高等学校古典B/無名抄

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『無名抄』(むみょうしょう) 歌論書。 作者は鴨長明(かもの ちやうめい 、カモノ チョウメイ)。一二一一年(建暦元年)以降に成立。章段の数は、約八十段からなる。

深草の里[編集]

「俊成(しゅんぜい)自賛歌のこと」

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  • 大意
  • 本文/現代語訳

俊恵(しゅんゑ)いはく、五条三位入道(ごでうのさんみのにふどふ)のもとにまうで(詣で)たりしついでに、『御詠(ごえい)の中には、いづれをか優れ(すぐれ)たりと思す(おぼす)。よその人さまざまに定めはべれど、それをば用ゐ侍るべからず。まさしく 承らんと思ふ。』と聞こえしかば、

『夕されば野辺(のべ)の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里

これをなん、身にとりては面歌(おもてうた)と思ひ給ふる。』と言はれしを、俊恵、またいはく、『世にあまねく人の申し侍るは、

面影(おもかげ)に花の姿を先立てて幾重(いくへ)越え来(き)ぬ峰の白雲

これをすぐれたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆれば、『いさ。よそにはさもや定め侍るらん、知り給へず。なほみづからは、 先の歌には言ひくらぶべからず。』とぞ侍りし。」と語りて、これをうちうちに申ししは、「かの歌は『身にしみて』といふ腰(こし)の句のいみじう無念におぼゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気を言ひ流して、ただそらに身にしみけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優に侍れ。いみじう言ひもてゆきて、歌の詮とすべきふしを、さはと言ひあらはしたれば、むげにこと浅くなりぬる。」とて、そのついでに、「わが歌の中には、

み吉野(みよしの)の山かき曇り雪降れば麓の里はうち時雨つつ

これをなん、かのたぐひにせんと思う給ふる。もし世の末におぼつかなく言ふ人もあらば、『かくこそ言ひしか。』と語り給へ。」とぞ。

俊恵(しゅんえ)が言うことには、「五条三位入道のところに参上した機会に、『(あなたが)お詠みになったお歌のなかでは、どれが優れているかとお思いですか。他の人はさまざまに決めておりますが、それを(そのまま)採用するわけにはいきません。(あなた自身から)確かに お聞きしようと思う。』と申し上げたところ、

『夕されば野辺(のべ)の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里

(夕方になると、野原の秋風が身にしみて、うづらが鳴いているようだよ、この深草の里では。)

これを、自分にとっては代表的な歌と思っております。』とおっしゃったが、私・俊恵(しゅんえ)がまた言うことには、『世間で広く人々が申しておりますのは、』

面影(おもかげ)に花の姿を先立てて幾重(いくへ)越え来(き)ぬ峰の白雲

(桜の姿を先立てて(=?思い浮かべて? / 目の前に見て?)、)いくつ越えてきたのだろう、峰の白雲を。)

これを優れているように申しておりますが、どうですか。』と申し上げると、『さあ、どうだか。ほかでは、そのように決めているのでしょうが、私は存じません。やはり自分としては、先の和歌(=「夕されば・・・」の和歌)には比べて言うことはできません。』と、おっしゃいました。」と語って、これを内密に申したところ、「あの歌は、『身にしみて』という第三句がたいそう残念に思われるのだ。これほどになった歌は、気色や雰囲気(だけ)を詠み表して、ただ(聞き手に)想像の中で見にしみただろうなあと思わせるほうが、奥ゆかしくも優美でもあります。(『身にしみて』という句が)とても言い表しすぎていて、和歌の題目とすべきところを、はっきりと言い表してたので、ひどく(余韻が)浅くなってしまった。』と言って、そのついでに、「私の歌の中では、

み吉野(みよしの)の山かき曇り雪降れば麓の里はうち時雨つつ

これを、あの(代表作の)類いにしようと思っています。もし、後世に(代表作が)はっきりしないという人がいれば、『こう言っていた。』と語ってください。」と(言った)。


  • 和歌の用語(重要)
腰の句 - 和歌の第三句。
景気を言ひながして - 景色や雰囲気をさらりと詠み表して。
歌の詮(せん) - 和歌のもっとも重要なところ。
  • 語句(重要)
・いはく - いう事には。
・ついで - 際。折。機会。
・定め侍れど -  「さだむ」の意味は多数あり、 1:「決める」。 2:「論じる」。 などの意味がある。  1と2のどちらでも解釈ができるが、とりあえず本記事では1で訳した。参考書によっては2で訳しているのもある。
・まさしく - 確かに。
・承らん(うけたまわらん) - 「聞く」や「受く」などの謙譲語。 ここでは「聞く」の謙譲語なので、意味は、「お聞きする」、「伺う」(うかがう)の意味。
・あまねく - 広く一般に。「世にあまねく」で、意味は「世間に広く一般に」。
いさ -「さあ、どうだか」の意味。「いさ・・・知らず」の形で「さあ、・・・については、わからないけれど、」。
・心にくく - 奥ゆかしい。
・むげ - ひどい。よくない。最低だ。
・そら - 暗記などで、文を読んでいない状態。
・おぼつかなく - 形容詞「おぼつかなし」連用形。「おぼつかなし」は、はっきりとは分からない、の意味。
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  • 読解
・かのたぐひ - 「おもて歌」のこと。
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  • 語注
・俊恵(しゅんえ) - 平安時代の歌人。源俊頼(みなもとのとしより)の子。鴨長明の歌の師。
・五条三位入道 - 藤原俊成(ふじわらのとしなり)。歌人。『千載集』(せんざいしゅう)の撰者(せんじゃ)。
・夕されば・・・ - 『千載集(せんざいしゅう)』(秋上)に所収。
・深草 - 今でいう京都市 伏見(ふしみ)区 深草(ふかくさ)。
おもて歌 - 代表的な和歌。
・面影に・・・ - 『新勅撰(ちょくせん)集』(春上)に所収。
・さはと - はっきりと、あっさりと、の意味か。
・み吉野 - 今でいう奈良県吉野群の一帯。
・み吉野の・・・ - 『新古今和歌集』に所収。
・世の末 - 将来。後世。
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