとう)の地が小さいとしても、土地(の広さ)は千里四方、人口は数十万人、(あなた項王が)また王として君臨するのに充分な土地です。どうか大王さま、急いで(長江を)渡ってください。今、船を持っている者は、私だけです。漢軍がやってきても渡る手段は無いのです。」と。

項王は笑って言った。「天が私を滅ぼそうとしているのだよ。(いまさら)どうして私が渡るだろうか。(私は渡らない。もはや天命は変えられない。)その上、この(せき)(=項羽)は、(かつて)江東(こうとう)の若者八千人と長江(ちょうこう)を渡って西に進んだのだ。(しかし)今は、一人も(ともに)帰る者がいない。たとえ江東(こうとう)の父兄が同情して私を王にさせてくれるとしても、私には何の面目があって、彼らと会えるだろうか。たとえ彼らが言わなくても、この(せき)(=項羽)、一人(ひとり)心に、恥じぬことがあろうか。(恥ずべきである。)」

そこで亭長(ていちょう)に向かって(項羽の)言うには、「あなたが徳の高い人であることが、私には分かった。私がこの馬(=(すい))に乗ることは五年間だが、向かうところ敵なしだった。(そのような名馬です。)かつて一日に千里も走ったこともある。これ(=騅)を殺させるのは忍びない。そこで、あなたに差し上げます。」と。

問題

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  • 項王が烏江を渡らなかったのはなぜか。説明せよ。

主に、次の2つの理由である。

  • 天が自分を滅ぼしていると考えたため、たとえ逃げのびて再起しても、天下の情勢は変わらず、また自分は負けると思ったから。
  • 江東の若者をたくさん死なせてしまったので、その若者の家族などに顔向けできないし、自分もふがいなくて恥ずかしく、そのような自分は生きている価値が無いと思ったから。

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本文

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きヲシテリテシテ
ナリ
ミテ
シテ
フトいふ
セシメントシテ

書き下し文

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(すなわ)()をして(みな)(うま)()りて歩行(ほこう)せしめ、短兵(たんぺい)()して接戦(せっせん)す。(ひと)り項王の殺すところの漢軍、数百人なり。項王の()(また)十余創(じゅうよそう)(こうむ)る。(かえり)みて(かん)騎司馬(きしば)呂馬童(りょばどう)()て曰はく、「(なんぢ)()故人(こじん)(あら)ずや。」と。馬童(ばどう)(これ)(めん)し、王翳(おうえい)(ゆび)さして曰はく、「(これ)れ項王なり。」と。

項王(すなわ)ち曰はく、「(われ)()(かん)()(こうべ)千金(せんきん)邑万戸(ゆうばんこ)(あがな)ふと。(われ)(なんぢ)(ため)(とく)せしめん。」と。 (すなわ)自刎(じふん)して()し、()()(みな)(かん)(くだ)る。

語彙

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故人(こじん)⸺昔なじみ。
自刎(じふん)⸺みずから首をはねて死ぬこと。

語釈

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短兵(たんぺい)⸺刀・剣などの短い武器。
騎司馬(きしば)⸺騎兵の隊長。
(めん)シ/(そむ)キ⸺面を「めん」と読むか「そむク、そむキ」と読むかで意味が変わる。「めん」と読む場合、馬童が、いったん項羽を見てから、応永に顔の向きを変えたという意味。「そむク」とした場合、項羽から顔をそむけたという意味。
邑万戸(ゆうばんこ)⸺一万戸の町。
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現代語訳

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そこで皆、馬から下ろさせて歩かせて、刀剣などの短い武器を持って(漢の軍と)接近して戦った。項王が一人で殺した漢軍の数は数百人であった。項王の身もまた、十数カ所も傷を負った。(項王が)振り返って見ると、漢の騎兵隊長である呂馬童(りょばどう)がいて、項王の言うには、「おまえは私の昔なじみ(むかしなじみ)ではないか。」と。

馬童(ばどう)はこれに(項羽に)顔を背け、(漢軍の)王翳(おうえい)に(項王を)指差して言うには、「こいつが項王だ。」と。

項王はそこで言った。「私の聞いた話では、漢は私の首に千金・一万戸の町の賞金をかけたとな。私は、おまえのために、恩恵を施してやろう。」と。

そして(項羽は)自ら首をはねて自殺した。楚の領地(の者)はすべて、漢に降伏(こうふく)した。

「四面楚歌」の現在の意味

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「まわりが敵ばかりで味方が存在しない状況」という意味で、「四面楚歌」は現在、用いられている。

項羽の性格の描写

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検定教科書などに紹介される項羽についての描写では、『鴻門之会』でも『四面楚歌』でも、感情的であり冷静な判断ができないという欠点のある一方で、人情味があり、それなりに義理堅い人物として書かれている。

この『四面楚歌』の項羽の最期でも、かつての部下の呂馬童(りょばどう)に項羽の命を狙われても、項羽は、そのことをを(とが)めないのである。

『鴻門之会』の前での項羽の行動は、函谷関の関所を攻撃したりと、攻撃的であり、短気である。しかし、その一方で、『四面楚歌』では項羽は負けを悲観して自殺もする。

たとえば『鴻門之会』では、自分に謝罪しにきた沛公(はいこう)を許し、その沛公を助けにきた樊噲(はんかい)を高く評価したかのように記述されており、項羽は人情味がある人物として書かれている。

どちらにせよ、項羽の行動の方針は、「生き延びる」という観点では一貫しておらず、項羽は感情的な人物として描かれている。

ただし、このような、項羽の人物像は、実際の人物像とは異なる可能性がある。

  • 項羽と沛公の対比

一方、沛公(はいこう)の人物像は、史実などでの、この四面楚歌のあとの展開を知っていると分かるのだが、沛公は冷酷な人物である。

この四面楚歌の戦争で沛公の勝利のために功績を立てた部下である韓信(かんしん)を、沛公は、韓信の勢力が大きくなって自分が滅ぼされることを恐れ、韓信を(ほろ)ぼすのである。

なお、この韓信は、「背水の陣(はいすいのじん)」でも有名な戦闘で、勝利した男でもある。このように韓信は、沛公のために何度も戦闘を指揮して功績をおさめた、優れた部下である。だが、その韓信を、沛公は滅ぼすのである。

おそらく『史記』での項羽の人物像は、この冷酷な沛公とは対比的に項羽が描かれているため、項羽が人情深い人物かのように描かれているのであろう。